第20話 杉山栄志5
鬼束を車で待たせ杉山が一人、依知川の事務所へと向かう。鉄筋の建物は湿度の逃げ場がなくじっとりと湿気がこもっていた。
無駄に広いスペースの事務所は至って普通だった。ノックをして入るとやる気のない若い女性の事務員が依知川のいる社長室まで案内してくれる。
簡易的な仕切りでスタッフの作業風景はなんとなく隠されていたが、そこには恐らくレンタル待機中の女性スタッフが二名、お菓子をつまみながら楽しそうに談笑している。奥には暗そうなメガネを掛けた女と痩せた年増の女が焦ったように電話対応に追われている。
「申し訳ございませんでした。桐ケ谷ご夫妻にはすでに退会処理をし、今後サイトでも利用はもちろん出来ないように手配しまして、はい……申し訳ございません。ええ、すぐにこちら側で手配をして……もちろん費用はこちらで負担されていただきますので……はい」
「お待ちください、その契約条件にご納得頂いた上で当社はレンタルしております。……これは決して違法取引ではございません。あくまで託児所を併用した事業となっておりますので……」
「集金袋?ですか……いえ、そのようなメールはお送りしておりません。当店では今までどおり振込にて対応させていただいておりますが……、ですがこちらで入金の確認が取れておりませんので……契約者との直接取り引きは禁止事項となっておりますので……」
「大変申し訳ありません、ただ今システムトラブルで……サイトが繋がりにくい状態となり……いえ、お客様の情報漏えいは確認されておりま……あ、はい、申し訳ありません、ですので……」
電話はあきらかにクレーム対応だった。そんな電話ばかりなのか二人の女の顔は全く似ていないのに、顔つきは同じように青白く生気が抜けており、口だけがパクパクとよく動く人形のような顔をしていた。
向かいにはテカった額に冷えピタを貼った小太りの男がパソコンに向かい黙々と操作している。プログラミングだろうか、二台のパソコンには暗号のような記号がびっちりと並んでいる。
その後ろでイライラしながらタバコを咥え、いかにも柄の悪そうなチンピラが不釣り合いなビジネススーツを着ているがこいつは恐らく片岡組の一人だろう。
「くそっ、なんなんだよ!おいサイトはまだ直んねぇのかよ」
「ウェルスが暗号化して複雑になっているので、直るのかどうかさえも……」
タバコを咥え貧乏ゆすりをしたチンピラが小太りの机を叩きつけた。机の上にある空になった栄養ドリンクの瓶が床に転がる。電話の女たちはそのチンピラのキレようにも動じずパクパクと口だけが動いている。
「てめぇプログラマーだろうが!今日中に直せ!早くしろ!」
チンピラの今にも暴れだしそうな勢いに小太りの男が「ひぃっ」と声を出しビクついた。
無駄に広いオフィスは、使われていないデスクが無造作に置かれている。以前から置いてあった物をそのまま使用していますといった感じでだいぶ殺風景だが、一般人が見てもこれがヤクザの仮事務所とは到底思わないだろう。
「よぉ、依知川。相変わらず腐った商売してるなぁ」
社長室だけは無駄に綺麗に整理されていた。窓際のそこだけ買い揃えたデスクには依知川が新聞を読んでおり、脇にある黒い革のソファには地引が缶コーヒーを啜っていた。
「杉山ちゃんさぁ、せめて本人の前では依知川さんって呼んでくれない?」
いやらしく笑う糸目がいつもよりピリピリしていた。地引は依知川に好かれたくてしょうがないのだ。
「いいんだよ、杉山さんは俺より年上なんだから。でも出来ればその太い指で下の方を弄りながら言われると最高なんだけどな」
新聞をたたむと、依知川は首を傾げてみせた。手元にはアイコスを持ち、少ない煙を吐いた。清潔感のある黒の短髪に整った顔立ち、一流ブランドのスーツ、高級時計、イタリア製の革靴を履きこなすその様はどこからどうみても地引とは対照的で到底ヤクザの幹部には見えなかった。
「俺はてめえのマゾヒズムな性癖に付き合う趣味は持ち合わせてないんだよ。地引にでも相手してもらえ」
キュンとした顔で地引が思わず依知川を見つめるが、依知川の目は虫けらを見るより冷たかった。
「こいつじゃ、なにぶっ込まれも勃たねぇな」
「そんなっ、俺は依知川さんの為なら前にも後ろにも極細から極太までなんでもお望みのものを準備出来ますよ」
地引の薄い唇が片方だけニヤっと引き上がる。依知川が続けてため息を付く。
「お前は本当に分かってねぇなぁ。そういうのはまだ天国を知らない無知な奴に教え込みながら一緒に新世界にイクのが醍醐味なんだよ」
「けっ、そんなだから桔平に嫌われるんだよ」
杉山がそう言うと依知川はアイコス付きのタバコの端をぺろりと舐めて見せた。
「あらあら、じゃぁ桔平くんは?」
地引がいつもの糸目の顔に戻る。
「車で待たせてる。ホモ野郎とは会いたくないとさ」
杉山がドカッと革のソファに座るとタバコに火を付ける。地引が緑色の【9】番札が付いたコインロッカーの鍵を放り投げた。
「ご依頼していた運びの仕事よ。コインロッカーの場所はさっき電話で伝えたとおりだから」
杉山が地引から鍵を受け取り内ポケットにしまった。
「言っとくが桔平を使うのはこれが最後だ。あいつは俺の従業員だ。あんたらとはもう関係無いはずだぜ」
「そう言わないで杉山ちゃん、私達はあくまで杉山探偵事務所を通して桔平くんに依頼しているだけじゃない?」
地引が薄気味悪い顔をして言う。
「あいにく俺の事務所に担当者のご指名制度はないんでね」
クスっと笑い依知川がアイコスから出る少ない煙を吐きながら杉山の横に座る。微動だにせず杉山が煙を吐く。微笑んだまま依知川がそっと杉山の太ももに手を置き指先が、スーツ越しに杉山の膝裏にある関節の割れ目に突っ込まれる。
中指を出し入れするように上下に動かし杉山の耳元で囁くように続ける。
「なぁ、杉山さん。桔平のあの綺麗なツラに不釣り合いなくらいの生意気な目つき。近くにいてムラムラしてこないか?」
依知川がネクタイを緩めて首元を見せるとそこにはナイフで刺されたような十センチほどの切り傷があった。鬼束桔平があの夜、地引たちに殴り殺されかけた理由だ。
「オナニー覚えたばかりの桔平を俺なりにちょっと教育しようとしたらこれだよ。たまらないだろ?」
見た目が爽やかな分、はたから見ると残念すぎる男に違いない。タバコを吸い込むと杉山は大きくため息をついた。
「これが最後だ。分かったな」
杉山は依知川の目を逸らすことなく真顔で見つめた。見つめられた依知川は興奮するようにさらに口許を緩めるとアイコスを放り投げ、色っぽく両腕を杉山の首の後ろに回した。
「杉山さんは、桔平のことになるとどうも過保護だなぁ。もしかして惚れちゃった?」
同じことを二度は言わない。杉山の癖である。相手を黙って見つめるのみだった。
「ふ、分かってるよ」と根負けしたように依知川がそういうと、杉山の唇に触れる程度のキスをした。隣で地引の小さなため息が聞こえる。
「ふざけんなよ!直接行って、集金してこい!」
通ってきた事務所から男の怒鳴り声とデクスを叩きつける音が聞こえた。先程のイライラしていたチンピラだ。とうとうキレたらしい。
「レンタル業の方はだいぶきつそうだな」
杉山が依知川の腕を引き離しながら言った。
「ああ、見ての通りそろそろ潮時だ。ガキと金の取り合いをしてどいつもこいつも契約違反しやがる。黒にはなったが、手間の割に、だな。次はお勉強してもっとうまくやるさ」
「イタチごっこだな」そう言うと、杉山は持っていた紙袋をテーブルの上に投げた。ボスっと立てた音から、すぐに二人は中身が何であるかは察しがついた。
「こっからが本題だ、これでその糞詰まりのビジネスに貢献するからそろそろ俺の
依知川と地引の目が鋭くなった。テーブルに置かれた札束の音と杉山の次なる言葉の端々に緊張感が走る。
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