第2話 松永弥生

 「てゆーか、小玉の顔付き最近ヤバくないですか?」


「わかるー、なんかやつれてきてますよねー」


「最近マザコン弁当食べてないから元気出ないんじゃなーい?」


「私、朝からあいつに怒鳴られましたよ、口臭くてマジムリ」


「大和田課長が午後出社だから張り切っているんでしょ、気持ち悪い」


「そのくせ課長に気に入られようと必死ですよね」


「ああ、毎日残業アピールってやつ?あいつの人生超つまんなそう」


「小玉って仕事出来ないくせになんで課長補佐なわけ」


「勤続年数長いからですよ、それでも三十代の大和田課長に速攻で抜かれましたけどね」


「大和田と小玉って名前からして抜かれてるし」


「大物と小物って感じ」


「やば、めっちゃウケる」


「大和田課長って彼女とかいるんですかね?松永さん」


「え?」


 昼休憩の化粧ルームに二十代の女子社員の夏目理沙と吉田杏莉、湯上桜子が口を回しながら器用に化粧を直していた。

その後ろにハンカチで手を拭いていた弥生が間抜けた声で振り向くと続けて三人の中で一番古株である夏目理沙が弥生に声をかける。


「別チームですけど、私たちも今日の打ち上げ参加するんです。松永さんももちろん参加ですよね?」


 弥生の勤める会社は東京に本社を構える大手建設会社で、ここ数年で起ち上げた新たな子会社のひとつ空間設計デザイン事業を担当している。一つの案件に部門からそれぞれ抜擢した数人でチームを作り、プロジェクトに当たる今どきらしい体制を取っていた。 


 彼女達の上司、大和田祐也おおわだゆうやは本社から送り込まれた我が社の若手ホープ。三十五歳で課長職へ出世し、高身長で容姿もさることながら、愛嬌のあるリーダーシップと行動力、斬新なアイディアでチーム全体は成績がよくいつも活気に溢れていた。

 今日は半年ほど前から準備していた案件がひと段落付き、大和田率いるチーム全体で打ち上げ会を予定している。


「ごめんなさい。今日は夫が出張から帰ってくるから不参加なの」


「えぇ、またですか?旦那さんのご飯なんて外で食べさせればいいじゃないですか」


 リップを塗りながら今度は吉田杏莉が入ってくる。


「うん、でも出張先ではいつも外食だからせめて帰った時は料理を食べさせたいの。こうやって結婚しても自由に働かせてもらってるし」


「松永さんって、本当に旦那さん一筋なんですねぇ」


 湯上桜子が感心するように答える。


「ええ、そんなこと……あるかな」


 弥生の口元が思わず緩む。


「私、松永さんみたいないい人と結婚したいですぅ」


「なにそれ」


 弥生はくすくすと笑った。


「てか大和田課長のプロジェクトっていつも松永さん入ってますよね。なんか言い寄られてませんか?」


 夏目理沙の真剣な眼差しにさらに弥生は笑った。


「ないない。私、結婚してるのよ」


「まあ、松永さんに限ってそれはないかぁ」


「確かに。なんか既婚者の余裕がありますもん」


「夏目さん、大和田課長狙いなんだね」


 弥生はにっこりしながら夏目理沙を見つめた。


「もちろん!今どきあんな上玉いませんから」


「ライバル多そうだけど、出来る限り協力するね」


 二十代後半に差し掛かろうとしている夏目理沙の目は真剣だった。

今時のショートボブにTPOに応じた化粧にシフォンをひざ丈スカート、淡いピンク色のフレンチネイル。インテリアコーディネーターの資格も持ち仕事も出来て根も真面目な女の子だ。弥生と五歳ほどしか変わらないのに、随分と彼女が若く見えた。



「それじゃ、お先に失礼します」


 打ち上げチームが定時を過ぎ揃って賑やかに会社を後にして行く。急に静まり返ったフロアにキーボートの叩く音が響いた。


「あれ、夏目さん?」


 夏目理沙が眉間に深い皺を寄せながらパソコン画面を睨みつけている。


「夏目さん、これから打ち上げじゃないの?」


 弥生が声をかけると、夏目理沙はキーボードが割れそうなほど強く叩いた。


「小玉ですよ!あいつ今日の午後に去年のコムセンス社のデータを引用した概算見積もり作れって言い出して!今日の午後ですよ!絶対忘れてた書類ですよ。大和田課長に催促されてたし!超急いで提出したのに引用データがじゃなくてのだったんです。今から作り直しです」


「えぇ!?今から?全部?」


 リフォームの概算見積もりは資材やサイズが異なるだけで全ていちから作り直しになる作業だ。

見積もりに合わせて、サンプル資料の収集やメーカーもとの単価表作成も必要となる。どう考えても二人以上の仕事量である。


「夏目さん、私も手伝う」


「え、でもこれ他部門のチームのやつですよ」


「小玉補佐にこの仕事量が一人でできるなんて判断されたら私たちアシスタントの仕事量が増えちゃうわ。むしろ二人分の残業代申請して、人員増やしてもらいましょうよ」


「だって、松永さん今日は旦那さん帰ってくるから帰らないと……」


「子供じゃないんだから、旦那には外で食べてもらうわ」


「松永さん……」


 夏目理沙は思いもよらない弥生の対応に目を潤ませた。

 静かなフロアに勢いよく書類を作成する二人が並んだ。パソコン画面を睨みつけ、分厚いサンプルファイルをめくり、数字を入力していく。打ち上げが始まって一時間が経っている。夏目理沙は流行のダニエルウェリントンの腕時計をみて何度目かのため息をついた。


「夏目さん、あとは私がやるから打ち上げに参加してきて」


「え、いいんですか!?」


 どこかで期待していたような言葉が現実となり、夏目理沙は口許が緩んだ。

がすぐに真顔に戻り、


「いやいやいや、さすがに悪いです。そもそも手伝って頂いているのに、任せて飲み会になんて行けないです」


 いい子だなと弥生は思った。


「協力するって言ったでしょ」


「でもぉ……」


 夏目理沙は社会人としての常識と女として疼く期待の間で頭を抱えた。

弥生はそっと背中を押す。


「大和田課長狙いなんでしょ。ライバル多し!チャンスは逃すな!」


「ううぅ、松永さんいい人過ぎますぅ」


「ふふ、うまくいったら報告してね」


 夏目理沙はデスクを素早く片付けると、フロアを見渡し弥生に耳打ちした。


「あの、小玉が別フロアで残業していますので、もし私のこと聞かれたら……」


「大丈夫。あと一時間で仕上げるわ」


 そう言うと彼女はキラキラした笑顔で打ち上げ会場へ向かって行った。

 フロアにはしばらく弥生の打つキーボードの音だけが響いた。時計は夜の十時を指している。打ち上げに遅れた夏目さんは大和田課長とうまく二次会へ行けただろうか、弥生は区切りのついたデスクを片し、給湯室へと向かった。最後のスタッフが念のため戸締まりや火の元を確認することになっている。


「小玉さん、まだいらしたんですか?」


 給湯室に寄ると眉間に皺を寄せた小玉幸彦が会議で使った湯呑みを洗っていた。


「あ、すみません気づかなくて、わたしがやります。自分のもありますから」


 自前の白いマグカップを見せると取り返すように流し台を代わった。二畳ほどの狭い給湯室に流れる水道の音が響き、忙しなく弥生が手を動かす。

小玉は黙って腕を組み背後に立っていた。明らかに何かを言いたそうな態度に弥生は焦りを感じる。


「私の陰口を言い合って面白かったか?」


「えっ?」


 背の低い小玉と弥生の目線はほぼ同じ位置にあった。


「今日、女子社員たちと俺のことを小者補佐と呼んでいただろう」


 小玉に腕を引っぱられると泡のついたマグカップが音を立てて割れた。


「い、言っていません!や、止めてください」


 右腕を後ろに引っ張られ、給湯台に身体を押し当てられると小玉は弥生のスカートを捲り上げヌーディー色のストッキングを破った。


「やめてっ、あ、」


 小さく抵抗すると小玉は弥生の髪の毛を鷲掴みにし耳元で囁いた。

荒くなった息遣いからコーヒーの混じった中年男性特有の口臭がする。


「なんだ、なんならこの間のように誰かの机にぶっかけてやろう、か!」


 パシーッ、


 露わになった弥生の柔らかな尻が小玉の大きな掌で弾かれる。


「ぃあっ!」


 パシーッ、


「ほら、教えただろ!俺のことはなんて呼ぶんだよ!」


 パシーッ、


 皮膚が破けるような細い痛みに身をよじる。


「あぁっ、……こ、小玉か、課長っ!」


「そうだ!本当はこの俺が課長なんだ!」


 パシーッ、


 ふーふーと鼻息を荒く小玉の瞳が興奮で血走っている。


 叩かれる度に波打つよう揺れる尻は白い皮膚が今にも破けそうになるほど瞬く間に赤く腫れ上がっていく。


「どいつもこいつも馬鹿にしやがって」


 パシーッ、


「うぅっ!」


 右手で執拗に叩きながら、小玉はベルトを外し始める。


「俺を課長と呼べ!」


 パシーッ、


「あぅ、か、課長、小玉課長っ……っん」


 前戯もなく無理矢理開かされた身体へ小玉課長が入ってくる。

 バックの体制からユラユラと腰を動かし、強制的な摩擦で弥生は何度も額を壁にぶつけた。


 パシーッ、


「あぅ、」


 パシーッ、


「課長、」


 パシーッ、


「くっ……」


 パシーッ、


「か、課長、お願いします、あぁ」


 パシーッ、


「あぁ、……」


 パシーッ、






「もっと……」


 パシンッ。










「もっと……強く、叩いてっ――」







 腫れ上がる皮膚は火傷のような熱さと痛みに変わり弥生の股をいやらしく濡らした。

紫色の斑点になっていく皮膚は、皮一枚うち側でどんどん膨張していき今にも真っ赤な血が滲んできそうだ。

 熱くなった尻肉を乱暴に掴まれるとたちまち鈍痛へと変化していく。

皮膚の痛みも肉の痛みも次第に全部を飲み干して激しく突かれると、子宮の奥から全身が粟立ちそれと同時に二人は絶頂を迎えた。


 「すまなかった」

 小玉は行為が終わるとまるで憑き物が取れたように穏やかな表情になっていた。

マグカップの破片を箒できちんと片付け、今度は弥生をお姫様のように丁寧に扱う。逆さまになったヒールを履かせ身体を拭いてやる。服装を整えると、小走りで自販機に向かいミネラルウオーターを弥生に渡す。

無理矢理引きずり出された欲情に弥生はまだ身体を火照らせ全身に力が入らないでいた。

それに気づいた小玉がペットボトルを取り返しパキパキと封を開けて渡し直す。


「飲めるか?」


「ありがとうございます」


 冷たいミネラルウオーターが火照った弥生の身体を冷やし、喉が鳴った。


「なぜ君が夏目の仕事を手伝っている」


「彼女が打ち上げに参加したがっていたからです」


「君が打ち上げに行かないというから、私は早く仕事を切り上げたんだ」


「夏目さんに仕事を押し付けて?」


 小玉は一瞬言葉を詰まらせた。


「君と……早く二人きりになりたかったんだ」


「わたしだって、そうです」


 歯切れの悪くなった小玉は目を伏せた。


「……どうせ俺は……誰からも必要とされていない。見た目もこんな冴えないオジサンだ。そのうえいつまでたっても課長補佐だしな」


 皺になったワイシャツから疲れた独身男性の哀愁が漂ってくる。


「大和田課長は小玉さんを手離しませんよ」


「えっ?」


「小玉さんはいつも誰よりも早く会社に来てフロアを綺麗にして、誰よりも遅くまで残ってこうして仕事をしているじゃないですか。本当はわたし達、アシスタントの仕事のはずです。男性なのに、そうやって細かな所に目が届くことを大和田課長はちゃんと見ていますよ」


 弥生がにっこり微笑むと、安心したように小玉は弥生に抱きついた。


「この会社では……誰も私を認めてくれない。俺には……弥生が必要なんだ」


 小玉の目にはうっすら涙が浮かんでいる。


「わたしにも、あなたが必要ですよ」


「弥生だけがわかってくれればいい」


 小玉はさらに力をこめて弥生を抱きしめた。




必要とされたい。

認めてもらいたい。

どんな方法でもいいから、それを確認したい。


他の女を抱いた夫をまた愛してあげたい。

そのためにもわたしにはあなたが必要だ。


弥生はゆっくりと目を閉じポンポンと小玉の頭を撫でた。








どんな矛盾も、ぜんぶ、わたしだ。


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