第23話 小玉幸彦5

 同窓会のため弥生が半休を取り、午後から帰宅した。

平日の金曜日に同窓会なんて、どこのセレブ主婦の集会だよと思わず舌打ちが出てしまう。いつものように残業しながら弥生の仕事終わりを待つ予定だったのに今日に限って予定が狂ってしまった。

 俺はこの会社に入って初めて仮病を使い、急いで会社を早退した。


「ただいま」


 散らかった自宅に戻ると、小玉の母親が保温し過ぎて黄色くなったご飯を茶碗に盛って食べていた。おかずは週三で介護用の宅配弁当を頼んでいる。玄関前の発泡スチロールに塩分控えめが売りの味のしない弁当が入れられ、代わりに空になった弁当箱を持っていく。弁当が手付かずになったり、空箱が戻ってこないとスタッフが異変に気づき家族に連絡をしてくれるシステムだ。


弁当はいつも小玉が帰宅してから冷蔵庫に入れておくのだが、母親が毎度どこかへ出しっぱなしにしてしまうのでこの梅雨時期に部屋の中は食べ物が腐敗した酸っぱい匂いが充満していた。


「相変わらず陽子さんの味付けはしょっぱくて嫌だわ」


 陽子とは小玉の元嫁の名前である。母親とはいつも反りが合わず、別居をしたいと何度も言われていた。


「……母さん、陽子はとっくに家を出て行ったよ」


 認知症を患った母親は時間の把握も出来ない。昼夜関係なく眠り、夜中に突然起き出してお腹が空いたと何かを食べ始めたりする。その量が時折尋常じゃないから驚いてしまうくらいだ。


「あの人、他に男がいるのよ」


 小玉から小さなため息が漏れる。認知症は新しい記憶から忘れていくと聞いているがその引き出しの順番はいつもバラバラだ。


「……他に男って、いつ見たんだよ?母さんはほとんど家にしかいないだろ」


 話し半分にキッチンのあちこちに散らばっている衣類やタオルを拾い上げ向かいのリビングへ放り投げた。


「この間、陽子さんが電話している所を聞いていたの。甲高い声を上げて楽しそうに笑っていたわ。あれは絶対に男よ」


 小玉からまたため息が漏れる。実際、そうだった。陽子が自分と別れて一年も経たないうちに他の男と再婚したことを知っている。恐らく僕との離婚を決めた頃にはそういった男がいたのだろう。


「見合いの時から嫌な感じだったわ。あちらの親は遠回しに幸彦の学歴を馬鹿にして、私はとっても恥をかいたわ」


「幸彦が不憫でならないわ。可愛そうな幸彦」


 なんだか今日はよく喋る。母は昔から陽子をよく思っていなかった。離婚後も別れた女房についてネチネチと言われるのはうんざりしていたが、それを救い出してくれたのも弥生だった。


「弥生はそんな女じゃないよ、彼女には俺が必要なんだ」


 小玉は母親の相手をそこそこに二階の自室へ入った。スーツから携帯を取り出すとゴクンと唾を飲み込む。


「そうだ、俺が弥生を守るんだ」


 小玉は不安と使命感に震えていた。


******


 「一緒にあの男の会社を潰しませんか?」


 ストーカーだと思い込んでいた金髪の男が、自分が依頼していた探偵事務所のスタッフだったというとんだ勘違いをした後、鬼束桔平が提案してきた。


「あのイカれたレンタル会社を潰せば、ストーカー男も松永弥生の前から消えるはずです」


「っ!?どういう事だ?」


「ここだけの話しなんですが、先日うちの事務所にあのレンタル会社から調査を依頼されたんです」


「な、なんですと!?」


「都内で子役を扱っている劇団やスタジオを調べてくれって依頼です。一体どういう事でしょうね」


 意味深に笑う鬼束の意図はただのサラリーマン課長補佐にも十分に伝わっていた。レンタルさせる子供の市場調査と捉えてまず間違いない。


「あの会社を調べていくとどうやら背後に暴力団が絡んでいる可能性があります」


「暴力団!?」


 偉いことになった。握りしめた両手に汗がじっとりと染み込んだ。 


「来週の金曜日、その会社に調査報告へ行くんですが」


 鬼束が一呼吸おいて続けた。


「そこで、小玉さんにレンタル会社へクレームの電話を入れてほしいんですよ」


「クレーム?」


「内容は何でもいいです、スタッフのストーカー行為をやめろでも、ロリコン会社でもなんでもいい、最後に必ず『会社の住所』と『警察に通報した』と言うんです。そうすればああいう違法商売をやっている会社はガサ入れされる前に一刻も早く顧客リストを抹消しトンズラです。あの長髪男もストーカーなんてしている暇もなく彼女の前から消えるでしょう」


「そ、そんなのはあなた達がやればいいでしょう?なんでわざわざ私が」


「言ったでしょう、暴力団かもしれないって。面と向かって警察に通報したなんて言ったら僕、殺されちゃうかもしれないんですよ」


 冗談ぽく鬼束が笑うが、小玉は到底笑えない。


「そ、そんな大袈裟な。それこそ警察と相談すべきだ」


「まぁ、そうですよね。仕方ない、面倒ですが松永弥生の調査資料と被害者の証言内容をまとめて警察に提出したいので彼女の連絡先を……」


「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待ってくれ!調査内容を警察へ提出だと!?」


「ストーカー男の勤務先になりますからね。大丈夫ですよ、子供をレンタルしていた事は伏せておきますって」


 冗談じゃない!!勝手に調べさせた調査内容を警察に提出して、弥生にその事実が分かったら俺がストーカーで捕まっちまう!なんのために大金を払って彼女の身辺調査なんぞさせたんだ!弥生を守るためだ!あの長髪野郎のせいで俺が捕まってどうする!


「け、警察には私が通報しましょう!警察沙汰になるのなら、やよ……松永さんとも相談しないと行けないし、彼女もあの男に騙されていたわけだし、レンタル利用履歴もストーカー行為もなくなるのなら、クレームの電話くらい私がやりますよ!」


 心臓がドクンドクンと脈を打ち、背中にもじっとりと汗が滲んでいるのがわかる。鬼束の低姿勢なわりに威圧的でギラギラした目つき。まるでストーカーはお前だと指されそうで冷やひやする。


「やっぱり小玉さんなら分かってくれると思っていました。一緒にあの会社をぶっ潰してやりましょうよ」


小玉は唾を飲み込み大きく頷いた。


「ほんじゃ、そういう事で」


 話すだけ話すと鬼束は席を立った。


 なんて事を引き受けてしまったんだ。どうしてこうなった?なんだか偉いことに巻き込まれてしまった。しかし、自分が協力しないとコイツが警察に弥生の調査内容を持って通報されかねない。


「さ、先にあなた達が警察に通報したりしませんよね!?」


 しまった、この言い方ではまるで自分が犯人のようないい草だ。


「しませんよ、あくまで依頼者に報告するまでが僕らの仕事ですから。それに……」


「え?」


「僕はその日でバイト辞めるんです」


 ギラギラした鬼束の目が一瞬弱々しく笑うとそのままカフェを後にした。


******


 電気も付けずに部屋に籠もっている。まだ夕暮れ時だというのに降り続く雨のせいで部屋はすっかり暗くなってしまった。先日、鬼束に会ってからというもの小玉は勝手に張り詰めた緊張感の中を漂っていた。

 お気楽な探偵気取りはとうに超え、弥生を守るというプレッシャーと自分が警察に捕まるかもしれない不安から何度も夢にうなされた。食事もあまり喉を通らなくなり目の下には隈ができ、会社では小玉は重い病にかかり余命宣告されたと違う噂が流れていた。


 机の引き出しから新品の大学ノートを取り出した。中身は今日の作戦が記してある。

 まずは警察に電話をし、あのレンタル会社の会社名と住所を伝え、幼児売春をしていると匿名で通報する。

そして次にレンタル会社だ、警察に通報したこととついでに「レン」を名指ししてストーカー野郎だと怒鳴りつけてやればいい。

最後は弥生に連絡だ!弥生は俺の自宅に待機させよう。弥生の家はもう危険だ。通報を受けて逆上したストーカー野郎が接触してくるかもしれない。


 震える手で再度携帯を握りしめる。


よし、何度も読み返した作戦だ。大丈夫だ!よしやるぞ!弥生は俺が守るんだ!


 静かになった部屋に突然電子音が響き渡り握っていた携帯が振動した。あまりの緊張のせいで驚いた小玉は一度携帯を床に落としてしまった。


「あ、もしもし小玉さん?どうも鬼束です。これから例の会社へ行きますので電話のほう宜しくお願いしますね〜」


「あ、あの……警察には」

 電話は一方的にものの数十秒足らずで切れてしまった。本当に大丈夫なんだろうか。まさか自分は警察に通報されないだろうな。


 小玉は作戦ノートに『弥生を自宅へ待機』のあとに『通報後、レンタル会社の現地確認』と追記した。


 ごくりとまた唾を飲み込むと、震える指で携帯の通話ボタンを押した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る