52.八つの魂③



 あ、今日か明日に具合悪くなりそう。

 体調を崩すことに慣れているからか、朝、目を覚ました時にそう思うことがある。

 ここ数ヶ月ほど感じることはなかったけど、季節の変わり目、父親との軋轢、家出、謎のメタモルフォーゼを遂げたモヤとの遭遇、極め付けは幼女を探して入った森は時空が狂っていたというファイブコンボ。そりゃあ誰だって寝込みたくなるだろう。

 昔は季節の変わり目の時点で寝込んでたのになぁハハッと、朝っぱらから乾いた笑いと共に自分の成長を実感した。



「えーっと、じいやにもらった魔法薬はたしかここに………あったあった」



 備え付きのクローゼットから小さめの旅行カバンを引っ張り出し、その中から紙袋に包まれていた箱を開ける。

 もらった時と比べて、減っているのは酔い止めの水薬入りの小瓶が二本だけだ。

 同封されたカードを頼りに頭痛薬を選んで飲む。粉薬だけど、ベッドサイドテーブルに水差しとコップが置いてあるので問題はなかった。



「プゥン」


「あ、おはよう毛玉」


「プピピ?」


「魔法薬学の本、用意してもらえるよう頼んでたなぁーって思ってね」



 遅れて起きた毛玉を撫でながら、箱に詰まった魔法薬を眺める。

 薬包紙には頭痛、腹痛、熱冷まし、咳止め。蓋付の容器は傷薬。小瓶には酔い止めと、なぜか夏に使った髪用の薬まであった。どうせだったら胃薬も入れてほしかったけど、十歳児が使うのは想定できなかったのだろう。

 こんなことになってなかったら、今頃は用意してもらった本を温室で読んでたのかな……。



「……」



 ぱたんと箱の蓋を閉じ、カバンに戻してクローゼットも閉めた。

 それと同時に部屋の扉がノックされ、返事をすれば侍女達が優しく微笑んで「おはようございます」「お加減はいかがですか?」と口々に言いながら入室してくる。



「おはよう。体調なら大丈夫」



 このお祖父様の私邸で暮らすようになってから、毎朝の決まり文句。

 公爵家の使用人、特にニナやばあやは私の顔色からすぐに体調を見抜くけれど、さすがにこの屋敷の使用人には不可能だ。だからこうやって簡単に隠すことができてしまう。

 着替えを済ませて、アーティスティックな寝癖のついた髪を整えてもらうために鏡台の前に座る。……うん、大丈夫。相変わらず色白なので貧弱には見えるけど、病的な顔色ではないし、薬も飲んだからきっとバレやしない。



「お祖父様は何時に出発されるんだっけ?」


「八時でございます。朝食後すぐのことですので、ぜひミシェル様もお見送りを」


「もちろん!」



 今日、お祖父様は仕事のため王都へ行く。

 もともとお祖父様は国防の要として、領地運営は息子に任せて王都に生活の基盤を置いている。つまりあの人と……お父様と同じような生活スタイルだ。

 しかしここ一週間ほどは、私がこの地での生活に慣れるのを見届けるため休暇を取ってくれていたのである。

 それなのに体調不良なんて知られたら、あのお祖父様のことだ、王都へ行くのを延期しかねない。そうなれば多方面に迷惑をおかけする。主に騎士の方々への被害が大きいと思う。

 ご都合主義が常識である乙女ゲーム世界の薬よ。頼むから服用者に都合よくあっておくれ。



「ミシェル。あまり食が進んどらんようだが、調子が悪いのか?」


「……っ」



 朝食の席についてわずか三分。

 そうは問屋が卸さないとばかりのお祖父様に、パンをのどに詰まらせかけた。



「あ、えっと、その……」



 お祖父様だけでなく、パメラや家令、給仕の侍女達まで私の顔色に注目してくる。

 なんて言い訳しよう。なにかそれらしい誤魔化し方をしないと。これ以上の迷惑はかけられない。



「昨日の……迷子になってた子の名前、ドミニクだったんです。だから、ジャンお兄様はどうしてるかなぁって思って」


「そういえば、ミシェルはあれから一度もジャンと会えていなかったか」


「手紙の返事もないので、ちょっと気になって」



 言い訳だけど、本音だった。

 公爵家を離れることが決まった日。私は一ヶ月会えていない従兄に、その旨と見舞いの言葉を手紙に書きお祖父様に託した。

 それからさらに一週間以上が過ぎても返事は届かない。

 便りがないのはいい便り──なんて思うようにしていたけれど、昨日のドミニクちゃんの一件と重なって、音信不通に不安を覚える。



「風邪をこじらせて寝込んでいるんですよね?」


「ああ。だがもう良くなっているかもしれん。王都での用を済ませた帰りに様子を見てくるとしよう」



 だから安心しなさいとお祖父様は微笑んだ。

 私も行きたいと言うわけにはいかない。お祖父様は仕事で王都へ行くんだし、王都にはお父様もいるはずだ。

 会いたいとか会いたくないとかではなく、どういう顔で会えばいいのかわからないのだ。行くわけにはいかない。

 それにお兄様がいるのはエバーグリーンの本邸なのだから、行かないと約束した以上、私にできることは何もない。



「帰ってきたら、どんな様子だったか教えてください」


「土産も買ってこよう。留守の間、あまり使用人達を困られるのではないぞ」


「はぁーい」



 朝食の後、お祖父様は予定通り馬車に乗り王都へ行ってしまった。

 残った私はといえば、パールグレイの屋敷にいた頃と同じように愛馬の様子を見て、街へと向かうといういつものパターン。ただこれまでと少し違って、船着き場には行かない。

 顔見知りであるカルノー商会の船員達が、仕事のため今日の早朝に出航してしまったからだ。



「今日はどちらへ?」


「古本屋さんに行こうと思うの。昨日のお礼と、あとちょっと調べたいことがあって」



 街へと向かう坂を下りながら、同行してくれるルアンに答える。すると「お礼?」とバッカスは首を傾げたが、私が答える前にどういうことか察したらしい。



「昨日の迷子探し、あそこのじいさんも協力してくれましたもんね」


「うん。あの後はドミニクちゃんに約束通りクローバーをあげたり、あの子のご両親にお礼を言われたりでバタバタしてて、落ち着いてお礼を言えなかったから」



 昨日はあの後もなかなか騒ぎは収まらず、本当に大変だった。

 五歳児が森に消えたと思ったら、それを見つけた十歳児は領主の孫娘にして公爵令嬢。とんでもない人に迷惑をかけたと、ドミニクちゃんの両親の顔は青を通り越して土気色になり、ペコペコと頭を下げっぱなしだった。

 ダルモンさんや、その後に駆けつけてくれた商会長であるカルノーさんが間に入ってくれたのでどうにか収集がついたからよかったけど、あのままでは違った方向に話が膨らんでいたかもしれない。

 そんな大人達の中で、私の手を引き「クローバーは?」とおねだりするドミニクちゃんは可愛かった。無知と無邪気は最強だ。

 しかし十歳で、公爵令嬢という立場である私は、無知では許されない。私が我慢ならない。

 それを解決するために、今日は頭が痛かろうが古書店へ行かなければならないのだ。



「そんじゃあ、俺らは外で待ってるんで」


「待ってないで、好きな場所で自由にしてていいのに」


「では店の前でお待ちするのも、自分達の自由でしょう」


「屁理屈だ〜」



 なんとでも、と忠犬じみた目で笑う従者達に見送られ、一人で古書店へと足を踏み入れる。インクと古い紙の匂いが鼻をかすめるが、昔から書庫で過ごす時間が長かった私にはとても落ち着くものだった。

 一般庶民は読み書きができないことは珍しくないこの世界で、書店というのは利用者が少ないのは当たり前のこと。今日も先客はおらず店内はひっそりとしている。



「おやまあミシェルちゃん、今日はいつもより早いじゃないの」



 いらっしゃいと出迎えてくれたのは、この古書店の主人ではなく、その奥さんであるゾエおばあさんだった。



「船着き場に行かなかったの。おじいさんは?」


「奥にいるよ。おじいさん、おじいさーん、お客さんですよ」



 たくさんある本棚の掃除中だったのか。おばあさんは手に持っていたハタキを振り回しながら、声を張り上げ奥へと続く扉の向こうへと消えてしまった。

 詳しい年齢は分からないけれど、たぶんお祖父様とそう変わりないはず。にもかかわらずその声はよく通る。

 どうして私の周りのご老人達はこう揃いも揃ってぴんしゃんしているのか。まあ、健康なのはいいことではあるけれど。



「客と言ったって、どうせ侯爵様のところの……やっぱりお前さんか」



 おばあさんに変わり、奥からハタキと本を脇に抱えてやってきた偏屈そうな老人こそが、この店の主人。



「おはよう、モリスおじいさん。昨日のドミニクちゃん探しのお礼をちゃんと言えていなかったから、それを伝えに来ました」


「じゃあ用はもう済んだってことか」


「ううん。実は他にも用があって」



 おばあさんのように挨拶もなければ愛想もない。けれど帰れとも言わないこの人は、本当はとても良い人だ。

 その証拠こそ、昨日のドミニクちゃん探し。おじいさんは私の話を聞いて、頼まれる前に捜索に加わってくれた。

 そんな口は悪いが心根は優しいおじいさんは、抱えていた本を私に差し出した。



「ソンブル大戦の英雄の話と、開戦前から休戦協定が結ばれるまでの流れをまとめたもんだ。この前、なるべく古いもんをって言って探していただろう」


「あったの?!」


「奥でホコリをかぶっていた。そんなもんを読みたがる貴族の娘なんぞ、お前さんぐらいだろうな」


「自分の国のことを知りたがらない他の令嬢の方がおかしいと思う」



 受け取った本をよく見れば、ホコリなんてどこにもない。

 以前に探していたものを、わざわざ見つけて、しかもきれいにしてから渡すぐらいには優しい人。要するにツンデレだ。



「それで?用ってのはなんだ?」



 ツンデレおじいさんは、ツンデレらしく顔こそは面倒臭そうにしかめっ面だけど、少し離れた場所にある椅子を指しながら言った。



「おじいさん、昨日私がドミニクちゃんがいなくなったって言った時、どうして年齢を聞いたの?」



 おじいさんのいるカウンターの前まで椅子を運び、私はそれに座りながら問う。

 昨日の一件で、年齢を気にしていたのはおじいさんだけではない。ダルモンさんはドミニクちゃんの父親に彼女の年齢を尋ね、ルアンも私の年齢は十だから捜索に加わっても問題ないと言った。

 五歳児が消えてマズイと思うのは理解できる。でもなぜ私の年齢まで気にしたのか、どうにも気になっていたのだ。

 そう言うと、おじいさんは「なんだ、そんなことか」と鼻からふうと息を吐き出した。



「この街じゃ、昔からたまに子どもが消える。それが決まって七つになる前のチビでな、昨日はそれに当てはまっていたから騒ぎになったってわけだ」


「え?!子どもが消えるって、そんなことで片付けていい話じゃあないですよね?!」


「四、五年に一回あるかどうかだ。しかも消えると言っても人攫いじゃない。あちこち探し回ったのに、しばらくしたら自分の足で帰ってくるのがほとんどだ」


「ほとんどって……」



 つまり帰ってこないままのパターンもある、ということじゃあないか。

 ちょっとした疑問を投げただけなのに、なんだか物騒な話が返されてしまったぞ……。



「でも帰ってくるってことは、単純にどこかで遊んでいただけじゃあないんですか?」



 実際ドミニクちゃんは、蝶を追いかけて本来の目的地とは反対方向の森へ行って、四つ葉のクローバーを探していただけ。誘拐かもと肝を冷やしたのがバカバカしくぐらいだ。

 大人では取らない行動を取るのが子ども。小さな体を活かして、大人では入り込めない場所で遊んでいたなんてこともあり得るだろう。



「帰ってくるのが三日後。しかも消えていた本人はピンピンしていて、森で十分程度遊んでいただけだと言ったとしたら、同じことを言えるか?」



 おじいさんは目を細め、固い声で言った。

 そしておもむろに席を立ち、壁際の本棚へと向かいながら続けられる。



「こういう事が起きるのは、この街に限ったことじゃない。『精霊のいたずら』や『取り替え子』なんて呼び方で、昔からたまにある事として言い伝えられてる」


「取り替え子……?」



 どこかで聞いたことがあるフレーズだ。でもどこで?

 考えながらふと膝の上を見て……上着のポケットから出て遊んでいた毛玉を見て、ようやく思い出した。

 毛玉と出会った夏。私は毛玉がどういう生き物なのか調べるため、愛読書である魔法生物図鑑を開いた。その時にしおりを挟んでいたページがまさに『取り替え子』で、興味を惹かれて後で読もうと思っていたんだった。



「取り替え子って、たしか精霊が人間の赤ん坊を連れ去って、その代わりに精霊の子どもや木の人形を置いていくっていうやつですよね?」


「それは知っているのか。だてにミシェルなんて名前をつけられていないな」



 戻ってきたおじいさんの手には、一冊のノートほどの厚さしかない本。表紙には分かりやすく『取り替え子』と書かれていたそれを開き、おじいさんは私に見えるようカウンターに置いた。

 恐る恐る覗き込むと、黒いローブを着た何かがゆりかごの中で眠る赤ん坊を見下ろす挿絵に惹きつけられた。



「取り替え子っていうのはいろいろと説があるが、防ぐために赤ん坊が寝るゆりかごに、精霊が嫌う鉄製の物を忍ばせるって方法がある」



 おじいさんの枯れ枝のような指が、挿絵の中のゆりかごを指した。よく見れば確かにハサミのようなものが描かれている。



「他には男には女の格好、女には男の格好をさせて、精霊を混乱させる。その延長で、名前も男女のどっちにも思えるもんをつけるってのがある。お前さんがミシェルと名付けられたのは、そういう理由だろう。貴族がよくやる魔除けのまじないだ」



 消える子ども。時間の狂った森。精霊。取り替え子。名前。

 自分が知りたかったことのはずだ。それなのにどうして朝から少しだけ重かった頭が、さらに重くなるんだろう。

 内側に小さな痛みが生まれ、目の奥の方がつきりと痛んだ。



「あの……取り替え子って、人と精霊の子どもが取り替えられるってことですよね」


「ああ」


「取り替えられた、その後って……?」


「この本には……ああ、ここだな。取り替えられたままの場合と、精霊が自分から元に戻す場合があるらしいな」



 おじいさんがパラパラとめくった本のページには、確かにそのようなことが書いてある。

 さらに詳しく目を通せば、人間側に置いていかれた精霊の子どもは、血が繋がっていない以前に種族が違うので当然親きょうだいとは似ていない容姿。しかも徐々に病的に痩せ細り、最終的に死ぬと書かれているではないか。



「……ははっ……」



 笑えた。

 ちっともおかしくないのに、小さな笑いがこぼれ落ちた。



「おじいさん」


「どうした?」


「取り替え子って本当に起きることですか?精霊って、存在しないっていう説があるんですよね?そういう本はここにもたくさんありますよね?」



 天井すれすれまである大きな棚の全てに、上から下までみっちりと本が詰められ、入りきらない本は床に積まれている。そんな店内だ。精霊の存在を否定する本だってたくさんあるはず。

 そもそも私の周りには、精霊が見えるという人は一人もいない。

 突然耳元で、そっと囁くような声を聞いたことがある人は一人もいない。

 正体不明の煙のような、影のような存在に、付きまとわれる人は一人もいない。

 それが普通なんだ。見えないし聞こえないものを、どうやって存在していると証明できるんだ。


 でも、私は。


 私だけが。


 私しかいない。


 ────私が、おかしい。







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