七日目
七日目:
「よし、掃除終わり。さて、ちゃんこ《昼食》の手伝いでもしようかしら……」
鬼金剛が天ノ宮の指導者となり、高千穂部屋へ出稽古に行って半月ほど経ったあとの、月詠部屋の稽古場。
天ノ宮は午前中の稽古のあと、一人上がり座敷の掃除を終えると、掃除機を手にしながら大きく背を伸ばした。
土俵にも上がり座敷にも人はおらず、しんとした静寂が、あたりを支配していた。
周辺を見回しながら、天ノ宮は鬼金剛が来てからの事を思い返していた。
彼女が鬼金剛と出会い、自分の個有魔法<白き
──稽古の後はくたくたになるけど、新しい魔法は得られるし、やるたびに申し合いの成績は良くなるし、いい事ずくめね。わたくし、強くなってる。
天ノ宮の顔から自然に笑みがこぼれた。そしてその習得した個有魔法に適した取り口、型で相撲が取れるよう、稽古を重ねていった。
例えば炎の個有魔法なら突っ張り重視、氷結の個有魔法なら腕や足を極める型、盾の個有魔法なら相手の攻撃をいなして突いたりはたいたりする型だ。
そういった個有魔法と型を凜花や南洙、部屋の若い女力士などや他の部屋の女力士などに、申し合いと言う形で試していくことで、自分の身に覚えさせていく。その繰り返しだ。
──大変だけど、見合った強さになっているのが実感できてる。
彼女は掃除道具を鍵扉付き戸棚に片付けながら、自分の腕を見た。
少し前より、明らかに太くなっていた。足も同様であった。
自分の腕と足の太さを見て、天ノ宮は嬉しくなって小躍りしたい気分になった。
月が変われば連合稽古もある。その時が自分の実力を試すチャンスだ。
──午後、南洙たちが帰ってきたら、また申し合いをしよう。彼女達、
彼女はひとつゆっくりと、しかし力強くうなずいた。
午前の稽古を終えた、南洙と希世乃月を始めとする月詠部屋所属の幕下以下力士の多くは、昼寝をするか、相撲教習所へ行くか、ヨシワラの街の周辺へ内職にでかけていた。
相撲の幕下以下には月給がなく、養成員としての手当、つまり学生に与えられるバイト料のようなものとして支払われることになっている。
また貴族などのタニマチがついている力士、あるいは貴族などの出身力士の場合は、そういった後援者などから仕送り金などをもらうこともある。
とはいえ、衣食住全て兼ね備えた部屋住まいであるものの、タニマチなどのいない場合は当然それだけでは足りないことも多いので、力士、特に女力士は稽古の合間をぬって副業をすることも多い。
最近では綺麗どころの女子力士が
──まっ、歌姫なんてわたくしにはとうてい無理ですけれどもね。さて、お菓子食べたらちゃんこの手伝いをしようっと。
天ノ宮は一人苦笑すると鍵扉付き戸棚の扉を閉じた。
その時。キーン、という音がどこからか響いてきた。
なんだろう。と思いながら天ノ宮があたりを見回すと、
(……気をつけて。……危険が迫っています)
と言う優しい、自分に似た女性の声が聞こえたような気がした。
天ノ宮は神秘的な声を聞き、
──これって、神託?
と首をかしげた。
この神々が実在する秋津洲世界において、彼、彼女らは言葉を特定の人間に告げるという事がある。それが予言であり神託なのだが、これは巫女や口寄せといった神に仕える人間だけでなく、危機が迫った人間に告げることもあるのだが。
あたりを見渡しても静かなままで、地震や火事と言った危険はなさそうに見えた。
一体なんの……、ともう一度首を傾げたその時だった。
「天ノ宮、ちょっと来て! 美穂乃月関が困ってる!」
部屋の奥の方から飛び込んできたのは、幕下の力士、姫満月だった。天ノ宮より先に入門した力士で、いわば兄弟子なのだが、今では天ノ宮に番付で追い越されていた。
彼女は美穂乃月の付き人をしており、彼女のグループの一員とみなされていた。
「えっ、困ってるって? 何が?」
わけがわからないので、困惑した表情を天ノ宮が見せると、
「いいから早く!」
姫満月はそう言って天ノ宮の手をとると、強引に彼女を部屋の裏口の方へと連れて行く。
一体何なのよ。そう思いながら、狭い廊下を犬のように走り抜けながらあっという間に裏口へとたどり着く。
外の光で一瞬視覚が覆われ、それから視力が戻ると──。
目の前には、長く重々しげな角材を手にした美穂乃月と、彼女の取り巻きたちがいた。
天ノ宮は悟った。
──あの神託って……。
一歩後ずさった天ノ宮に、美穂乃月がいつもとは違う、今にも鬼になりそうな声で言った。
「天ノ宮、最近ちょっと調子に乗ってない?」
「いえ……、そんな事ないですけれど……」
「最近、部屋の仕事、おろそかになってんじゃないの? 自分の稽古ばっかしちゃってさあ?」
「だって、鬼金剛師匠が……」
「だってもない!」美穂乃月は怒声を飛ばした。そこにはいつもの温厚な彼女の姿はなかった。
「稽古の前に、あんたには部屋の仕事やあたしたちの世話をしたりするという務めがあるんだ! それを怠けるなんて、仕事がなってないわよ! ……というわけで」
そう言いながら美穂乃月は手にした角材を掲げた。
取り巻きたちもそれにならう。
「……あんた、ちょっとかわいがってあげる」
美穂乃月は悪魔の笑みを浮かべた。
彼女の笑みに、自分の体は小刻みに震え、足を動かそうとしたが、なぜか言うことを聞かない。
美穂乃月たちの目に見えるような怒気に、頬が引きつる。
その時、美穂乃月が小さくつぶやいた。
「……あんたを潰せば、『あの娘』が上に行けるのよ」
そのつぶやきに、天ノ宮は疑問を抱いた。
──あの娘? しかしそんなことよりも。今は逃げなきゃ。 でも。
思いながらも、目の前ににじり寄ってくる美穂乃月とその取り巻きに阻まれ、逃げられない。
裏口も姫満月が塞いでいる。駄目だ。
──どうしよう。
迷う間もなく、角材が一斉に振り下ろされた時、叫んだ。
「神様、助けて──!!」
「うーん……、次は誰の個有魔法を学ばせよっかなあ……。同格以下で主だったのはだいたい学ばせたし……」
その頃。
鬼金剛は月詠部屋の最上階近くにある、自分に与えられた部屋の机で、幾窓かの
表示窓の一つには、様々な女力士の情報が表示されている。
映し出された情報群の中で鬼金剛が注視していたのは、それぞれの女力士が持つ個有魔法、あるいは職能だった。
鬼金剛は、次に天ノ宮に盗ませる、もとい、学ばせる個有魔法をどれにするのか、また誰から学ばせるのかについて悩んでいたのであった。
「正直、女どもがいる部屋のほうが色々連絡ついてやりやすいんだけど、また志乃みたいなことされちゃあなあ……」
どうやら高千穂部屋での件はよっぽど彼にとってこたえたらしい。
その時耳元で、通信魔法の着信音が鳴った。
相手は……、凜花だ。
要件があるなら直接言ってこいよな畜生め、と思いながら通信に出る。
「もしもし、おい凜花どう……」
「天ノ宮センパイが危ないんです!」
鬼金剛の声を遮って、緊迫感に満ちた凜花の声が耳元に飛び込んできた。
思わず椅子から腰が浮く。
「おいどうした!?」
「天ノ宮センパイが、部屋の裏で美穂乃月関たちに可愛がられてます!」
「……なんだって!?」
少し寝ぼけていた頭がその発言で一気に目を醒ました。
幾窓も鬼金剛の目の前に浮かんでいた表示窓が、一斉に閉じられて消えた。
「お前今どこにいる!?」
立ち上がり、走りながら凜花に問う。
「裏あたりの美穂乃月たちに見えないところで見てますが……」
「わかった、ちょっと待ってろ!」
言いながら部屋を飛び出し、昇降機の入り口へ走った。
が、昇降機はあいにく一階だった。
「ちっ!」
昇降機の扉を蹴飛ばし、階段へと向かう。
階段を駆け下りながら、鬼金剛は歯噛みしていた。
──そういえばあの申し合いから、美穂乃月の態度が悪くなってたな……。
一時的なものだろと思って放っておいたが、あいつ、そんなに根に持ってたか。
それに天ノ宮を出稽古に行かせてたおかげで、姉弟子の世話とかあまりやれなかったみたいだからな……。それも根に持っていたか。
ともかく、無事でいてくれよ! 天ノ宮!
十階ほどある集合住宅の階段を一気に駆け下り、玄関へと降りて部屋の入口へ入る。
狭い廊下を様々なものにぶつかり、吹き飛ばしながら一気に駆け抜ける。
ようやく裏手出口の金属製の扉が見えてきて、鬼金剛は無事でいろよと念じながらたどり着き、騎士団の騎兵突撃のような勢いで扉を蹴飛ばしながら、
「オラてめえらなにやってる!!!?」
と叫び部屋のある集合住宅裏へと飛び込んだ。
が。
……しんとした、静寂がそこにはあった。
「え?」
鬼金剛は意外な光景に思わず目を見張った。
そこには、一人だけ浴衣姿の少女が立っていた。
天ノ宮だった。
そして、その周りで、
「う、うう……、や、やめて……」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」
「あああああああああああああああああああああああああああああああ!」
と悲鳴なりうめき声を上げながら、美穂乃月たちが地面に転がり、身をよじったりしている。
鬼金剛は一体何が起きたのかという驚愕の色を顔に浮かべながら、
「天ノ宮!?」
そう叫びながら天ノ宮に駆け寄ろうとした。流石に言い間違えはしない。
その時、天ノ宮が振り向いた。
彼女の顔を見て、鬼金剛は凍りついた。
天ノ宮の顔は、神々しかった。全身から白く輝く魔力が立ち昇っていた。
普段の温和な天ノ宮の顔ではなかった。
──こいつは……!
一歩後ずさろうしたその時。
突然全身の白光が消え、天ノ宮の体から力が抜けた。
そして、その場に崩れるようにして倒れ込む。
「おっ、おい!」
鬼金剛は駆け寄ると、倒れかけていた天ノ宮の体を抱きとめた。
力士だが、軽い女の体の重さが両腕に加わる。受け止めた鬼金剛は彼女の顔を見た。
先程の神々しい、恐怖さえ感じるような顔ではなく、まだまだ若い銀髪の美少女が眠る顔がそこにはあった。
彼女の顔を見て、鬼金剛は小さくため息をついた。
──憑依か。
彼はそう思いながら誰かを呼ぼうとすると、
「ボクが治療します。他の誰も呼ばないでください」
突然後ろから声が聞こえたので振り向くと、凜花が出口の前に立っていた。
彼女は彼のそばに静かに寄りひざまずくと、鬼金剛の腕中の天ノ宮の顔に手をかざした。
すると、白光が手のひらで生まれ、天ノ宮を照らした。
鬼金剛はその光がある種の治療魔法だと見て取った。
──そういえば、氷雪華とかのときも、こいつが治療してたな。
そんな事を思い出しながら、鬼金剛は凜花と天ノ宮を交互に見ていた。
凜花は天ノ宮の頭部を中心に体のあちこちへ手をかざしていたが、一つうなずくと、手を離した。
天ノ宮の頬や手の甲に赤みが戻っていた。
頬や手の赤みを知り、鬼金剛はほっと安堵の息を吐いた。
彼は同時に我に返ると、顔を上げてあたりを見回した。
いつの間にか、部屋の裏口付近は静まり返っていた。
美穂乃月や彼女の取り巻きの女力士たちのうめき声などは止み、彼女らの身体はピクリとも動いていなかった。皆、気絶したらしい。
「これは……」
彼は凜花の方へ顔を向けるとそう質問した。
しかし凜花は、厳しい顔で返してきた。
「このことは部屋の外には他言無用です。今起きたのが何であるのかも。問うべきではありません」
一介の女力士とは思えないほどの、迫力と威厳さを持った声色に、鬼金剛は黙ってうなずくしかなかった。
(天ノ宮はともかく、凜花。こいつ只者じゃないな……。彼女の正体は……)
鬼金剛は腕の中で眠る銀髪の少女を見た。彼の目は険しかった。
(天ノ
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