第24話 松永弥生4

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 西麻布から電車で一時間、向かったのは会社ではなく小玉の自宅だった。

 閑静な古い住宅街。アスファルトと自分の傘に弾く雨音ばかりが響く。車の通行すら疎らだ。少し古いデザインだが洋風の玄関の扉にはなぜか施錠が三つついている。

確か家は母親と同居と聞いていたので弥生は躊躇しながらも家の前に着くとあくまで堂々とインターフォンを鳴らした。


 するとすぐに家の中からドタドタと足音がして、小玉が焦るように顔を出した。仕事帰りのままだったのか雨でよれたスーツ姿のままだ。


「お、お疲れ様です小玉さん、あの……」


「弥生、大丈夫か?誰からも尾けられていないか?」


「えっ!?」


 開口一番の小玉の言葉に弥生がドキリとする。一体どういうことなのか訳がわからなかった。すると小玉は急いで弥生の細い腕を引き、家に招き入れた。


 玄関は足の踏み場も無いほど靴が散乱している。家の中からテレビの音がどこからか漏れている。腕を引かれるまま家の中に入るとヒールが脱げ、玄関と廊下にひっくり返った。


「あの、小玉さんっ」


 小さく抵抗するも小玉はそのまま強引に腕を引き二階へと弥生を誘う。独特な家の匂いに、室内は湿っぽく外よりも暗く感じた。リビングと思われるドアの隙間から部屋の灯りが漏れていた。通りすがりに覗き込むと床一面にあらゆる物がごった返したように散らかっている。空き巣に入られたとは違う、物が積み重なり、また崩され、その上に物が積み重なるという奇妙な光景だった。テレビの変わりゆくカラフルな光の対向側に人の気配を感じたが、そこまでは確認出来ない。


 自宅と聞いていたこの家に違和感を覚えた弥生は少し怖くなった。

 二階の部屋に着くと、急いで扉を閉め小玉は強く弥生を抱きしめた。


「弥生……」


 自分の部屋に弥生がいることで小玉の興奮は頂点に達していた。すでに膨らんだ下半身と脳内はそれを吐き出す事以外考える余裕などなかった。


「小玉さん、一体どういっ……」


 しゃべる隙も与えることなく、小玉が弥生の口を塞いだ。小玉はいつもこうだ、まずは自分の感情を吐き出さないと地団駄を踏む子供のように弥生の言葉が耳に入らない。


「……んっ、むうっ……」


 粘着質な中年の舌が弥生の小さな口を覆うように舐め回し強引に口の中へ入り込んでくる。出し入れされるだけの身勝手な舌の動きに弥生が息苦しそうに悶えた。ようやく唇が離れたかと思うと激しく息切れをした小玉がシングルベットに無理やり弥生を押し倒し、強引に服の上から胸を揉んだ。痛さに弥生が顔を歪める。小玉の目が血走っている。そのまま四つん這いにされ、顔を布団に押しあてられ両手を背の方へと強く引っ張られた。


すると小玉が布団の間から白いロープを取り出し、弥生の手首を縛り始める。


「ちょ、小玉さん」


 弥生が小さく抵抗する。


「俺は、課長だ!」


 切れた息を整えるように唾を飲み込みながら答える、痛みが走るほどきつく縛られると弥生がまた顔をしかめた。


 仰向けにされ、服を強引に捲りあげ弥生の胸に吸い付く。スカートに手を入れ、そのまま下着を剥ぎ取ると待っていられないのかいつもより強引に指を入れられた。ヌルリと指の滑り具合から自分の股の湿りがわかる。

小玉が嬉しそうにさらに股間を膨張させる。こんな時でさえ股を濡らす自分は縛られるこの行為に少なからず興奮しているのだ。


「か、課長やめてください。お願いします」


 濡らしながら抵抗する自分の間抜けさに課長はどんどんと興奮していく、指の本数が増える度に身体が悦んでいる。粟立つ全身に身震いをさせると弥生は仕方なく目を閉じた。


「弥生っ、弥生っ、弥生っ」


 湿度の高くなる部屋に、うめき声に似たような弥生を呼ぶ声だけが響いた。


やがて男は果て、お互いの興奮と部屋の熱気が徐々に冷め始めていく。


「弥生には俺がついている」


 空気の抜けた風船のようにベッドに食い込んだ四つん這いのわたしの横で、小玉課長がわたしの身体を綺麗に拭いている。

今日は切羽詰まったように抱かれたなと部屋にある掛け時計を見ると、夜の八時を回っていた。


「小玉課長、これも外してください……」


 後ろに回った縛られた手を見せると、小玉が顔を背けた。


「申し訳ないがそれは出来ない」


「え?」


「今日は、俺の家にいるんだ」


「困ります、今日は家に帰らないと……」


「あの小学生の子供が来る日なのか?」


「……えっ……」


「君は辻村真人くんをレンタルしているのだろう」


 弥生は言葉を失った。


「君に子供が出来ない事を理由にアイツに脅されたんだろう?」


「アイツ?」


「ストーカー野郎のことだ!」


「待って下さい!ストーカーって一体……」


「やっぱり君は気づいてなかったんだな、レンとかいう男のことだ。深夜に君の家の周りをうろついたり、尾行されたりしていたんだぞ」


 レンくんはわたしを尾けるはずない、彼はゲイでわたしが添い寝屋として依頼しているから深夜家に来るのだ。ミヅキのこともレンくんのことも知っている。ここ数日感じていた違和感は小玉によるものだったのだろうか。そう思いながらも弥生はスーパーでぶつかった若い金髪の男を思い出していた。


「ストーカー野郎が最後に君に接触してくるかもしれない、ここなら安全だ」


「最後?」


「あのレンタル会社は裏で暴力団と繋がっていたんだ!すでに警察にも通報してある!あの子供もきっと警察に保護されるだろう、ストーカー男も君の前から姿を消す。うまくいけば現行犯だ。心配しなくていい、警察が来ても君が子供をレンタルしていた事実も表には出ない。これでもう安心だ」


 なんのテレビの影響なのか、名探偵気取りでまるで台詞のように唾を飛ばすと弥生の火照った身体を強く抱きしめた。まともなサイトではないとは思っていたが、まさか無関係な小玉課長から聞かされるとは思ってもみなかった。


「今日は、その子が来るんです。帰らないと、雨のなか震えているかもしれない」


「子供は可愛そうだが、関わるべきじゃない!君があの子の親になれるわけじゃないんだぞ」


「心配して頂いてありがとうございます。でもレンタルしているのはわたしです。今日はわたしが母親です」


 予想外の答えに小玉が弥生の顔をまじまじと見つめた。


「何を言っている?はっきり言って君は、幼児売春しているんだぞ?」


「どう思われようと構いません。あの子が来るのでわたしは家に帰ります」


 小玉の顔が怒りでタコのように真っ赤になった。


「あの子供の母親を見たことがあるか?まともじゃないんだよ!こんな俺にまで我が子を売り物にしているろくでもない母親だ!ああいう人間はそのうち違う犯罪にも手を出す!君はそういう人たちに関わってほしくないんだ」


 そんなことは、弥生もすでに想像していたことだった。六月に入っても出会った頃と変わらない服装。久しぶりに会うと頭からツンと臭う汗の匂い。短くなった鉛筆に切れ端の消しゴム。小学生とは思えない金銭に関する遠慮の仕方。

そもそも、何よりも大切な自分の息子をレンタルに出す親。母親がろくでなしだなんて、弥生はとっくに想像していることだった。


「関わるかどうかはわたしが決めます!今すぐこれを外して下さい!開放してくれないなら、わたしがあなたを警察に通報します!」


「なっ!?」


 パチンッ―———。と肌の弾く音が響いた。小玉が弥生の頬を叩いたのだ。


 ここ数日、小玉はろくに眠りもせずに金も手間もかけて弥生を守るために必死に動いてきた。(電話をするだけだが)自分は暴力団とも立ち向かった。泣いて感謝すらされると思っていたのに、なぜこんな事を言われているのかさえ分からずどんどん頭に血が昇っていく。


「いいか?今の君を守れるのは俺しかいない!今日から俺と暮らそう。これから奴らの現場を確認してくる。それまでいい子でいるんだ」


 弥生は初めて小玉に恐怖を覚えた。興奮に震える手で肩を強く握られ血走った小玉の目は今までにないくらい自信に満ちあふれていたからだ。さらに足も縛られ無理やりキスをすると鼻息を切らして部屋を出て行った。


 静まり返る部屋。弥生には何が何だか分からなかった。同窓会が終わったら、いつもどおりにミヅキと夕食を食べるはずだった。

 サイトの凍結、予約が取れなくなったレンくん、ストーカー、暴力団、警察、頭に流れる単語を組み合わせても嫌な予感しかしなかった。今日は夜の九時からレンタルの予約が入っている。外は雨が降り続いている。家の鍵は渡していたけど、もしかしたらもう会えないかもしれない。

「……ミヅキ……」


 小さく呟いたその声は、窓を叩く雨音にかき消されしまった。

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