27.妹は姉の婚約を



 私は、王子だのなんだの関係あるかと罵った。未熟なあるがままのあなたを愛してくれる人がいると気づかせた。

 そしてその愛してくれる筆頭が、一度は婚約の話が出たものの保留となった相手であると。お姉様であると、私は教えた。

 これじゃあエリック王子が、お姉様に惹かれるに決まっているじゃあないか。


 お姉様のシスコン特性を利用して婚約を阻止したはずが、エリック王子の心の中で、いずれ出会う主人公が座るはずの場所にお姉様を置いてしまった。

 し、しまったー!いつの間にか目的とは真逆のことをしてしまっていた!



「んぐぐぐぐっ!」


「ミシェル、ミシェル、いい子だから落ち着いて。ね?」


「ほらミシェル、君の好きなブルーベリーのタルトだよ」


「認めない~こんなの絶対認めないぃ~!」



 お姉様が悪役令嬢のスペックの一つ、『第二王子の婚約者』と手に入れることなど認めてなるものか。

 自分で折って自分で再建してしまったフラグは、再び自分で折る!



「目を覚ましてお姉様!王族と結婚したら私と会えなくなるんですよ?お姉様は私と会えなってもいいんですか?」


「あら、そうだったわ。ミシェルに会えなくなるなんて、私耐えられない。エリック様、申し訳ありませんが……」


「まてまてまて!そんな理由でフラれてたまるか!だいたい王族と結婚しても家族とは会えるだろう!」


「まあっ!お聞きになりましたか、お姉様。求婚相手の妹のことすら知ろうとしないから、そんな軽はずみなことが言えるんですよ。そのうえこの未練がましさ。最悪!もうほんと最悪です!」


「はあ?!おいジャン、どういうことだ?!」


「うーん、今のはエリックが悪いかな」


「お前は誰の味方だ!」


「君かミシェルかなら、ミシェルに決まってるだろう。比べるまでもない」


「チクショウッ!」



 そのあともエリック王子とギャンギャン言い合っていると、いつの間にか使用人が両親やお祖父様、エリック王子の付き人を呼びに行ったらしい。

 駆けつけるなりお父様は「やはり邪魔をしたか」と私を見て、お母様は「やっぱりミシェルを優先したわね」とお姉様を見て、お祖父様は「やはりミシェルの肩を持ったな」とお兄様を見る。

 そんななかエリック王子の付き人だけは、「えっ王子フラれたんですか?!」と疲れきったエリック王子を見て驚いていた。


 なんでも室内で大人達が話し合っていたのは、エリック王子の申し出にお姉様が頷いたら二人の婚約の話を復活させるというものだったらしい。

 つまり私がいくら待ったをかけても、エリック王子本人が婚約に乗り気になり、お姉様も満更でもない様子なのは事実。よってひとまずは『婚約を前提としたお友達から始める』という折衷案が出されたことで、その日は幕引きとなった。






 ――――で、翌日。

 パールグレイ家では朝から家族会議が開かれた。もちろん議題はお姉様の婚約について。



「……ソフィア」


「お父様がなんとおっしゃろうと、ミシェルと会えなくなるならエリック様と婚約も結婚もいたしません」



 婚約話を進めたいお父様と、エリック王子も好きだが妹が最優先なお姉様。開幕から三十分以上経過しているけれど、会議は平行線を辿っていた。

 ちなみにお母様は「本物の王子様に直接婚約を申し込まれるなんて、誰もが憧れる素敵なことよ」と最初こそお父様の味方をしていたけれど、婚約反対派の私が「じゃあお母様は今王族から求婚されたら、お父様と私達を捨ててその方と一緒になりますか?相手が王族というだけで自分の大事なものを捨てられますか?」とにじり寄ると呆気なくこちら側に寝返った。

 お姉様がチョロければ、その遺伝子の元も当然ながらチョロかった。



「いいか、殿下と結婚してもミシェルには会える。実際ミシェルはもう二度も王宮に行っているだろう」


「毎日?」


「……毎日は……」



 無理でしょうねぇ。

 そもそも私は一応は保護者や護衛付きで王宮を訪れているけれど、いまだに屋敷の庭ですら一人で出ることを許されない。そこへきてのあの誘拐事件で、我が家は私に外出させることは極力控えるという雰囲気になっている。

 今のままでいけば、毎日どころか月に一回も会えないだろう。

 残念でしたねお父様。お姉様のシスコン度を甘く見るから、そうやって二の句が告げなくなるんですよ。



「……ソフィア。お前はいい加減、妹離れをしないか。お前が嫁がなければ、ミシェルがどこかへ嫁ぐことになる。どのみち一生一緒にいることはできないんだ」



 やっぱりそこを引き合いに出してきたか。

 私はお父様の言葉を聞いて、心の中でチッと舌打ちをした。


 姉妹である以上、どちらかが婿をとって家を存続させ、どちらかが嫁いで家同士の縁を繋ぐのは上流階級の常識だ。

 お姉様が王家に嫁げば、パールグレイ家には私が残り婿をとる。

 反対に王家に嫁がないのなら、家に残るのは順当に考えて長女であるお姉様。次女の私がどこかへ嫁ぐことになる。

 お父様のため息混じりの正論に、お姉様も言い返せずにぐっと唇を噛む。こうなってしまえば私の出番だ。



「お姉様が婿をとって、私も嫁がなければいいんじゃあないんですか?我が家と縁組みしたい家はたくさんあっても、その逆はないようですし。……なにより、私が結婚できる歳まで生きている保証はありませんから」



 しれっと吐き出した死ぬかもしれない発言に、執務室の空気が凍りついた。

 だがこれは私にとって想定内のことなので、それ以上はなにも言わず用意された温かいハーブティーを飲む。

 本当は私を大事にしてくれるお姉様とお母様の前でこんなことは言いたくなかったけど、背に腹はかえられない。

 なにしろお姉様に悪役令嬢ソフィアと同じ『第二王子の婚約者』という肩書きを与えることは、ゲームのシナリオと同じになる可能性が高まるのだ。不安要素は一つでも少ない方がいいに決まっている。

 もともと私は目的のためだったらどんな手も使う。五年後の運命を変えるためだったら、大好きな姉の初恋の邪魔だってしてしまえるのだ。

 今さら自分の病弱設定や、それを心配する周囲の愛情を駒に変えて使うことに、躊躇ってなんかいられない。躊躇っていたところで、五年後の運命を変えられるわけではないのだから。



「そ、そうですよお父様!私が公爵家にふさわしい方を婿に迎えればいいんです!」


「そうねぇ。私もミシェルが嫁いだ先で体調を崩さないか、心配で夜も眠れなくなりそうだわ」



 想定通りお姉様は私の意見に賛成し、こちら側に寝返ったお母様も「いい考えねぇ」と頬に手を当てて頷いた。


 この家族会議、一見すると婚約をめぐるお姉様とお父様の争いに思えるけれど、実はそうではない。

 お姉様はエリック王子のことは当然好きだ。しかしエリック王子と結婚すると私に会えなくなるから婚約したくない。

 その問題が解決すれば、二つ返事で婚約を受け入れることは、お父様もよく分かっているだろう。

 つまりこの話し合いは、私の存在が鍵になっているのだ。


 ────それにしても、なぜお父様は、エリック王子との婚約にこんなにもこだわるのだろう。

 そりゃあ王家と親戚になれるなんて、家の繁栄を考えるならこれ以上の良縁はない。

 しかしパールグレイ家はすでに王家に次ぐと評されるぐらいの権力があって、お父様自身が最側近として国王陛下から厚い信頼を寄せられている。親戚にならなくても、充分すぎるぐらい繁栄している。

 お父様は、そこまで権力に執着する人だっただろうか……?



「たしかマルーン侯爵家に、あなたと同い年の息子がいたわね。彼はどう?」


「その方はもうすぐメヌエット家のポーラ様と婚約なさるからダメですよ。バレンシア伯爵家のフレデリック様は?前にお見かけして、とっても素敵だったの」


「辺境伯の次男?いけないわ、八つも年上じゃない」



 どこの家から婿をとろうかと話すお母様とお姉様の会話を聞き流しながら、私はちらりとお父様を見る。

 眉間にしわを寄せて渋い顔をしているけれど、勝手に婿をとる方針で話を進めるお母様達に焦る様子も止める様子もない。

 そもそも家長であるお父様の言葉には強制力があるから、妻と娘二人が反対しても強制的に婚約を成立させることができる。

 それなのに一度目の時も今も、わざわざ話し合いでお姉様を納得させようとするのは、なぜだろう?


 まさか、王家だの権力だのは関係なくて、妹にしか興味のなかった娘の初恋を叶えてやりたい親心……?



「……」



 いやいやいやいや。ないないない。さすがにそんな理由で娘の結婚相手を決めたりしないって。あり得ないよ。

 だって貴族、それも公爵家だよ?政略結婚が当たり前なのに、そんなまるで…………まるで、愛娘の幸せを願う普通の父親みたいなこと……。



「――――ねえ、お父様」



 口が勝手に動いた。

 今まで一度たりとも私を見なかった深い青の瞳が、こちらを向く。



「もしも私がお姉様の立場……身分も申し分なくて恋慕う方から婚約を申し込まれているのに、なんらかの理由で拒絶していたとしたら、お父様は今のように私を諭そうとしましたか?」


「……しただろうな」


「じゃあ、私に庭へ出る許可をくださった日の言葉のなかに、嘘はありますか?」


「……ない。あの時の言葉に、嘘などひとつもない」



 視線はすぐにそらされたけれど、嘘を言っているようには聞こえなかった。

 もしかしたら、この人を信じたい、開いた溝を埋めたいというミシェルわたしの願望から、そんな風に都合よく聞こえているのかもしれない。


 ……でも、今は信じてみよう。


 相手に歩み寄ろうともしないで、一方的に愛されようなんて虫がいい。そう言ったのは私自身。

 自分の周りを変えたいのなら、まずは私が変わるべきだ。



「わかりました。じゃあじいや、さっき預けておいた物をお父様に渡してくれる?」



 壁際に控えていたじいやに声をかけると、言われた通り懐に入れていた物をお父様に手渡してくれた。

 宛名のない真っ白い封筒。封をするために落とされた蝋には、シーリングスタンプすら押されていない。

 そんな奇妙な手紙を受け取ったお父様は、私を一瞥してから無言で封を切った。中身の便箋を見た瞬間、眉間のしわが一本増える。



「……これは?」


「書いてある通りです」



 不服そうな低い声に、淡々と答える。するとお父様は考え込むように顎に手を当てると、一瞬だけ目を伏せ、そして執務机の上にあったペンを握った。

 ペン先が紙を滑る音がやむのを待つと、お父様は便箋を封筒に戻し、じいやに渡した。じいやを中継して私に返された手紙の中身を、お姉様とお母様に見られないようにそっと確認。

 事前に私が書いておいて文章にいくつか手が加えられているけれど、一番下にはお父様の署名が間違いなく書かれていた。



「それでいいな?」



 ふむ、この辺りが落とし所だろう。

 私はお父様に頷いてみせて、手紙を床に落とさないよう膝に乗せた。



「ミシェル?それなぁに?」



 普段めったに会話をしない私とお父様が謎のやり取りをすれば、不思議に思うのも当然だろう。

 お姉様はお母様と一緒に黙って私達の様子を窺っていたけれど、もういいだろうとばかりに首を傾げて、私の顔と膝の手紙を見比べる。



「ねえ、お姉様。最初に婚約の話をいただいた時、私がお姉様になんて言ったか覚えてますか?」



 しかし私はお姉様の問いには答えず、色はお父様と同じでも輝きが違う目をじっと見た。



「言いましたよね。私はお姉様には幸せになってほしいって」


「もちろん覚えているわ」


「お姉様が私を大事に思ってくれるのと同じぐらい、私もお姉様が大事と言ったことは?」


「ミシェルと話したことなら、どれだけ前のことでもすべて覚えてるわ」



 笑顔で迷いなく言い切るシスコンぶり。

 そこだけはホントぶれないなぁ、この人……。



「だったら、私を理由にお姉様が好きな人のことを諦めようとしているのを見て、私がどう思うか分かりますか?」


「え……?」


「私は、お姉様と会えなくなるのは嫌です。お姉様もそうだと言ったから、だから私はこれまで婚約に反対しましたし、さっきは二人で家に残れる案を出しました。でもお姉様、本当にそれでいいんですか?」



 私はお姉様が大事。お姉様が悪役令嬢となって破滅、悲惨な末路を迎えるのは絶対に嫌。幸せになってほしい。

 だから前世の記憶という形で未来を知っている私は、今のまっさらなお姉様を悪役令嬢から遠ざけるために、エリック王子との婚約の邪魔をした。

 お姉様の初恋をぶち壊しにするのは心苦しいけど、先のことを考えるとそうするしかなかった。それ以外の方法が見つからなかった。


 ――――しかし、状況が変わった。


 ゲームではソフィアを嫌い、婚約という拘束を疎ましく思っていたエリック王子が、自らの意思でお姉様に歩み寄った。

 今までにも何度か考えたことが……エリック王子が婚約を受け入れてお姉様を愛してくれればいいのにと、叶いもしない夢物語だと諦めていたことが、現実になったのだ。



「せっかくエリック様がお姉様に歩み寄ってくれたのに、お姉様はエリック様を想うのをやめて、エリック様以外の方と結婚できますか?バレンシア家のフレデリック様とやらと結婚したとして、お姉様はそれで、本当に幸せになれますか?」



 だからもう、お姉様の初恋の邪魔をするのはやめる。



「この国で結婚できるのは十八歳。お姉様達がその歳になるまで、あと七年もあります。七年もあれば、色々なことが変わります。変えられます。私が健康になって、お姉様にたくさん会いに行けるようになることだって、きっとできます。いえ、絶対になってみせます」



 お姉様が妹という荷物のせいで立ち止まっているのなら、私が離れる。



「で、でも、私……」


「私のせいでミシェルが外に出るのは嫌、でしたっけ?」


「そう……そうよ、ついこの間だってミシェルは危ない目にあった。あんなことがまた起きたら……」


「起きません」


「どうして言い切れるの!何があるか分からないじゃない!」


「だって私は、十歳で誘拐犯を出し抜いて帰ってきたんですよ?十七歳になっている頃には、誘拐犯を撃退して、逆に捕らえることができてるようになってそうじゃあないですか?」


「ええっ?!」



 さっきまでじわじわと泣きそうに顔を歪ませていたのに、お姉様はすっとんきょうな声をあげた。見開かれた瞳には、私のしたり顔が映っている。



「何があるか分からない。確かにその通りですけど、どうして悪い方に考えてしまうんですか。想像する未来は、みんなが笑顔の幸せなものにしましょうよ」



 そう遠くない未来。

 お姉様は大好きな人と結婚して、たまに会いに来る私を出迎えて。ああ、私がお土産として、お姉様の好きなチョコレートケーキを持っていくなんていいかもしれない。

 それを食べながら、会えない間にあったことを話すなんて、とっても楽しそうじゃあないか。

 私は、そんな未来を迎えたい。



「例え毎日会えなくても、あなたが私のお姉様で、私があなたの妹であることだけは変わりません。七年経とうと百年経とうと、いっそ死んで生まれ変わっても、私は姉妹あなたを大事に思います」


「私も、あなたが大事よ。大好きよ」


「お姉様が私のことを大事に思うなら、私が大事に思うソフィアという世界にたった一人しかいない人のことも大事にしてください。姉という理由だけで、全部を背負い込もうとするのはやめてください。前に言ったでしょう、姉妹は持ちつ持たれつですよ」


「……うん」


「もしお姉様が自分で考えて、それでもエリック様との件をなかったことにすると決めたのなら、私はもう何も言いません。だからどうか、後悔だけはしないようにしてください」


「……う、ん」


「私は、大好きなあなたが幸せになることを願っていますよ、ソフィアお姉様」



 ついに声は嗚咽になり、頷くことしかできなくなったお姉様の大きな目からボロボロとこぼれ落ちる涙を、そっと拭う。

 私はお姉様の少し冷たい手を握って寄り添い、お母様は震える背中をそっと撫でる。その様子を、お父様も黙って受け入れていた。

 まるで長年ずっと溜め込んでいた感情が溢れるようなそれが止まるまで、誰一人、口を開くことはなかった。

 そして涙が止まるのを待って、お父様はそっとお姉様の名前を呼ぶ。



「ソフィア」



 お前はどうしたい?、と問う優しく穏やかな声だった。

 一度でもそんな声で名前を呼ばれた記憶がない私は、しゃくりあげながらもしっかりと首を縦に振り、自分の本当に進みたい道を選ぶお姉様を凪いだ目で見つめた。


 ――――自分の心がかすかに軋んだことには、目を背けて。




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