28.振り返る、されど後戻りはせず




 十歳の夏。年子の姉の婚約が決まった。

 優しくて、賢くて、美しい。それでいて過保護で喜怒哀楽の激しい、私の大好きなお姉様が、今後どんな人生を歩んでいくか決まったのだ。


 と言っても、お姉様とそのお相手であるエリック王子の考えを尊重して、二人の仲が深まり、エリック王子がお姉様に婚約を直接申し込むまでは『婚約を前提としたお友達』。前提としているので実質的には婚約関係だけど、あくまでも今は婚約(仮)だ。

 王家とパールグレイ家の間で正式に婚約の手続きを交わしたり、社交界に関係を公表したりはせず、周りもそっと見守りましょうという形に落ち着いた。

 そんななか、最初こそは婚約に大反対だった私はと言うと……



「ねえミシェル、エリック様はどんな形のドレスがお好きだと思う?」


「あの未熟者の服の好みなど毛ほども興味ありませんが、お姉様にはそっちのレースやリボンの数が少なめの、優雅でありながら清楚さも感じるデザインのものが大変お似合いですよ」


「ミシェルがそう言うなら、そうするわ。でも色はどうしましょう。エリック様は、今流行しているピンクはお好きかしら?」


「あの不遜者の色の好みなど砂粒ほどの興味もありませんが、そこのやわらかい青紫なんでどうですか?ちょうど今の時期に一番きれいに咲くラベンダーの花の色です。紫はピンクとも近いので流行も外れていませんし、なによりお姉様の髪と瞳がよく映えます」


「ミシェルがそう言うなら間違いないわね。一緒に選んでくれてありがとう。明日はこれを着て、エリック様にお会いするわ」


「……チッ、明日は嵐が来ればいいのに」


「ん?今なにか言った?」


「明日はいいお天気になるといいですねって言いました。確か王宮の庭園でお茶をする予定なんですよね?」


「ふふっ、そうなの。でも雨が降ったら王宮の中を案内してくれるって、この前エリック様が言ってくださったのよ。だから雨でも楽しみだわ」


「…………チィッ!!!!」



 こんな具合に、お姉様が大好きな初恋相手と着実に仲を深めていって幸せそうなのは喜ばしいけれど、その相手があの不遜バカというのがとてつもなく不満だった。


 それでも邪魔はしない。


 理由はお姉様が幸せそうというのが一番大きいけれど……。聞くところによれば、不遜バカことエリック王子も最近は変わり始めたようだからだ。

 護衛を撒いて城を脱走しようとしたり、都合のいい時だけ権力を笠に着てふんぞり返ったりといった、以前までの問題行動を改めるようになった。さらに王族としての教育に真面目に取り組んで、お姉様と会う日なんか朝からそわそわしているらしい。


 ここまで変わると、邪魔をするのがバカバカしく思えてしまう。

 ……いや、まあ、まだまだ変わり始めたばかりで、たまに私宛に届く手紙は相変わらず不遜バカっぷり。お姉様にはふさわしくないので、かなり痛烈な言葉を書き綴った短い返事を出して、伸びた鼻っ柱をへし折ってやっているけれど。

 でもお姉様を諦めろとは一度も書いていない。あくまでも「今の貴様ごときがお姉様に婚約を申し込むなど万死に値する。出直せ愚か者」というスタンスだ。




 それと、エリック王子と同じ攻略対象である従兄のジャンお兄様についてだけど……。なにやら先日エリック王子と我が家を訪れてから、お姉様との関係が変わりつつある。


 お姉様がエリック王子に会いに外出する日は、必ず我が家に来て、お姉様が帰ってくるまで私の話し相手になっている。そのことにお姉様はちょっとだけムッとするけれど、普通に挨拶を交わすし、間に私を挟んでもブリザードは吹き荒れなくなった。

 変わり始めたきっかけは、たぶんお兄様がエリック王子に、お姉様は野心をもってエリック王子に近づいていたわけではないと教えていたと分かったことだ。

 身内の贔屓目で見ても犬猿の仲だったのに、まさかお姉様の恋路の後押しをするとは思わなかった。本当に人生は何があるかわからない。

 今度会った時に、どういう心境の変化か聞いてみようと思う。


 でもあの従兄は、ゲームでのキャラ設定で『懐に入れた者にはとことん甘い』となっていた。

 本来それは五年後に主人公へ発揮されるものだけど、主人公に出会っていない現状では他の人へ発揮されても不思議ではない。


 とにかくあの日以来、お姉様もお兄様の見方を改めたらしく、それを受けてお兄様もお姉様に黒い微笑みを向けることもなくなった。間に挟まれブリザードに凍えていた立場として、こんなに喜ばしいことはない。





 五年後の未来を知っている立場としては、お姉様を攻略対象と関わらせたくはない。

 今はエリック王子もお姉様に向き合っていても、五年後に主人公に出会い、彼女と惹かれ合う可能性がゼロなわけではない。お兄様だって、どうなるか分からない。

 そうなれば当然お姉様はそれまで築き上げた幸せを壊す主人公を激しく嫌い、悪役令嬢となり破滅。私もゲームのシナリオ通り、ロリコンと政略結婚させられるか、両親と共に没落貴族として市井で暮らすことになるだろう。


 しかし私は、あらゆる可能性に備えて準備を始めたのだ。



 ――――時は少し遡り、あの家族会議の日。


 実はあの時お父様に渡した封筒の中身は、手紙ではなく契約書だ。

 以前お父様が「三つの条件を受け入れるなら庭の散歩を許可する」と言ったのと同じ。

 私も「こちらの条件を受け入れるなら、私のことを引き合いに出してお姉様の婚約の邪魔をするのはやめる。無理なら何をしてでも邪魔をする」と、声なき取引を持ちかけたのだった。


 便箋に書いておいた条件は五つ。


 一.お姉様とエリック王子のどちらか一方が何らかの理由で婚約の解消を望んだ場合、もう一方の意思に関係なくすみやかに関係を解消すること

 二.お姉様が私と会えないことを理由に婚約を拒否しているため、私を自由に外出させること

 三.馬術、護身として剣術の稽古の開始

 四.何があっても私の結婚を政略的な利用をしないこと

 五.社交界で流れる私の噂を包み隠さずすべて話すこと


 一と四は、もしも乙女ゲームのシナリオ通りの未来になってしまった時の保険で、二はお姉様に婚約を受け入れさせるため。

 三については、表向きは庭の散歩だけでなく乗馬で体力アップを狙い、剣は誘拐事件の主犯が捕まっていない状況で魔法が使えない身で外出するので護身ということにしてあるけれど、実が他にも理由がある。


 どうも私は馬車には酔うけど、馬の背では酔わないらしい。前にお祖父様に誘われて遠乗りに行った時は快適だったのに、王都に行くために馬車に乗ったら十五分そこそこでグロッキーになった。なので後々のことを考えて、馬車を使わずに遠出ができるようになっておきたかった。


 そして剣を習得については、お姉様がもしも悪役令嬢化して主人公に嫌がらせを始めたら、力づくで止めるため。魔法が使えないなら物理で止めてみせると、前から考えていた計画を実現可能にするためだ。


 ……と、いう理由の他にさらにもうひとつ理由がある。


 たまに届くエリック王子の手紙を読むと、彼は私より優秀になり、お姉様にふさわしいと私に言わせたらゴール。晴れてお姉様に婚約を申し込むつもりらしい。

 なぜそうなった。年下の令嬢、それも婚約者(仮)の妹に勝てたら告白なんてやっぱりあんたはバカだよと、私は手紙を調理場の燃え盛るオーブンの中に放り込みながら思った。


 そして同時に決めたのだ、「そっちがその気なら私も徹底的にやってやろうじゃない」と。


 前世の記憶がある以上、頭脳や精神力は私の方が数段上だ。でも身体面ではぼろ負け。日課の散歩の効果なのか前ほど体調は崩さないけど、相変わらずのもやし体力だ。――――というわけで、心身ともに圧勝するために剣術を習得することにした。

 私というハードルが高くなればなるだけ、エリック王子は私を越えるために努力する。そうなれば今は未熟で不遜な愚か者でも、いずれお姉様を渡すにふさわしい男になってくれるはずだ。

 邪魔をするつもりはないけれど、エリック王子の成長を促すために当分は『お友達』でいさせてやる。


 誘拐犯対策に、お姉様の悪役令嬢化への保険に、エリック王子の再教育。一石三鳥な剣術はなんとしてでも習得しようと思う。



 五つ目の条件については、完全におまけだ。

 誘拐事件の直前にお父様と「招待客が私を見て言っていた『噂の次女』ってなに?」「帰ったら教える」という会話をしていたけれど、その後私は王族を巻き込んで誘拐されるし主犯が取り逃がすし、落ち着いたと思ったらお姉様の婚約話が復活したせいで、お父様は忘れていそうだからだ。

 いい風には噂されていないのは分かっているけれど、自分が影でどう言われているか分からないのはモヤモヤする。



「でも、まさかあの場ですぐにサインするとは思わなかったなぁ……」



 不本意ながらもお姉様のドレス選びを手伝い終えた私は、自室に戻り、五つの条件とお父様の署名が書いてある契約書を眺めた。



「ブッ、ンブンブ」


「たしかに、外出には付き人、馬術と剣術はもう少し体調が安定したらっていう条件が追加されたけどね。でも今までのことを考えると、こんなのお父様が飲むはずがない条件だもん」


「プーピー?」


「これね、本当はお父様にお姉様の婚約を諦めさせるために用意しておいたものだったの。こんな無茶苦茶な条件をお父様が飲むわけがないだろう、飲まないなら堂々と婚約の邪魔をしてやろうって思ってね」



 それがまさか逆の意味で使うなんてね、と一緒になって契約書を眺める毛玉に言う。


 お父様は、これまで私を領地の屋敷の中だけで育てた。

 肉親と使用人、主治医、家庭教師。限られた人としか会わせず、庭に出ることすら許さなかった。

 さらに絶対的な権力者である王妃様が私に会いたいと言っても断り続けるぐらいだったのだから、自由に外出させて、馬術と剣術の稽古なんて許すわけがないと思っていた。

 しかし結果として、お父様は許可した。

 今までの行動と真逆のことをしてまで、お姉様をエリック王子と……初恋相手と結婚して幸せになることを願ったのだろうか……。



「ピィ……」


「ああ、ごめん。大丈夫、大丈夫だよ……」



 長い時間をかけて染み付いた習慣というのは、なかなか治ってくれない。

 お姉様が自分の幸せを考えることができたように。エリック王子が顔を上げて自分の生まれに向き合い始めたように。

 私も変わろうと思ったのに、結局またお父様と距離を置いて、冷めた目で見てしまう。


 エリック王子には偉そうにいろいろ言っていながら、私自身が実の父親に歩み寄ろうとせず、「どうせこの人にとって私は病弱で魔法も使えない期待はずれの次女だ」と考えてそこで思考を止めている。そして勝手に傷ついている。

 かなり殺傷能力の高いブーメランが高速で返ってきて、キャッチできずに顔面にぶつかってきた感じだ。



「はあ~見事なブーメランですわぁ~」


「ンプププッ」


「慰めた直後にバカにするって手のひら返すの早すぎじゃない?」



 純白ふわもこ真ん丸ボディの毛玉に手のひらはないけどさ。



「周りにいろいろ言う前に自分が変われって言いたいんでしょう?」


「ピッ!」


「はいはい、分かってますぅ。……あの人が私との距離をうかがってることも、私が考えているほど邪険に思われてないことも。なんとなくだけど、分かってるんだよ、そんなこと」



 私を狭い世界で育てたことを謝り、幸せを願っていると言った。

 王宮でのお茶会の時、伸ばした手を拒絶されなかった。

 誘拐された時、本当は頭脳派で現場主義ではないくせに、騎士を引き連れ駆けつけてくれた。


 本当はずっと前から、分かっていたことだ。人並みに心配されていることも、守られていることも、ずっと前から分かっていた。


 でも思い出せるなかで最も古い、ミシェルの記憶。三年前に高熱で朦朧とする意識のなかで聞いた「男であればよかったのに」という言葉は、今も私のなかに澱みをつくっている。

 お父様の顔を見るたびに耳の奥でその言葉が響き、その瞬間に歩み寄ろうと思っていた足が止まって、言おうと思った言葉は喉をつかえて出てこなくなってしまう。――――まるで、呪いのように。


 呪いを解ける日はあるだろうか。それともこれまで通り、一生許すことなんてできないだろうか。

 お父様との関係を変えることが、できるだろうか。


 そんなことは分からない。何があるか分からないのが人生だ。

 攻略対象が悪役令嬢に婚約を申し込むなんて、前世を思い出した春には想像もできなかったことが現実になるぐらい、何があるか分からないのだ。


 もしかしたらそう遠くない未来で、お父様と二人でのんびり庭を眺めてお茶をするなんてことがあるかもしれない。

 ……いや、それはないな。私達がお茶をしていれば絶対にお姉様とお母様も混ざってきて、家族四人のティータイムになりそうだ。


 でもその方が、何倍も楽しいだろう。







 この世界は、前世の妹が愛した乙女ゲームの世界。

 妹が、なによりも愛した人達が生きる世界。

 そして私にとっては、生まれ変わっても大事なあの子に笑顔を届けてくれた、恩人とすら言える人達が生きる世界だ。


 なんの因果か、そんなところに悪役令嬢の妹という名前のあるモブキャラに転生してしまった。だからいずれ必ず、主人公や残りの攻略対象五人とも出会う日がくるだろう。

 でも、『悪役令嬢』と『第二王子』と『騎士団長の孫』の人間関係が……お互いに抱く感情が、ゲームとは違うものになった。変えることができた。

 一度はうまくいったんだ。残りのメインキャラクター達と出会ったからといって、私の人生がゲームの通りになるとは限らないだろう。

 だったら私は、前世の恩人と言える人々を嫌うのはやめよう。

 モブらしく少し離れたところから、彼らが幸せになるのを見届けよう。



「ねぇ毛玉」


「ピ?」


「想像する未来は、みんなが笑顔で幸せなものがいいよね?」


「ピーッ!」



 私は春に前世を思い出し、自分の未来を知った。

 その未来を変えるために動き出そうと思ったら、モブキャラのくせになぜか病弱だの引きこもりだのと特殊な設定がつけられていた。

 さらに悪役令嬢になり破滅する姉は超ド級のシスコンという、前世の記憶にはなかった裏設定があると判明。あんまりすぎる転生に、私は頭を抱えた。

 でもそうしていたのは一瞬だ。すぐに姉を悪役令嬢から遠ざけるため何が最善かを考えて、ついでに貧弱な身体を治すために引きこもりを卒業した。


 その後、外に出られるようになったと思ったら、普通は姿を見ることも声を聞くこともできない精霊に絡まれたり友達になったりして、生まれて初めての社交が王妃主催のお茶会かと思ったら、謎の不気味な揺らぎにストーキングされ、最終的には正体不明の男に誘拐された。


 悪役令嬢の悪事のしわ寄せを受けるモブの妹に生まれ変わったうえに、たった数ヵ月でこれだけの体験した。

 どうやらラブありシリアスありな王道乙女ゲームの世界に転生してしまったせいか、異世界転生系ラノベの王道である『強くてニューゲーム』設定は私には与えられなかったらしい。

 悪役令嬢の妹で、病弱で、ファンタジー世界なのに魔法が使えない。私の第二の人生は『ハードモード』に設定されていた。


 でも私は前世で乙女ゲームより、モンスターを狩ったり一騎当千したりするゲームの方が好きで、もっぱら物理で敵をボコボコしていたオタクだ。これしきの縛りプレイでめげたりなんかしない。

 むしろ受けて立ってやる。一度死んだ記憶のある転生者の生きることへの執念、なめるなよ。



「目指せ、大団円ハッピーエンドー!」



 人生は、何があるか分からない。

 ゲームのように、決められたルートなんてない。

 もしも何らかの力よってシナリオというレールに乗せられそうになったら、私が変えてみせる。

 そして変えるために、私自身も変わってみせる。



「さて。行こう、毛玉」


「プピピ?」


「庭」


「ブー……」


「お、お父様とのことはゆっくりじっくり変えてくの!馬と剣の稽古が始められるぐらいの体力をつけるのが先!逃げじゃない!」



 私はお父様との契約書を失くさないよう、愛読書である魔法生物図鑑に挟んでから毛玉と共に部屋を出た。


 庭を吹き抜ける風は夏のもの。さらなる出会いと変化の季節は、もうすぐそこまできていた。









 そしてこの時の私はまだ、気が付いていなかった。


 蝶の羽ばたきが、世界の裏側で嵐を巻き起こすように。


 私が変わり、私が変えてしまったことが、後にたくさんのものを壊すことになるなんて――――自分が何者かを理解していないこの時の私が、気付くわけがなかった。

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