50.八つの魂①



 私の自由な街ブラは、騎士コンビ改め従者コンビと共に船着き場へ行くことからはじまる。

 この国の物流拠点の一つであるエルブは、カルノー商会の船以外にも多くの商船がやってくる。下ろされる品は日毎に違い、今日はどんな商会がどんな品を運んできたんだろうとワクワクするのだ。もちろんついでに船も舐めるように見させていただいている。

 そうして荷下ろしと船に見学が済めば、街へ行く。

 おもちゃ箱をひっくり返したような街を歩き、気になった店を眺めて回ること約一週間。さすがに顔見知りもできはじめ、歩けば「今日は何見てくんだ?」とか「面白いモンが入ったからあとで見においで」とか、気軽に声を掛けてもらうこと増えた。



「あっという間に馴染んじまったな、お嬢さん」



 今日も今日とて船を眺めていれば、ダルモンさんは「食うか?」と言いながらサンドイッチを差し出してきた。

 空の木箱に座ったままありがたく受け取りかぶりつく。貴族のお嬢様にあるまじき行為だけど、見咎める人はいないので気にしない。

 具はほぐした焼き魚か。大きな川のある街らしい。そう思いながら食べ進めていると、食べ物の気配に上着のポケットから毛玉が顔を出し、慣れた様子で肩まで上がってきた。しかしサンドイッチはお気に召さないらしく「ブゥン」とつまらなそうに鳴いた。



「ここの人が優しいからですよ。貴族の娘って分かっても、避けたりかしこまったりしないで、普通の子どもと同じように扱ってくれます」


「この街は子どもが少ないし、昔から街ぐるみで守って育てるって風潮だからな。おまけに出稼ぎで家族と離れてるヤツも多いから、お嬢さんを妹か娘に重ねて見てんだろ」


「ダルモンさんは?」



 家族はこの街に?、と顔を見れば、頼もしい船長は前方を指差した。



「あそこにいるのが、全員俺の家族だな」



 そこにいるのは、カルノー商会の従業員。

 明日の出航に備えて船を点検し、荷を積み込んでいる。その中には私の従者であるはずのルアンとバッカスも混ざっていた。

 二人とも、騎士になる前からの知り合いである商会の人々に「暇なら手伝えよ」と引きづられていったのである。護衛がどうのう言って抵抗していたけれど、五分も経つ頃には慣れた様子で作業を始めた。身体が覚えているのだろう。



「大家族ですね」


「野郎ばっかでむさ苦しいがな」


「ちょうどここに可愛いマスコットがいますが、いかがですか?」


「悪くはないが、お嬢さん連れてったら侯爵に叩っ斬られちまう」


「残念。けっこう本気だったのに」



 サンドイッチ片手にけらけら笑えば、「勘弁してくれ」と笑い返されてしまった。その豪快な笑い声に作業をしていた人達の目がこちらへ向き、息子であるルアンはいつから一緒に居たんだと言いたげに溜め息をつく。

 しかしそれすらも気にせず、サンドイッチを食べながら他愛ない話を続けていると、一人の男の子が作業中の人の群れに近づいていく姿が見えた。



「私以外にもここに来る子いるんですね」


「ありゃあマルクだな。父親に届けもんでもあったんだろう」



 見ていれば、マルクという少年に気づいた一人が違う男性を呼び寄せる。きっと彼が父親だ。

 会話は聞こえないけれど「どうした?」と問う父親に、マルクが抱えていた包みを渡して「これ持ってきた」と言っているように見えた。

 母親に頼まれて、父親の忘れ物を届けるおつかいって感じかな。微笑ましい光景をサンドイッチを食べながら眺める。

 しかし親子の表情は、次第に微笑ましいとは言えないものに変わり始めたではないか。周りで作業を続けていた人も、その手を止め顔を見合わせる。



「なんだか、様子がおかしくないですか?」


「ああ。おいっ!どうかしたのか!」



 ダルモンさんの大きな声に、真っ先にマルクが駆け寄ってきた。

 近くで見れば、私と同じ年ぐらいの少年の顔は真っ青。息子に続いてこちらへ来る父親も同じような顔色だった。



「ダルモンさん!ドム見なかった?!」


「いや、俺は見てないな。ドミニクがどうした?」


「いなくなったんだ!」



 動揺しきった叫びに、ダルモンさんは「なんだと?!」と声を張り上げる。その横で私も密かに息を呑んだ。

 いなくなった。しばらく会えていない従兄、ジャン=ドミニクと同じ名前の子が消えてしまった。

 ドミニクなんて割とありふれた名前だけど、他人事とは思えず、心臓が大きく跳ねる。



「お、おれ、母ちゃんに頼まれて、父ちゃんに昼飯届けに来たんだけど……。ドムのやつ、一緒に行くって言って、でも……」


「準備を待てずに、先に家を出てらしいんです。ですが先についたのはマルクで……」



 泣き出しそうなマルクを落ち着かせようと、その肩を撫でながら父親が言葉を補う。

 蚊帳の外から察するに、ドミニクというのは弟だろう。お兄ちゃんがお父さんの仕事場に行くと聞いて、自分もと思ったけれど準備が長引く。はやる気持ちを抑えられなくて、どうせ知っている道だからと先に行ってしまった。

 一つのことに意識が向かうと、それしか考えられなくなってしまう。小さい子によくある行動だ。



「お嬢さん、子どもを見なかったか?金髪で、このマルクに似た顔の小さい子だ」


「いいえ。私は来てからずっとここに座ってたけど、子どもは一人も見かけてません」



 首を振れば、親子の顔はさらに青くなる。

 ダルモンさんは「まずいな」と呟いた。



「確かドミニクは五つだよな?」


「……はい、来月で六つに……」


「だったらなおのこと急いで探すぞ。途中で引き返して、マルクとすれ違いになってるってこともある。お前らは家に戻って、近くを探せ」


「は、はい。行くぞ、マルク」



 ダルモンさんは親子にそう言って見送ると、次いでこちらの様子を窺っていた従業員達へと向かった。

 距離はあるが、よく通る低い声は私の耳まで届いた。



「仕事は中止だ!ヨシュアのところの子どもがいなくなった。全員で手分けして探すぞ」



 鋭い指示に従業員は誰一人反論することなく、力強くうなづき、四方八方へと散っていく。

 そんな中、私のもとに戻ってきたルアンとバッカスは、貴族令嬢の護衛を任せられた騎士の顔になっていた。



「お嬢様、今日はもう屋敷に戻りましょう」


「なに言ってるの。私達も探すに決まってるでしょう」



 木箱から飛び降り、帰りを促すルアンを見上げる。



「迷子ならまだしも、誘拐なら早く動かないと手遅れになっちゃう」


「だからこそです。お嬢様に何かあってはいけません」


「そうっすよ。お嬢様は一回拐われて、その犯人は捕まってないんすから」



 ダルモンさんの元へ向かう私を追いながら、二人はなおも食い下がる。

 護衛役として正しい。間違っているのは私だということは分かってる。────でも、ここで知らん顔をして帰ることなんてできない。



「拐われた人の気持ちは、拐われたことのある人にしか分からないよ」



 これからどうなるんだろうという恐怖。

 誰か助けてと願う一方で、誰も見つけてくれないかもという不安が押し寄せる。

 前世の記憶があり中身が子どもではない私ですら、あの時間は怖くて怖くて仕方がなかった。体の震えを、巻き込んでしまったエリック王子を守らなくてはという使命感で押さえ込んで耐えていた。

 それが本当の子どもなら、耐えられるはずがない。



「二人だって、知り合いの子が心配なくせに。私がいなければすぐにでも動いていたでしょう」


「それは……」


「だから、探すの」



 反論は認めない。

 主人然とした態度で言えば、二人の従者はようやく頷いた。

 私はダルモンさんの大きな背中に「私達も手伝います」と声をかけた。



「お嬢さんにそんなことをさせるわけには……」


「こんな時だけ貴族扱いしないでください。子どもの私なら、大人が入れない場所も探せます」



 譲らない私に、ダルモンさんの目は後ろの二人へと向かう。大丈夫なのかと確認する目にバッカスが「問題ない」とはっきりと告げた。



「俺がお嬢様につく。ルアンと、俺とお嬢様、二手にわかれるだけなら大丈夫だろう」


「お嬢様は十歳。心配はありません」


「……分かった。だったらルアンはこのことをカルノーさんに伝えてから西を探せ。バッカスとお嬢さんは表通りを頼む」


「分かりました。バッカス、行こう!」



 私はバッカスと共に、この街で最も人が多い表通りへと向かった。

 バッカスは長身を活かして上から、反対に私はチビを活かして下から。金髪の男の子が一人でいないか、すれ違う人がそういった子を連れていないかを二つの目線で注意深く観察しながら進む。

 しかし時おり路地を覗き込んだり名前を呼んだりしても、それらしいこの姿はどこにもなかった。

 そうして普段の倍以上の時間をかけて通りを歩いていると、最近顔見知りとなった古書店の老夫婦と鉢合わせした。



「ミシェルちゃんじゃないかい。そんなに難しい顔をしてどうしたんだい?」


「ドミニク見てない?!いなくなったらしいの!」


「ドミニク?」



 駆け寄れば、老夫婦は顔を見合わせる。



「ドミニクっていうと、ヨシュアとカーラのところのチビか?」


「ヨシュア……うん、たぶんそう」



 観光客や商人が集まるので人が多いが、それほど大きくない街だ。住人はそれほど多くなく、その中でも特に少ない子どもは全員で守り育てるというのがこの街の特徴だ。

 先週来たばかりの私ですらあっという間に顔と名前を覚えられているので、もともとここに住んでいる子のことは、名前だけでどこの家の子か分かるのだろう。

 シワの多い顔にさらにシワを増やすおじいさんに、私は頷き、いなくなったから手分けして探してると説明をした。



「大変!でも、どうだったかしらねぇ。おじいさん見ましたか?」


「いいや、気づかなかったな」


「そっか……」



 申し訳なさそうな老夫婦に、気にしないで返す。

 その間もバッカスが周囲を見回しているが、見つけた気配はないようだ。



「あのチビ、六つかそこらだったか?」


「え?たしか、来月で六つになるって言ってたけど……」


「こいつはひょっとするかもしれんな。ばあさん、儂も手伝うからお前は先に店に戻っていろ」



 おじいちゃんは険しい表情のまま言う。

 その言葉は先ほどダルモンさんが言っていたことと同じだ。

 そういえばルアンは私が十歳だと言っていたし、子どもがいなくなることに、年齢がどう関係しているんだろうか。……いや、今はそんなことを考えている場合ではない。

 私は協力のお礼を言い、再びバッカスと共に捜索に戻った。

 だがしかし結局は表通りの終わり、街の入り口である小川と石橋が見えてきてしまった。



「どこにもいない……」



 ここから先は、緩やかな坂の上に私の住むお祖父様の屋敷があるだけだ。遮るもののない丘を見上げても、子どもどころか人の姿はない。



「他の誰から見つけてるかもしれませんし、引き返した方が良さそうっすね」



 遠くを見回し続けるバッカスの足元で言う。

 しかし石橋の下が目につき、私は「ちょっと待って」とだけ言って土手を滑り降りた。



「お嬢様、危ないっすよ!」


「だって子どもなら、こうやって降りて川遊びするじゃない。ちゃんと見ないと」


「冬にはやりませんて。ほら、上がってください」



 誰もいない橋の下を確認してから、差し出された手に取る。────が、視界の端に見えたそれに、ぱっと手を引っ込めた。



「バッカス!これ!」



 私は慌てて川の中へ手を突っ込み、流れてきた白い花を捕まえる。突然の行動に「ちょ?!」と驚くバッカスにそれを見せれば、赤銅色の目はさらに大きく見開かれた。

 これが花びらなら上流で散った花の欠片と思うだけで見逃していただろう。しかし流れてきたものは、葉と茎のついた、誰かが摘み取ったような姿だったのだ。



「まさかそれ、いなくなった子が摘んだものってことじゃ……」


「この花、寒さには強いけど水はけがいい土が好きな花だから、川岸に咲いてるとは思えない。自然に茎が折れて落ちたとも思えないし、可能性はあると思う」


「お嬢様、花に詳しいんすか」


「公爵家の屋敷には私専用の温室があったよ」



 今度こそ差し出された手を取り、土手へと引っ張り上げてもらう。

 改めて土手や川岸を見回すけれど、どこにも白い花は咲いていなかった。



「絶対にいるなんて言い切れないけど、でも、可能性があるなら上流を見に行った方がいいと思う」


「そうっすね。ただ上流ってことは……」



 バッカスは眉をひそめ、川の上流を睨む。

 その先にあるのは森。季節柄、鬱蒼とはまでは言えないけれど、手付かずの自然が生い茂っているそこは昼間にもかかわらず暗く、奥の様子はうかがい知ることはできない。

 舌打ち混じりの「タチが悪すぎるな」という呟きは、ひどく焦った声だった。



「この時期は、冬眠前のクマが食い溜めでうろついてるかもしれません。俺らだけで行くのは危険すぎます」


「こんな人里まで来るの?」


「少し前の嵐でエサが減っていれば、来ててもおかしくないっすね。急いで船着き場まで戻って、人を集めて出直しましょう」



 ごもっともだ。いなくなった子も心配だけど、もし私達が森に入りクマに襲われたら、森に入ったことは誰にも言っていないので助けは来ない。行方不明者が増えるだけである。

 戻りましょうと言う従者の指示に今度は従おう。暗い森を見ながら頷きかけて、はたと気がついた。



「私、ここで待ってる」


「え?!」


「急ぎたいけど、私、あんまり長く走れないの。だからバッカスが一人で走って、商会の人にこのことを伝えた方が効率がいい。それにもしかしたら、途中でドミニクが森から出てくるかもしれない」


「確かに……いや、でも……」


「大丈夫。もし何かあったら、誰か大人に助けてもらう」



 ほら早く!、と背中をグイグイ押す。

 するとバッカスはしばらく踏ん張りながら考え込み、



「分かりました。すぐに戻るんで、絶対に一人で森に行かないでください」


「そういうのはいいから、早く行って!時間の無駄!」



 背中に力いっぱい張り手をお見舞いすれば、ようやくバッカスは駆け出し、表通りの人混みへと消えていった。

 その姿が完全に見えなくのを待って「さてと」と呟き、肩の毛玉を見る。



「行きますか」


「ピィ……」


「エリック王子の時はうまく行かなかったけど、今回は大丈夫だよ」



 一人で行くなと言われたけど、あいにく私は頷いていないし、そもそも毛玉が一緒にいる。一人ではなく、一人と一匹だ。

 毛玉を上着のポケットに避難させ、上流の森へと川沿いを駆けた。

 日頃の散歩や乗馬稽古のかいあって、今の私は走れるだけの体力はついている。当然子どもの体力だが、すぐに息が上がったり倒れたりすることはない。

 しかし森の入り口についた途端に息苦しさを覚えるのは、そこにいる存在のせいだろう。



「ねぇ」



 木々の影に潜む、別の黒。

 自分から近づき声をかけるのは、これが初めてだ。



「きみ達のせいなの?私が一緒に行かないって言ったから、違う子を連れていったの?」



 私の問いかけに、黒いもやが大きく揺れた。





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