第9話 土屋紫乃2

 あたしの人生は間違いばかりだった。女で生まれてしまったことも、女しか愛せない事も。


 五歳の娘を連れたあたしは望んだ妊娠ではなかった。シングルマザーで娘との生活はもう散々だ。

パートやバイトに明け暮れたが、美羽の幼稚園から戻ってくる僅かな時間での仕事では生活は困難だった。


 以前は夜の仕事も増やし、何度も美羽を一人にさせた。千葉県の更に外れにある安アパートから泣き声がうるさいと苦情が入り虐待だの育児放棄だの市役所や児童相談所から何度も厳重注意を受けた。

 あたしは仕事をしていただけなのに。


 訳もわからず泣き続ける娘を引っ叩き、口にタオルを押し当てる。出来るならこうしたくない。でも泣くから仕方ない。この安アパートではすぐ苦情が入る。

苦情が続くとアパートを追い出される。美羽を叩いて声を出さなくさせるまで二年もかかった。

でもこんなやり方はきっと間違っている。

自分の父親がそうだったからだ。

世の中がどんなに社会的少数者マイノリティに寛大になっても根本はなにも変わらない。レズビアンから生まれた娘が哀れに思えて、眠った娘を力強く抱きしめるとあたしはまた短い眠りについた。

こんな間違いだらけのあたしではこの子はまともに育ちやしない。


 さらに仕事を転々とし、「スマホがあればOK♪自宅でいつでも誰でもできる高収入テレフォンオペレーター♪」というネット広告に誘われあたしは思わぬところで才能を見つけた。好きな時間帯に男性と電話やチャットでエロトークをする仕事だった。指名をもらい入電回数と通話時間が長いほど高収入が得られる完全出来高制の商売で、平日の真っ昼間にそんなに電話が入るのかと思っていたが、心配を他所に仕事量には困らなかった。

大抵の男たちは「普段は忙しいサラリーマン」らしかった。


声色を使い分け、ホテルで実際に会おうとする男達をあの手この手でかわし短時間で金を稼いだ。男とヤるなんてまっぴらごめんだ。


「レンタルチルドレン?」


 客とのチャットのやり取りからレンタルチルドレンのサイトを知った。子供を預ける事ができる上に金が手に入るというあたしにとっては夢のような仕組みだった。

子役としての演技指導や劇団に入るため入会金と年会費に一万円取られるが、二回ほどレンタルされれば元が取れるらしいのであたしは早速そのサイトへ登録した。

子供の性格や利用者のニーズにうまく合えば常連となり稼ぐポイントになるらしい。


「なんで、出来ないのよ?」


 美羽に正座をさせ、レンタルサイトからのメール画面を確認した。


【美羽ちゃんは人見知りで特に大人の人へのコミュニケーション能力がまだ整っていないため、演技指導のお勉強をもう少し進めます。そのためレンタルにはもう少し時間がかかりそうです。】


 演技指導が伴わず、客へのレンタル及び劇団員の正式入団許可が下りない。要は現段階ではお金を稼げない。

という通知が来ていた。


「家にいるみたいに、言うことを聞いてればいいのに、なんで出来ないの?」


 美羽は涙をこらえて俯いている。


「泣いてちゃわかんないだろ!」


 イラつく勢いのまま美羽の頬をつねった。


「ご……ごべん、なさい」


 つねる指先に美羽の生暖かい涙が伝う。


「次はうまく出来るよね?」


 あたしは指先にさらに力を込める。


「うぅ、で、出来りゅゔぅぅ」


 手を離すと美羽の頭をポンポンと撫でてやる。うるさく泣かれるのは嫌だ。


 しびれを切らしたあたしはその後一週間も経たないうちにサイト運営者に問い合わせをし、事情を説明してなんとかレンタル出来るようにして欲しいと懇願した。このままでは入会金の元も取れない。

呼び名を覚えられないなら本名を使っても構わないし幼稚園の情報を明かしてもこちら側に問題ないからとも言った。

娘の人見知りは一時的なもので慣れれば人懐っこくなるからまずはお試しでもいいのでレンタルさせてほしいと念を押した。

電話先の女性担当者も初めは困ったように聞いていたが、「分かりました!上司にも相談して土屋さんの条件を受け入れてくれるご家族を探してみます」と力強く引き受けてくれた。

 さらにその二日後、【美羽ちゃんがレンタルされました】のメールが来た時は仕事そっちのけでガッツポーズをした。


「美羽、今日のお仕事はどうだった?」

「あのね、パパがね、お洋服を買ってくれた」

「そっか、パパは優しい?」

「うん!ママもパパも優しい」


 レンタル契約を結べたのは定年を迎えた老夫婦だった。子宝に恵まれず年老いた夫婦が最後に一度でいいから子育てをしてみたいと要望があったのだ。自分たちの年老いた体力を考慮し、出来れば抱っこを必要としない女の子、幼稚園から小学生低学年の子供を希望していた。


裕福らしいその老夫婦は一向に美羽を甘やかし食事以外にも服やおもちゃを買い与えてくれた。サイト上では禁止されている行為なのだが、保護者の許可が降りれば大抵が考慮された。


そしてお試しどころか、週三日から四日程度はレンタルの依頼が入り運営担当の女性にお礼の電話をした。「一度家族になるとリピーターになる確率は高いのですがよほど美羽ちゃんを気に入ってくれたんですね」と話していた。


 美羽のレンタル料は初回が一万、その後は一万六千円、その半分が運営側に入るので一回のレンタルで最低五千円以上は手に入る。週三回もレンタルされれば一万五千円だ。

 生活に余裕があると家は明るくなった。実家とは美羽の妊娠を機に絶縁状態となっているので仕事を通してでもお祖父ちゃんやお祖母ちゃんのような存在があることはいい事だと思った。

 お姫様のようなヒラヒラの服を着てレンタルから戻った美羽が拙い言葉で楽しそうに家族の話をしていた。


契約者はレンタルした子供の状況報告を記入する【れんらくちょう】にその日の出来事や美羽の様子を記すこととなっている。契約者の老夫婦は塗り絵をしたとか、何を食べさせたかなど項目欄がいつもいっぱいになるほど事細かく記してくれていた。

今日は購入した服を着せたままの帰宅を止めたが、美羽ちゃんがどうしてもというので着させてしまいましたと謝罪も書かれていた。綺麗な行書体の文字と保護者を気遣う丁寧な文面にはいつも老夫婦の気品さが漂っていた。

その後、サイト管理者を通して近所の公園やデパートの外出依頼、時間帯の延長など細かく許可依頼が出たが、全て承諾し美羽を貸した。


 間もなくすると、また【美羽ちゃんがレンタルされました】のメールが届いた。内容を確認するとすでに三歳の男の子がいる若夫婦だった。なぜ子供がいるのに子供をレンタルするのだろうと読み進めてみると、どうやら二人目不妊症らしく息子に兄弟を作ってやりたがったが叶わない、せめて兄弟を味合わせたいという教育熱心な夫婦の要望だった。


 自分が美羽を育てて抱きもしなかった悩みと考えに金持ちの匂いがした。金持ちはクレームを出さない。文句を出すのはいつも貧乏人だ。ここならまた長期レンタルに繋がるかもしれない。すでに美羽には一件のレンタルが付いていたが週末だけでもいいとの依頼だったので外出も含めてレンタル許可を出した。


 仕事も美羽のレンタルも軌道に乗った、これでまともな生活ができる。来月の同窓会が楽しみになるくらいの余裕さえ湧いてきた。

実はあの打ち合わせの後にあたしは公園で弥生にキスをした。彼女は、昔とは少し違って、少し照れて、そのあと少し笑った。


 同窓会に向けて、久々にまともな服と靴を買おう。

あたしは普段、眺めているだけのファッションサイトへアクセスし、会員登録を済ませた。

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