2. 〝カッコーの巣の上で〟

「微笑も、ネスト?」

「ええ」

「て、転校していきなりなんて、編集はともかく、まだ中二なのに、営業や配達までですか?」

「そんなこと言っても、教育委員会の推薦状もあるし」

「ことなかれ主義で日和見の公務員が!」

「何か言った?」

「言ってませーん」

「ほんと口の減らない。はぁ、そんなこと言っても仕方ないでしょ?私なんて、前身の学園長の娘っていうだけのお飾りだし、教育委員会なんてみんな父と同じような世代の人ばかり。しかも予算まで握られてるから、逆らうなんてもってのほか。大体、いくら民間出身を採用するようになったとはいえ、本来なら教育者として十分な経歴がなければ校長なんてなれないはずなのに、なぜ私がここにいるのか、私自身が教えてほしいくらいよ」

「で、ハゲタカはその教育委員会の回し者だと」

「言ってない!私は言ってないからね!」

「あのー。すみません、『ネスト』って何ですか?」

「ネストは"Newspaper(新聞) Edit(編集),Sales(営業) and Delivery(配達) Terminal(ターミナル) "の略称」

「新聞?」

「ええ」

「ほんとは『ネスドト』だけど、かっこつけてんだよ」

「ドイツ語系の言葉で普通にある発音だし、特に名前なんかは英語圏でもDTで『ト』みたいな発音するわ。アーントだとかアレントだとか」

「けっ。ドイツだかあいつだかに行ってたからって知ったかぶりやがって」

「萌ちゃん!」

「別に私は」

 一陽の言葉を電子音が遮る。スーツの内側から携帯電話を取り出し、画面を見た。

「勤務中くらい電源切っておけばー?」

傀儡くぐつほど忙しいんです!わ、私だって、切っておいていいなら切っておきたいわよ」

「ま、その気持ちだけはあたしもわかるけどね」

 萌がスカートのポケットに手をやる。深夜が「お忙しそうなので、エミちゃ、水無瀬さんをネストに連れて行きながら説明します」と微笑を促す。

「うん、お願いね」

 一陽が鞄の中を確認しながら答えた。三人が校長室を退出する。

「萌ちゃん、校長先生に失礼な態度取りすぎだよ。いくら親しみやすい校長先生だって、あんな態度ばっかじゃ気分悪くされるよ」

「校長が気分悪くてもどうでもいいし」

 階段を下りながら萌が言う。微笑が廊下を振り返る。

「それにしても、珍しいですよね。校長室が最上階なんて。タワーマンションの最上階気分ですかね?と言っても四階だけど」

「逆だよ。初代の校長先生が、『生徒たちをなるべく見渡せるように、何か起きたら避難するのは最後になるように』って最上階の一番端っこにしたんだって」

「深夜、そんなことよりネストの説明」

「あ、うん。エミちゃんは、『言葉なき生徒たちの報道者』、読んだことあるよね?」

「正式名称なんて知らないだろ?ハウルズのこと。遠吠えだよ遠吠え」

「"The Herald of Wordless Students"、で、"the HoWlS"、つまり『遠吠え』」

「あ、はい。あの、真昼まひる先輩が書いた、『酸素欠乏症』に関する記事を。あの記事の中の『小学生』って、二年前の微笑ですから。いじめられっ子にランドセル洞窟に投げ込まれて、拾おうとしたら意識がなくなって」

「あー、労働災害の典型的な奴か」

「もちろん微笑もその時は意味が分からなかったけど、真昼先輩が書いた記事を読んで、微笑なりに理解したつもりです。酸素濃度の低い空気を吸うと、一瞬で意識を失うこともあるとか、死んじゃう場合だってあるって」

「確かに、真昼なら助けられるね」と萌が笑う。しばらくの無言の後、深夜が続ける。

「あの新聞は一種の奨学生制度。ネストはその末端の拠点。所属部員は、記事を書き、個人や企業に広告の営業をかけ、定期購読者さん、個人宅や企業さん、公共機関への配送も行うことでお給料を頂いてる。萌ちゃんも私も。もちろん真昼もそうだった」

「ま、実際には国やら何やらから補助金が出てるし、それがなければ成り立たないんだけどね」

「うん。基本的には奨学生制度だから、生活できるレベルは保障されている。私たちみたいな場合は学校借り上げのアパートに住めて、家賃補助も出る。でも、所属のための基準は当然厳しいし、続けるのはもっと大変。ほとんどの場合、私たちのような身寄りのない生徒。萌ちゃんみたいに保護者がいる例は稀」

「保護者っていうか、彼氏?」

「伝さんにとってはいつまでも『モエモエ』だけど」

「ちょっ、深夜!」

「校長先生への態度はちゃんと伝さんに報告するからね」

「あ、お願いやめて。すみません、反省してます」

 笑う深夜に、萌が真顔で両手を合わせる。微笑が続けて訊く。

「そういえば、校長先生って、萌先輩のお兄さんのこと知ってるみたいでしたね?」

「うん。校長先生と伝さんは、この学校の同窓生。私たちが生まれる前、この学校のある場所には町立の御代田第一中学があったんだけど、経営難だった佐久市の私立、雨月学園高等学校と合併して、県立の中高一貫校ができたんだって」

「だから『雨月学園御代田中等教育学校』なんて長ったらしい名前なんだよ。雨月なんて名前、さっさと外せばいいのに」

「当時一中いっちゅうの三年生だった伝さんと、別の私立中学に通ってた校長先生は、うちの学校の初代の高等部一年生。『一期生』って言っていいのか微妙だけど。あ、エミちゃん、来客用スリッパだね?鞄の中に靴入ってる?」

「いいえ。玄関に脱いで来ちゃいました」

「そう。今の新しいネストに行くには一回外に行かないといけないから、玄関に回ろ?」

 深夜の言葉に微笑が頷く。三人は階段を降り切り正面玄関に向かう。微笑が訊いた。

「あ、でも、校長先生も雨月先生ですよね?」

「そう。校長先生は前身の学園長の一人娘だって。さっき話した、四階に校長室を作ったのがその人。少子化もあって経営はうまくいかなかったみたいだけど、いい人だったらしいよ」

「今の校長とは違ってね」

「と、とにかく、県立の中高一貫校になったと同時にネストもできた。校長先生は、その最初の部長。萌ちゃんのお兄さんも部員だったから、ある意味同級生以上のつながりがあるかも」

「ちょっとやめてよ深夜!あんな出戻りババア」

「だから萌ちゃん!もう絶対伝さんに叱ってもらうからね」

「ここは譲れないし。離婚歴あるって話だし。ぜってー外国で遊びまくってる、あの女」

「遊んでたんじゃなくて留学されてたんだよ?そういう偏見は良くないよ」

「あんな女、あたしは絶対許さな、って、お兄ちゃん!」

 苛立ちを隠さずに靴を履きかけた萌が、突然叫びながら走り出した。

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