23.再びの王宮
第二王子及びパールグレイ家令嬢誘拐事件。関係者の誰かによってそんな名前を付けられたあの事件から、二週間が過ぎた。
「あの男を捕らえることができなかった。……探し続けているが、おそらく見つからないだろう」
王都内の屋敷に戻った翌日、お父様は私にだけそう教えてくれた。逃げられた以上また狙われる可能性があるから用心しておけ、という理由で。
しかしお父様は、お母様とお姉様には、誘拐犯は一人残らず捕まったと嘘をついていた。たぶんただでさえ過保護をこじらせてナイーブになっている二人を、これ以上不安がらせないためだろう。だから私も「これでもう安全ですね!」と、心配する二人を安心させるために笑った。
お父様からは、その他にも事件の顛末を教えてもらった。
監禁場所だった廃墟を根城にした集団は、ある日突然現れたローブ男に金を渡され、監禁場所の提供をしただけで仲間ではなかったこと。そんな彼らは最近貴族ばかりを狙って強盗や誘拐をしていた連中だったこと。これまで誘拐された子は裏で人身売買をしていたドナルドという男に売っていたこと。そのドナルドも、芋づる式に捕らえることができたこと。
……しかし売られた子達の行方については、お父様は断固として教えてくれなかった。
それからあのローブ男について。
私が役人達に教えた懐中時計の蓋に刻まれていたのは、ダスク家という伯爵家の紋章。即座に騎士団がダスク家へ派遣され、男を探したそうだ。
しかし、そこに男の姿はなかった。
それどころかダスク家の人々も、若い執事が一人行方不明になっていたが、誰も男の顔を思い出せずに混乱した状態だったらしい。
ダスク家が把握していた男の名前や出身などもすべてデタラメ。記録上の出身地となっていた王都から遠く離れた小さな農村へ行っても、村人達は口を揃えてそんな名前の男は知らないと言ったそうだ。
記憶を消され、記録も偽装されていたあの男を追うことは、不可能になってしまった。
「ダスク家は国外から陶磁器を輸入する事業で成功している。王妃殿下も日頃贔屓にして、あの催し用にも茶器を取り寄せていたそうだ」
「ああ、そんな家の使用人ならお茶会の日程を知ることもできますね。でも私が出席することはどうやって知ったんでしょうか。まさかダスク家は出席者も知ることができたんですか?」
「殿下が『十歳の令嬢がお茶会に初めて出席するから、その祝いになるような品を』と注文をつけたそうだ」
なるほど。王妃様に招待されるほどの家柄でありながら、十歳にもなってお茶会デビューしていない貴族令嬢なんて私ぐらいなものだ。
あの男は私についてずいぶんと詳しかったから、その情報だけで私だと特定できたのかもしれない。
しかしこの迷宮入りした誘拐事件で、私にとって最も疑問に思っている事が解消されていなかった。
なぜ、私が狙われたのか。
もう顔も思い出せない薄気味悪い男は、何を目的で私を誘拐したのか。
貴族の子どもの誘拐なら、真っ先の思い浮かぶのが営為目的の誘拐だ。私も最初はそうだと思っていた。
けれどあの男は、私を無傷で攫うこと自体が目的と言って、さらに一緒に攫ったエリック王子は無視して私だけを連れて王都を離れる準備をしていた。
社交界どころか世間から隔離されるように長年領地の屋敷で生活していた私の存在を、どこで知って、どうやって調べたのだろう。
病弱で魔法も使えない、公爵家の血筋以外は価値のない私をどこへ連れて行こうとしていたのだろう。
「あの、お父様……」
「なんだ」
質問しようと思った。なぜ私が狙われたのか、と。
だが、言葉は出てこなかった。
二人きりで話をしているのに、お父様が一度も私を見ない。見ようともしないことに、気が付いてしまったから。
例えお父様がなんらかの答えを知っていたとしても、どうせ質問したところで私に話すことはない。そういう雰囲気が、読み取れた。
「……いいえ、なんでもありません……」
私のその言葉を最後に、我が家で誘拐事件について話すことはなくなった。
王宮に侵入を許し第二王子と公爵令嬢を誘拐された上に、その主犯を取り逃がしたという大事件かつ大失態に国王陛下が関係者に箝口令をしき、世間に話が出回るのを阻止したからだ。
そうして二週間が過ぎ、末っ子の誘拐という恐怖体験に発狂寸前だったお母様とお姉様も落ち着きを取り戻し、依然として変わらない生活を送っていた…………はずなんですけどねぇ……。
「我々は外に待機していますので、ご安心ください」
場所は王宮。私が応接間に足を踏み入れると、騎士達は折り目正しく頭を下げてきっちり扉を閉めた。待ってと言う暇すらない。もし言えていたら、私はこう言葉を続けていただろう。
どうしてエリック王子と二人きりなの?、と。
こうなった経緯を説明するためには、今から一週間ほど時を遡らなければならない。
今から一週間前、つまりあの誘拐事件から一週間経過というタイミングで、私宛に一通の手紙が届いた。
深紅の封蝋には見覚えのある紋章。差出人は王家で、中身を確認するとまさかまさかの国王陛下からの直筆の手紙だった。驚きすぎて悲鳴をあげて椅子から転がり落ちそうになったけど、一緒にいたじいやが支えてくれたのでケガはなかった。
肝心の手紙の内容は、ちょっとした事情説明のあとはほぼ謝罪だった。こっちの都合で呼び出しておいて警備が不十分だったせいで誘拐という危険な目にあわせた謝罪。拐われた先で孫が男として令嬢を守るどころか役立たずの足手まといだった謝罪。せっかく貴重な情報を提供してくれたのに犯人を取り逃がした謝罪。
そして最後に、孫の命を守ってくれた感謝の言葉だった。
自国の最高権力者に謝罪の手紙を出させる十歳女児がいていいのか。答えは否である。
私に続いて手紙の内容を確認したお父様は絶句し、額に手を当て天井を見上げていた。
とりあえず手紙の返事には、こちらこそ王子を巻き込んでしまった謝罪と、こうして気にかけてもらったことへの感謝の言葉を書いておいた。
――――が、王家とのやり取りはこれで終わらなかった。翌日、また私宛に王家から手紙が届いたのだ。
私はてっきり国王陛下からだと思ったけれど、今度はエリック王子からだった。
内容は『この前のことで話があるから四日後に城へ来い。ついでに婚約の件もケリをつけるから姉も連れてこい』というこっちの都合をまるっと無視した大変上から目線なもの。
前日の手紙で国王陛下からゆっくり身体と心を休めてくれと言われていたし、個人的にはお姉様とエリック王子を会わせるなど我慢ならない。
私は調理場に走っていき、ゼエゼエと息切れも気にせず燃え盛るオーブンに手紙をぶち込んだ。もちろん返事は書かない。そしてそのオーブンで焼いたフィナンシェはとっても美味しかった。
――――が、これでも王家とのやり取りは終わらなかった。三日連続で私宛に王家から手紙が届いた。
またエリック王子からだったら読まずにハサミで切り刻んでやろうかと思ったけど、今度は国王陛下から。
長文の内容と意訳すると『また孫が失礼なことをしたみたいで本当にごめん!直接頭を下げさせたいけど王子を外出させるわけにはいかないから、本当に申し訳ないけど城に来てくれないかな?護衛はたくさんつけるから!お詫びのお菓子も用意するから!お姉さんの件は誘拐に関係ないから一緒に来なくて大丈夫だよ』だった。
一通目と比べてかなり必死さがあった。
国王陛下のお願いとあっては無視できないし、私一人ならなんの話をされたって構わない。
行くと返事を出して当日……つまり今日、肩に毛玉を乗せた私は屈強な騎士達に護衛されて、保護者であるお父様と再び王城を訪れた。
そして到着するなり国王陛下と会うことになっていたらしいお父様と別れ、騎士達にぐるりと取り囲まれながら王宮の応接間に案内された。
以上、回想でした。
「お前、パールグレイ家の娘だったんだな」
呼びつけておいて挨拶もなく着席を促すこともなく、開口一番にそれかよ。
俺様キャラは二次元だから許されるだけでリアルだと不快でしかないな、という怒りと納得を胸の奥に隠して、私は淑女の礼をとった。
「先日は悠長に自己紹介をする余裕がありませんでしたが……改めまして、ミシェル・マリー・パールグレイと申します」
「この前と髪の色が違うぞ」
「先日は魔法薬の影響でああなっていただけで、普段は姉と同じこの色です」
ふうんと、一人用のソファーに足を組んで座るエリック王子の姿は、なんとふてぶてしいことか。いったい王家はどんな教育をしているのやら。
こんなことならあの監禁脱出劇でこのクソガキは見捨てて、私だけで脱出はすれば良かった。そうすればお姉様にも「エリック様はお星様になったんですよ~」と言って、『第二王子の婚約者』という悪役令嬢スペックは入手不可能になったのに。
あーあ、失敗したなぁー、なんて考えてしまうのは仕方がないだろう。
でも相手は十一歳の子どもで、私はそれよりも精神年齢は上の大人だ。この程度の苛立ちは顔に出さずにいられる。
「で?」
「はい?」
「お前、俺になにか言うことはないのか」
はあ?なに言ってるの、このクソガキ?
話があるから来いって言ったのはそっちじゃあないか。その言葉は丁寧にラッピングして、腹立つぐらい整った顔面に全力投球でお返しする。
いやいや、落ち着け。クールになろうぜ私。相手は子どもで、しかも王子としてちやほやされて育ったクソガキだ。この程度でキレているようでは、今後パールグレイ家の令嬢はやっていけない。
私は十歳の女の子らしくにっこりと微笑んだ。
「そうですね、では一つだけ。例えあなたがあの日、国王陛下からの言いつけで自室で勉強しているはずがなぜか変装などして護衛もつけずに城から脱走をはかっていたとしても、私が標的の誘拐に巻き込んでしまったのは事実。誠に申し訳ありませんでした」
すらすら言い淀むことなくなく言いきって、肩に乗る毛玉を落とさない程度に軽く頭を下げる。すると顔を上げてから見えたエリック王子の顔は、面白いぐらいひきつっていた。
「な、なんでお前がそのことを……」
「エリック王子からお手紙をいただく前日に、国王陛下からもお手紙をいただいておりまして。そこにすべて書かれていました。ああ、孫の命を守ってくれてありがとう、という私などにはもったいのないお言葉もいただいておりますね」
あの誘拐事件の表側だけを知ると、エリック王子は令嬢の巻き添えを食らった不運な王子様だろう。
しかし裏の事情を知ると、彼は自分の不用意な行動の結果で誘拐に巻き込まれた自業自得のバカ王子に早変わりするのだ。
実はあの誘拐事件の前日、エリック王子は「社交期なのにずっと城にいるなんて暇だ!」と護衛もつけずに城を抜け出そうとした。事件当日はその罰として国王陛下から自室で反省するように命じられていたそうだ。
しかし反省するどころか監視兼護衛の目を盗み部屋を脱走、捜索の手から逃れるため兄王子に借りたカツラで変装して王宮内を走り回っているところを、私にぶつかったのだ。
つまり、王子という守られる立場であるにも関わらず、誘拐が頻発している城下へ護衛も無しに行こうとし、反省するどころかそれの何が悪い!という態度の結果、誘拐された。おまけに拐われた先で、脱出は年下の令嬢に任せきりで足手まといの役立たず。
保護された後、陛下や役人達からずいぶんと叱られたそうだ。
公爵令嬢の誘拐も大事件だけど、そのおまけに第二王子も誘拐されたとなればその緊迫感は跳ね上がる。
賊の侵入を公にできないため、王宮内は秘密裏に大騒ぎ。しかし王子は自分で護衛を撒いて危険に首を突っ込んだと分かってからは、国王陛下や役人達は「あのバカ!またか!」と十割だった心配が八割に減り、残りの二割は怒りになったそうだ。
無事保護されてからは心配が解消され、怒りの割合が十になっても仕方がない。
私はその裏側の出来事を、一通目の国王陛下からの手紙で知っている。
なにより私は、王妃様に呼び出されて王宮に行ったら警備が手薄だったせいで誘拐され、さらのバカで役立たずな王子を無傷で脱出させた、王家の事情に振り回された可哀想な十歳の公爵令嬢だ。この国の最高権力者から謝罪と感謝の言葉をいただいている相手を、いくら孫と言えど責めていいわけがない。
そうとは知らず強気でいたエリック王子の灰色の目は、今では親に叱られて言い訳を考えているようにあちこちをさ迷っている。
いやはや愉快、愉快。調子に乗ったバカの鼻っ柱が折れる瞬間ほど痛快なものはない。
「で?」
「え?」
「私は陛下から、あなたが私に伝えたいことがあるから来てやってくれと頼まれたから来たのです。私になんのご用ですか?」
あえて挨拶をした位置から一歩も動かず、にっこり微笑む。するとふてぶてしかったエリック王子は、悔しげに顔を歪めて「ぐっ……」と呻いた。
さあ、これでさっきまでと立場が逆転した。
だいたい二通目の国王陛下からの手紙には、エリックに謝罪をさせるから来てくれとあった。そんな国王陛下と意思に反して、開口一番に私に謝罪の要求をした時点で、エリック王子の敗けは決まっていたのだ。
今日この場でボコボコに打ち負かして、いまだに初恋を忘れられないお姉様に「エリック様はこんなにも最低な男だったんですぅ~」と報告して幻滅させてくれるわッ!
「……なんであの時、俺を助けたんだ……?」
「はあ?」
え?会話の流れはまるっと無視?
今の空気は完全に、私に対して「自分の立場を理解しない不用意な行動はもうしません。助けてくれてありがとう」っていう空気だったじゃないか。
それなのにどうして……
「なんでって……そんなの、私がそうしたかったからに決まってるじゃあないですか」
どうしてそんな当たり前な――――わざわざ質問してくる意味も分からないことを聞いてくるんだ。
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