第13話 土屋紫乃3

「行きたくない」


 レンタルが増えてしばらくすると美羽が駄々をこねるようになった。今日は若夫婦へのレンタル日だ。


「どうしたのよ、小さい方のパパとママに会える日じゃん」


 パパとママが増えたので若夫婦を、老夫婦をパパママと呼ぶようになった。


「……パパが、怖いもん」

 また口癖が出た。子供はこれだから嫌だ。


 母と娘という育ちのせいか美羽は特に大人の男性を怖がる節があった。老夫婦のときも最初はパパが怖いと駄々をこねた。あたしのようになってはいけない。将来は普通に男性を好きになって普通の生活をして欲しい。


「最初のうちは小さいパパも緊張してるの。そのうち美羽の事好きになるよ」


「……今日はママといる……」


 ため息混じりで美羽をなだめる。


「弟もできたんでしょ?美羽、小さい子とおままごとするの好きでしょうよ」


大輝だいきくんは遊べないからつまんないもん」


「そんなこと言うと、パパとママに嫌われるよ!」

「違うもん!パパとママがそう言うんだもん」


 これから幼稚園に行く朝の時間にイヤイヤ言われるほど頭に来ることはない。今日はいよいよ同窓会があるから夕方には弥生と落ち合うことになっている。嫌でもレンタルに行ってもらわないと困る。


「やだ!今日はママといる」


「いいから今日は言うこと聞いて!」


「やだぁ!」


 予定がある日に限って子供はぐずり出す。甲高い声で泣かれると頭を掻きむしりたくなってくる。美羽の小さい手をあたしは力いっぱい握り、無理やり手を引いて何とか幼稚園に放り込む。先生に苦笑いをしながら美羽を頼むと幼稚園の先生はいつもの風景と言わんばかりに通常営業で預かってくれる。ありがたい。


 これから三時間コールの仕事をしたら、化粧をして夕方には麻布の店へ向かう。今日の弥生はどんな格好をしてくるのだろう。


 頭で今日の予定を反芻しているだけで口許がほころんでくる。


「あ、あの土屋さん……でしょうか?」


 幼稚園の出入り口には見知らぬ女が立っていた。四十歳前後くらいだろうか、商店街のブティックで購入したような地味な前開きのカーディガンに、第一ボタンまで締めた丸襟の白いワイシャツ。膝元まですっぽり隠れたロングスカート。ただ一つに束ねた黒髪。おどおどしたその女はやっとの思いで声を掛けてきた、そんな雰囲気だった。


「失礼ですが、どちら様でしょうか?」


 睨んだつもりはないが、明らかに女は怯えていた。


「あ、あの私、美羽ちゃんをレンタルさせて頂いている桐ケきりがやと申します」


 女は深々とお辞儀をした。その人はのママだった。


「こういうのって契約違反じゃないんですか?」


「も、申し訳ありません。どうしても会ってお話をしたくて……」


 桐ケ谷夫婦は現在千葉県の船橋に住んでおり、妻は専業主婦、夫はあたしでも知っている一部上場の大企業にお勤めのエリートサラリーマンらしかった。

 仕方なく目に入った古い喫茶店に入り、向かい合わせに座っても、女は下を向いたままおどおどしている。こういう女は嫌いだ。


「あの、大変失礼なことをお聞きしますが土屋さんの旦那様は何のお仕事を?」


「結婚をしていませんので、夫はいません」


「えっ、では女手一つで美羽ちゃんを?」


「はい、そうです」


 ついでにレズビアンですとはこの女には口が裂けても言えない。


「それは、なんとも……大変なご苦労をされて……」


「話はなんでしょう?あたし、これから仕事なんですが」


 苛立つ気持ちを抑え、出されたコーヒーを啜る。


「あの……美羽ちゃんを……よ、養子に出すお考えはございませんか?」


「はぁ?」


「すみません、ごめんなさい。あの、母親に向かってとても失礼なことを言っているのは重々承知の上です」


 女はそう言いながらテーブルに付くくらい何度も頭を下げた。背中がどんどん丸まっていく。


「あのさ、あなたのところ、すでにお子さんいらっしゃいますよね?そんなにしてまで兄弟が欲しいもんですか?」

 

 丸まった背中に乾いた目元、黒髪の生え際に白髪が混じっており、女は一層老け込んで見えた。


「実は……私は、見合いで結婚したもので……時期も遅かったものですから、その、もう年齢としで、二人目も頑張ったんですがどうにも出来なくて。もっとはやく治療していたら……」


「お気持ちは分かりますが、せめて一人いるのならその子に愛情を注げばいいじゃないですか?」


「大輝は……息子は……合併症を患った重度のダウン症で、私の、私のせいなんです。私の高齢出産のせいで……あの子はこれから一生私達が世話をするのです。死ぬまで。大人になっても勉強も恋愛も経験出来ず、食事の世話からオムツの交換まで一生私達が見るんです」


 女の目尻は赤くなり、涙目になりながら訴えかけた。あたしには可愛そうな自分に酔っているようにしか見えてない。


「それで?将来は美羽に息子と自分らの介護をさせたいと?」


「そ、そんなつもりはありません!」


 女は初めてまっすぐあたしを見つめた。


「ただ、美羽ちゃんが可愛くって……。笑ったり、戸惑ったり、次に会えば少し大人になっていたり、私の手伝いもしてくれる本当に天使みたいにいい子で……。美羽ちゃんが我が家に来ると本当に花が咲いたように家が明るくなって、ご飯が美味しくて。会う度にまるで夢みたいで……私、これが本当の子育てなんだって初めて実感ができたんです……」


 薄っすらと笑っている女が生気を取り戻したかのようにいきいきと話始める。気味が悪い。


「子育てに本当も何もないと思いますけど」


 笑っていた女の口許がまたつぼまる。


「土屋さんは、美羽ちゃんの進路などはどうお考えでいらっしゃいますか?」


「は?」


「美羽ちゃんは本当に賢い子です。もしもあの子が大学へ行きたいと言ったら、正直いまの土屋さんの経済力で、やっていけるのでしょうか?」


 何かに開き直ったように背中を丸めたまま女は語気を強めた。


「何がおっしゃりたいんですか?」


 睨んだあたしにビクつきながらも女は勢いのままに続けた。


「わ、私はは言っていません。お、親としてもあの子の将来を考えれば、と、当然のことじゃないですか?どちらが美羽ちゃんにとって幸せかを考えると……だ、だってちゃんとした教育には、お金が必要でしょう」


 ?この女の言っていることが?


「土屋さんにも、もちろん、お……お金は……払います。あの子に絶対に苦労はかけませんから!」


 シングルマザーと知った途端に語尾を強め、言葉を選びながらもあたしを見下すこの女が、自分の娘を売れと言っている。震える女の口から出た「あの子」に無性に腹が立った。


「あなたに娘の将来を心配される覚えはありません」


 あたしはその場に千円札を叩きつけ席を立った。


「ま、待って下さい」


 そう言って女に掴まれそうになった腕を振り払うとテーブルが大きく揺れ、弾みで女のコーヒーカップがこぼれた。前かがみになっていた女の白いワイシャツの胸元に茶色いコーヒーが染み込んでいく。


「あなたに二度と娘は会わせません。さようなら」


 あたしが言い放つと女はまた背中を丸め、下を向いた。


 外はパラパラと小雨が降っていた。ため息をして喫茶店を出るとすぐにサイトへ連絡した。直接対面での違反行為。養子への要求と脅しを受けたとメールをすると五分後には直接電話が掛かってきて桐ケ谷夫妻の退会処分が完了したことと謝罪を入れてきた。


「今日のレンタル分はどうなるんですか?キャンセル料は御社が負担してくれるんですか?こっちは夕方から予定を入れているので困るのですが」


 苛立つ矛先を担当者へぶつける。慌てた担当者はもう一件の老夫婦へ急遽レンタル要請をし、金額は運営者が負担する事で落ち着いた。


 一件の顧客を落とし、増々苛立ちが募る。また生活がひとランク落ちる。コールの時間をもっと増やさないと。

 雨がアスファルトを色濃く染める。分厚い雨雲を見上げるとこれから本降りになりそうな空模様だった。

 

 「私は、は言っていません」生気を取り戻した女が言った言葉が頭に纏わりついた。

 その日暮らしの生活に、毎月のやり繰りがやっとだった。その上自分はレズビアンのシングルマザー。どこをどう見ても間違いだらけのあたしは、いままで美羽の将来を考える余裕なんてこれっぽっちもなかった。

 家に着くと濡れた服を洗濯機に投げ捨てる。どうでもいい同窓会を済ませて、はやく弥生と二人っきりになりたい。

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