第11話 レン2

 僕はいつだってタイミングが悪い。


 高校時代、自分がゲイであることを隠し続けたのはつるんでいた友達がずっと好きだったからだ。そいつには夏休みに入る頃には当たり前に彼女が出来て、ゲイの片思いは告げられることもなく幕を閉じた。

 思春期の失恋という最悪のタイミングで、次に母親が癌で死んだ。高校一年の冬だった。


 昔から僕は父親が苦手だった。

仕事人間の父親はただ家に帰って来る他人のような遠い存在で母親が死んでも喪主を務めた以外は仕事をしていた。たまに顔を合わせても口を開けば説教ばかりの父親が嫌であまり家に居なくなった。


 都心に近い大学に入ってゲイを隠すことを止めた。自分の容姿は自分で言う程悪くなかったと思う。高校時代も大学在学中も何人かの女性から言い寄られていた。


「ケツに突っ込まれて気持ちいいの?」

「マジで女に反応しないの?」

「友達になろうよ!オカマの友達欲しかったんだよね!」


 大学の頃、友人に言われたベストスリーがこれら。嫌な気分にはならなかったけど、いい気分にならないことも確かだ。ゲイは珍獣じゃない。


 スマホにはセックス出来る友達ばかりが増えていく。僕だって出来れば普通の恋愛がしたい。将来は普通に結婚して子供だってほしい。

でも普通ってなんだ?

ああ、そうか。普通の恋愛って男と女がするものだ。

僕は悲しいことに男が好きなんだ。


「マジで、いい人だから紹介するって」


 ゲイはゲイを呼ぶ。ゲイの恋愛は身体から入ることがほとんどだ。男同士だから面倒な恋愛をしない人も多い。というより諦めている人がほとんどだと思う。


「でもセックスしてお金もらうって、もうウリじゃん」


「だってどうせセックスしかしないじゃん。なに?コイビトとか欲しいの?どうせ無理だよ。逆にお金で割り切ったほうが寂しくなくていいでしょ」


 ゲイにはゲイの集まる場所があって、みんな寂しさを埋めるようにそこに集まった。SNSを通しているから本名を知らないことも普通だった。そこで仲良くなった年上のお兄さんはちょっと危なっかしい人で肩には龍のオシャレタトゥーが入っていた。バイトを探していると話すとある店を紹介してくれた。聞いた通り男相手にラブホでセックスしてお金をもらう売春だった。店というか、フィリピンパブの奥部屋だった。怖いのもあって僕は話だけ聞いて今後関わることはないだろうと見切っていた。

 愛のあるセックスがしたい。恥ずかしながら僕は恋人が欲しい。


 「警察だ!動くな!」


 その日。初めて入店したその日に限って、その店で警察の一斉取締りが入った。キャーキャー騒ぐ女性の悲鳴と、野太い男性の叫び声と何かが割れる音と怒涛のフィリピン語が一瞬で店内を駆け巡った。

 店で働く外国人の不法滞在と未成年への売春の強制行為など以前から警察に目を付けられていた店だったらしく、たまたま居合わせた僕だったけれどもちろん警察の御用となった。


 そう、僕はいつだってタイミングが悪い。



 来月誕生日を迎える未成年だった僕は、よりによって警察署の中で父親にゲイであることをカミングアウトせざるを得なかった。


 事件をきっかけに僕は大学を辞めて、僕のせいで父は職を失った。家を売り引っ越しもした。謝るタイミングは作れなかった。他人のような父親はさらに僕を見る目が変わった。その距離は遠くなる一方で、寂しくて悲しくて僕は二十歳を堺に狭くなった家を出た。


 しばらくはゲイであることを隠してバーで働き始めた。

若い頃、様々な賞を取った腕利きのマスターが今では髭を蓄えたちょいワル親父の風貌となり一人で経営しているバーだ。小さめの店はわりとカジュアルで若い子や常連客でいつも繁盛していた。シェーカーを振る憧れはあったけど、酒の種類とレシピを覚える方が面白かった。


「マスター、かっこいいバイトくん入れたね」


 常連客らしい三十代のスーツをきた男性はいつも奥から二番目のカウンターに座る。マスターは灰皿を出しながら何やら親しげに話している。オーダースーツを着こなし、高級時計を身に付けている。若い会社の社長だろうか落ちついた物腰に少しなで肩に伸びた首、襟足を出した清潔感のある髪型。自信に満ちた視線に上がる口角。ネクタイを外す姿は大人の色気たっぷりといった様子だ。恐らく毎晩モデルのような女と遊んでいるんだろうと容易に想像がついた。


 マスターが手招きして僕を簡単に紹介してくれた。


「先週からようやく僕も振れるようになったんでぜひ一杯どうですか?」


「商売上手なバイトくんだな」


 煙草に火をつけると彼は色っぽく笑った。


「レンです」


 思ったより気さくな人だ。そう思いながら熱いおしぼりを広げながら渡した。


「アキラだ、では一杯頂こう」


 おしぼりを受け取る手は触れていなかった。僕にツラレて三十路過ぎの男性が下の名前を教えてくれた視線に同類の匂いがした――はずだった。

 翌週、アキラさんは女性同伴で来店した。


「これから接待なんだ。その前に一杯頼むよ」

「かしこまりました」


 笑顔の裏で僕はショックだった。アキラさんに腕を絡める女性は小柄で細くてとびきりの美人だった。マスターに聞くとこの辺で有名な高級クラブのナンバーワンキャバ嬢だった。


「ここのバーテンさんかっこいいですね」

「こら、よそ見をするなよ」

「やだぁ、んふふ」

 アキラさんが煙草を加えると女はすかさず高そうなライターで火を添えた。口から漏らす会話は甘いくせに、仕草はどちらもスマートでとてつもなく大人に見えた。

 僕がアキラさんを同類ゲイと勘違いしたのは、彼がゲイだったらいいなという願望から来るものだった。それに気づいたときにはもうアキラさんを好きになっていた。ノーマルの男性に惚れるのはもう散々なのに僕は毎週店にくるアキラさんに夢中になった。



*****


「来月で閉店?」

「はい。最近マスターの体調が良くないみたいで……」


 半年が過ぎ、自分にも僅かながら客が付き始めた頃だった。マスターから閉店の話は突然過ぎた。


「そう言えば君が来る前から、こうやって時々店を休んでいたからなぁ」


 閉店間際に滑り込みで店にきたアキラさんが、いつものスコッチを頼みながら驚いていた。そもそもこの小さな店に僕みたいなバイトを入れたのもその理由だ。


「いつもご贔屓にしていただいたのに、すみません」


「君に会えなくなるのは寂しいな」


 女にも男にもそういう台詞を言うのはアキラさんが大人だからなのか?そういう性格だからか、僕にはもう分からなかった。


「これからは、どうやったら会えますか?アナタに」


「え?」


 年代物のウィスキーを片手にアキラさんが何かに感づいた顔をした。やばいと思った瞬間に客から声が掛かった。


『すみませーん、こっちチェックで』

「あ、はい、ありがとうございます」


 他の客を出口まで見送ると店には僕とアキラさんだけになってしまった。感づかれた。自分がゲイであることを。どうして言ってしまったんだろう。僕は瞬く間に後悔した。


「どういうことかな?」


 出入り口から振り向けない僕をアキラさんが問いかけてきた。

終わった―—。

僕の短い恋が終わろうとしている。ゆっくりとアキラさんの席へ歩み寄る。


「変なことを言ってすみません」


「変なことって?」


「………………僕はゲイで、アキラさんを好きになってしまったことです」


「人を好きになるのは変なことじゃないだろ?」


「でも気持ち悪いじゃないですか、あなたみたいな格好良くて、大人で、スマートでノーマルな人からすると」


「ははは、ついでにベンチャー企業の若社長で、金持ちで、毎晩女を取っ替え引っ替えしてる奴だから?」


 クスッと笑いながらアキラさんが続いた。


「そ、そうですね」


 第一印象の通りに僕は言ってやった。アキラさんは声を出して笑うと冷たくなった僕の手を握ってきた。


「そういう役を依頼されているからね」


「え?」


 握られた熱い手に動じて僕は状況が上手く飲み込めなかった。


「そういう役を演じて俺はレンタルされている。だたの役者だ」


「は?」


 僕の握った手のひらを指でなぞりながらアキラさんは続けた。


「金持ちでも社長でもない俺と、今後も会いたいと言ってくれるなら、レンも一緒の所で働いてみるか?」


 椅子から立ち上がると真正面にアキラさんの顔が移った。握られた手のひらはもうどちらの鼓動かわからないくらいドクドクしていた。ゆっくりアキラさんがキスをすると、もうどうにも止まらなかった。


「……っん、はぁ……、ははは、若いな」


「すみません、だってアキラさん色っぽくて……」


 カウンターのウィスキーグラスを倒して僕はアキラさんのワイシャツに手をかけ始めていた。


「よく勘違いされるからこのタイミングで言っとくけど……出来れば君になんだがそれは構わない?」


 ああ、何ていうことだ。こんなドSっぽい顔をして、こんな清ました顔をしてアキラさんはバリネコだったなんて。


「最高のタイミングです」


 僕の人生で初めての恋人が出来た。

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