中日
中日:
美穂乃月らによる天ノ宮襲撃事件からさらに月日が経ち、フヅキ(七月)に入った。
翌月に本場所も迫った、ある日の朝。
月詠親方や鬼金剛などの親方達と天ノ宮や美穂乃月、凜花などの女力士達は連合稽古へと向かっていた。
向かうは、相撲の神タケミカヅチを祀る神殿がある、
連合稽古というのは、相撲の部屋には色々と人や地域、またはこの世界では神々の信仰などによる「つながり」「まとまり」があり、そのつながりを「一門」といい、その一門で集まって行う稽古のことを連合稽古というのだ。
いつもより早めに起きて準備運動をしたあと、術導バスに乗り込んで部屋を出発したのだが。
「運転手さ〜ん、まだつきませんかねえ〜?」
「すいませんー、親方ー。渋滞に巻き込まれちゃってー。申し訳ありませんねぇー」
苛ついた様子の鬼金剛に、運転席に座っているちょっとガラの悪い男の運転手が、申し訳ないんだか、悪いんだかわからないような顔で謝る。
運転席の前の風防ガラスから見える景色は、前を見渡す限り、自動車、大型自動輸送車、と自動二輪、
「空、飛べませんかねえ……」
そう言って空を見上げた鬼金剛だったが。
空の上も、一直線に空を飛ぶ車などで埋め尽くされていた。人も車も空を飛べるとは言え、そこには交通ルールがある世界なのだ。無闇矢鱈に飛んでいっていいものではない。
鬼金剛は畜生め、という顔をしては運転手の方へと向き直り、
「運転手さん、タケミカヅチ
「あと一時間ぐらいはかかるかもですねえー。なにせ、帝都のあちこちで渋滞らしいですから、他の部屋もこの分だと遅刻してるでしょうねえー。ゆっくり待ちましょうやー」
そう笑いながら運転手はハンドルから手を離した。渋滞なのでゆっくり進まざるをえないので大丈夫、というのもあるが、この術導バスは自動運転車でもあるので、運転手がよそ見をしていても大丈夫だった。無論、この自動運転車も、他の世界からもたらされた技術の一つだ。
「どうも」
しょうがねえなあ、という顔をすると、鬼金剛は回れ右で通路のドアを開閉し、バス内の通路を歩いて行く。
バス内は二階建てで、階段、白い光が輝く天井に黒い通路と黒い壁、それに個室のドアが見えた。
通路はバスとは思えないほど広々としていた。魔法で空間が拡張されているのだ。
個室ももちろんその処理が施されていて、個室も女力士が三〜四人入っても広々としている広さだった。
親方(資格)のあるものは個室が与えられているので、鬼金剛も、自分に与えられた個室に入った。すると。
「師匠、渋滞どのようなものでしたか?」
白地に紫文字の相撲浴衣姿の天ノ宮が、笑顔で果汁が入った紙コップを片手に持ち、テーブルにお菓子の入った袋を置き、その中にもう片手を入れては口へと持っていっては投げ入れ、良く噛みながら、個室の四人がけ席の一つに座っては笑いかける。
鬼金剛は、応じるように個室の中へと入った。
「おう、ずいぶん混んでる。あと一時間ぐらいはかかるかもだ」
彼はぼすん、と椅子に座るとこう切り出した。
「アメンボウ」
「天ノ宮です」
「出稽古ご苦労だったな。これで色々な力士から個有魔法をもらえたんだし、後はその使いこなし方だな」
「ええ、それはいいんですけれど……」
眼の前に座った天ノ宮は考えるような顔をして、果汁とお菓子を交互に口の中に入れては、
「多数の個有魔法を習得したのはいいんですけれども、それをどう使いこなすかが問題なんです……。こう、たくさんあるといつどこで使うかで困ってしまって……。せめて、複数の個有魔法を同時に使えればいいんですけれど……」
とこぼすと果汁を一気飲みし、静かに紙コップをテーブルに置いた。
それからまたお菓子をつまんで口に入れる。
ふむ。鬼金剛も、彼女の発言を聞いて考え込む顔を見せる。
どうやらその件に関しては、同じ認識にあるらしい。
その解決方法はと言えば……。
「そういう複数同時発動させるメタ個有魔法は、もちろんある」
鬼金剛はそう言って腕を組んだ。
「しかし、ものすごく希少な存在だし、持っていても確認されてるのは今の所関取にしかいない。頼むにも一苦労だな」
完全に不可能というわけではない。つてを頼れば出稽古はできるかもしれない。
しかし、そのような希少な能力を持っている関取に、それを頼むということは天ノ宮が魔法複製能力を持っていると明かすようなもので、今の段階では、彼女の能力を秘密兵器としておきたい鬼金剛としては、得策ではなかった。
「ま、今のところは手持ちのものでやっていくしかないだろうな。今のものでも十分戦える。今日の連合稽古、野須ノ姫も来るし、稽古の成果を存分に見せつけてこい、いいな?」
鬼金剛は天ノ宮の肩をぽん、と叩いた。
それに対し彼女は、一瞬考える表情を見せたものの、すぐに、
「はい! 頑張ってきます! 今日は野須ノ姫に勝ちます! ……ありがとうございました!」
そう言うと彼女はお菓子の袋を持って立ち上がり、一礼をすると客室を出ていった。
鬼金剛は自動扉が閉まった後、一つため息をついた。
今のところはそれで我慢しろ、と言ったようなものだった。
それをどう受け取ったかは彼女次第だが、しかし事実は事実だ。ないものねだりをしてもしょうがない。
──ま、あの張り切りようは前向きに考えないとな。
そう思うと鬼金剛も立ち上がり、客室を出ていった。
向かうは、月詠親方の部屋だ。
「ちょっと天ノ宮と話してきましたよ。あいつ、やる気満々です」
月詠親方の個室へとやってきた鬼金剛は、個室のドアをロックした。
それから、個室のドリンクコーナーから麦酒の缶を数本持ち出すと、座り心地のいい四人がけの座席に腰を下ろした。月詠親方の対面だった。
プルタブを引き、缶を開け、そして、一気に呑む。
「それは良いことだな。今度こそ十両に上がってくれると良いんだが」
着物姿の月詠親方は、そうなればいいが、という顔をしながら自分の麦酒を呑んだ。
麦酒を飲み干した鬼金剛は、缶をコトン、と眼の前にあるテーブルに置くと、
「そういえば美穂乃月、天ノ宮を避けてるじゃないですか」
「ああ、あいつな。あの事件以来、天ノ宮のことがトラウマになっているみたいだな。流石にああなっちゃあねえ……」
あの「かわいがり事件」の結果、美穂乃月達は数日間の謹慎処分となった。
鬼金剛はそれでは甘すぎる、警察などに訴え出るべきだ、と主張したが、月詠親方は、
「美穂乃月達は十分罰を受けている。それでいいだろう。それと、……彼女も、あの方々も、騒ぎが大きくなるのは望んでいないしな」
と言って、鬼金剛を制した。
彼はその言葉を聞き、莫迦ではなかったので事件を外に出すのは思いとどまった。
そののち、彼女は天ノ宮を避けるようにして稽古に励んでいたが、動きなどに精彩を欠いていた。
取材の記者などの間では、次場所は休場するのではないかという噂もささやかれていた。
それは因果報応というべきものかもしれなかったが。
「まっ、美穂乃月関はああなってもしょうがないか。あいつは、部屋でちょっと振る舞いが悪すぎたしな」
鬼金剛は笑いながら、二缶目の麦酒の缶を飲み干した。
「それはお前にも責任があるからな。お前が出稽古させすぎたからだ」
「そうしなきゃ天ノ宮が強くなれませんし……。そういえば」
「なんだ鬼金剛?」
「最初の依頼のときにも聞きましたけど、なんで俺にこの依頼を頼んだんです?」
「何故そんな事を訊く?」
意外な話を聞いてくるな、という顔で、月詠親方は麦酒を一口呑んだ。
鬼金剛は、少し回りくどい言い方で応えることにした。
「いや、単純に天ノ宮の個有魔法を開花させるならもっといい人がいるでしょうに。なんで俺なんですかね?」
「……ひ・み・ちゅっ」
「可愛い顔を無理やり作って言うなよ!? もっと真面目に答えてもいいだろ!?」
その回答に、鬼金剛は席をズルっと滑り落ちて脱力した。
月詠親方は小さく笑うと、空になった麦酒缶をテーブルに置いた。
そして、窓の外を見ては、遊女のような艶めかしい顔で言った。
「まあ、本当の事が言える日がもうすぐ来るかこないか、楽しみに待っておれ。いいね?」
彼女の答えにならない答えに、鬼金剛は椅子に座り直すと、ため息をつき麦酒を一気飲みした。
鬼金剛と話し合った天ノ宮は、凜花達のいる個室へと戻った。
個室には、凜花の他、合わせて三人の相撲浴衣姿の女力士が座席に座り、カードゲームをしていた。
「天ノ宮センパイ、おかえりー。……師匠と話してきた?」
天ノ宮の顔を見るなり、窓側右の席にいた碧の浴衣姿の凜花がカードを引く手を止め、そう言った。
他の二人も顔を上げ、彼女の方を見る。窓側左の席には希世乃月。その隣、通路側左の席には南洙。そんな席順だった。
「はい、話してきました。野須ノ姫との稽古頑張ってこい、だって」
「それぐらいかぁ……」
「同時使用魔法をなんとか出来ないかって尋ねてみたけれど、あるもので頑張ってこいと」
「まあ、しょうがないよ。そういう魔法、本当に希少なものだし」
南洙がそう言ってカードを置いた。
それを見て、凜花は少し考える表情をした。
それを知ってか知らずか、
「天ノ宮先輩、なんか飲みますー?」
希世乃月がそう言うと立ち上がり、ドリンクサーバの方へと向かった。
「ありがとう」
天ノ宮は笑ってそう言うと、凜花の隣の席に座った。そして席の空いた空間にお菓子の袋を置くと、またお菓子を口にする。
希世乃月が急いで果実汁の入った紙コップを手にして戻り、天ノ宮の前に置くと自分の席に座った。
天ノ宮は受け取った飲み物を一気飲みすると、ふぅー、と息を吐いた。そしてまたお菓子を口にする。小動物と言うか食欲魔神というか、忙しい口運びである。
──ないものについて言ってもしょうがないか。でも、欲しいものは欲しい……。
そんな事を彼女が考えていると、
「ねえ天ノ宮センパイ! 今日の連合稽古での申し合い、真っ先にボクを指名してくれるかな? 成長したボクを、見せつけてやるぞ!」
と凜花が、自分の片腕をぐいぐいと天ノ宮に押し付けた。
すると、南洙が身を乗り出して、
「あーっ、ずっるーい! 抜け駆けしようとしてるー! 南洙が一番先なんだからねー!」
と凜花に抗議した。
南洙は自分の番付が上なので、先に天ノ宮と申し合いをするのは、自分だと決めているのだ。対する凜花も、そうはいくかと身を乗り出して南洙と睨み合うと言った。
「番付が上だからって割り込むなよ! 天ノ宮センパイと仲がいいのはボクだ!」
「あら南洙もあまっちと仲いいんだから!」
「……やりますか!?」
「……やりましょうか!?」
「……ならまずは二人で申し合いだ! 勝った方が天ノ宮センパイに対戦を申し込む、いいね?」
「いいでしょう。……決まりね」
二人は「あたしたち、いい好敵手だよねっ」というような顔で見つめ合うと、お互いの手を握り合った。交渉成立だ。
その様子を見て、
「りんちゃんとなんちゃんって本当に仲いいですね……」
と、のんびりした口調で、希世乃月が苦笑した。
そのほっこりとしたやり取りに、天ノ宮の顔が少し緩み、
「うん、みんなありがとう……」
と白い歯を見せた。
──でも。一番に申し合いをしたいのは、あの人よ。
そう思うと、天ノ宮は窓の外を見た。そしてまたお菓子を口に入れる。
小さな神殿や祠、それに居住棟や店舗街、会社棟などが見える大都会の風景は、少しずつ後方へと流れていく。
天ノ宮は口を動かしつつ、風景を見ながら願う。
──十両にならないと。そのためには。あの人に。野須ノ姫に。勝たなくては。
そう一人誓うと、彼女は前を向き、一人、目を閉じた。
それから一時間ほど過ぎた。
ようやくのことで帝都新京中央部、シンデンガイ《神殿街》のタケミカヅチ
バスから降りた天ノ宮はあたりを見渡した。駐車場には、他の部屋のバスなども到着しており、次々と浴衣姿の女力士達が降りて、力士入り口へと向かっていく。
色とりどりの浴衣姿の女力士達が並んで歩く様は、どこか美しいものがある。
「ようやく着きました……。ギリギリですね……」
と天ノ宮がため息を付きながら周りを見渡すと、
「あっ、月詠部屋の女力士だ!」
「すごーい!」
「写真、写真!」
と、駐車場で待ち構えていた女子大相撲ファンの人達が、一斉に声を上げた。
その人々の視線の先には、
「美穂乃月関ー! 写真撮らせて下さーい!」
「美穂乃月さーん! お元気ですかー!?」
「美穂乃月関ー! サインお願いしまーす!!」
天ノ宮達より後に降りた、美穂乃月を始めとする、幕内や十両の女力士達がいた。
彼女らは角界の人気者・有名人(番付上位なのだから当然のことだが)で、こうして写真を撮られたりサインを求められたりすることも多いのだ。
「やっぱりああなりたいですね。関取になれば、ああやってちやほやされますし」
その黄色い声を聞きながら凜花が言うと、希世乃月も、
「だよねー。なりたいよねー」
とうなずき、それに合わせるように南洙も、
「そうよね! 頑張って上に行かなきゃね!」
笑顔を見せて決意表明をする。
「うん、そうだ……」
天ノ宮も、三人に合わせて頷こうとしたときだった。
「あの……、天ノ宮さん……」
自信がなさそうな、か細い女性の声がすぐそばから聞こえてきた。
天ノ宮は惹かれてそちらの方を向くと、直ぐ側に、色紙とペンを抱えた大学生ぐらいの長い黒髪の女性が、こちらを見ていた。美人な人、と天ノ宮は即座に思った。
体格は、天ノ宮と変わらないぐらい程度で、彼女は一目見て、
──あっ、この人、女子相撲嗜んでいますわね。アマチュアなのでしょうか?
と推察した。
ころりとした小さくきれいな声で、彼女は続ける。
「あの……、サイン、よろしいですか?」
その言葉に、天ノ宮はびっくりした。
まさか、わたしがサインだなんて! 幕下のわたしが、サインを求められるだなんて!?
「え、さ、さサイン……!?」
「い、嫌ですか……?」
「い、いやそうじゃないけど……。びっくりしちゃったから」
「すいません……」
「いいわよ。ありがとう」
「い、いえ……」
そう応えると、天ノ宮は色紙とペンを受け取り、サインを書き始めようとしたが。
当然、サインなんて決めておらず、少し考える。結局、適当に書くことにした。
かわいい絵も付け加えて、飾り付けもばっちりだった。
サインを書きながら、天ノ宮は彼女に尋ねる。
「ねえ、相撲取っているの?」
「は、はい! ……やっぱり、わかるんですか」
「体格を見ていればね。高校? 大学? 企業? 軍?」
「大学四回生です」
「じゃあ来年卒業ですね。進路希望は?」
その問いに、大学生の彼女は少し迷った様子を見せて応えた。
「女子大相撲、志望なのですが……。まだ、部屋決まっていなくて……」
その応えに、天ノ宮は途端にお、と顔をした。
そして、こうしたらどう? という顔で彼女に告げる。
「そう!? ではわたくしの月詠部屋見学にいらっしゃいな! 部屋の人数は多いし、設備も整ってるから、楽しい女力士生活が送れると思うわ! 入門したらわたくしが指導してあげますから!」
「そうですか!?」
天ノ宮の応えに、女子大生はぱっと明るい表情を見せた。
先程の不安な顔はどこへやら、だ。
その時ちょうどサインが出来上がったので、天ノ宮は色紙とペンを彼女に優しく返した。
「はい、サイン」
「……字、綺麗ですね。絵もかわいいです! ありがとうございました!」
色紙を見て、大学生女子は破顔すると、深々とお辞儀をした。そして続けて、
「それでは、今場所頑張ってください! 十両になれるよう応援してます!」
「あなたも頑張ってねー!」
「はいっ!」
そう言い交わすと、彼女はくるりと向きを変え、小走りに走り出した。
天ノ宮がその走る先を見ると、十名ほどの様々な体格の女子(大きめな体格の女子がほとんどだった)が、彼女を笑顔で出迎えていた。
どうやら、大学の女子相撲部の部員のようだ。
──あの人のためにも、十両にならなきゃね。
天ノ宮はそう決意を新たにすると、凜花たちとともに、神殿の力士用入り口へと向かうのであった。
タケミカヅチ神殿は、小さな国技館とも言える形の神殿だった。
タケミカヅチとは、相撲がこの世界にもたらされた時に伝わったとされる、相撲の神と言われる存在だが、現実化した(神として具現化した)のはこの世界で、と言われている。
つまりタケミカヅチは、後天的、あるいは人工的(神工的?)に生まれた神格といえるのだ。今ではすっかり秋津洲皇国の神々として定着し、相撲に関する人々を見守っている。
その相撲の神タケミカヅチを祀る神殿は、中も国技館のような有様だった。
それもそのはず。国技館は、タケミカヅチ神殿を元に作られた建築物だからだ。
これには諸説あり、タケミカヅチ神殿の元になった建物が、国技館であるという話や、本来のタケミカヅチ神殿というのは、土俵と(吊り)屋根なのだ、という説など、いろいろな説があり、今でも解明されていない謎なのであった。
とは言え、そのような謎は他の神々の神殿や建築物でも存在するありふれた謎であり、人々は特に意識したり議論したりすることはなかった。
タケミカヅチ神殿に到着した天ノ宮達月詠部屋一行は、廻しに組衣姿に着替え、簡単な準備運動を終えてから、神殿の
内部は一階席(地下席)だけの国技館、という様相で、本場所のような大きな場所は無理だが、信者たちへのサービスや、神前で行われる儀式としての相撲などが、ここで執り行われる。
また、連合稽古だけでなく、場所前に行われる横綱審議委員会による稽古総見という公開稽古などにも使われる、相撲にとっては重要な場所なのだ。
その取組場の、国技館そっくり、いやそのものの吊り屋根と土俵の周りに、大勢の女力士達が集まっていた。
準備運動の後、まずは幕下以下、天ノ宮達の稽古から始まる。
股割りや四股踏みなどが行われた後、申し合いへと入る予定だ。
天ノ宮達は土俵下で四股を踏みながら、申し合いが始まるのを待ちながら、言葉をかわしていた。
まだ稽古は始まってないので、会話をするのは自由だ。
「いよいよ申し合いね! 凜花、まずはあんたと勝負よ! そして勝ったほうが天ノ宮と申し合いする。忘れてないわよね?」
「もちろんだよ南洙! ボクは当然キミに勝って天ノ宮センパイと申し合いするからな!」
南洙の言葉に、凜花は自信たっぷりに返した。
その鼻持ちならない言葉に南洙はかちんと来たのか、
「あら、あんたに負けるなんて百遍やってもありえないから! 部屋でも勝ってるのはあたしでしょ!」
と吠えると凜花は、
「……昨日申し合いで負けたよね?」
「あっ、あれは足が滑っただけだから! 一敗とは数えないから!」
「負けた!」
「負けてない!」
二人は言い合いながら犬の喧嘩のような罵り合いをはじめた。
その様子を見て、
「ふたりとも、稽古に集中しなさーい!」
珍しく希世乃月が二人を叱るが、どこ吹く風。二人は闘犬のようににらみ合いを続ける。
天ノ宮は四股を踏みながら、
「まったく、二人ってば……」
と苦笑したその時だった。
黒の廻しと組衣に身を固めた、金髪碧眼に白い肌の女力士が、彼女らの前に姿を表した。
「やあ、天ノ宮さん」
「野須ノ姫さん……」
四人の前に姿を表したのは、天ノ宮と先場所最後に対戦して勝った元十両、野須ノ姫だった。
──野須ノ姫さんが、ここに現れるなんて……!
四人組の間に、わずかに緊張が走る。
前に取り組みをしたときよりも、彼女の体格は一回り大きくなった気もして、野須ノ姫が場所と場所の間に鍛えてきたことは明らかだった。
しかし天ノ宮も負けてはいなかった。
鬼金剛やその他の女力士と鍛えてきた体を見せつけるかのように、一歩前に出る。
そして、
「おはようございます、野須ノ姫さん! この前は対戦ありがとうございました!」
思いがけない先制口撃に、お、という顔を僅かに見せた野須ノ姫だったが、それをすぐに隠すと、
「おはようございます、天ノ宮さん。この場所の間は鍛えてきた?」
少し意地の悪い顔で問いかけてきた。
しかし天ノ宮は意に介せず、それどころか、
今がチャンス、と彼女は思った。
そして、
「なら野須ノ姫さん、それを確かめてご覧に入れますか?」
と逆に問いかけた。
申し合いを、申し込んでいるのだ。
彼女の言葉を聞いて、凜花と南洙は顔を見合わせ、
「ちょっと待ってよセンパイ!」
「あまっち、私達が先でしょ!?」
とそれぞれ抗議した。先約は私達でしょ、と言いたいのだ。
しかし。天ノ宮は、鋭い視線を二人に投げかけた。
それには、明らかに、黙りなさい、という言霊が含まれていた。
彼女の視線に、二人は、うっ、という顔をして黙ると、一歩下がった。
二人が沈黙したのを確認した天ノ宮は、
「申し合い、よろしくお願いいたします!」
と野須ノ姫の頭を下げた。
彼女は、友達の彼女にデートの権利を自分に譲られたような複雑な表情を見せたが、
「……わかったわ。こちらこそよろしくお願いするわね」
こちらも頭を下げた。交渉成立、したのだ。天ノ宮は内心で嬉しくなった。
──野須ノ姫さんが乗ってくれるなんて!
そう思うと、胸が躍った。
「じゃあ、決まりですね。……もう間もなく幕下以下の稽古が始まるし、お互い、良い稽古をしましょうね!」
天ノ宮の、今、わたしは心の底から好きなことをしているんだ、という表情に。
野須ノ姫も、つられるように青い目を細め、口を緩ませた。
そして、幕下以下の申し合いが始まった。
土俵の俵の周りにぎっしりと女力士達が乗り、土俵に乗り切れない下位の力士は、土俵下で出番を待つ。
最初は準備運動や受け身の稽古などをした後、いよいよ申し合いの始まりだ。
まずは、一門で一番上の力士がまずは土俵に立ち、対戦相手を指定し、その勝ったほうが、次の対戦相手を指定する、という流れだ。
この場にいる力士では、現在の番付(数日前に新しい番付が発表されている)には、天ノ宮の上に二人上位の力士がいるので、彼女らが取り組んでから、天ノ宮が指定されるか、野須ノ姫が指定されるか待ち、どちらかが勝った上で、彼女が相手を指定するのを待たなければならない。
土俵下で、凜花と希世乃月と南洙の三人が、
「センパイ、土俵で出番待ってますね……」
「緊張感、伝わってくるねえ〜」
「あまっち、なかなか出番来ませんね……」
と言い合っていた。
土俵上ではかわるがわる相手が変わって、申し合いが行われているが、勝ち残りの力士がなかなか天ノ宮や野須ノ姫を指定しないのだ。
しかし天ノ宮も野須ノ姫も、土俵上で繰り広げられる申し合いをじっと見つめ、終わるとすかさず手を上げ、その時を待っていた。
そして。その時が来た。
先に土俵に上がり、申し合いで勝ち残った野須ノ姫が、天ノ宮を指定したのだ。
「次、天ノ宮さん、お願いします」
その言葉に、天ノ宮は緊張した面持ちで。
「はい! よろしくお願いいたします!」
と意思を込めて強く応えると、相対する仕切り線の前へと立った。
そして。二人の申し合いが、始まった。
土俵に立ち、天ノ宮と野須ノ姫は二本の仕切り線を挟んで、相対した。
そして、軽くお辞儀をする。
野須ノ姫は、目の前に相対する天ノ宮の姿を観察した。
天ノ宮の体格には、自信が満ち溢れていた。いや、それは野須ノ姫の印象だけではない。
実際に、前に見たときよりも、廻しが小さく見えるのだ。
それは、天ノ宮の体が大きくなった証拠でもあった。
──先場所よりかなり鍛えたんだろうな。
そう思うと、野須ノ姫は嬉しく思えた。
ならば、その努力に応えなければならない。
二人はほぼ同時に腰を下ろした。二人の魔力に応じ、土俵が輝き出す。
そして、静かに自らの手を土俵に下ろす。
トンッ。
そして、土俵に残りの手を付け……。
「はっ!」
二人はほぼ同時に、立ち合った!
野須ノ姫からは大量の魔力が吹き出したが、天ノ宮の体からは、魔力は少ししか吹き出さなかった。
これが何を意味するかと言うと、天ノ宮の魔力制御がかなりのものであり、相当な魔力を体内に押さえ込んでいるのだ。
最初の一撃は、お互いに張り手。
お互い狙った顔と顔に、張り差しが食い込む。
相手の張り差しに、野須ノ姫の体がのけぞるが、天ノ宮の反りはわずかだった。
その対比に、土俵の周りにいた女力士達や、観客席で見ていた客達から、どよめきが沸き起こる。
野須ノ姫はなんとかこらえ、体を起こしつつ、残りの手で突っ張る。
天ノ宮の強い張り手に、
──成長したな、こいつ。
と感じながら。
しばらく、土俵上では張り手の応酬が続いた。
バシッ! バシィッ! バシッ! バシィッ! バシッ! バシィッ!
野須ノ姫は炎の張り手を繰り出していた。
しかし彼女の炎は、天ノ宮の体に届く前に、突然弱くなり消えていく。
よく見れば天ノ宮の体には、薄い氷の膜が張り巡らされていた。氷の結界だ。
それが野須ノ姫の炎を打ち消しているのだ。
──くっ!
と同時に、野須ノ姫の脳裏にある一つの疑問が浮かんた。
──個有魔法かこれ?
目前の敵が繰り出す氷の張り手を喰らい、避け、いなしながら彼女は思考する。
──こいつは個有魔法を持っていなかったはず。まさか……。
野須ノ姫はある結論に達しつつあった。
その時だ。
天ノ宮はすり足で動き、半歩引いた。
そして、張り手を行った手を引き、そこに魔力を集中させた。
なにか魔法を出そうとでも言うのだろうか。
しかし、それを見過ごす野須ノ姫ではなかった。
天ノ宮が引いたのを見ると、懐に飛び込もうとしたのだ!
通常の魔法であれば、そこで打ち消され、野須ノ姫は天ノ宮の懐に飛び込み、廻しを取って寄るなり投げるなりしただろう。
だが。
天ノ宮が展開した魔法は、盾の魔法。物理的質量と硬度を持っていたのだ。
展開した魔法の盾に、野須ノ姫の体が衝突する。
盾は砕けて、ばらばらになり掻き消える。
けれども、その衝突に野須ノ姫の体はよろけ、ふらついた。
──なに!?
天ノ宮はその好機を逃さなかった。
逆に、野須ノ姫の懐へと飛び込んだのだ。
彼女の両廻しを取り、半ば吊るようにして一気に前へと寄る。
天ノ宮はあっという間に土俵際まで寄った。
天ノ宮の吊り寄りの力強さに、野須ノ姫は我に返ると再び力を入れ、土俵際で踏ん張る。
──なに、今の……!
狼狽しつつも、腰と足を中心に全身に力を込める。
廻しが
不快な痛みとその反対に似た性質の感覚が、股間から頭へと伝わる。
足を開き、炎の力で逆転の投げを打とうとした野須ノ姫だったが。
──あっ、もう、だめ……。
気が遠くなり、急に力が抜け、背中に控える女力士達にもたれるように倒れた。
ドスンッ!!
女力士達をもなぎ倒すように倒れていった二人は、土俵下へと落ちた。
しばらくの後、先に起き上がったのは天ノ宮だった。
彼女は少しの間惚けるような面持ちでいたが、やがて我に返ると、
「大丈夫でございますか……?」
倒れている野須ノ姫に手を差し伸べた。
その野須ノ姫も、衝撃と刺激に呆然としていたが、やがて我に返ると、
「え、ええ……」
天ノ宮の手を握り返すと、彼女の助けを借りて立ち上がった。
そして土俵へと戻り、礼をして、野須ノ姫は退場した。
彼女は呆然としていた。股間に感じるじんわりとしたしびれを未だに感じながら。
天ノ宮に、はじめて負けるなんて。
彼女には、こうした稽古の場でも勝ち続けていたような覚えがあった。
少なくとも、公式の取り組みでは負けたことがない。
しかし。事故のようなものとはいえ、天ノ宮に完敗を喫するなど。
悔しさもあったが、あの女力士、天ノ宮は確実に成長しているのだ。
野須ノ姫は、そう認めざるを得なかった。
土俵上を見ると、天ノ宮が次の相手を指名し、構えていた。
相手は、確か天ノ宮と同じ部屋の、凜花、という娘ね。
さあて、次はどんな取り組みになるのかしら。
荒れた息を整えつつ、野須ノ姫は土俵上の次の一番に注目するのだった。
その後、天ノ宮は幕下で一番多く申し合いを取った。
凜花や南洙、他の女力士たちと申し合いをし、勝ったり負けたりした。
そして、土俵上では幕下以下の申し合いが終わり、今度は十両の申し合いが始まっていた。
土俵上で繰り広げられる、肉体と魔力の激突音を背景音楽に、
「ふーっ、凜花。たくさん申し合いを積んで、気持ちよかったわね」
「……センパイって本当に体力あるんですね」
桶の水を柄杓で飲みながら、清々しい笑顔を見せる天ノ宮に対し、凜花は心の底から疲れ果てた様子だった。
「そりゃあ、まあ、わたしにはたくさんの個有魔法がありますし」
天ノ宮は胸を張って応えた。大きな胸がさらに大きく見える。
「凜花、そういえばあなたも色々取れるじゃない。相撲も、魔法も」
「センパイほどじゃないですけど……」
「最初に申し合ったときは、突っ張りに炎魔法の取り口だったけど、二回目は組んでからの寄りに戦士系の肉体強化系だったわよね。……もしかして、わたしと同じ?」
「いえ、違いますけどっ」
「じゃあなんなのですか?」
「ひ・み・つ・ですよセンパイ。大したことじゃありませんけど」
「じゃあ、考えておくわね。あとね」
「何でしょうかセンパイ?」
凜花は、柄杓で水を飲みながら返した。
それに天ノ宮は、こう尋ねる。
「あなた、廻しを引かれても結構大丈夫そうな顔をしているけれど、そういう体質なの?」
天ノ宮の問いに、凜花は少し考える表情をして、
「そういう……、ものですね。我慢強いんです、もともと」
天ノ宮は何かを考える顔をしたが、それを表には出さず、話題を変える。
「南洙達の相撲だけど……」
凜花に相談しようとしたときだった。
「……やあ、天ノ宮さん、先程はどうも」
そう言って二人に近づいてきたのは、金髪碧眼の女力士、野須ノ姫だった。
二人は柄杓をゆっくり降ろすと、
「こちらこそ、どうも……」
彼女と礼を交わした。
野須ノ姫も柄杓を手に取り、水をすくって飲み、桶に投げ入れるように入れた。
それから、いきなり本題を切り出した。
「天ノ宮さん、以前より相撲が上手くなったわね。いろいろなことを意識せずに相撲が取れるようになってきたわね」
「そ、そうでございますか? 恐縮です」
「ちょっと前だったら、あなたは考えながら相撲を取ってた。だからつけ込む隙があった。だからあなたは私に勝てなかった」
「……」
「私の師匠が言っていたわ。色々なことを意識せずにできることが、その人の今の限界。私は突っ張りを意識せずにできることに集中した。だからここまで上がってきたの。でも、それ以外はからっきしで……」
「そうでもないじゃないですか。あなたは色々な事ができる力士だと、わたしはあなたと対戦して身にしみて感じでいます」
天ノ宮は心からそう思うような素振りで、頭を掻いて言った。
しかし野須ノ姫は、そうじゃないのよ、というような顔で、
「そうかしら? それも突っ張りあってこそだと思うけどね」
そう言って、ふふふ、と笑うと、言葉を続ける。
「今のあなたは、意識しないで色々なことができるようになってる。それはとてもすごいことだわ。もう少しで、私よりも強くなるかもね」
「……本当ですか!?」
「特に立ち会いが鋭くなってきたわね。無意識的に立ち会うことができる。だから、わたしとか他の力士が当たり負けしたでしょ?」
「ええ……」
それは事実だった。天ノ宮の立ち会いや当たりはかなり向上していて、普通の力士では当たり負けすることが多くなってきていたのだ。
その立ち会いからの強い当たりは、たくさんの個有魔法を覚え、その魔法を活かすために先手を打てるようになるために、鬼金剛に鍛えられてきたことの一つだった。
幕下以下の力士では、重量級力士を含めて、一線級の立ち会いを持っているわよ、と野須ノ姫は笑った。
それから、
「ま、本場所で取ってみないとわからないけどね。もちろん、あなたと取り組むことになったら、私は絶対負けないわ。その時は、よろしくね」
「今度こそ、勝ってみせますから」
「そうね、その意気よ。それでこそ私の
そう言ってもう一度笑うと、野須ノ姫は話題を変えた。
そして、土俵上の申し合いを見つめる。
「……ねえ、あなたは何を目標にして相撲を取っているの?」
「もちろん、十両に上がることです。今は」
「まあ、それはわたしも同じよね。でも、それからは?」
「それからは……」
天ノ宮は少し考える素振りをして、それから、宗教告白をするかのような声で言った。
「……まずは親方みたいな力士になりたい。大関や横綱になって、部屋を持って独り立ちしたい」
「月読乃華関ね……。いい力士ね。あの人は……。で、もう一つありそうだけど?」
野須ノ姫が不思議そうな顔で問うと、銀髪で背高の巫女力士は、はっきりとした言い方で応えた。
野須ノ姫ではなく、そのむこうにあるなにかを見据えた真剣な眼差しで。
「でもそれ以上に、ただ、自分が自立していくために、自分が一人で生きていくために相撲を取れたら、それで満足です。それが本当の目標です」
その応えに、野須ノ姫は目を丸くして驚きを隠さずに返す。
「自立が目標って……。金を稼ぐとか、横綱になるとかは……?」
「それは二次的なものです。わたしは自分が自立するために、自分だけのために、相撲を取りたい。……ただこれがわたしの願いであり、幸せ」
「……そう」
野須ノ姫はそう言うと、苦笑しながらため息を吐いた。
そのため息は、凍りついた何かを溶かすために吐いたように見えた。
野須ノ姫の温かい吐息を最後に、しばらく、会話が途切れた。
天ノ宮も野須ノ姫も凜花も、黙りこくっていた。
土俵上の魔力を載せた張り手の音、女力士が上げる声が、三人がいる場所まで届いていた。
静寂を破ったのは、野須ノ姫だった。
「私にもね、追いつきたい人がいるの。姉の、美穂乃月関よ」
「お姉様ですか……」
その話に、天ノ宮は先程のお返しをされたというふうに、わずかに表情を変えた。
美穂乃月には妹が多数いて、そのうち何名かは女力士であるということは聞いていたが、まさかそのうちの一人が、野須ノ姫だとは思ってもいなかった。
ふと、あの彼女とその取り巻きに襲撃されたときの、彼女のつぶやきを思い出した。
──そういうことだったの……。だから……。
その天ノ宮の内心を知らず、野須ノ姫は言葉を続ける。
「ええ。私は姉に憧れて相撲を始めた。それから力士になってここまできた。そして今十両に一度はなった。でも跳ね返された。思い知らされた。だからもっともっと稽古して、強くなって、美穂乃月関に追いつき追い越すのが私の夢よ」
「……」
「姉には出稽古を度々申し込んでいるけど、いつも門前払いで。いつか、姉に稽古をつけさせてもらう。それが当面の夢ね。……この分だと、いつ叶うかわからないけど」
「……早く叶うと、いいですね」
そう言って、天ノ宮は笑った。
自分では無理やり作った笑顔だったが、相手はそう思わなかったようだった。
彼女も明るい笑顔で、
「それにはまず、また十両に上がらなくちゃね。その前に、貴女と相撲をまた取って勝たなきゃいけないけど」
「……重ねて申し上げますけれども、今度は負けませんよ」
「言うわね。今度も勝ちますからね」
と会話を交わして、お互い笑った。
その時だった。
少し遠くから、声がした。
「おーい、野須ノ姫、親方が呼んでるぞー」
「はーい」
どうやら、野須ノ姫が彼女の親方に呼ばれているようだ。
「じゃあ、わたしはこれで。次場所で、待ってるわ」
そう言って凜花から離れると、二人に手を振りウィンクをして、野須ノ姫は小走りに天ノ宮達の元を去っていった。
「ごっつぁんですー」
天ノ宮もそう返して見送った後、
──ほっ……。
と、安堵のため息を内心吐いた。
そして、凜花に向かってこう言った。
「どうにも苦手ねあの方……。相撲もそうだけど、話もデリカシーありませんし……」
「まあまあ、話す話題が欲しかっただけでしょ。……それとも、あれも心理戦ですかね?」
「……単に空気読めない頭の悪い人だわ!」
そう応えると、天ノ宮はぷいと横を向いた。
凜花はそれを見て、ただただ苦笑するだけだった。
天ノ宮は、十両の申し合いを眺めながら思った。
──魔法の切り替えに関しては今回上手く行ったけれど、本場所の土俵でそれがいつも上手くいくとは限らないわ。上手くいかないほうが当然と考えたほうがいい。
今回アレを使ったことで、当然彼女も対応策を取ってくるでしょう。今回みたいに簡単に行くとは思えない。
そのためには。あの、魔法同時使用の個有魔法が欲しい。そうすれば今回のやり方でも別のことができる。
あの魔法さえ、あれば……。
そう羨望の思いで、土俵を見つめていた。
それから連合稽古も終わり、部屋に戻った女力士達は、それぞれの稽古を積み最終段階の調整へと入った。
彼女らは鍛錬を積み努力を積み修練を積み、それぞれが目指す目標のために汗を流した。
こうして、日は落ち、月が登り、沈んで、また日は昇ることを繰り返し──。
フヅキ(七月)の本場所の前日となった。
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