第三章 『狼の巣』(Roger Moorhouse)

1. 〝かなめも〟

「あの女、お兄ちゃん取りやがって」

 ふてくされる萌をなだめながら、深夜たちは校舎から少し離れたところにある、まだ新しい小さな建物に着いた。電子錠に手をかざすと、鍵が開く音が聴こえる。

「厳重なんですね。やっぱ新聞部だからですか?」

 微笑が嬉しそうに聞くが、深夜は愛想笑いを浮かべて言葉を濁し、扉に手をかけた。靴のまま廊下を進み、二つ目の電子錠を開けると、眼鏡をかけた少年がパソコンの画面を見ながら電話の対応をしていた。その隣で、やはり眼鏡をかけた少女がキーボードに指を走らせている。電話を切った少年が深夜たちを見やった。

「遅くなりましてすみません」

「いや、聞いてるよ。お疲れ様」と少年が笑顔を浮かべ、微笑を見た。

「君が噂の転入生だね?」

「はい、水無瀬微笑です。よろしくお願いします」

八島やしまです。よろしく、微笑さん。今のネストには二年生がいないから、三年になったのにいまだ部長という最下層さ。あはは」

「なーにが最下層よ。孤児として育ったのに、実は八島工業会長の曾孫とか、チートにもほどがあるっての」

「萌ちゃん!」

「八島工業って何ですか?」

「この辺りで一番大きいグループ企業の元締め。そこの孫が駆け落ちしてできたのが八島クン」

「萌ちゃん、やめて!八島さん、すみません」

「あ、うん。事実だからね。突然弁護士がやって来た時はびっくりしたし、萌さんがそう言いたくなる気持ちもわかるよ」

「で、でもね、八島さんはいつも率先して大変なことを頑張る、立派な部長さんなんだよ」

「深夜さんは上手だな」

「八島、自己紹介は簡潔に。野宮さんも新人を混乱させるようなこと言わないで」

 奥の少女が八島を遮り、微笑に笑いかける。

「同じく三年、副部長の呉服くれはです。よろしくね」

「はい、よろしくお願いします。頑張ります」

「それから、ここにいるメンバー以外に、もう一人、今営業に出ている景清かげきよという三年生がいる。また戻ったら紹介するよ」

「あ、はい」

「で、微笑さんの席はそこだ」

 八島が手前の事務机を指さす。微笑はすぐに満面の笑みを浮かべ、その席に駆け寄る。

「パソコンと電話がある!わー、何だか漫画やドラマの中の登場人物みたいです。あ、でも、編集と営業ってことは、ここで編集会議や企画会議したりするんですか?」

「そんなものはそのまま漫画やドラマに任せろ」とパソコンを起動しながら砧が言った。

「素人が会議なんてしたところで金にならない。そんな暇があれば、まずは新聞を一部でも売るか、広告を取ってこい」

「夢見がちな微笑もアレだけど、あんたが言うともっとムカつく。他に言い方ないの?」

「事実だろうが」

「砧、よせ。大丈夫、微笑さん。編集会議はあるよ。と言っても、会議室があるわけじゃないから、僕と呉服が進行役で、みんなにはそれぞれの席に座ってもらって、どの事件を扱うとかどんな取材をする、とか。地方独自の枠は小さいから、簡単なものだけど」

「やっぱあるじゃないですか?」

「まあ、ともかく、編集作業や広告営業は後にして、まずは配達エリアを覚えることだけど、僕と呉服である程度考えてある。微笑さん、自転車は乗れるよね?」

「あ、はい、乗れます」

「じゃあ、当面こんな感じでどうかな?呉服」

 八島が合図すると、呉服がノートパソコンのトラックパッドに指を這わせ、そしてそれを百八十度回転させて画面を皆に見せた。周辺地域の地図が表示されている。

「新年度で部数が少し増えたのもあるし、砧も四輪の免許を取ったからちょっと変えてみた。まず、軽井沢のほぼ全域と、御代田の茂沢が景清、僕がサンラインから北の軽井沢、十八号から北の御代田、小諸、呉服が小諸の中心部。深夜さんが十八号から南の御代田と小田井宿、岩村田は比較的近い萌さん。既に届いてる配達用のEVなら広範囲をまわれるから、中込以南、臼田、浅科は砧。微笑さんは深夜さんと一緒に住むということだし、当面、御代田の中心部でどうだろう?住んでる地域の地理も早く覚えるだろうし、配達の後学校にも行きやすい。しばらくは深夜さんに一緒に回ってもらって、その後、単独で少しずつエリアを広げて行く方向で」

「労基署など、現在十三歳の水無瀬さんの法的な手続きは既に完了しています」

「さっすが呉服サン」

 萌が口笛を吹いた。呉服は萌を一瞥し、続けた。

「慣れれば一時間半くらいで回れるコースです。問題なければ、後でルート表を渡します」

「よくわからないけど、わかりました」

「微笑さんはスマホ?」

「あ、はい」

「じゃあ、深夜さん。当面微笑さんの位置情報が深夜さんのスマホで確認できるようにしておいて。迷っても対応できるように」

「あ、わかりました。エミちゃん、いい?」

「はい、もちろんです!」

 微笑が大きく頷いた。

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