第8話 杉山栄志2

 「奥様、相当いい趣味してますよ」


 事務所に戻った鬼束桔平が杉山にデジカメを放り投げた。

ピッピッと機械音を鳴らし、デジカメの撮影データを再生していくとそこにはこの一ヶ月、松永弥生を尾行・監視した写真が並んでいた。


「んぁ、これ病院か?」


 タバコを加えたままの杉山が鬼束に聞く。そこには病院に通院している弥生の姿が写っている。


「全国的にも有名な不妊治療専門の婦人科病院っすよ、奥様は妊娠を希望されてるみたいデスネー」


「浮気されてもなお子作りとは、健気だねぇ」


「ったく、夫婦揃って調査とかクソ面倒過ぎるだろ!しかもどっちも俺が調査って、ふざけやがって」


「仕方ないだろ、俺は奥さんの方に顔バレしちまってるんだから」


 夫の浮気を調査する妻と、その妻をストーカーする上司からの依頼。異なる依頼者から夫婦を調査する結果になるとは、確かに杉山も初めてのケースだった。

さらにデータを再生していくと杉山の顔つきが変わる。


「こいつは?」


そこには深夜、若い男が松永弥生の家に入っていく写真が取られていた。


「奥様も旦那の留守中にしっかり若い男を連れ込んでよろしくやってたってわけです」


「暗いな、この男の顔が分かる写真はないのか?」


「顔は見たけど今回の写真はそれが限界っすね」


「風貌は?」


「多少浅黒くて年齢は俺と同じくらい。茶髪の長髪で身長は百七十五センチ前後。ちなみにそのだけじゃないすよ」


「は?」


 そう言って杉山が写真を見ていくと、今度は松永弥生と同年代のスラリと背の高い女性との写真が写っていた。


「その女、自分の子供ほっといて公園の片隅で松永弥生に盛ってましたよ」


「おいおい女もイケる口かよ。羨ましいこと」


「あと妙なのがもう一つ」


「妙?」


「ガキがもう一匹うろついてます」


「お前みてぇなガキか?」


「あんた殺すぞ」


 こいつの悪いところは敬語が続かないところと、冗談が通じないところだと杉山が呆れる。


「ランドセル背負った小学生のガキだよ」


「小学生……?」


「何度か旦那がいない留守中にも泊まりに来てる。それにあれは普通じゃねぇ」


「普通じゃない?」


「小学生のガキが一人でこの奥様に会いに来てる。親戚の子供って感じでもねぇ。ガキの親と接触している素振りもない。あとそのガキを送迎しているワゴン車も見た」


「ワゴン車?ナンバーは?」


「黒のトヨタ 練馬 の ○○—56」


はぁ〜と杉山は大きくため息を付き二本目のタバコに火をつけた。


「面倒なことになりそうだなぁ」


ピリリリリリリリ―—。杉山の携帯が甲高く事務所に鳴り響く。

「噂をすれば」と杉山が携帯に出る。


『はっあ〜い、杉山ちゃんお元気?この間の件は調べがついたかしら?』


 元気に声を上げる気色の悪い地引の声が響いた。


「ある程度の目星はついてる。どこで会う?」


『じゃぁ一時間後に、いつもの場所で』


「あぁ、わかった」


 電話を切ると杉山が周囲を見渡した。時刻は間もなく二十二時を回ろうとしている。鬼束が怪訝そうに俺を睨みつけている。


「地引か?あいつからの仕事依頼ってなんだよ」


「そうイラつくなって、元上司だろ?」


 掘られそうになったけど、と言おうとしたが面倒なので止めた。


「ホモ野郎からの仕事なんて蹴っちまえばいいだろうが」


 鬼束のギラギラとした目つきに眉間に深い皺がよる。


「そう言うなって、お得意様なんだから」


「俺はホモ野郎からの仕事はやらねえぞ。あんたもカタギの商売っつーならちっとは仕事選びやがれ」


 杉山は吸い殻でいっぱいになった灰皿に無理やりタバコを押し付けた。


「てめぇに仕事をくれてやってんのは俺だ。仕事選びたかったら俺より偉くなれる金とコネを作れ。てめぇの世話一つままならねえガキが!温い戯言ざれごとほざいてんじゃねぇよ」


 暖房のエアコンの振動が事務所に響いた。杉山と鬼束の間の空気が張り詰める。鬼束がさらに怪訝そうに顔を歪めると立ち上がり、ノートパソコンと杉山が持っているデジカメを取り返しリュックへ乱暴にしまい込んだ。


「おいおい、どこ行くんだ?」


「あぁ?飯だよ!」


「引き続き頼むぞ、桔平」


 笑顔で杉山が鬼束を見る。


「クソったれが」


「髪を染めろ。近いうちデカイ仕事が入る」


 金髪の長い前髪の隙間から杉山を睨みつけるとドアを壊さんばかりの勢いで開き、そのまま事務所を出ていった。

 浮気夫との妊娠を希望される奥様は、上司と不倫をし、若い男を買ってレズビアンの女に言い寄られている。おまけにショタコン。


「課長補佐にはどう報告すっかなぁ」


 杉山が煙草を吸おうと胸ポケットから取り出すと煙草が切れたことに気づき、仕方なく山盛りの灰皿からまだ吸えそうな縮こんだ吸い殻に火をつけた。


「面倒なことになりそうだなぁ」


 再びそうつぶやくと不味いシケモクを加えたまま、続いて杉山も事務所を後にした。




*******

「地引ちゃんさぁ、早速新しいビジネス展開してるの?よく働くねぇ」


「おかげ様で。廃業寸前の子役スタジオの看板だけでも買い取れてよかったわ」


 杉山がよれたネクタイを緩め、コーヒーをすすった。古い喫茶店は奥に行くほど薄暗く、座る椅子は湿っぽく、出されるコーヒーは不味かった。地引たちのシマでもあるこの喫茶店のキッチンホールには恐らく下っ端が数人待機している。表向きは中年のおっさんが一人でカウンターを任されていた。辛気臭く、痩せていて地引を見るといつも身体を強張らせていた。恐らく中身は数百万単位で借金を抱え、ここで一生利子を払い続けるために派遣されているのだろう。


「また売春か?飽きないねぇ」


 杉山が煙草を吸い始めると、地引が中年のおっさんをじっとりと睨みつける。おっさんは肩をブルっと震わせると何かに気づいたように慌てて駆け寄り、震える手で灰皿を差し出した。


「劇団でもなんでもいいから似たような店舗をあと三つくらいは欲しいのよ」


 そう言われると杉山はリストとグーグルの地図をプリントした紙を数枚、地引に渡した。


「借金と子役付きの劇団だ。スタジオもあるかな。基本的に個人事業主のリストだ。強請ゆすれば何かは出るだろ」


「いつも助かるわぁ」


「何度も言うがな、未成年ましてや一桁の幼児を使うなんぞ、長くは続かねぇビジネスだぞ。すぐにガサ入れされて終いだ」


「うふふ、ちょっとお金が必要なのよ」


「愛しの依知川いちかわにプレゼントか?」


「そんな野暮な言い方しないでちょうだい。香港経由で取引があるのよ」


 地引が血管の浮き出た細い指でカップの縁をなぞる。


「中身はなんだ?」


「それを言う必要は無いわ。お互いの身のためにもね」


「情報は回してるはずだ、港付近はサツにパクられるぞ」


「んふふ。知ってる。だから杉山ちゃんに提案」


「提案?」


 ピンと立てた小指にカップを持ちゆっくりと地引がコーヒーを啜った。


「お宅の桔平くんをお借りできないかしら?」


 杉山は吐いた煙に眉をピクリとさせた。


「ウチの従業員に運び屋をさせるつもりか?」


「んふふふ、はははは。やだ〜杉山ちゃんったら〜」


 吐いた煙の向こうの杉山は笑っていなかった。地引が続ける。


「もともと桔平くんは杉山ちゃんのところにレンタルさせているだけよぉ。お互い上手くやれるようにウチが杉山ちゃんに貸したの」


「貸した?違うな。お前が半殺しにして捨てたところを俺が拾ったんだ」


「あれぇ?そうだったかしら?」


「お前はあいつを自分のとこで教育しきれなかったんだろ?どういう教育をしたかは知らんが、俺んとこで上手くやってるからって良いところだけ使われちゃかなわねぇな。ウチの事務所も人手不足なのよ?」


「報酬は弾むわ」


「金もいいが、いちいち使い捨てされちゃ困るって言ってるんだ」


「使い捨てになるかどうかはそっち次第でしょ?桔平くんなら大丈夫よ。私たちと違って杉山ちゃんのもとで上質な教育を受けてるんだから」


 地引の糸目がいやらしく開くと薄い唇がだらしなく緩んだ。ヤクザの提案を断る方法は基本的に、無い。二人に一瞬の沈黙が流れた。


「ちょっとマスター?」


 間髪入れず地引が声を張りおっさんを呼ぶと、「は、はいぃっ」と返事をし怯えるように地引に近づいた。


「お客様がお帰りよ、ドアまでお見送りして差し上げたら?」


「は、はい!お客様!こ、こちらへどうぞ!」


 杉山が地引を睨みつけると、地引が気色の悪いウィンクを飛ばした。丁寧に追い出される形となった喫茶店を出ると、扉が閉まった途端にカップの割れる音と乾いた肉の音、そしておっさんの悲鳴が聞こえた。



「これだからホモ野郎は嫌いだ」


 遠くでネオン街の光が漏れている。春先の温い風を手で塞ぐように杉山はまた煙草に火を付けて街の中へと紛れていった。

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