24.対人関係は合わせ鏡のように




「さっきも言いましたけど、あなたの直前の行動はどうであれ、私の誘拐に巻き込まれたのは事実です。だから私は巻き込んでしまった者の責任として、無関係なあなたを無傷でご家族の元へ帰らせたかった。それだけです」


「それだけって……。お前、あの時と言ってること違うぞ!貴族の娘として王子の俺を助ける義務があるって言ってただろう!」


「言いましたね。それがなにか問題ですか?」


「は?」



 王族を助けるのは臣下の務め。公爵の地位を賜ったパールグレイ家の人間が、第二王子を守るのは当然のことだ。

 でも私は、巻き込んでしまった相手が第二王子ではなくても全力でその人を逃がす努力をした。王族だろうと貴族だろうと平民だろうと、それこそ人ではなかったとしても、自分のせいで傷つきそうになっている存在がいれば、私は何がなんでも逃がそうとした。

 なぜなら私は自分のせいで、誰かが傷つくのが嫌だから。貴族だの王族だのは、私にとってはそれほど重要じゃあない。

 たまたま私が貴族で、たまたま巻き込んでしまったのが王族だったから、ついでに臣下の務めも発生しただけ。

 そう言えば、エリック王子はなにかを言いたげに口を開閉するけれど、結局なにも言わずにモゴモゴと口を動かすだけだ。



「私は痛いのも苦しいのも嫌ですし、私のせいで誰かが傷つくのも嫌です。その嫌を味わいたくないから、私はあなたを無傷で脱出させることにしたんですよ。要するにわがまま、自己満足です」


「じこ、まんぞく……」


「ええ、自己満足です。それに二人で無傷で帰らないと、ソフィアお姉様が悲しむと思ったので。私はお姉様にはいつも笑っていてほしくて、私のせいでお姉様が悲しむのは嫌で…………ああ、これもやっぱり自己満足ですね」



 改めて口に出してみると、何もかもが自己満足だ。

 私は、誘拐されたのが私一人だったら、あんな一か八かな運任せな脱出作戦は実行したりしなかった。実行したとしても、たぶん自分の命が危なくなるギリギリのタイミング。そうなるまでは大人しく助けが来るのを待っていただろう。

 でも自分のせいでエリック王子を巻き込んでしまって、しかもそのエリック王子が私より危険な立場だったから、私は作戦を実行した。

 そして同時に、最愛の妹と初恋の王子様を一辺に失ったお姉様が、いったいどうなってしまうか。

 一般的に思い浮かぶのは、絶望して涙にくれる姿だろう。だがあの人の実の妹にして未来を知っている私は、声を大にしてそれを否定する。

 最初こそは絶望し涙を流すだろうが、未来の悪役令嬢ソフィア・ローラ・パールグレイがそんなか弱い質なわけがない。


 お姉様なら、自分から最愛の妹と初恋の王子様を奪った相手を許さないはずだ。

 その怒りと憎しみを糧に、例え地の果てだろうと相手を追いかけ、追い詰め、持ち前のチート魔力で氷漬けにするだろう。そしてそのグロい氷像を粉々に砕いて海に捨てるぐらいやりかねない。

 ……むしろわりと簡単に想像できてしまう。


 五年後にお姉様が悪役令嬢となり投獄や死亡という破滅しかない運命を変えたい私のせいで、五年を待たずにお姉様が復讐の犯罪者になる。

 そんな本末転倒を回避するために、私は何がなんでも二人で生きて帰ってやると決意したのだ。



 エリック王子のためのようでいて、エリックのためではない。

 お姉様のためのようでいて、お姉様のためではない。

 ただ単純に、私が自分のせいで誰かが傷つくのが嫌だから、私が嫌な思いをしないために行動した。あの時の私の行動はすべて、自己満足という言葉に集約できる。



「そもそも、なんで助けたのかと問われることの方が“なんで”ですよ。貴族令嬢としての義務も私の自己満足も、あなたを助ける理由にはなっても逆にはならない。それなのにいったいなにが不満なんですか?」



 あの場で死にたかったんですか?、と問えば、今度こそエリック王子は「そんなわけないだろう!」と吠えた。

 まさかそんな本気で否定してくるなんて……。ちょっとした冗談なのに。



「俺は……ただ……」


「ただ?」



 聞き返しても、エリック王子はまた口をモゴモゴと動かすだけでなにも言わなくなってしまった。ずっと私の肩にいた毛玉が「プピィ?」と鳴くけれど、私だって俺様自信家王子様らしくない様子に首を傾げるしかない。


 恥ずかしそうにそらす視線。居心地が悪そうに動く爪先。色々な気持ちがぐちゃぐちゃになってしまい、それを表現する言葉がみつからないように見える。

 前世の記憶でエリックがどういう性格かは知っているけれど、それはあくまでゲームのキャラクターだ。今の生身の十一歳のエリック王子のことは、お姉様が語る初恋の王子様情報と、先日の誘拐事件中の言動でしか知らない――――ああ、そうか。

 誘拐事件中の彼の言動を思い出した瞬間、ぱちんと、頭のなかでパズルのピースがはまる様な感じがした。

 この感覚は、前にお父様が私のお庭デビューを許可すればお姉様とエリック王子の婚約話を進むと考えていることに気づいた時と同じだ。



「もしかしてエリック様、あの誘拐で今までの自分がどれだけ無知で無力で意気地なしなのか分かって、恥ずかしくなっちゃったんですか?」


「そっ、そんなわけないだろう!」


「あーあー、その言い方は肯定ですよ。でもまだ自覚が薄いから、他人に指摘されたくないんですね。はいはい、分かりましたよ」



 赤い顔で勢いよく立ち上がって吠えるエリック王子。図星をつかれて悔しくても、もうちょっと王子らしく気品ある反応が出来ないものなのか。

 こんな人が自国の王子で、大事なお姉様の初恋相手なんて嘆かわしくて、きゃんきゃんうるさい仔犬を受け流しながら何の気なしに視線を動かすと、ふと暖炉の上の物が気になった。

 銀製の写真立てと見間違えそうになったけれど、よく見れば女性が使いそうな卓上鏡だ。なぜ王宮の応接間の、それも火が入っていないとは言えど暖炉の上にそんな物があるのか違和感を覚えて、ついじっと見てしまう。



「お、おいっ!この俺のどこを見てバカだと言える!お前の方がよっぽど間抜けに見えるぞ、このチンチクリン!」


「チ?!」



 ほほう、モブキャラとはいえ公爵家の令嬢をチンチクリンとは言ってくれるじゃないの。

 もう我慢の限界だ。そっちがその気ならやってやろうじゃあないか。



「全部」


「ああん?!」


「まるっと全部、どこからどう見てもバカだと言っているんですよ。ついにお耳までおバカさんになりましたかぁ~」



 片頬に手を当て、ハア〜やれやれとため息をつく。

 するとエリック王子はさらに顔を赤くした。煽り耐性ゼロかよ。



「まず態度。あなたをこの国の王子で、いずれは周辺国の権力者と交流を持つでしょう。その時、あなたはさっきのように挨拶もせず椅子にふんぞり返っているつもりですか?しかもあなたが用があるから来てくれと呼んだ相手に。この国の評価が落ちるので今すぐ改めてください」


「くっ……」


「次に言葉遣い。あなたはあの誘拐の日に私と初対面だったにも関わらず、ずっと私を『お前』と呼びましたね。自分はこの国の王子なんだから上から目線でもいいとでも思ったんでしょうけど、もしも私がお忍び来訪中の隣国の姫だったらどうします?ぶつかって転ばせておいて不遜な言動。国家間の問題に発展しかねませんので今すぐ改めてください」


「ぐぅっ……」


「最後に、あなたは矛盾している。王子というだけで行動を制限されたり、庇われたりするのを嫌だと思っているくせに、今のように都合のいい時だけ王子ぶって権力を笠にきている。さらにあなたは、誰に対しても『どうせこいつも俺を王子としか見てない。王子の地位に釣られて近づいてきただけだ』とかなんとか捻くれたこと思って、相手のことを知ろうともせずに決めつけている」



 バカバカしいと鼻で笑えば、二次元だから存在を許される俺様自信家王子様はついにぐうの音もでないといったように黙りこんだ。


 どうしてあの時……あの脱出逃走劇の最中に一人で走って逃げろと言った私に「お前も俺が王子だからそんなことを言うのか」と、理不尽な理由で傷つけられたような表情で言う彼を見た時に、気づかなかったのだろう。


 常に王子という色眼鏡で見られて、自分自身を見てもらえない。自分自身を見てもらおうと努力をしても、人の良さそうな笑みを浮かべて近づいてくるのは王族との縁を欲する連中だけ。

 それが悔しくて、惨めで、寂しくて……そんな自分を守るために、自分を大きく見せようとふてぶてしい態度をとっている。

 これこそがエリック・アルベール・レッドフォードという人間の本質だということを、なぜあの時すぐに思い出さなかったのだろう。



「エリック様。ひねくれている暇があるなら、顔をあげて、周りをよく見てください。あなたが王子ではなくても愛してくれる人はいる……ご自身もその事に気づきはじめているんでしょう?」



 乙女ゲームのエリックのことは、妹がよく語っていた。

 本当は誰よりも愛されたがりでさみしがり屋のくせに、見栄っ張りでひねくれ屋。胸の奥底に隠していたそんな本質に気づき、第二王子エリックではなくただのエリックを見てくれた主人公に心惹かれていく。

 その手負いの獣が懐いていくような様が萌えるのだと、妹は病室のベッドで鼻息荒く語っていた。

 それを思い出せば、なぜエリック王子が臣下の義務について不満を持ち、王子ではなくても助けたと言われて黙ったのか、何となくだけど分かった気がする。



「……誰が、そうだと思う?」


「え?」


「お前の言う、俺が王子ではなくても……その……」


「愛してくれる人、ですか?」



 言いにくそうにしているので汲み取ってやれば、エリック王子は恥ずかしそうに小さく頷いた。



「そうですねぇ、まずは国王陛下と王妃様、兄である第一王子様といったご家族ですね」


「他には?」


「誘拐されたあなたを捜索した騎士達と、保護されたあなたを叱った役人達」


「そいつらは、それが仕事だからだろう」


「ほら、またそうやって決めつける。彼らに仕事だからと言われたんですか?あなたが無事だと分かった時の彼らの顔、ちゃんと見ていましたか?」



 やれやれと肩をすくめると、エリック王子はむっとしながらも何かを思い出すように視線をさ迷わせ、そして渋々納得したように「他には?」と続きを要求してきた。

 この愛されたがりの欲しがりさんめ。私はあんたの交遊関係をまったく知らないから、これ以上の答えは出てこないというのに……。

 困ったなぁ。愛してくれる人筆頭は主人公だけど、今はまだ出会ってもいない人の名前を出すわけにはいかない。でもさらに答えないと納得しなさそうだし…………あっ。



「私の姉、ソフィアです」



 お姉様の名前を口に出すと、それまでちょっとずつ気分が良さそうになっていたエリック王子はぴくりと片眉をあげた。そのあからさまな変化に今度は私がむっとする番だった。



「なんですか、その反応は。まさか私のお姉様が、王子というだけであなたに群がる他の令嬢と同じだって言いたいんですか?」


「……違うって言うのか」


「はあ?違うに決まってるじゃあないですか!」



 まだ婚約の話が出るよりもずっと前から、お姉様は、よく私にエリック王子の話を聞かせてくれた。

 正直に言って私は、会ったこともない王子様なんかには興味はなかった。でもその時のお姉様は姿が……頬を赤らめて幸せそうに話す顔が好きで、素敵な物語を読み聞かせるような声が好きで、私に黙ってお姉様に寄り添って耳を傾けた。

 そしてお姉様は、ごくたまに寂しそうにエリック王子について話していた。

 王子じゃなければ良かったのに。そうすれば、もっと気軽に会えて、もっと自由にお話ができるのに。王子でさえなければ、お友だちぐらいにはなれたかもしれなかったのに、と。



「姉は、第二王子の婚約者という肩書きが欲しかったんじゃあありません。ひとりの女の子として、あなたのことが好きだった。……いえ、今も変わらず好きなんですよ」



 私が誘拐に巻き込んでしまったから助けたのが、たまたま王子だったのと同じ。

 お姉様は初めて好きになった人が、たまたま王子だったのだ。



「知らなかったでしょう?なにせあなたは『どうせコイツも』と思って、ソフィアという女の子のことを知ろうともしなかったんですから」



 乙女ゲームで語られたソフィアは、悪役令嬢らしく親の権力で婚約者になって、その地位にすがり付く最低女と描かれていた。でもそれは主人公の視点だ。

 第三者……いや、悪役側に立ってエリックルートについて考えれば、ソフィアはエリックを深く愛しているからこそ主人公に嫉妬し、自分の恋路の邪魔をされたくなくて嫌がらせをしたと言える。主人公が幸せに近づいていくにつれて、ソフィアの幸せが壊れていくのがエリックルートだ。

 そして今、ゲームのキャラクターではないソフィアという人の妹に生まれ、彼女がどんな人か知ることができた。だからこそ私は、お姉様のことを知ろうともせずに悪と決め付け嫌った人に、お姉様を渡すことなんてできない。



「……少し、しゃべりすぎましたね。話題を戻しましょう」



 お姉様とエリック王子の婚約の件は、もう解決している。

 エリック王子がこんな性格ではなければお姉様も幸せになるのに、などという意味のない考えを頭から追い出すために軽く頭を振り、再度エリック王子を見た。



「相手を知ろうともせず、歩み寄ろうともせず、一方的に愛してもらおうだなんて虫がよすぎるんですよ。でもそんな今のあなたを愛してくれる人がたくさんいるんですから、その愛情にふさわしい人になってください」


「…………何様のつもりだ」


「命の恩人様と言いたいところですが、私はあなたに感謝してほしくて行動したわけではありませんからね。そうですね、愛されたがり仲間とでも言っておきましょうか」



 自然と浮かぶ自嘲の微笑みを隠さずに答えると、それまで居心地が悪そうにしていたエリック王子はきょとんと大きく見開いた灰色の目で、私を見た。

 躊躇いがちに、ゆっくりと口が開く。しかし彼が何か言うより早く、こんこんと扉が叩かれ、開いた扉から騎士が顔を覗かせた。

 そしてすぐ近くに私が立っていたことに驚いたようだったけど、すぐに冷静に「お時間です」と告げられる。

 バカでも王族。どうやら時間制限付きの面会だったようだ。



「お時間のようなので、エリック王子、私はこれで失礼いたします」


「ま、待てっ!もう一つ、もう一つだけ聞きたいことがある!」



 ちらりと騎士を見上げると、退出を強制されるどころか視線でどうぞと会話続行を促された。

 だったらまあ、続けますか。本当はさっさと帰って、お姉様をお茶を楽しみたいけれど。



「私に答えられることであれば」


「お前はあの時、王子に生まれた俺にはやらなければいけないことと、俺にしかできないことがあると言っただろう。それは、なんだ?」



 ああ、そういえば顔面に頭突き食らわした後にそんな様なこと言ったなぁ。



「残念ながら、その質問にはお答えできません」


「はあ?!お前が言ったことだろう!」


「それは一人で考えて、自分なりの答えを見つけなければいけないことです。誰かに教えられるものではありません」


「だったらお前は、一人で考えて、お前なりの答えを見つけたのか?」


「ええ。私は、パールグレイ家のミシェルに生まれた私にしかできないことと、やらなければいけないことはすでに把握しています」



 前世の記憶を持って生まれ変わった私にしか、五年後の未来を変えることはできない。そのために私は、あらゆるフラグをへし折らなければならない。

 そしてまずはお姉様とエリック王子の婚約フラグを折ることに成功しているので、私の計画は順調だ!


 フラグを折った以上もう興味ない。めんどくせぇからテメーで考えろとオブラートに包んで伝えると、エリック王子は「そうか……」とどこか腑に落ちたような表情で頷いた。

 それを最後に私は令嬢らしく頭を下げ、来た時と同じように騎士達に護衛され王城を後にした。





 帰りの馬車のなか、私はお父様と二人きりでお互い無言という居心地の悪さを味わいながら、エリック王子に言った言葉を反芻した。


『一方的に愛してもらおうだなんて虫がいい』

『今のあなたを愛してくれる人がたくさんいる』

『愛されたがり』


 本当に、少ししゃべりすぎたな……。

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