九日目

 九日目:


「天ノ宮センパイ」

「ん、何でしょうか、凜花?」

「ちょっと話があるのですが」

 いよいよ本場所開幕を明日に控えた夜。

 天ノ宮が自室の机の前でいつものように机に置いた皿の上に山ほど載ったお菓子を食べながら表示窓ヒョウジ・ウィンドを開き、幕下最初の日に対戦する相手を動画で研究していると、隣で同じようなことをしていた凜花が声をかけてきた。

 天ノ宮と凜花は、凜花が入門してきてから同室なのだ。

 男子の大相撲の場合、幕下以下の力士は畳の敷かれた大部屋に全員が布団と僅かな身の回りのものなどのみで一緒に生活するが、女子大相撲の場合、プライバシーなどの観点から、二人から四人程度で部屋を持って共同生活するというのが通例になっている。

 部屋は月詠部屋が入っている共同住宅棟マンションの一室で、同じ部屋のそれぞれの洋室、和室に、幕下以下の力士が複数人寝たり勉強したりするという形で暮らしている。

 置かれているものは二段ベッドに二つの机、それに服戸棚に様々な物を置く棚、程度の家具ぐらいしかない、シンプルな部屋だ。

 これが十両以上になると共同住宅棟の一部屋まるごとが力士に与えられ、放送受像機や冷蔵庫、空調機なども自由に置けるようになる。これも関取の特権の一つだ。

「凜花、話って?」

 お菓子を掴む手を休めて動画を止め、表示窓を閉じると、白い緩やかなTシャツに黒いショートパンツの彼女は、凜花の方へと体を向けた。

 なんだろうと、思いながら首を傾げる。

 魔法の明かりの白い光が天井から煌々と照らす下で、同じような姿の凜花は彼女の顔を見つめると言った。

「センパイ、同時発動の個有魔法、欲しいって前に言っていましたよね?」

「ん? ええ……」

 よく覚えているなあ、と思いながら彼女はさらに首を傾げた。

 突然何を言い出すのやら、と思いながら次の言葉を待つ。

 その次の言葉は、彼女にとって衝撃的なものだった。

「センパイにそれをあげます。今から三番稽古をしましょう」

「え、ええ!?」

 何を突然、と天ノ宮は困惑した。

 しかし凜花は大変大真面目な表情で立ち上がると、まるで散歩に出かけるような軽い足取りで部屋の入口へと向かう。

 天ノ宮が、依然として突然好きでもない人から、愛の告白を受けたときのような表情で椅子に未だ座っていると、凜花が振り返り、

「ほら、行きましょう。皆に気づかれないうちに」

 と言ってきたので、

 わけがわからないんだけど……、という思いを胸に天ノ宮は、

「え、ええ……」

 と応えながら立ち上がり、彼女のあとを追った。

 天ノ宮は歩きながら思った。

 ──個有魔法をあげるって……。一体どういうこと? でも、もしかして。

 天ノ宮は部屋を出て、凜花と共に階段を降りながら続けて思った。

 ──わたくしが美穂乃月たちにかわいがられたとき、鬼金剛師匠が言うには、凜花が何かをして神降ろしになったあとのわたくしを治したという。師匠は口を濁したけど、それは多分、肉体や精神に作用する魔法に違いない。そのような魔法は、神殿パンテオンの高位の僧侶クレリック系の職能クラスや、そして。高位の階層に属する人たち、例えば、皇族や貴族を守護する者たちにしか使えないことになっている。ということは。凜花は、そういう人間なのだ。彼女を差し向けたのは……。お父様か、おじい様ね。そして、彼女の正体は……。

 そこまで思考を巡らせた時、二人は一階にたどり着いていた。


 誰もいない、月詠部屋一階の稽古場。

 窓の外は暗く、照明の白光が土俵を照らすも、隅の方はやや陰りがあった。

 二人で廻しを締めあい、簡単な準備運動をすると、土俵上で向かい合った。

 東に天ノ宮、西に凜花という立ち位置だ。

 天ノ宮は普通に廻しを締めたが、凜花は自分の廻しをかなり緩く締めていた。

「廻し、それでいいの?」

「はい、センパイ。これでいいんです」

「そう……?」

 天ノ宮が小首をかしげると、凜花はそれに構わず、彼女に向き合って言った。

「さてセンパイ、これから三番稽古でボクが持つ個有魔法を伝授しますが……。簡単にはあげませんよ」

 突然そんな事を言われ、天ノ宮は、ますますわけがわからないわよ、という顔をし、

「簡単には渡さないって……」

 と応えた。

 すると凜花は、腰を据え、足を大きく開くと、

「見ててください」

 そう言い、全身に力を込めた!

 すると、どうだろうか!

 ものすごい量の魔力が凜花の体から吹き出した!

 彼女の体が大きくなり、手足も太く、長くなっていく!

 体の胴回りも太くなり、緩めていた廻しがあっという間に、はちきれんばかりになった。

 が、単純に大きく、長くなったというわけではなかった。

 天ノ宮は、その体の大きさ、腕や足の太さ、長さに見覚えがあった。

 それは……。

「これは、野須ノ姫さんの体とそっくり……!?」

「そうですセンパイ。この体の身長や体重などは、公表されている野須ノ姫さんの情報を元に、そっくりそのまま再現したものです。さあ、これで一番取ってみましょう」

 天ノ宮は呆然としながらも、力士の本能で、白線前で蹲踞する。

 野須ノ姫の体の凜花も、蹲踞して白線前で手をつく。

 天ノ宮は凜花の顔、いやその体を見ながら思った。

 ──本当に野須ノ姫さんの体にそっくりね。

 凜花にこんな個有魔法があったなんて。

 でも、肝心の炎の魔法の方は……?

 そう訝しながら、自分の呼吸で片手を付く。

 すると。

 凜花の体から、赤い炎の魔力が噴き出るではないか!

 ──!!

 天ノ宮は目を見張った。

 ──これはまさに野須ノ姫さんの炎の個有魔法……。

 ここまで再現できるとは……!

 なら、わたしも……!

 そう思うと彼女は自分の精神を集中させ、自らの持つ個有魔法の中からある魔法を選択した。

 次の瞬間、天ノ宮の体から、白い冷たさを持った魔力が吹き出す。

 氷雪華関から得た、氷結の個有魔法だ。

 天ノ宮は凜花の顔を見た。彼女は唇の端を歪めていた。

 天ノ宮もそれに習うと、残りの手もつける。

 と同時に、凜花も手を付けた。

 そして二人は、呼吸を合わせて立ち合った。

 二人は低い体勢で、頭をぶつけ合った。

 ゴツンという音が耳元ですると、視界が上がっていく。

 お互い体を起こす。

 そして、その反動を利用し一旦離れると、天ノ宮は氷の個有魔法の冷気をまとった突きを繰り出した。

 その手が野須ノ姫の体つきをした凜花の体を強く突く。焼くような熱が手のひらに伝わり、まとっていた氷が溶ける。

 それを知覚するかどうかのタイミングで、凜花の炎の突きが自分の体を突く。Tシャツにまとわせていた氷が解け、じゅっと小さな水蒸気をあげ、衝撃が来る。

 その衝撃と熱は、本割の野須ノ姫の持つ突きそのものだった。

 その突きの痛みに、本能で突き返す。

 バシッ! バシッ! バシッ! バシッ! バシッ! バシッ!

 それぞれの氷と炎の突きが、胸を、腕を、腹を、そして顔を突き、それぞれの場所を歪ませる。天ノ宮は凜花の繰り出す炎の突きに耐えながら、次の手を考える。

 ──わたくしに型はないけど、できることは……!

 繰り出す突きに腕をぶつけ、それを開くようにかわしていく。

 開いた腕と腕の間、胸の空間に一気に飛び込む。

 相手の胸へ顔をぶつけるように当てると同時に、左手を伸ばし、廻しの横を取り、右を脇あたりに当て、そのままの状態で前後に足を開き、低い姿勢を取る。

 凜花の動きが止まった。

 当たっている胸に視界を奪われながらも、天ノ宮はそのままの姿勢でこらえる。

 その時、凜花の体からしびれのようなものが伝わった。相手の個有魔法を取得したのだ。

 そのしびれはしばらく続いた。かなり大量の情報が伝わったことを示すものだ。

 しかし天ノ宮はそれを無視して、今の一番に集中する。

 ──できることは、こらえて長く相撲をとることだけ……! 長い時間相撲を取れば、相手は焦れて急いてくる……! その時を狙えば……!

 凜花の両腕は、天ノ宮の両肩を受け止めていた。

 天ノ宮の姿勢が低いおかげで、廻しに手が届かないでいる。

 ぜぇ、はぁ、ぜぇ、はぁ、ぜぇ、はぁ、ぜぇ、はぁ、ぜぇ、はぁ、ぜぇ、はぁ……。

 二人の荒い呼吸が、稽古場に広がっていく。

 誰もいないため、その音はより一層強さと大きさを持っていた。

 そのこらえた状態のまま、しばらく過ぎた。

 天ノ宮の氷結魔法で凍った体の氷が、野須ノ姫、いや、凜花の炎の魔法により解けて水になり、彼女の水素と酸素と塩分などが入り混じった体液と共に土俵に落ちていくのを感じた。

 その時、天ノ宮はひらめいた。

 ──この液体を利用すれば!?

 彼女は左腕で投げを打った。

 バランスを崩す程度ではあるが、倒れるほどではない程度に。

 相手は即座に反応した。

 彼女は右腕を動かし廻しをつかもうとするが届かず、かわりにTシャツをつかもうとした。

 しかし、大量の液体で濡れたTシャツをうまくつかめず、体が開いていく。

 そこで天ノ宮は右廻しを掴んで凜花の体をくるんと回すように、腕を動かした。

 腕から魔力が荒々しく吹き出て、腕力かいなぢからを強める。

 そして、彼女の思惑通りに、凜花の体が回っていった。

 が。あまりにも力が強すぎて、回転させるどころかそのまま土俵に叩きつけてしまった。

 どんっ!

 重音が一つ稽古場に鳴り響き、わずかに土煙が土俵に上がる。

 その爆心地で、凜花は頭から倒れていた。

「大丈夫!?」

 やりすぎた、と思いながら天ノ宮は思わずそう言って凜花を助け起こす。

 助け起こそうとして、いつもの凜花の体だと思いこんでそれに見合った力で起こそうとするが、今の彼女は野須ノ姫の身長と体重、体つきなので思いの外重く、

「重い……!」

 と思わず声を上げつつ、そういえばと思い出してより力を出して凜花の身を起こす。

「いてて……」

 頭を押さえながら、起き上がった凜花は、

「一体何をやりたかったんですか……」

 と困惑しながら立ち上がる。

 天ノ宮は本当に申し訳ない、という顔をして、

「ちょっと、送り吊り落としの体勢を作れるか、試してみたかったの。ごめんなさい」

 と謝った。

 凜花は、その謝罪に何かを考えるような顔をしたが、やがて、

「ああ、そういうわけなんですね。わかりました。以後の稽古で、協力しますよ」

 何もかもわかった、という笑顔で応えた。

 彼女はそう言うと、もう一度天ノ宮に相対するような位置へ戻って、まるで学説を発表する学者のような声で言う。

「これがボクの持つ個有魔法……、というか能力アビリティの一つです。特定の相手の体格、能力、個有魔法などを模擬、つまり真似することができる。そういうものです」

「それが一つ……」

「そして、ボクの持っている別の能力。それが」

 そう言って凜花は両腕を広げ、手のひらを開いた。

 次の瞬間。

 彼女の右の手のひらに小さな赤い炎が、左の手のひらにうずまきを巻いた風が巻き起こった。

「魔法同時発動の個有魔法です」

 凜花はそう言って微笑んだ。

「これが、魔法同時発動の個有魔法……」

 天ノ宮は自分の胸に手を当て、自分の中にある波動を感じる。

「これが、あなたにもらった、個有魔法……」

 天ノ宮の気づきの言葉に、凜花はひとつうなずいて笑う。

「そう、それが今の一番でボクがセンパイにあげた個有魔法の一つです。今は使えないものも多いですが、いつか使いこなせるようになるでしょう」

「凜花、本当に、本当にありがとう……」

 天ノ宮はそう言って頭を下げた。彼女の本来の姿からすれば、それはあまりにも身分不相応にも思えたが、それは心からの感謝から出た行動だった。

 天ノ宮は頭を上げると、凜花に向かって問いを投げた。

 それは先程から疑問に抱いていたことだった。

「ねえ凜花。一つだけ聞いておきたいの。あなたをここへよこしたのは……。お父様、それともおじい様?」

 その問いに、凜花は笑みを絶やさずに、

「御二方から、です。……さあ、稽古を続けましょう。お二人のためにも、鬼金剛師匠、月詠親方のためにも、今場所で十両昇進を決めましょう」

 そう言うと、彼女は土俵へと腰を据え、構えた。

 天ノ宮は、そう、そうなのね、と納得すると、

「ええ、頑張るわ。凜花」

 そう応えると、自分も土俵に腰を据え、土俵に手を付ける。

 そして、再びぶつかりあった。


 二人は夜中まで稽古に明け暮れたあと、眠りについた。

 そして、夜が明けると──。

 いよいよ、本場所が始まった。

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