第10話 小玉幸彦2
「小玉さん、我々になにか隠したりしていませんよね?」
小玉の広くなった
「い、いえ私はなにも……」
依頼者への調査報告のため仕事帰りに杉山探偵事務所に訪れた小玉は戸惑いを隠すように出された缶コーヒーを啜った。
少し、間を含ませた杉山が小玉をまっすぐに見つめた。気の小さい人間がそれなりの金額を相手に渡すと、自分が客であることを猛烈に意識する奴がいる。
勘違いをした客の態度で仕事の段取りを崩されるのを杉山はひどく嫌った。客の教育も仕事の内だ。
「ではウチでのヒアリングが足りなかったようですね。松永弥生さんは既婚者でお間違いありませんか?」
「あ、あれ?私、言っていませんでしたか?」
「ええ、聞いていませんでした。ストーカー調査のご依頼は通常ですと、本人やご家族や恋人などから依頼されるケースが多いのでてっきり彼女は独身かと思っていました。それが会社のいち上司に相談されるとはよほど貴方を信頼されているのでしょう」
小玉の顔が引きつり困った顔をしながらとりあえず笑って見せた。まさかその本人にも内密に二四時間監視、調査をしているなど知られたら自分は犯罪者になってしまう。
「ただ彼女の旦那様は出張が多いようですので、身近にいる上司に頼むというのも不思議ではありませんね」
引いたものを足すように杉山が補足すると、小玉は少し安心したように肩を撫で下ろした。主導権を握るのはこちら側ということを客に忘れさせてはならない。今ならストーカー行為としてこのまま警察に連絡することもこちらでは可能だ。
「一ヶ月程の行動パターンを確認させていただきましたが、気になる人物がいました」
「え、ほ、本当ですか!?」
「若い男が深夜、彼女の自宅をうろついているのが目撃されています」
そう言うと杉山が男の写真を見せた。
「暗くて顔までは写っていませんが、背丈は百七十五センチ前後で、年齢は恐らく二十代から三十代といったところでしょう」
食い入るように写真を見つめる小玉が明らかに高揚していた。
「こいつが……彼女のストーカーですか」
ストーカーはてめぇだと心で突っ込みながらも杉山の表情は崩れなかった。
「いいえ、この男がストーカーと断定するにはまだ早過ぎます。この一ヶ月で男の目撃は二回だけですから。なにか、心当たりはありますか?」
「彼女の上司に大和田という男がいるのですが、そいつに似ているような気もしまして……」
「随分、お若い上司なんですね」
杉山の何気ない一言が小玉の課長「補佐」というコンプレックスを突かれたような気がして「いや、違うかなぁ?」と苦笑いをした。
「小玉さん、似ているかもしれないというだけで人違いをすれば、逆にこちら側が名誉毀損で訴えられます。調査をしている以上、くれぐれも慎重に行動してください」
「えぇ、も、もちろん」
小玉は額の脂汗を皺のついたハンカチで拭った。経過報告を終え、次の報告の目安としつこく聞かれた追加料金と最終の成功報酬の内訳を長々と説明し小玉は事務所を後にした。
「わざわざストーカーを煽ってどうすんだよ」
仕切りで隠された事務所の奥から鬼束が缶のコーラを飲みながら顔を出した。
二十代の若い男は松永弥生自身が自宅に連れ込んでいる男だ。杉山は報告書を束ねると凝った首をポキポキと鳴らしながら煙草に火をつける。
「一回目で何もありませんでしたじゃ金になんねえだろ。嘘は言ってない、大事なのはリアリティだ」
「じゃぁ、俺はいつまで奥様の調査すりゃいいわけ」
ゲフっとゲップを鳴らすと鬼束が嫌味を垂れた。
「金をしぶる前に次で終わらせよう、下手に煽って奥様が監禁でもされちゃぁウチの上客が減る」
「はっ、本当に元警官かよ」
「商売上手と言ってくれ」
調査を依頼してから小玉は、張り切っていた。
今まで、家と会社への往復だけの毎日。なんの楽しみもなく仕事帰りを待つのは認知症を患った母親だけ。数年前は同級生の結婚や子供の話に焦りを感じていたが、一度の失敗で今ではその焦りを感じる気力もない。
その小玉にとって大金を叩いて、プロの探偵に松永弥生の調査を依頼するのは脈絡のない人生でひどく興奮する出来事だった。杉山から感じる独特な緊張感も、弥生に黙って調査をしていることも、すべては金を出している自分の手中にあると思うと気分が良かった。
探偵への調査は自分が特別な力を手にした気分にさせた。会社以外の弥生を知ることで彼女とどんどん親密になり、存在するかもわからないストーカーから彼女を守っている、そんな感覚さえ芽生えていた。
そして探偵を気取って小玉も時々、弥生の後を付けた。
探偵の真似事はとても刺激的で気分の高揚することだった。
人を尾行することは今までにないほど自分を興奮させた。見つかったらやばい。弥生にも、調査を依頼している探偵にも。
小玉が調査したところでは杉山の報告にあったような若い男の影は見なかったが、代わりに小玉が見たのはランドセルを背負った小学生だった。
都心から離れた郊外に今風の小さな家が並ぶ住宅街には同居のない若い夫婦が住む分譲住宅地で、近くには真新しい小さな公園がある。その子供は公園で暗くなるまで時間を潰し、時折そのままどこかへ消えていき、時折、弥生の自宅へ招かれていた。
どう見ても普通の子供ではなかった。ある日、探偵気取りの小玉は興味本位にその子供の後を付けた。
二駅ほどみっちり四十分程歩くと、田舎ならではのスナックが並ぶような安っぽい通りに入った。小玉も初めて来る場所で風情というより少し治安が悪そうな場所だ。出勤前の派手に露出した女性が同伴しているだろうおじさんと腕を組んで歩いていたり、前掛けをした酒屋の兄ちゃんが路地にビールケースを積み上げたりと少ない明かりの割には賑わいのある雰囲気だった。
明らかに場違いなランドセルを背負った子供はそのまま路地のさらに端にある「スナック・ローズ」という店へ入っていった。仕事帰りの中年サラリーマンにはピッタリの昔からあるような古いスナックで吸い込まれるように中に入ると、安価な土地のせいか中は思ったより広く八人ほど掛けられるカウンターとL字型のソファに丸テーブルが三つほど並び、奥にはボックス席もあった。
「いらっしゃいませ」
小玉と同い年ほどのママと、若いスタッフが三名程おり、カウンターを挟んで開店準備をしていた。子供は一番奥のボックス席に身を潜めている。
「何にしますか?」
ママがおしぼりを出した。化粧は濃かったが、田舎ならではの愛想のいいママで気兼ねすることもなく小玉の性分には合っていた。
「あぁ、じゃぁ焼酎の水割りを……」
しばらくすると常連客が数人入り、すぐさまカラオケが始まった。そう言えば今日は金曜日だ。
カウンターの端でちびちび焼酎とスルメを齧りながら子供を見ると、ランドセルから教科書やノートを取り出して宿題をやり始めている。
「ウチの店初めてですよね?この辺でお仕事でも?」
ママが常連客の相手から離れ小玉に話しかけてきた。
「まぁ、そんなところです。この通りは初めて入りました。この時間帯にほら、小学生が歩いていたからどうしたんだろうとたまたま目に留まってね」
ちらりと小玉が子供の方を見ると、ママは女性らしい細長い煙草に火を付け一息吸った。
「ああ、あの子の息子なんです」
ママが目線を指した方には二十代後半くらいの女性がすでに酔った様子で客にもたれ掛かっている。金髪に近い長い茶髪は毛先が傷んでパサパサしていて、根元が黒くなり始めていた。このスナックには似つかわしくないほど胸元の空いた真っ赤な衣装は少し古臭く、安っぽい匂いがした。
「住む所もままならないみたいで可愛そうだから子供も店に連れて越させたのよ。今日はレンタルされなかったみたいね」
「え?なんですか?」
小玉が焼酎を飲みながら聞き直すと、ママが興味津々にカウンター越しに身体を寄せてきた。
「最近は自分の子供をよその家に預けてお金を稼ぐサービスがあるらしいのよ」
「託児所?とかではなくて?」
「逆よ逆!お金を払って子供を預からせてもらうことよ」
「そんな需要、あるんですか?」
「実際あるみたいよ、いつの時代もロリコンでもなんでもいるでしょ。客は金を払って子供借りてるんだから好きにし放題じゃない。何されてるかわかったもんじゃないわよ。親としてそんな危ないことさせんじゃない!って言ったんだけど、男にばっかり尻尾振って、自分の子供には無関心というかそのせいか子供の方がどんどんしっかりしてきちゃってね」
ひゃはははと大声で笑う声が店に充満すると、子供の母親が客の上に跨がり酒を煽っていた。ボックス席に隠れるようにいた子供は母親の姿をチラリと見ると退屈そうな顔をしてまた広げている宿題に目を落とした。
ロリコン?子供は男の子だから、最近の言葉でショタコンだったか……。
弥生はこの子供をレンタルして何をしているのだろう。
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