3. 〝とはずがたり〟
「ちょっと、萌ちゃん!」
深夜が慌てて靴を履いて後を追う。花壇の前の作業着の男が顔を上げる。
「お兄ちゃん、どうしたの?」
男に腕を絡めながら萌が訊く。
「ああ、ついさっき雨月で仕事が終わったんで、ついでにここに寄った」
「え?どこで?まさかあの女のとこじゃないよね?あたしが微笑に付き合ってる間に?」
「萌ちゃん!また怒られるよ。伝さん、こんにちは」
「こんにちは、シンちゃん」
「あ、あの」
二人に追いついた微笑が萌の顔を伺う。深夜が「萌ちゃん」と促す。
「あ、あぁ」と萌が振り返り、後を追ってきた微笑に向き直った。
「微笑。さっき話してたお兄ちゃんだよ。お兄ちゃん、この子は水無瀬微笑。中二からうちに転入するんだ。校長が言ってたけど、お兄ちゃん、微笑の引っ越しするんだよね」
「ああ、俺も今朝連絡貰ったところだよ。つまり、水無瀬さんはお客さんだね。萌の兄、伝です。よろしくお願いします、水無瀬さん」
「あ、え、は、はい」
微笑は何度か伝と萌を交互に見た。萌が「ね、あたしの言ったとおりでしょ?」と??誇らしげに言うが、微笑は薄ら笑いを浮かべて萌と伝から視線を逸らす。
「ねえ、微笑って深夜たちとは昔からの知り合いなんだよね?」
「何が『昔』だ。歴史を語るほどの時間を生きてないだろうが」
「ゲッ、キモオタ!」
萌がのけぞりながら振り返る。
「キモオタ!こんなところで何してんだよ!」
「砧(きぬた)君は俺が呼んだんだ」と伝が手にしていた紙袋を砧に渡す。
「萌、砧君は萌にとって先輩なのに、まだそんな言い方してるのか?」
「だって、お兄ちゃん。て言うか、何それ?そもそも何で勝手に連絡とってんの?」
「まあ、俺とデンさんのホットラインだ。デンさん、すみません」
「ホットライン?やめてよ、お兄ちゃんにキモオタがうつるじゃない」
「萌!」
「萌ちゃん!」
「あ、で、でも、お兄ちゃん、昨日東京に納品だったけど、またキモオタに、帰りに秋葉原で何か買って来てとか頼まれたんでしょ?」
「まあ、そんなとこかな」
「お、おい!キモオタ!何だかわからないけど、ちゃんと金払えよ!」
「これは特別だしいいんだよ。それに、いつも萌たちがお世話になってるからね」
「世話なんかしてもらったことないし!大体、二コしか違わないのにこいつエラそうなんだよ」
「いや、砧君は四月になったらすぐに免許を取ったし、去年のうちにフォークの資格まで取得したんだよ。すごいじゃないか」
「免許もフォークもいろいろとお世話になりました」
「ちょっ、キモオタ!あたしの許可なくお兄ちゃんに会うな!」
顔を真っ赤にする萌を見て、深夜がクスクス笑う。それからきょとんとしている微笑に視線を移し、「あ、ごめんね」と慌てて言った。
「エミちゃん、砧さんだよ。ネストの先輩。砧さん、エミちゃん、水無瀬微笑さんです。来週から転入するんですけど、ネストへの推薦状があるらしくて、ちょうど今案内しようとしていたところです」
「ミーナか」
「え?み、ミーナ?」
「微笑、キモオタはね、キモオタだから女の子の名前をちゃんと呼べなくて、勝手にあだ名をつけて一方的に呼んでるんだよ。深夜のことだって、苗字は本来『手間』や『餌』みたいに『マ』で上がるのに、わざわざ『エマ』って、外人の名前みたいに呼ぶし」
「エマの苗字の発音の方がおかしいんだよ、ノノ。漢字の『絵馬』だって、本来『エマ』が正しいだろうが」
「ノノ?」
「萌ちゃんの名字が『ののみや』だから『ノノ』」
深夜が補足した。萌が思い切り眉を顰める。
「ね?ミーナなんてキモイでしょ、微笑」
「何か、ちょっとかわいいかも」
「微笑?」
「萌、水無瀬さんがいいならいいじゃないか」
「お兄ちゃん?」
「ん?どうしたの?水無瀬さん、俺の顔に何かついてる?」
「え、えーと」
「あ、ハハハ。また、萌がめちゃくちゃなこと言ったんだね?『かっこいい』とか『イケメン』だとか。気にしないで。萌には現実が見えてないんだよ」
「お、お兄ちゃんはかっこいいもん!世界一!」
萌が顔を真っ赤にして叫ぶ。
「それに、運転が上手だし」
「赤帽に特別な運転の技術は要求されないよ。大型やトレーラーの連中には到底及ばないし」
「力持ちだし」
「一般的なレベルだよ。荷揚げのプロにはかなわない」
「フォ、フォークリフトだって運転できるんだから!」
「砧君は俺が取得した年齢より早く取ったよ」
「他にも大特とか玉掛とか水道とかたくさん資格持ってるし!」
「佐久支部にはもっとたくさん持ってる資格マニアの人もいるよ」
「牽引用のトレッカーまで買ったし」
「ほとんど趣味だね」
「オレオレ詐欺未然に防いで表彰されたし」
「あれは犯人グループの計画自体杜撰過ぎたみたいだよ」
「ほ、本当は大学にだって行けたくらい頭いいんだから!」
「そんなことはないし、俺にはこの稼業が合ってるよ」
「そ、それに、さっきも言ったように、佐久支部の支部長なんだからね!」
「佐久支部のパシリだね」
「ど、どうして、どうしてお兄ちゃんは、あたしが自慢してもすぐに否定するの?」
「やめろ、ノノ。デンさんは個人としてより、ノノやエマたちの保護者としての生き方を選択したんだ。高校を出て、設備会社で数年働いて金を貯めてから赤帽を始めたのだって、ある程度自由がきいて、ノノ達の行事に参加しやすいからだ。その結果としての自分を他者と比べてどうのこうのなんて考えていない。ノノの理想の押し付けこそデンさんの人生を否定することになりかねないぞ。何より、デンさんがノノたちを嫌々面倒見てきたとでも思っているのか?」
「そ、そんなわけない!お兄ちゃんは誰よりも優しくて、面倒見が良くて」
「そう考えれば、デンさんの今はノノやエマたちあってのものだ。デンさんがそれでよしとしているなら、それを妹のノノが否定するなんておこがましいだろ?」
「き、キモオタのクセに、もっともらしいことを」
「さすが砧君だね。俺は行き当たりばったりでまったくそんなこと考えちゃいないけど、砧君が言うと説得力があるよ」
「って、キモオタァ!あんた、またそうやって思ってもないことを!もっともらしいこと言って人をコントロールしようとしてるだけじゃん!」
「よくわかったな。その通りだ。ノノも成長したな」
「砧さん、後輩の前なんだから嘘でも否定して」
深夜が眉を顰めて小声で言う。微笑がクスクスと笑い始めた。
「笑うな!」
「で、でも、萌先輩」
「野宮君」
怒鳴る萌と笑いをかみ殺す微笑の背後から呼び止められる。振り返ると、一陽が小走りに駆けて来るのが見えた。
「雨月さん、どうしたの?」
「さっき言い忘れてたことがあって」
「校長センセ」
伝と一陽の間に萌が立った。
「お兄ちゃんと話したきゃ、あたしを通してもらわないと。てか、さっきって何?」
「萌ちゃん、伝さんのマネージャーじゃないんだから」
「上手いこと言うね、シンちゃん。砧君、雨月さんが用があるみたいだから、これで。水無瀬さん、明日はよろしく。萌、砧君に迷惑かけないようにね」
「お、お兄ちゃん!」
「ごめんなさいね、みんな。これからネストでしょ?がんばってね」
「はい」
「ちょ、ちょっと!」
叫ぶ萌に背を向け、伝が一陽と歩き出す。
「ごめんね。時間大丈夫?」
「まだ次の集荷まで少し時間があるから」
「じゃあ、駐車場まで。月末のしゃくなげ祭の話するの忘れてて。野宮君、実行委員だってね」
「赤帽はここ数年毎年参加してるからね。萌には一昨年からゆるキャラの被り物を頼んでる」
「今年から三年生の課外授業の一つになるって。教育委員会様の方針だって」
「何か怒ってる?」
「いくらお飾りだって言っても、仮にも校長の頭を飛び越して決定なんて、ひどいと思わない?」
「ほら、雨月さんは何かと忙しいから、教頭先生が気を回してくれたんだよ、きっと」
「そんなわけないし。しょせん私なんて、帰国後非常勤講師で食いつないでたところを政治的な意図で引っ張られた雇われ校長だもん」
「その若さで校長先生なんて立派だよ」
「この若さ、と言い切れないところが悲しいけど。もちろん、強く気高い意志と理念を持った校長先生は巷にたくさんいらっしゃるわ。でも、私の場合は、前身の雨月学園の創業一家出身っていうだけでなかば強制的に据えられただけだし。先生方は、まあ、大人だからバックアップしてくださるけど、結局私は、教育委員会から鳴り物入りで来られたお目付け役の教頭先生の操り人形でしかないし」
「校長先生なんだから、主張するところは主張すればいいんじゃないの?」
「教育委員会に予算握られちゃってるもん。主に内線用のWEBカメラ設置だって、何度も申請して申請して、ようやく通ったんだよ?しかも『納品から作業まですべて赤帽がやりますから』って、まるで『勝手なことするな』ってみたいに」
「そう、良かったね」
「良かったね、じゃないわよ。カメラでもないと、教頭先生様が毎回どうでもいいことでわざわざこっちまで来て、『部下たるもの!』とかお説教始めるんだから。人を思い切り見下ろして。野宮君がインストールしてくれたあのソフト、録画機能もあるんでしょ?いっそセクハラでもしてくれれば、証拠を取って訴えて」
「そんなこと言うもんじゃないよ。ほら、校長先生が若くて親しみやすい分、教頭先生はバランスを取って嫌われ役を買ってくれてるんだよ。立派な先生じゃないか」
「野宮君は何にも知らないからそんなこと言ってるの!あんなセクハラパワハラモラハラおやじのどこがいい先生だってのよ!」
「あ、教頭先生」
「違っ!そ、尊敬してます!ほんとです!」
「もお忙しそうだったよ」
「の、野宮君!私を殺す気?」
「雨月さんの言ってることがよくわからないけど、教頭先生、カメラの向きや内線通話の設定もそこそこに、やたらと腕時計を気にされてた」
「教育委員会様のお仕事でね!私はそのおかげで毎日胃が痛くなってますけどね!」
「まあまあ、落ち着いて。でも、よくわからないけど、インテリの世界も大変なんだね。上司も部下もない俺の方が気楽かも」
「羨ましいわ、ほんと」
一陽がため息をつき、それから伝を見た。
「まあ、隣の芝生は青く見えるのよね。野宮君たちだって大変なんだよね。忙しそうだし」
「うーん、オリンピックが二年後だからかもしれないけど、数年前よりは忙しいかな。仕事があるのは何にせよありがたいけどね。ただ、規制緩和や新興勢力、それに技術の発展で、輸送業も変わりつつあるからね。日本では白タク問題もあって流行らなかったけど、外国で始まったウェーバーだかヴェーバーだかって言うサービスがあるじゃない。パソコンやスマホで白タクまで拾えるとか言う」
「ええ。ベルリンじゃ禁止になってたけど」
「あっちは旅客輸送だけど、それの物流版を、ジーエヌって会社が、半年くらい前にGNロジスティクスって子会社を立ち上げて始めて、急成長してるよ」
「GN《ジーン》」
「え?」
「グローバルネットワークのGNで、本当は『ジーン』って読ませたいらしいわ」
「そうなの?詳しいね」
「うん、少しね」
「あ、考えてみれば、HELIXを作った会社だし、有名だよね。で、その、ジーンを作った、道成寺何某とか言う人が、本体の代表を外れて子会社の代表になったって、我々の中でもちょっとした噂になってる。業界紙なんかじゃ、『ITの申し子、物流業界に殴り込み』みたいなあおりもついてたし、本人もインタビューかなんかで、『東京オリンピックまでに日本の物流を一元管理し、コストを抑えて効率化を図り、全体の八割を自動運転に切り替える』なんて言ってた。そう言えば、赤帽が今採用してる配車システムだって、元をたどればそのGNってところが作ったって話だし。実際、公道でレベル4以上の自動運転のテストも始めてる。多分、さっき言ったような業態の特徴や業界の古い体質に目を付けて、旅客業に比べて準備期間が十分ある、って思ったんだろう」
「彼らしいわ」
「そのGNロジが軽運送業の定期便にも参入しようとしているらしい。例えばハウルズだって、部数が増えたり配達エリアが広がったりしたら、多分今のままの、全部数をネストの部室に卸すってやり方じゃ間に合わない。GNロジはそういう部分にも手を出そうとしてるって話もあったけど。もちろん、法律の整備が追い付かないし、そもそも時期尚早という批判も出てる。ただ、荷物は人と違って、壊れてもいくらでも補償できる、って考えれば、旅客業より入りやすいのかも」
それから伝が立ち止まり、萌たちを肩越しに振り返った。
「まあ、俺にはそんなこと言う資格はないけどね」
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