第16話 小玉幸彦3
すっかり探偵気取りの小玉はいよいよ男の調査に入った。
「や、やあ、今日も一人なの?おじさんも一人だから一緒にこれ食べない?」
スナック・ローズには今日もランドセルを背負った子供がいる。どうやら今日はレンタルされなかったようだ。小玉は残業も早々に切り上げ、最近では週に二、三度このスナックに通い続けている。
男の調査に入ると意気込んでも相手は小学生――。小玉には自分より弱い立場の人間を追い詰める程度の度胸しか持ち合わせていなかった。
「松永弥生って知ってるだろ?僕、彼女と同じ職場で働いている友達なんだ」
子供の扱いが決して得意ではない小玉はスナックのママに作ってもらったお茶漬けを二つ、ボックス席のテーブルに並べた。宿題を広げていた子供は不信感を抱いたように身体を固くして黙っている。
「君、弥生にレンタルされているんだろ?一体何をして……いつも何をして、遊んでいるのかな?」
腹を空かせているのか、子供はチラチラとお茶漬けを見るも黙って俯いてしまった。
「もしかして、君以外にも誰かレンタルされているの?」
小玉の引き攣った愛想笑いを無視して黙ったまま鉛筆を握った子供は下を向いてしまった。小さくため息をつくと仕方なく片方のお茶漬けを啜る。
「おじさんは、弥生さんのことが好きなんですか?」
「はっ?え、ゴホッ……なななんで?……ゴフッ」
突拍子もない子供の質問に小玉はむせてしまった。口から米粒が飛び出る。
「さっきから僕じゃなくて、弥生さんのことを聞くからです」
「ははは、ゴフッ……でもほら、んヴヴン……弥生は結婚してるだろ?」
「結婚をしていると、好きじゃないんですか?」
鉛筆を握ったまま上目遣いで子供は小玉を見た。怖さ半分、敵意半分と言った目をしている。
「いや、そういうわけじゃないけど。普通はね、結婚している人を好きになっては……」
そう言いかけて馬鹿らしくなって止めた。子供相手に何を話しているのだろう。常識的に、普通ならば分かっていることを守れないから俺は彼女を抱いているんだ。
「そうだな……好きなのかな?……それともおじさんが寂しいだけなのかもしれないな」
「おじさん、寂しいの?」
「まぁ時々ね、大人だって寂しくなるときがあるよ」
「僕も寂しい……」
ポツリと言った子供がまた俯いた。なんて声をかけようか困っていると、子供の母親がカウンター越しに小玉に気づいたのか千鳥足で近寄ってきたのだ。今日もだいぶ飲んでいる様子だった。母親の存在に気まずそうに小玉は少し背筋を伸ばした。
「こんばんはぁ、あれ?お客さんですかぁ?」
子供の隣に無理やり座る。子供は母親の顔を眺めながら席を詰めた。
「ええ、どうも、最近ここに通い始めた者です」
「そうじゃなくてぇ、この子のお客さんですか?って話ぃ」
語尾を伸ばしながら、母親は隣の子供の頭に重たそうに手を乗せた。乗せた重みで子供の首が引っ込む。
「いえいえ、自分はちょっと話し相手になってもらっただけで……」
ふぅんと頷くと母親はゆっくりと席を立ち、今度は小玉側の席へと移動した。小玉が慌てて席を詰める。母親は首をかしげニヤリと笑い、詰めた距離を縮める。
酔っぱらいの勢いに押された小玉はツラれて愛想笑いをした。
「この子がもしお好みなら……レンタル出来ますよぉ」
時代遅れの黒のドレスから広く開いた胸元を押し付けるように小玉に近づく。テカテカした下品な唇から嫌な酒の匂いがする。
「子供って可愛いですよねぇ。特別に、一泊五千円からでどうですかぁ?」
耳元で金額を囁かれ、小玉は女から距離をとった。「えっ?」と思わず顔が引き攣る。母親はその表情を読み取り「なんだ、違うの」と小さく呟き、また千鳥足で奥にあるトイレへと向かった。
小玉は子供を見た。子供は恥ずかしそうな残念そうな絶望的のような、それでも寂しそうな、なんとも言えない複雑な顔をしていた。千鳥足の母親を目で追いかけている。構ってほしくて期待しているといった表情にも見えた。
悪い子には見えなかった、それ以上に可愛そうに見えた。トイレから戻った母親にありったけの視線を送る我が子に見向きもせず女は客の元へと戻っていく。
すでに目の前にいる子供が透明人間のようになっていた。
「君、お父さんは?」
お茶漬けを弄りながら、小玉が聞いた。
「いません」
だろうな。と納得しながらも子供の発言は「いない」というより「知らない」に聞こえた。
「僕のお父さんもいないんだ、随分前に病気で死んじゃってね」
「……お母さんは?」
「いるよ、でもまぁ、病気で……息子である僕のことが誰だかよく分かっていないけどね。会話も上手く出来ないし、そう言えば母さんが作った料理もここ数年食べてないな」
手元にあるお茶漬けはすっかり汁気がなくなっていた。
「……おじさんの好きな食べ物はなんですか?」
再び突拍子もない質問に目を丸くして子供を見ると、子供は何か間違ったのかと不安気な表情を見せた。どうやらこの子なりの気遣いらしい。恐らく大人同士の会話であれば「お仕事は何を?」などという世間話なんだろう。父親がいないという共通点が、少しだけ僕らの距離を縮めたようだ。
「母さんが作ったカレーが好きだな、隠し味でインスタントコーヒーが入っているんだ」
「僕もカレー好きです!あと、ラーメンも好きです」
「ああ、おじさんも好きだよ。男の好きな食べ物は子供の時から対して変わらないよな」
「好きな色はなんですか?」
「色ぉ?そうだな緑とかかな」
「好きな授業はなんですか?」
「ははは、懐かしいなぁ。う〜ん、理科の授業とか好きだったかな。実験をしたり天体観測も面白かったし。そう言えば昔父さんに駄々を捏ねて望遠鏡を買ってもらったりしたなぁ」
小玉はお茶漬けを食べながら懐かしむように言った。
「お父さんがいなくて、寂しいですか?」
子供の直球な質問に小玉は少し困った。父親が死んで十年、寂しいとはまた少し違う感情であることような気もした。
「どっちかっていうと、父さんが死んで寂しそうな母さんを見るほうが辛かったかな」
「お母さんのこと好きですか?」
真面目に質問を続けるこの子供に思わず君は?と聞き返しそうになったが、小玉は言葉を飲み込んだ。
「そりゃ男なんてみんなマザコンだからね」
「まざこん?」
言葉の意味がわからない子供に小玉は力なく笑った。
「男はみんな母親が大好きってことだよ」
「僕もお母さんが大好きです」
まるで台詞のように迷いなく答えた子供は始めて笑顔を見せた。あんな母親でも自分にとっては育ててくれた母親ということだろうか。それはこの子供にも、自分に言えることだった。
もう一度お茶漬けを勧めると今度は遠慮がちに食べ始めた。
子供の様子を見て、弥生の
家の灯りだけでも眺めて帰りたい。彼女がそこにいると確認するだけで安心する。いつの間にか小玉にはそんな癖が付いていた。
スナックから電車で二駅、弥生の家の前を通ると、シャンプーの匂いがした。この時間帯はお風呂の時間だ。そんな生活のリズムを知るだけで小玉の心は満たされていた。多くは望まない、彼女を少し知るだけでいい。そう思っていた。
静まり返った住宅街とはいえ、さすがに家の前で立ち止まるわけにも行かず側にある電柱にもたれかかりスマホを広げ、人が通るたびに歩き出せるよう準備をしていた。
今なら終電にも間に合いそうだ。スマホで時刻を確認し、家の灯りを眺めて今日の確認事項に満足するように帰ろうとした時、向かいから男が歩いてくるのが見えた。
思わず驚いて、小玉は電柱の影に隠れた。
しまった―———!これでは逆に怪しまれる!!そもそも帰ろうとしているのだから、隠れなくてよかったのに!とすぐに後悔した。
しかし男は目の前の通路で曲がり、小玉はホッと肩を撫で下ろした。
男はフード付きの黒いパーカーに黒いスキニーを履いていた。小さな街灯から反射される光を頼りに小玉は男をまじまじと観察した。頭が金髪でその歩き方といい、いかにも今どきのガラの悪そうな若者だった。
その姿は仕事帰りのスーツ姿の自分よりよっぽど怪しく見えた。するとその男が弥生の家の前で止まった。家の灯りとスマホを見ている。時間を確認しているのだろうか、次に男は迷うことなくすぐ近くにあるシルバーのごみ回収ボックスを開けるとあたりをキョロキョロと見渡し、ゴミを漁りだしたのだ。
(ストーカーだ―———!!)
小玉は確信した。あいつが弥生のストーカー野郎だ!杉山探偵事務所で見せられた写真とは違う男のような気がするが、あの行動は間違いなく弥生を調べている。一体あの事務所は何を調べていたんだ!まさか自分がいるかもわからないストーカーの存在を言い当てるとは正直思ってもみなかった。
家の中の恐らく風呂場と思われる灯りが消えるのが見えた。それに気づいた金髪の若者はまた歩き出し、すぐにその場を去っていった。本当に一瞬の出来事だった。興奮し、心臓がドクドクとすごい勢いで動いている。やっぱり人に任せていては駄目だ、弥生を守れるのは俺だけだ。やっぱり彼女には俺が必要なんだ。
沸々と湧き上がる使命感に小玉は武者震いをした。
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