第14話 土屋紫乃4

 夕方になると案の定、雨は本降りになっていた。

濡れたアスファルトが街の明かりに反射して眩しい。


 予約された西麻布の隠れ家的な店にはオシャレなシャンデリアがぶら下がり、日本離れしたインテリアが並んでいる。何も知らずに入れば家具屋と間違ってしまいそうだ。奥にある広めの個室はそこに比べるとカジュアルで、シンプルな白と木目を基調した空間が広がっている。そこにどぎつい油絵の具が塗り足されたように、装飾した女達が虫のように群れをなしている。


「〇〇さんお久しぶり、元気だった」

「〇〇さんは、今ご主人と海外へ?羨ましいわ」

「今年、娘のお受験なの。〇〇園の理事長とご縁があって」


 ルブタン・シャネル・ヴィトン・エルメスが並び、足の爪先から頭のてっぺんまで綺羅びやかに着飾った女たち。同窓会というより政界の演説パーティーに集められた安いっぽいおとりサクラのようだなと紫乃は思った。きつい香水と化粧の匂いで気持ち悪くなりそうだ。


 「懐かしいね。みんな元気そうで良かった」

 あたしの分もとシャンパンのグラスを二つ手にした弥生がようやく席に戻ってきた。女学校時代から誰かも好かれていた弥生は集まった同級生の誰からでも声を掛けられていた。昔を懐かしむように彼女の周りだけ自然な笑顔がほころんでいた。


 対象的にあたしの周りには誰も寄り付かない。当初はレズビアンと噂され、今ではシングルマザーとして娘を育てる貧困層のあたしに誰も用はないからだ。女は。たまに視線が合う同級生は口許をほころばせながら隣同士でコソコソと噂話をしている。種類は違えど、昼間に美羽を養子に出せと騒いでいたレンタル先の桐ケ谷婦人が頭にチラついた。


「紫乃?気分でも悪いの?」


 眉間に皺を寄せたあたしを気遣って弥生が声を掛けてきた。


「ううん、大丈夫。今日は、なるべくあたしから離れないでね」


「もう〜、心配しすぎだってば〜」


 クスクスと笑う弥生がとても可愛らしかった。いつもより少しだけおめかしをして濃い目の化粧をした弥生の白い肌にほんのりのったピンク色の頬が丸く上がる。学生時代、今よりも若くて純粋無垢だった弥生の身体に教師である芳賀が触れたかと思うと、今この瞬間ですらむかっ腹が立ってくる。あたしがまたあの変態教師から弥生を守ってあげる。本日限定でも弥生のヒーローになれることにどこかあたしは喜びを感じていた。


 ざわついた甲高い声が入り口付近で一層大きくなった。皆が視線を送ると今回の同窓会のゲストとなる定年退職を迎えた元数学教師の芳賀義満はがよしみつがやってきたのだ。拍手で迎えられると幹事の女に席を案内され照れくさそうに中央の席に腰を掛けた。幹事の女はランチ会の時以上に気合いを入れてきたようで、注入されたヒアルロン酸で顔のハリを通り越し、額も頬もグロスの塗りたくった分厚い唇もすべてが当てられる照明に反射するくらいテカっていた。


「皆さん、今日はお忙しい中お集まりいただきありがとうございます。本日の同窓会は皆様にとっても節目のある年齢を迎え、一層のこと充実されている毎日を送られていることと思います。そこで幼かった私達が昔大変お世話になった芳賀先生がこの度定年を迎えられるということで本日のこの同窓会にスペシャルゲストとしてご参加いただくことになりました。まずは芳賀先生にご挨拶と乾杯を頂き、昔話に花を咲かせたいと思います。先生、お願いします」


 女の流暢な司会っぷりに公演慣れしている様がすぐ見て取れた。芳賀に視線を送るとグラスを持った芳賀がその場に立つ。

「今日はお招きどうもありがとう、こうして見渡してもあの頃と全く変わらず美女揃いで留守番をさせている妻に嫉妬されそうだよ」芳賀のフランクな挨拶が始まると、部屋には笑いが起きた。


 すっかり初老になっている芳賀の髪は白髪になり顔には深い皺が刻まれていた。代々家柄も教師だった芳賀義満は生まれながらの坊っちゃんで、あたし達が在学中には、その学校の卒業生とすでに結婚していた。身なりや仕草に品があるせいか当時は「若作りをしたおじさん」であったにも関わらず生徒から色恋の目で見られること少なくなかった。それを自分でもしっかりと意識して、異性として堂々とした振る舞いや女性を持ち上げたジョークをするのが紫乃は汚らしくて大嫌いだった。女だらけの学校に数人しかいない男性教師、十五歳から十八歳の多感な時期、よくある思春期の色ボケだ。それをまともに受け止める芳賀のロリコン気質に程々嫌気がさしていた。


 同窓会はお上品にことが進んだ、昔話は大いに盛り上がり、上質な料理にシャンパンやワイン、カクテル等があちこちで振る舞われた。運ばれるカラフルな創作料理にあちこちでシャッターの押す音が響く。インスタグラム用に撮っているのだろう、みんな、見栄を張ることに忙しそうだ。


 律儀に席を回る芳賀があたし達のテーブルに近寄ってきた。数人並んでいるテーブルにも関わらず、迷うことなく奴は弥生とあたしの間に割って入ってきた。


「こちらの席も美人揃いですね。お変わりないようで驚いていますよ、弥生くんも結婚されたそうで、おめでとう」


「ありがとうございます。先生に負けじとおしどり夫婦を目指しますわ」


 はははと笑い、軽く弥生の肩に触れた。肩に掛けていた弥生のグレーのショールがずれると中に着ているノースリーブの隙間から白い肌が見えた。芳賀の視線が弥生の肌に落ちる所を紫乃は見逃さなかった。

 「先生!こちらにもどうぞ」と芳賀はすぐに次のテーブルに呼ばれ酒を勧められている。


「あのロリコン野郎、弥生に昔あんなことしておいてよく堂々と声掛けられるな」

「もうおじいちゃんなんだから忘れちゃっているわ。そもそも、おばさんになったわたし達にはもう興味もないだろうしね」


「何言ってんの、男なんて若かりし昔の栄光にすがって浸りまくるバカなロマンチスト野郎なんだから、こういう日は昔を思い出した勢いで変な気を起こしやすいのよ」


「そんな時はまた紫乃がやっつけてくれるんでしょ?」


 首を傾げた弥生が得意気にニッコリと笑った。お酒のせいか、化粧のせいか血色の良くなった弥生の艶っぽい肌にドキリとした。こんな見栄と上っ面だけの空間を抜け出して、あのロリコン教師の吐いた二酸化炭素を吸わなくていい場所へ弥生を救い出し、褒美にこの女神からの濃厚なキスをされたい。着飾った装飾を外して、女神の湿った肌に顔を埋めたい。そんなことばかり考えていた。自分もシャンパンで酔ってしまっているのか中二病のような妄想に毎度嫌気がさしてくる。昔を思い出したバカなロマンチスト野郎はきっとあたしだ―——。


 料理も終盤に差し掛かり、ルビーのような真っ赤に輝くラズベリーのケーキとアイスのデザートが運ばれてくる。

 弥生と「美味しそう」と話していると彼女のスマートフォンが振動した。


「え、会社の上司からだ。どうしたんだろう」


 弥生は席を立ち、部屋を出る。たまたまなのだろうかしばらくすると芳賀も席を立った。あたしは嫌な予感がしてトイレに行くふりをして芳賀のすこし後に続いた。


 フロアに出ると芳賀は本当にトイレに入って行ったのであたしは弥生を探した。大きな窓には雨で濡れた夜の街が映されていた。その端に弥生が深刻そうな面持ちで電話をしている。電話が終わった様子を伺って近寄った。


「紫乃、ごめん。わたしこれから会社に戻らないと」


「え、今から?」


 時間はまだ夜の七時を回った程度だった。恐らくあの幹事の女のことだから二次会の場所まで準備しているだろう。


「ちょっと……仕事でトラブっちゃって、九時までには家に戻らないと行けないから今から出ないと間に合わないの」


 スマートフォンを握る手に結婚指輪が光っている。そうだった。弥生は人妻だ。夜には家に戻って旦那の相手をしないといけない、今日くらいこのまま夜を二人で過ごそうなんて、あたしはすっかり浮かれ過ぎていた。


「そろそろ君たちはお開きかな?」


 トイレから戻ってきた芳賀がフロアに立っているあたし達に声を掛けてきた。あたしの鋭い顔つきを見て芳賀が一歩後ろへと下がった。


「土屋くんだったね、昔は色々とすまなかった。君の大事な友達を傷つけた。弥生くんも。騒ぎを起こさずあの場を納めてくれてありがとう。おかげで妻と離婚せずに済んだ」


 突然の確信のついた謝罪に二人はぽかんとしてしまった。それを見た芳賀は一呼吸置いて続ける。


「本当はきちんと謝らないとずっと思っていたが、内容が内容だったから直接何かをするわけにもいかず、卒業してからこんなに時間が経ってしまった。この同窓会に君たちが来ると名簿で見て顔を出そうと決めていたんだ。あの時は家でも色々とあってどうかしていた、本当にすまなかった」


 思わず弥生と目を合わせる。確か、芳賀の家は子供に恵まれなかったと前回のランチ会で耳にしていた。代々教師として家を継いでいた芳賀は卒業生でもある一回り年下の嫁をもらい、跡継ぎを作ろうとしていたのだろうと。叶わなかった現実、それは老いた芳賀にとってはこれから孫ができるような楽しみも訪れないということだった。


「長い教員人生も終わって、定年後の楽しみも見つけた。これからはのんびり妻と二人で慎ましく暮らしていくよ。……本当にすまなかったね」


 そういうと芳賀は深々と頭を下げた。


「先生、頭を上げてください。もう昔のことです。それにわたし……先生と奥様のようなおしどり夫婦を目指すって言ったこと、嘘じゃないですから。本当に……そう思っていますから」


 弥生がそういうと、芳賀は先程の社交辞令のような笑顔ではなく年相応の弱々しい穏やかな笑みをみせた。そこには昔の色恋に興奮する芳賀の姿は微塵もなかった。品のある初老はそう言って席に戻り、あたしは会社へと戻ってく弥生を名残惜しそうに店の入り口まで見送った。


 外を見渡すと本降りの雨は一向に止む気配がなくアスファルトを濡らし続けていた―——。

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