53.八つの魂④



「ミシェル!」



 肩を強く掴まれ、どろりとしたものに覆われた意識を引き上げられた。



「顔が青いぞ。大丈夫か?」



 そういうおじいさんの顔はひどく強張っていた。

 いつも不機嫌そうなしかめっ面で、そのせいでただでさえシワの多い顔なのに眉間のシワがくっきり。奥さんに「そんな顔だからお客さんが少ないんですよ」と小突かれているぐらいだ。

 にもかかわらず、おじいさんの茶色の瞳には、ただただ私に対する気遣いが込められていた。

 やっぱりこの人は、本当はとても優しい人だ。



「だい、じょうぶです。ごめんなさい、朝からちょっとだけ調子が悪くて……」


「謝るぐらいなら最初から来るな。大人しく寝てろ」



 正論すぎてぐうの音も出ない。

 薬も飲んだし大丈夫だと思っていたけれど、良くなるどころか少しずつ悪化している。長居をすればお店にも、外で待っているルアンとバッカスにも迷惑をかけてしまう。



「そうですね、今日はもう帰ります。探しておいてもらった大戦時代についての本と、あとこの取り替え子の本、いただいてもいいですか?」


「それは構わんが、読まずに寝るんだぞ」


「はい」



 お祖父様から持たされていたお金の中から代金を払っていれば、ちょうど奥からおばあさんが戻ってきた。



「ミシェルちゃん。昨日マーマレードを作ったの、良かったら味を見てくれる?」


「そんなモンを食わすな。こいつはもう帰らせるんだ」


「まぁっ!自分の妻が作ったものを、そんなモン呼ばわりとはなんですか。あなたが普段食べているのは誰が作ったものだと?」


「病人に食わすなという意味だ」


「病人?」



 おばあさんは首を傾げたが、私の顔を見た途端「あらあら大変」と呟き、素早く身を翻し奥へと戻っていってしまった。すぐに戻ってきたと思えば、その手には鮮やかなオレンジ色の物体が詰まった瓶が握りしめられている。



「オレンジは風邪に効きますからね。なおのことこれを食べるといいわ」



 おばあさんは私の手を取り、中身はおそらくマーマレードなのであろう瓶を握らせた。



「昨日は大変だったから、その疲れが出たのね。ゆっくり休んで、きちんと食べて、元気になったらまた遊びにいらっしゃい」



 ミシェルには祖母はいない。でもその笑みに懐かしさを感じるのは、きっと私の前世の祖母と重なって見えたからだろう。

 帰り際に物を持たせてくるところなんて、そっくりだ。

 のどをつっかえて出ない言葉の代わりに、頷いて、瓶を落としてしまわぬよう胸に抱え込む。おじいさんからも本を受け取って、私は言葉少なく屋敷へと戻った。

 お祖父様の私邸は、公爵家の屋敷ほど使用人は多くない。それも仕事の多い午前中ともなれば、部屋に戻るまでにすれ違うことも少なくて、普段と違う私の様子にルアンとバッカスは何かを察したのか必要以上に話しかけてくることもなく。今は、かえってその静けさがちょうど良かった。



「それでは、こちらは厨房でお預かりしますね。ゆっくりお休みください」


「うん」



 楽な部屋着に着替え終え、マーマレードを預けた侍女が部屋を去る。扉が閉まると同時に、私はベッドの縁に座り込んだ。

 窓辺で黙り込んでいる小さな友人を呼んでみるが、返事がない。



「毛玉、さっきはごめんね」



 ピクリと揺れるけれど、やっぱり返事はないし近づいてもこない。



「きみは……きみ達は、確かにここにいるよね」



 遠乗りへ行った時、私が欲しいと答えたからのクローバーをくれた。

 誘拐された時、毛玉がいてくれたから監禁場所からスムーズに出ることができた。

 乗馬稽古の時、あのままユーゴの背から降りていれば私は間違いなくケガをしていた。

 あのモヤだって、得体が知れないから不気味だけれど、危害を加えられたことは一度だってない。私が家のことを考えた時には帰ろうと誘っただけ。昨日だって私が探していたドミニクちゃんの元へと案内してくれた。


 彼らはいつだって私の傍にいて、私の願いを叶えてくれる。助けてくれる。



「他の誰にも姿が見えなくても、声が聞こえなくても、私はそうじゃあない。それなのに、私がきみ達の存在を否定するのは間違ってるよね」



 差し伸べた手に、ふわりと毛玉が乗った。

 重さも温度も、毎日ブラッシングをしているなめらかな毛並みも手のひらに感じる。



「仲直りをしてくれるの?」


「ピィ」


「ありがとう」



 彼らを見聞きできるのが普通ではないとしても。私が彼らを否定するのは、いないものとするのは、間違っている。

 彼らは、この世界に生きている。

 私も──ミシェル・マリー・パールグレイも、間違いなくこの世界に生きている。

 例え、『普通』という大多数の者とは違う存在だとしても。


 だいたい前世の記憶なんてものがある時点で、もうすでに普通ではないんだ。今さら普通じゃない要素が一つ増えたくらい、どうってことはない。














「────とは言ったけどね。うん、私にしか見えなくても精霊はいるって言ったよ。でもね〜、これはちょっとどうかと思うんだよな〜」



 古書店で取り替え子について聞いた日から三日が過ぎた早朝。事前に薬を飲んでおいたからか頭痛はすっかり治ったけれど、私は起き抜けで働かない頭を抱えて唸っていた。

 固く閉じていた目をそっと開いて、室内の様子を窺う。

 ……いる。具体的に何がと問われると答えに困るけれど、いるのだ。何かが。



「うわぁ、飛蚊症みたい……」



 ベッドの上でぼやき、室内を漂う丸い半透明のものを見上げ、床を這う細長い半透明のものを見下ろす。

 先日から私の視界には、半透明の何かが映り込むようになっていた。急展開すぎて治った頭痛が再発しそうだ。


 とはいえ突然こうなったのではない。


 毛玉と仲直りした後、頭痛に耐えかねて一眠りしていた私は気配を感じて目を覚ました。

 しかし部屋を見回しても、傍で毛玉がプウプウ寝息をたてているだけ。寝起きの頭で気のせいかと片付け、時計を見れば時刻は正午を少し過ぎたところだったので使用人を呼んで軽めの昼食をとった。


 それから数時間が過ぎた夕方のことである。古書店で買った本を暖炉のそばで読んでいると、視界の端で動くものが見えた気がした。

 しかし顔を上げても、暖炉の中で揺れる火が見えるだけ。火に虫でも突っ込んだのかと片付け、夕食の用意ができたと呼びに来た使用人と共に部屋を出た。


 それから一晩あけた朝。私の体調を確認する侍女の肩のあたりの空間が、まるで磨りガラスのようにぼんやりと滲んで見えた。寝起きで目がぼやけているのかと思って目をこすれば…………、半透明のそいつがふわりと宙に浮いたのである。

 侍女から離れたかと思ったら、トンボのようなシャープな動きで私の頭上を一周。その一方で侍女はそいつが見えていないらしく、唖然と宙を見上げる私に首をかしげるだけだった。



「た、たい、体調は大丈夫……じゃ、ないかも、休んだ方がいい、これは絶対に、まずいやつ」



 どうにかこうにか私が答える頃には、半透明の飛行物体は空気の入れ替えのために開けた窓の隙間から外へと出ていった。

 それから丸一日かけて、見える半透明の何かの数やタイミングが徐々に増えていき、翌日早朝……つまり今現在は空中に三つ、暖炉の前に一つ、床の隅に二つ。カーテンを開ければ五つほどがこちらの様子を窺うように浮いているのが見える。

 大きさや動きは様々。はっきりとした姿形は分からないし、手を伸ばしても指は空気を引っ掻くだけに終わる。私に何かしてくるわけでもない。

 だけど確かに、そこにいる。



「あの黒いモヤも、最初はこんな感じに見えてたっけ」



 もともと、毛玉や黒いモヤは見えていたのに他のファンタジー的な存在が見えないのはなぜだろう。でも本には『精霊は気難しい性格でめったに人前に姿は現さない』とあったしな……。

 そう思って深く考えてこなかったけれど、こうなってしまった以上は真剣に考えるべきかもしれない。


 ────いや、考えよう。自分自身について。


 なぜモブキャラであるはずのミシェル・マリー・パールグレイが、病弱で引きこもりで記憶喪失で他人には見えない存在が見られるという特盛設定なのかを。


 公爵邸にいた時は欠けている記憶についてのみだったけれど、記憶がないから自分が分からないのだ。

 今は状況も違えば生活している場所も違う。公爵邸では見つけられなかった手がかりが、見つけられるかもしれない。



「よしっ!毛玉、また手伝って……あれ?」



 部屋のあちらこちらを探し回っても、半透明はいても真っ白な相棒の姿はどこにもいなかった。

 そういえば、王都の屋敷で初めて出会った時もこんな感じだった覚えがある。

 朝起きたらどこにもいなくて、屋敷の探索を終えて部屋に戻ると毛玉が待ち構えていたのだ。



「すれ違いになるといけないし、待ってた方がいいよね?」



 空中を漂っている半透明に同意を求めても返事はない。同じ場所にいるのに応えてもらえないのは、やっぱり寂しいものだ。

 私はひとまず使用人に起床を報せ、朝の身支度を整えながら毛玉の帰りを待つことにした。しかし目覚めのお茶や着替えどころか、侍女がリネンの交換を終えても、毛玉は帰ってこなかった。



「朝食のご用意が整いましたよ。参りましょう」



 私の体調が良くなったことで、心配事がなくなった穏やかな笑みを向けるパメラ。

 ここで食堂室に行かないと言えば、また体調が悪いのかと心配されてしまう。毛玉のことが気にかかるけれど、ここは普段通りにした方が良さそうだ。もしかしたら食堂室に向かう間に出会えるかもしれない。

 後ろ髪を引かれながらも部屋を出てしばらく廊下を歩けば、その予想は当たっていた。



「プピッ」


「あっ」



 サロンの前を通りかかると、開いた扉の影から毛玉がひょっこり現れたのだ。

 慌ててサロンの中を覗くふりをして駆け寄り、ゴムボールのように床を跳ねる毛玉を回収する。少し汚れているが元気そうでなりより。



「なにしてたの?」



 慣れた様子で肩まで上がってきた小さな友人にひっそりと尋ねる。しかし自分についた綿ぼこりをブルブルと体を震わせて払うだけで、毛玉はうんともすんとも言わなかった。



「ミシェル様、どうかなさいましたか?」



 毛玉が見えていないパメラは、私とサロンを見比べる。

 と、その時。うまい言い訳を考える私の横を、半透明の飛行物体が通り抜けた。

 自室で見ていたものより大きい。けれど私の背よりは小さなそれは、侍女が掃除をしているサロンにすうっと入り込み、壁に飾られたお祖母様の肖像画の前で止まる。

 緩やかに波打つ金髪を見て、それだと思った。



「お祖母様の肖像画がちょっと気になって」



 額縁の中のお祖母様を指差せば、パメラは「奥様の?」と首をかしげる。



「私の髪、お祖母様と似てるんでしょう?でもあの絵のお祖母様は髪をまとめているから、それが分かりにくいなーって思って」



 どれくらい同じなのか気になったの、と自分のくせ毛をつまみながら言う。

 肖像画のお祖母様はまとめ髪。顔の両サイドにわずかに残している髪は、確かにくせ毛だけど、あの程度では似ているかどうか分からないのだ。



「他の肖像画はないの?」



 もしも髪を下ろしている絵があって、それが私と似ていれば、少なくとも私にエバーグリーン家の血が入っていることが分かる。

 今の髪色が銀であることを含めれば、私は両親の子どもということが分かる。

 すると「どこかにある?」と問う私を見て、パメラは柔らかく笑った。



「ございますよ。興味がおありでしたら、後ほど保管室へご案内いたしましょう」


「本当?!」


「ですが、先にお食事を」



 あ、これはあざと可愛いミシェルちゃん十歳を演じても、朝食の後じゃあないと見せもらえないな。こういう押しの強さは、姉であるばあやと同じだな。



「はぁい」



 確実に見せてもらえるのなら、それでいい。返事をしながら足を動かし、さっさと朝食をとるべく食堂室へと向かった。

 パールグレイ家では、私の幼い頃の肖像画があると言われても、のらりくらりとかわされた結局見せてもらえなかった。

 あの家は三年以上前のことを徹底的に隠されていた。私が自分の過去や生い立ちを知る事を良しとしていなかったのである。

 それはたぶんお祖父様も同じ。だからお祖父様が王都へ行っている今が、あれこれ調べるチャンスだ。



「毛玉、手伝ってくれるよね?」


「ピッ!」



 私の囁きに、毛玉は私にしか聞こえない声で元気よく返事をした。



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