37.ウィークネス
「急にどうしたんだい?ソフィアは?」
嵐が来て数日。従兄が使う客室を訪れるのはこれが初めてだ。
そのせいでお兄様は私を部屋に招き入れながらも、不思議そうに廊下を覗く。
「お姉様が一緒だと聞きたいことが聞けないので、一人で来ました」
「聞きたいこと?」
「昼間の続きをしながら。ダメですか?」
本当は肩に毛玉がいるけれど、どうせ私以外には見えないので黙っておく。
抱えていたチェスセットを見せてあざとく首を傾げれば、お兄様はほんの一瞬考えてから「分かったよ」と言って部屋の扉を閉めた。たぶん答えによっては私を追い出すつもりだったんだろう。
「風邪をひくといけないから、暖炉の前でやろう」
「はあい」
秋とは言えど、夜は少し肌寒い。それも連日の雨で普段以上に冷えるので、人がいる部屋の煖炉には火が入れられていた。
お兄様に促され、私は暖かい暖炉前に敷かれたラグに直接座り、チェスセットを広げる。
「続きって言っても、駒の配置は覚えてる?」
「うーん、だいたいは。あまりにもお祖父様が負けそうになっていたんで」
一人一人はうろ覚えでも、二人の記憶を合わせて駒を並べる。すると昼間の再現をするのにそんなに時間はかからなかった。
しかし、まだ未完成。例の白のクイーンは、私の手の中にある。
「……お兄様は、どうしてお姉様とエリック王子の関係に協力的なんですか?」
お兄様が叩きつけたマスに、クイーンを置く。そっと置いたつもりだけどコトリと音がして、暖炉の薪がはぜる音と混ざって消えた。
「王家と公爵家の婚約に、反対する要素があるかい?」
「ありますよ。本人たちの性格が合わないとか、他に慕う方がいるとか、いろいろと」
「そのあたりの心配は、もうエリックとソフィアにはいらないんじゃないかな」
昼間はお兄様がクイーンを動かしたところで終わったので、私が先に自分の黒い駒を動かす。
「お兄様とお姉様は、ちょっと前までお世辞にもイイ関係とは言えませんでした。それなのにあなたは、お姉様が野心を持って近づく他のご令嬢とは違うと、エリック王子に教えた」
私の言葉を聞きながら、お兄様は少し考えて駒を動かす。
「私、それを知った時にすごく驚いたんですよ。お兄様がそんなことを言うなんて考えられないし、お兄様も婚約に反対すると思ってましたから……。どうして、そんなことを言ったんですか?」
お兄様はチェス盤を見下ろしながら言った。
「まだエリックのこと認めていないんだね。エリックのやつが、ミシェルに手紙を送っても五回に一回しか返事がこないし、きたと思ったら心がえぐられる内容だって言ってたよ」
「お姉様に送るついでに三回に一回だけ送ってくるあのバカ丸出しな手紙なら、いつも燃やして捨ててます。で、質問の答えは?」
この従兄との会話のキャッチボールが成立しないのは、いつものこと。しかし今日はいつも以上だ。
私の質問を、近いけれど違う話題でかわそうとしている。
ごまかさないでください、と駒を動かす姿をじとっと見れば、お兄様は苦笑した。
「ミシェルが思っていたほど、僕はソフィアを嫌っていなかった。それだけのことだよ」
思っていたほど、ね……。
それってつまり、ある程度は嫌っていたということじゃあないか。
だいたい私の質問は、なぜ嫌っているお姉様の印象が良くなるような事を、友人関係であるエリック王子に言ったのかということだ。これでは質問に応えているようで、答えにはなっていない。
まあ、ここで「ソフィアのことは好きだよ」と言われるよりは、よっぽど誠意ある対応かな。もしも言われたら違和感を通り越してゾワワッと悪寒が走りそうだ。
「お姉様とエリック王子がうまくいけばいいと思ってるんですか?」
「もちろん。だからこそ、僕はエリックに協力的なんだよ」
「わざわざうちに来て、手紙じゃあ分からない普段のお姉様の様子を教えてあげるぐらいには?」
「それは正直言ってかなり面倒だと思ってる。会うたびに質問攻めで……いい加減にしてほしいよ、本当に……」
「私宛ての手紙でも、毎回お姉様について聞きたがってますよ。 すぐに燃やして、返事も書かなかったけど」
「そのツケが僕に回ってきてるわけかぁ……」
お兄様はハアとため息をつきながらも、迷わず攻めの一手としてナイトで私のポーンを取った。
その様子を見るに、どうやら本当のことを包み隠さず言うわけでもないけど、嘘を言っているわけではないらしい。
「聞きたいことってそれ?」
「いいえ」
私はにっこりと笑いながら首を振り、ポーンを取ったナイトをクイーンで取った。
それを見たお兄様は「あっ」と声を漏らす。こんな単純な手に引っかかるなんて集中できていない証拠だ。
「お兄様は、私にエバーグリーン邸に来てほしくないんですね」
疑問ではなく断定。
そうですよねと念をおせば、深緑色の瞳は揺れ、私でもチェス盤でもなく暖炉の火へと視線を向けた。
「ミシェルは馬車だと酔うんだろう?ここからうちまでは、どれだけ急いでも半日はかかる。ミシェルの身体を考えたら無理だよ」
「通り道になってる渓谷の落石が危ないから、ではないんですね」
「……それもあるよ。あそこは人が亡くなったことだってあるんだから」
今度は話題をそらそうとはしないのか……。
「私は王都へ行って、馬車で遠くに行くことはもう経験しました。たまに休憩すれば大丈夫です。それに、ここに来る前に地図でエバーグリーン邸に行く道を調べたけど、渓谷を通らなくても行けますよね」
「……わざわざ調べたんだ」
「道が一本しかないなら、そこは絶対に安全じゃあないといけません。でもそうじゃあないなら、他に安全な道があるということですからね」
前世でもニュース番組で、落石による通行止めや死亡事故というのも耳にすることはあった。道路整備の技術がある前世ですか百パーセント防ぐことができないことなら、例え魔法あっても、技術の劣っているこの世界では日常茶飯事だろう。
でももしも一本しかない道が落石で通れなくなった場合、何日間も交易が滞り、領に損失が出る。だったらそうならないよう、領主は渓谷を整備するか、迂回路を造るはず。
落石が本当にせよ嘘にせよ、それを私をエバーグリーン邸に行かせない理由にするのは苦しい。
私の体調だって、前ほど貧弱ではないことは乗馬訓練に付き合ってくれているお兄様もよく分かっているだろう。
「どうして私をエバーグリーン邸に行かせたくないんですか?」
この質問こそが、こうしてわざわざ部屋を訪れた理由。
私がエバーグリーン邸に行くと言った瞬間に向けられた、あの激しい感情の理由を知りにきたのだ。
「お兄様の番ですよ」
さっきから盤上の駒が一度も動いていない。
私がナイトを取ったきり、お兄様が指一本動かさないからだ。
「……うん、わかってる。わかってるんだけど、逃げ道がね……見つからなくて」
困ったなぁ、と。チェス盤に視線を戻しながら、口元の力を抜くように微笑む。
どう見ても愛想笑いだ。苦いものを意地をはって無理やり飲み込んで、それを悟られないための笑い方。私も時々やるから、お兄様が何かを隠しているのがすぐに分かった。
でも、何を隠しているのかが分からないから、どうしようもないなぁ……。
「ナイト、戻しましょうか?」
「僕にもプライドってものがあるんだよ」
「じゃあこのままでいいですね」
ゲームも進まなければ、会話も進まない。私はひっそりとため息をついて、暖炉の近くでぷうぷうと寝息をたてている毛玉を一瞥してから、従兄に視線を戻した。
────ジャン=ドミニク・エバーグリーン。
名門侯爵家の嫡男。乙女ゲーム『アルカンシエルの祈り』では主人公と同学年で、エリック王子同様ゲーム一周目から攻略できるキャラクターだ。
個別ルートに突入する前のプロローグの時点から、貴族のルールに不慣れで周囲から浮きがちな主人公に友好的。一見すると物腰の柔らかい爽やか系だけど、個別ルートに突入して攻略を進むと主人公にとことん甘くて、主人公に嫌がらせを繰り返した悪役令嬢への報復がとんでもなくエグい腹黒策士でもある。
乙女ゲームではよく、攻略対象が幼少期に何かしらの心の傷を負っていて、その傷を主人公が癒すというのが攻略の王道パターンだ。
それを思い出すのが遅れたせいで、うっかりエリック王子の心の傷──というか、こじらせてねじれ曲がった根性をフルボッコにしてお姉様と婚約(仮)関係にしてしまったわけだが。
“私”の覚えているジャンルートのシナリオでは、ジャンにそんな設定はなかった。七歳までしか思い出せないわたしの記憶にも、お兄様にそんな過去はないはずだ。
まあ、私はずっとこのパールグレイ邸に引きこもっていて、お兄様と会うのもこの屋敷の中だけだった。おまけに七歳以前の記憶は相変わらず思い出せないから、私が知らない覚えていないだけで、何かあった可能性の充分あるのだけれど。
とにもかくにも、なーんか引っかかってるんだよなぁ。昼間の温室での、あの怒りをにじませた目を見てからずっと。
あの時の、あの目。今までお兄様にああいった鋭い目で見られたことはないから、私がお兄様の地雷を踏み抜いてしまったことは明らかだ。しかし当の本人は怒っていることすら隠して、すぐにいつも通りになっていた。
おかげであれからずっとモヤモヤしっぱなしで、とにかく怒らせてしまった以上は話を聞いて謝って、エバーグリーン邸に行けるよう説得してみようと突撃して真っ向勝負を仕掛けてみたけど。肝心のお兄様がだんまりでは打つ手がない。
一体どうしてそんなにも、理由を話すのを嫌がるんだか……。
「……ん?」
嫌がる?────いや、拒絶といった方が正しい?
ああ、そうだ。引っかかっていたのはそこだ。
「お兄様、質問を変えます」
チェス盤から顔を上げ、ようやく私を写した目をまっすぐ見る。
「お兄様は、私が外に出ることには反対してませんよね?遠乗りとか王都に行ったこととか、あと乗馬の練習とか、いろいろと付き合ってくれますし」
「うん。ずっと診てもらってる医者にも、無理をしなければ外に出ても大丈夫と言われているんだろう。ミシェルが楽しそうなんだから、反対するわけないじゃないか」
「誘拐されたことがあるからダメとは思わない?」
「それは……まあ、心配はあるけど、君を一人にしなければいいだけだからね」
言いながら、お兄様はようやく駒を動かした。
「例え君にとって外が危ないところでも、守れる力のある人がそばにいればいい。周りの勝手な都合でミシェルが不自由な思いをする必要はないよ」
駒を動かした手がそのまま私の方へ伸び、頭を軽く撫でられた。
その言葉に、たぶん嘘はない。何かを誤魔化しているわけでも、苦いものを飲み込んでいるわけでもない。
でも愛おしむような深緑色の目を見て、私は「ああ、やっぱりそうか」と思った。
温室で見た目は、怒りではない。拒絶だったんだ。
しかも私を拒絶していたわけではなかったから、おかしいと引っかかりをおぼえたんだ。
私への愛情と、私が何かすることへの激しい拒絶。誰かがそういう二つの感情を抱く様子を、私は前にも見たことがある。
一度目はお姉様。王都行きが決まった時、お姉様は「一緒に行けるのは嬉しいけど、外はあなたを傷つけるものばかりだから」と私が外へ出ることを拒絶していた。
二度目はお母様。お父様から私の乗馬と剣術の稽古の話を聞かされた時、お母様は「ミシェルを殺す気ですか」と見たことがないぐらい取り乱して拒絶していた。
私を大事に思っているが故の激しい拒絶反応を示した二人の目と、温室で見たお兄様の目は同じだったのだ。
「お兄様は……」
お姉様とお母様と違って、私が外へ出て何かをすることは反対していない。
でもエバーグリーン邸に、自分の家には来てほしくない。道や体調といったもっともらしい理由を並べて、自分の家だけには絶対に行かせないと思っている。
「エバーグリーンのお屋敷に、私には絶対に知られたくないことがあるんですね?」
その時、暖炉の薪がパチンと爆ぜた。
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