54.八つの魂⑤
朝食後、私は日課である愛馬ユーゴの様子を見てから、すぐに美術品が保管されているという部屋へと向かった。
案内してくれたのはパメラではなく、少年と言っていいぐらいの年若い使用人。カミーユと名乗った彼が保管室の扉の鍵を開けるのを、漂う半透明を見上げながら待つ。
しかしふとカミーユを、たくさんの鍵がついた鍵束から正解を見つけるのに手間取る金髪を見て、先日のドミニクちゃんの一件を思い出した。
「そういえば、カミーユも男女のどちらにも使える名前だね」
「え?ああ、はい。ミシェル様も同じですね」
「
「たぶんご領主ですね。あれ?この鍵も違うな」
カミーユは鍵穴に鍵を突っ込んでは抜き、突っ込んでは抜き、見つからない正解に首を傾げながら言う。
「僕が生まれるちょっと前から、家が不幸続きだったらしくて。ご領主の力をもらって、その不幸が僕にやってこないようにしたって聞いたことがあります」
「へえ、わざわざ聞いたんだ」
「実は昔、女の名前だって近所のヤツにからかわれて、なんでこんな名前つけたんだって親に文句を言ったことがあるんです……」
ハハハと乾いた笑いを上げながらも、その手は正解の鍵を探し続けている。
ぱっと見ただけでも二十本は付いている鍵束だ。しかもデザインはすべて同じだから、時間がかってしまうのは自然なことだろう。気長に待とうじゃあないか。
「知らなかったとは言え、領主に付けてもらった名前に文句ってすごいことしたね」
「はい。父親からげんこつ食らいました」
「うわぁ……」
「しかも、金髪のお前が拐われないようにってご領主が付けてくれたありがたい名前なんだぞーって怒鳴られました」
「拐われない?」
誘拐経験者として、そのワードは聞き逃せなかった。
するとカミーユは一度手を止めて、記憶を掘り起こすように宙を見上げながら「僕のよく知らないんですけど」と前置きし、
「精霊は金髪が好きらしくて、金髪の赤ん坊は精霊に連れていかれやすいんですって。えっと、なんて言ったかな……?」
「……もしかして、取り替え子?」
「あっ、それです。それをさせないために、魔除けとして女にも使える名前をご領主が付けてくれたらしいです」
まぁそんなの、本当に精霊がいればの話ですけどね、と。カミーユは笑い話を語る明るい声で言い、正解の鍵を探す作業に戻った。
そんな彼は気づいてすらいない。
精霊がいない事を前提としたその物言いに、それまで近くをふよふよ漂っていた半透明達が猛スピードで辺りを飛び回り始めたことに。そして私の肩にいる毛玉が、ボワッと全身の毛を逆立てて「ギュウウン」とエンジン音のような抗議の声をあげていることに。
見えないし聞こえないって幸せだな……。
というか、金髪に、男女共通の名前に、取り替え子ね。この辺りを重点的に探っていけば、私のこともわかりそうだな。
「ところで、まだ開かないの?」
「も、申し訳ありません。ぜんぶ試してみたんですけど、違う束だったみたいで……」
「え?!」
そろりと振り向いたカミーユは、なんとも情けない顔をしている。
「でもその鍵束、さっきパメラから渡されてなかった?」
「そうですけど、でも……」
「意外と試してる間に開けてるんじゃあないの?」
そう言いながら私がノブを手をかければ、
「……開いてる」
ノブは下がり、軽く押してみると扉は開いた。
それと同時に、鍵穴からずるんと半透明が出てくる。まるで筒から押し出されたところてんだ。
カミーユは「あ、開いてますね」と謝るけれど、たぶん、鍵穴に詰まっていた半透明が自分達を否定したカミーユに嫌がらせをしたんだろう。
「ええっと、途中で私が話しかけちゃったから、開く音が聞こえなかったんだよ。邪魔してごめんなさい」
詳しい年齢は分からないけれど、おそらく十五歳ぐらい。パメラのような高齢のベテランがいる事を考えれば、そんなカミーユはひよっこだ。
きっと気位の高いお嬢様なら、こういう場合は「なんて使えないのかしら!クビよ!」と言うんだろう。しかし私はミスは誰だってすると思うし、そもそも私はエバーグリーン家の人間ではないのでクビにする権限は持っていない。例えお祖父様の孫でも、お嬢様ではなくミシェル様と呼ばれているのがその証拠だ。
とりあえずしょぼくれるカミーユを励まして、保管室に足を踏み入れた。
「暗いし、少しほこりっぽいね。窓とカーテン開けてくれる?」
「はい」
窓にかけられた厚手のカーテンは、絵画が傷まないように日光を遮っているのだろう。しかし薄暗い中では動きにくいし、冬にほんの数十分だけなら開けても問題ないはずだ。
私の指示に従って、カミーユは窓の方へと進む────が、次の瞬間、ドダンッと派手な音を立てて転んだ。
「カミーユ?!」
今のは痛い。顔から倒れたのだから痛いに決まってる。
しかも足元には何も置かれていないのに転んだのだから、肉体的にも精神的にも痛い。
「だ、大丈夫?」
「あいたたた、大丈夫です。慣れてるんで」
カミーユは起き上がり、打ち付けた額をさする。
慣れてるって……。もしかしてこの使用人、相当なドジっ子なんだろうか。
私もけっこうどんくさいと自覚しているけど、さすがに何もないところで転んだことは一度もない。記憶にある限りの話だが。
立ち上がり服のホコリを払うドジっ子に、思わず哀れみの視線を送る。すると肩の毛玉が「プププッ」と嘲笑ったではないか。
まさかと思い、周囲に意識を向ける。すると案の定、さっきまで狂ったように激しく飛び回っていた半透明達も、空中を弾むような動きで浮いていた。ざまあみろと声なき声が聞こえた気がした。
「えげつない……」
どうやったかは分からない。でも間違いなく、鍵同様、自分達をいないモノ扱いされた仕返しで転ばせたのだろう。
何も分かっていないカミーユは、改めて窓とカーテンを開ける。その間も毛玉は笑い、半透明は弾み続けているのだから、やっぱり見えない聞こえないって幸せなことだ。
そういえば、私も前にお祖父様からもらったバレッタを壊されたっけ。その後にチョーカーになって返ってきたからいいけど、見えるようになった今ではあれも精霊の仕業と納得できた。
「カミーユ。転ぶのに慣れてるって言ったけど、もしどうにかしたいのなら、鉄製の何かを身につけておくといいよ」
「え、鉄ですか?」
バレッタ粉砕事件を主治医であるファッグ先生に話した時、精霊は鉄が嫌いだと教えてもらった。
古書店で買った取り替え子の本にも似たような記述があったし、毛玉に鉄製の火かき棒を見せると嫌そうな目で見てきたことがある。
「おまじないみたいなものだから効く保証はないけど、よかったら試してみて。転んでケガでもしたら大変だし」
「おまじないですか。分かりました、覚えておきます」
戸惑いながらもカミーユは頷いた。
「それじゃあ改めて。お祖母様の肖像画ってどこ?」
明るくなった保管室を見回せば、なにやら値の張りそうな陶磁器や置物が整列した棚が真っ先に目に入る。
朝食の最中にパメラに聞いた話では、お祖父様はこういった美術品にあまり興味はないが、お祖父様以前の当主……つまりはひいお祖父様がずいぶんな蒐集家だったらしい。そのためこの保管室にお祖父様が収めた品は、お気に入りの画家に妻や子ども、屋敷の日常風景を描かせた絵画ぐらいだそうだ。
「ご家族の絵は三番の棚にしまわれているそうなので、僕が持ってきます。奥様の絵ですよね?」
「うん。できればお若い頃の絵を持ってきて」
「かしこまりました」
部屋の奥の方へと消えるカミーユを見送って、もう一度室内を見回して一息ついた。
仕返しが成功したからか、はたまた彼がいなくなったからか。毛玉と半透明達はすっかり大人しくなり自由に過ごしている。
さらに窓の隙間からひんやりとした冬の空気に乗って、半透明がいくつか入り込み、私を観察するように飛び回ったと思ったらすぐに外へ出て行く。
この光景を共有できる人は、果たしているんだろうか。いるのなら会って話がしたい。
私は、自分だけが異質ではないという安心がほしかった。
「お待たせしました!」
ぼんやりと半透明達を目で追っていれば、カミーユが戻ってきた。
その腕には大きいがあまり厚みの箱が二つ。重ねて運んできたそれらをテーブルに置き、カミーユはまず上にあった箱に手をかけた。
「こっちは一番古い絵です。ええっとぉ……五十年ぐらい前なんで、たぶん旦那様とご結婚されてすぐだと思います」
よく見るためにイスの上に立つ。
箱の隅に目を向けると、今から五十六年前を表す数字とマリエッタという亡き祖母の名前。さらに画家と思われる見ず知らずの名前が書かれていた。
箱を開けなくても中身が分かるようにしてあるようだ。
カミーユが箱を縛る紐を解き、蓋を開ける。
空色の瞳と、目が合った。
「ああ、これは……」
キャンパスに描かれているのは、十代後半から二十代前半の美しい女性だった。
結われていない髪はゆるく波打つ金糸。猫のように少しつり気味な空色の瞳。絵であるはずが、みずみずしく思える白磁の肌。
先にサロンの絵を見てなかったら、お母様と見間違えていたかもしれない。
「すっごくきれいな方ですね。旦那様が自慢なさるわけです」
「……そうだね」
「僕、このお屋敷で雇ってもらったのは二年前からなんで、奥様はサロンの絵でしか知らないんです」
サロンの絵もきれいだけど若い頃はもっときれいだな、と素直に感想を述べるカミーユ。それを聞き流しながら、私は自分の髪と絵を見比べた。
「ねぇカミーユ。この絵のお祖母様と私に、同じ部分ってあると思う?」
客観的な意見が欲しかった。
するとカミーユは絵と私を何度も見比べて、「そうですねぇ」と口を開いた。
「髪の感じは同じですね。色も同じだったら、後ろ姿はそっくりだったと思います」
「色……。私、生まれた時は金髪だったらしいの」
「そうなんですか?へえ、じゃあやっぱりミシェル様は奥様に似たんですね」
私が何を確認するためにお祖母様の絵を見たいと言ったか知らない少年は、納得するように言った。
じっと見上げて「そうかな?」と問えば、「モコモコした感じ、そっくりですよ」と屈託なく返される。表情や声色からは慰めも誤魔化しも感じない。
……そっか。そうなのか。何も知らない人の目から見て、私の髪はお祖母様にそっくり。母親の母親に似ているのか。
「それなら……よかった」
自然と詰めていた息を、こっそりと吐き出した。
「もう一つの箱の方は?いつの絵なの?」
目的は達成できて満足しているけど、せっかく持ってきてくれたのだから見てみたい。
私が下敷きになっているもう一つの箱を指差せば、カミーユは上の箱を退かしてくれた。
「十二年前の物です。これより後に奥様のお名前が書いてある箱がなかったので……」
生前最後の絵ということか。
カミーユははっきりと言い切らないが、こればかりは仕方がないこと。それにお祖母様は私が生まれる少し前に亡くなっているのだから、十二年前となれば、そう察するのは簡単だろう。
若い頃の絵をしまうのをカミーユに任せ、私は自分の手で箱を開ける。家族で私だけが知らないお祖母様の最期の姿を見て、胸に刻んでおきたかったのだ。
────が、その絵は、私に違うものを与えた。
「あれ?この絵、ミシェル様じゃないですか?」
一枚目を片付け終えたカミーユが、横から絵を見て言う。
その絵は、とても穏やかな家族の肖像だ。
窓から陽の光がさす屋敷の一室。一人掛けの椅子にはお祖父様がどっかりと座り、長椅子にはもうずいぶんと会えていない叔父夫婦が寄り添い合って座っている。
そしてそんな三人が愛おしむように見つめる絵の中央には、お祖母様がラグに座って……、
「この奥様と遊んでる女の子、金髪のくせ毛ですよ」
真っ白いワンピースを着た、癖のある金髪の幼児と戯れていた。
違う。カミーユの言葉を否定しかけて、ぐっと飲み込んだ。
勤め始めて二年そこそこという若い使用人である彼に、この事実を背負わせるのは危険。余計なことを知ったとして罰せられるか、最悪の場合は解雇されてしまいかねない。
「……そうだね。お祖母様と同じ髪の子だ」
自分だと肯定はしない。なぜなら描かれた幼児は、自分ではないからだ。
たしかに幼児は癖のある金髪で、女物の服だ。私が小さい頃は金髪だったという情報だけでは、私だと勘違いしてもおかしくはないだろう。
だが共に描かれているお祖母様は、私が生まれる前に亡くなっているのだ。
金髪の幼児はおそらく一歳ほど。おまけに長椅子に座る叔母様をよく見れば、締め付けのないゆったりとした服装で、膨らみのあるお腹に手を添えている姿で描かれている。
この絵が描かれた時、叔母様は妊娠していたのだ。
エバーグリーン家。お祖母様に似た見知らぬ幼児。妊娠した叔母様。十二年前。
そこに私がすでに持っている情報を加えれば、答えはただ一つ。
この絵の子どもは、エバーグリーン家の第一子。
十三年前に生まれているが、私が一度もあっていない……偶然に家系図を見つけるまで存在すら知らなかった、もう一人の従兄。
ジャン=クロード・エバーグリーンだ。
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