第17話 杉山栄志4
「こんにちは。ご依頼された鬼束桔平さんでお間違いないですか?」
八階建ての商業ビルの二階には飲食店が並び、各フロアからスーツを着たサラリーマンがコーヒーを片手にパソコンを開いていたり、小さな丸テーブルを挟んで商談をしたり、はたまた時間を持て余した主婦が遅めのランチを取っていたりと、各店舗は平日でも随分と混み合っていた。恐らく突然降ってきた雨のせいだろう。関東でも間もなく梅雨入りとなっていた。
「どうも。あなたが別れさせ屋っていう?」
鬼束はその一角のカフェでコーラを飲みながらパソコンを開いていた。
「レンです。これから詳しくお話を聞かせて頂いて今後の方針や料金などのご説明をしますね」
カフェの店員が水とおしぼりを持ってくると、レンはアイスコーヒーを注文し、手に持っていたMacのノートパソコンを開いた。
襟の付いた白シャツにGパンとシンプルで清潔感のある服装に長い髪がゆるく縛られている。「失礼します」と相席をすると、愛想のいいレンに鬼束は杉山を重ねた。顔は言われれば似ているかという程度で、雰囲気はもっと優しそうで女にモテそうだ。初対面の客相手で多少気は張っているのだろうが、物腰も柔らかく爽やかでとてもゲイには見えない。
「金はいくらかかってもいいけどさ、本当に別れるってできるの?」
サイトへのメールでやり取りを数回こなし、事前の下調べで別れさせ屋の男性担当はレンともうひとりのスタッフしかいないことを鬼束は把握していた。
年齢が近いことから、担当はレンになるだろうと踏んでいたが、鬼束の勘は当たった。
「今回のご依頼はあくまでも相手から別れを切り出させる、という内容でしたね。もちろん絶対とは言い切れませんが、当社の成功実績は八十パーセント以上です。お力になれると思いますよ」
鬼束には企みがあった。
「八十パーセントねぇ、それって別れる相手が女の場合?」
「?……と言いますと?」
「メールではちょっと言えなかったんですけど、ぶっちゃけ俺の恋人って……男なんですよね。それでも受けてくれるんですか?」
一瞬、レンが少し驚いた顔になったがすぐに穏やかな表情に戻った。
「問題ありません。ぶっちゃけると、僕もゲイなので担当としてはちょうど良かったですね」
「え、そうなの?それは心強いわ、もうマジで無理な所まで来てるからさ」
互いに画面が見えないようにパソコンを向かい合わせるとレンもパチパチと何かを打ち始めた。
長髪のレンと金髪の鬼束――。
一見すると、今どきのIT企業の若手社員同士がカフェでミーティング中などに見えているのだろう。
「でも可笑しいな、僕の直感からすると鬼束さん、とても
パソコンの向こうから目が合う。ああ、似てる。目元だ、このなんとなく相手を勘ぐる瞬間が杉山さんにそっくりだ。
「へぇ、そういうのわかるんだ?俺はいわゆる元ノンケって奴でさ。今まで女しか知らなかったし、そいつが俺に初めてそっちの世界を見せてくれた男になるわけ。まぁ、付き合い初めの頃は良かったんだけど……自分にはやっぱり女の方が合ってるな〜と思ってね」
「ああ、よくあることです。ノンケ相手を落とせただけでもすごいことですよ。恋人は相当モテる方なんですね?」
「どうかな。ただいざ別れようとすると付きまとわれて、なかなか諦めてくれないんですよ。別れ話をして殴り合いの喧嘩にまでなってるっていうのに」
「暴力ですか?それは困りましたね、早急に対応していかないといけません。相手の顔がわかる写真などありますか」
「確か……画像ならありますよ。ああ、これだ」
「拝見します」
鬼束がスマートフォンを操作し、レンに見せた。鬼束がコーラを飲むふりをして急いで口許を隠す。思わずニヤけてしまいそうだからだ。画像を見るレンが蒼白した表情をしている。
「顔、分かりますか?」
「……ああ、はい、十分です……」
そう言いながらレンは画像をくまなく確認している。動揺を隠せない様子でいた。
それもそうだろう、なぜなら鬼束が見せている画像はレンの恋人アキラの顔写真だったからだ。レンは信じられないといった表情で画像を隅々まで確認している。スマートフォンを返す手が微かに震えている。
「一刻も早くこの男から別れたいんです。どうか宜しくお願いします」
いかにも鬱陶しいような顔をしながら鬼束はレンを見た。
大事なのはリアリティだ。
*****
「桔平、もう一つ、運びの仕事だ」
事務所では珍しく来客もなく杉山が煙草の煙を出そうと窓を開けると外から小雨が入ってきた。六月に入ってから雨が降ったりやんだりしている。
「はぁ?運び?中身はなんだよ」
パソコンを打ちながら鬼束が答える。
「知らない方が身の為らしい代物だ」
「死体とかじゃねぇだろうな」
「荷物はコインロッカーに入るサイズだから死体ではないだろうな。今から地引たちから鍵を受け取る事になってるからお前も来い」
「へいへい」
「あとその金髪はいつになったら染めてくるんだ?隣にいて目立ってしょうがねぇんだよ!何度も言わせんな」
「へいへい」
鬼束はパソコンから目を逸らすことなく生返事をした。
「ったく、分かったら早く車を出してこい!」
さらに鬼束の生返事が続き、いやいやパソコンを閉じると車の鍵を片手に下へ降りる。杉山が舌打ちをして窓の外に煙を吐き出した。
「指定のロッカーは新宿の西改札口から出て左に曲がった通路側にある。それを明日の朝までに二人の男に渡して欲しいとの事だ。指示は封書になっている、中身はてめぇで確認しろ」
杉山が助手席には乗らず、迷わず後部座席に乗るのは仕事がヤクザ相手の場合だ。車を降りて車道側になるのを避け、建物の入り口への距離が最短で済むようになる。たったそれだけだが、それほど危険な仕事になることを鬼束は知っていた。
「運び屋としてはアンカーってところか」
長い前髪から鬼束が渋い顔をする。ヤバイ品物になればなるほど運び屋の人数は増え、足が付かないように拡散させる。運んでいる連中は中身を知らないどころか事情すら知らない主婦が小遣い稼ぎで運んだりするから余計タチが悪い。
品物のすり替え、未着などのトラブルを考えれば
「まあな」
「ちっ!そんで?あんたの持ってるそれはなんだよ」
鬼束が車を回す。杉山の片手には膨らんだ茶色い紙袋が握られていた。
「ああ、取引の金だ」
「なんの?」
「まぁ、息子の買い取り費用ってところか」
運転席に座る鬼束が感づいたようにバックミラーで後部座席の杉山を見る。
「それで杉山蓮志をヤクザから洗えんのか?」
「どうだろうな、情報からするとそろそろ新規事業のレンタル屋が廃れる頃だ、警察側も動き始めている。マフィアとの大事な取引を前に小遣い稼ぎ程度の商売で足が付くのは避けるはずだからな。今このタイミングで取引するんだよ」
杉山はタバコに火をつけると、車の窓を少し開けた。
「レンタルサイトの情報を
「いや、俺はそこには流してねぇ。利用客の誰かが通報でもしたんだろ」
「民間人からの情報かよ。そんなんで
「情報が束になれば動くさ、まして毛の生えてないガキまで使っているんだ。大人しくてめぇのシマで商売してればいいものを、色気出して民間人を利用するからすぐ限界が来るんだよ」
「杉山蓮志はあくまで利用されている民間人の一人ってことか?」
「あのバカ息子が自分からヤクザに足突っ込む度胸なんてねぇ。お前もだろ?どうせ依知川に仕事やるとか言われて丸め込まれたじゃねぇのか?あいつはそういうのが上手いからな。それに懲りず、よくもまぁ俺の事務所に来たもんだ」
笑いながらしゃべる杉山に鬼束は舌打ちをした。その通りだったからだ。
依知川は片岡組の幹部で頭はそうとうキレる、この辺のシマを仕切っている雑魚共のトップだ。「
その範囲は広く政府のお偉いさんとも裏で繋がっている。時には議員の尻拭いの仕事を請負っており、背後にはいくつかの太いパイプを持っていた。依知川自身、カリスマ性が高く仕事の段取りが上手い。物事と人の見切りも早く、地上げからシャブの密輸、そして詐欺まがいのサイト運営までマルチにこなし、シマを広げている。
いくら情報を掴んでも、尻尾は掴めない。依知川はそういう男だった。
車で走行する夕暮れは雨で視界が悪い。ワイパーで何度も水滴を弾いては永遠と雫が滴り落ちてくる。依知川の事務所に到着した頃には日が沈み、街灯が街を反射していた。もちろん事務所と言っても五階建ての商業ビルの一角で、他にはIT関連事業と消費者金融の窓口が入っている。その二階がレンタルサービスの事務所となっているのだ。
ヤクザの取引は深夜に街が寝静まった頃……などというのもドラマの世界ばかりだ。何人もの人を代えながら運びをさせるならば、むしろ人の動きが激しい平日の帰宅ラッシュの時間帯が一番都合がいい。
「お前は裏で待ってろ、もし三十分経っても俺が戻ってこなかったら車を出せ。俺の事務所にはもう戻るなよ」
「俺も行く」
「お前が来るとまた依知川に犯されるぞ、あいつらガチでお前に惚れてるからな」
「っざけんな、俺は一回もヤラれてねぇよ」
「ははは、まぁ待ってろって」
舌打ちする鬼束をなだめて、杉山は商業ビルへと入っていった。それを見届けると鬼束は車を裏へ回し、ある人物へ電話を掛けた。
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