25.お帰りください




 王都に吹く風はすっかり夏めいてきて、庭では紫色のブッドレアに蝶がひらひらと集まっているのが見える。

 前世を思い出したのが春だったことを考えると、この三ヶ月は濃密過ぎる気がする。

 お姉様の婚約の阻止、対お父様限定反抗期、初めての外出で精霊にバレッタを破壊さて、大量の四つ葉のクローバーが降ってきて。さらにお茶会デビュー戦が王妃様主催の会だったと思ったら、挙げ句の果てに第二王子を巻き込んで誘拐されて……。



「なんか、そのうち胃に穴が開きそう……」



 ため息を吐いて、膝に乗せていた本のページをめくった。

 社交の最盛期である貴族社会は連日連夜どこかでお茶会や舞踏会、晩餐会が催されているようだけど、もやし体力なうえに誘拐を経験し、招待してくれる友達もいない私は今日も元気に引きこもっている。

 今は唯一の友達を肩に乗せ、自室の窓辺で読書をしていた。



「プピィ、ピッ!」


「励ましてくれるの?私の癒しは毛玉だけだよぉ~」



 極上の毛並みに頬擦りすれば、毛玉は機嫌が良さそうに「ンプププ」と鳴く。あ~今日も素晴らしいモフみ~。

 と、その時、扉がノックされた。椅子に座ったまま返事をすれば、扉を開けて入ってきたのはお姉様だった。



「ミシェル、少しだけいいかしら?」


「もちろん」



 暇すぎて一応は読書のふりをしていただけで、真剣に読んでいたわけではない。仮に真剣に読んでいたとしても、私のなかにはお姉様の訪問を断るなんて選択肢は最初から存在しない。

 栞も挟まないで本を閉じれば、お姉様はパアッと表情を明るくして走り寄ってきた。



「実はね、来週にデカルド伯爵家のお茶会に招待されているんだけど、なにを着ていくか悩んでるの。一緒に選んでくれる?」


「いいですよ。デカルド伯爵家って、お姉様と同い年のご令嬢のいるお家でしたっけ?」


「そうよ。……あらっ」



 お姉様の視線が私の後ろへ向かった。何かと思って振り返れば、ほどよく日陰になっている出窓にはちょこんと鉢植えが置いてある。

 花はなく、ただ緑色の葉っぱがあるだけの物を見て、お姉様は首を傾げた。



「これ、前に私があげたすずらん?花は散ってしまったの?」


「普通より長く咲いてくれましたけど、もう夏ですからね。今は来年にも花が咲くように、根っこに栄養を溜めているんです」


「来年も咲くの?」


「すずらんは多年草なので。大事に育てて、来年もきれいに咲かせてみせますよ」



 お姉様からもらったものなら、本邸に持ち帰って愛情たっぷりに育てる。例えそれが、うっかり口に入れたら病院直行なガチの有毒植物だろうとも。

 すずらんが管理方法を間違えると危険物に豹変すると知らないであろうお姉様は、私の大事にするという言葉に「じゃあ来年が楽しみね」と嬉しそうに笑った。知らないがゆえの花の笑みである。

 そうやって姉妹で出窓のすずらんを眺めていると、ふと、馬に乗った人が屋敷の門を入ってくるのが見えた。



「お姉様、あれ」


「早馬ね。どこからかしら?」


「お父様はお母様と一緒に出掛けていて、今うちに来ても意味ないのにね」



 我が家はお父様の仕事の関係上、領の本邸だろうとこの別邸だろうと早馬によって急な連絡がくることがある。だから早馬が来ることは珍しくないけれど、今日は朝から両親は外出していて不在だ。うちに連絡を寄越しても、肝心のお父様がいないのだから意味はない。

 外を見ながら「どうするんだろう」「使用人の誰かがお父様の所に行って伝えるんじゃないかしら」と言いながらも、子どもの私達には関係のないことだ。最初に話していた通りお茶会用の衣装を決めるため衣装部屋へと向かおうと、お姉様に手を取られて廊下に出る。

 するとちょうど正面から、ばあやこと家政婦が必死の形相で走ってくるのが見えた。後ろにはニナと、お姉様付き侍女の一人であるヘレンもいる。



「ああソフィア様、やはりミシェル様とご一緒でしたか……」


「どうしたの、ばあや」


「何かあったの?」


「ええ、ええ、ありましたとも。お二人共、急いでお支度を!」



 支度ってなんで?、とお姉様と顔を見合わせる。

 ばあやは肩で息をしながら、珍しく慌てた様子で「実は」と口を開いた。



「今しがた早馬が来まして、王子が……エリック殿下が、旦那様方とこちらに向かわれているとのことです!」


「……え?」


「……エ?」


「えぇええええええええ?!」


「エリック王子ぃいいい?!」



 お姉様は歓喜、私は絶望。二人の絶叫が昼下がりのパールグレイ邸に響き渡った。

 状況ができず固まる私達を無視して、集まってきた侍女達は『最速かつ最高に』を合言葉に動き出す。

 私達の着ているドレスをスポーンッと脱がし、外出着ほどではないけれど普段着としては高級なドレスをズボッと着せて、毛質は違えど揃って長い髪をシュババッと整える。そうしてわずか十分の早業で、王子様を出迎えるにふさわしい公爵令嬢姉妹が完成した。

 侍女達は「いい仕事しましたっ!」と満足げに頷いた。



「じいや、エリック様がうちに来るってどういうこと?!しかもお父様と一緒にって……」


「旦那様と奥様は本日、王城へと向かわれておりました」



 最速で身支度を終え、玄関ホールを見下ろす階段の上で待機しながら質問すれば、じいやこと執事は私の欲しいものとは違う答えを述べる。


 両親が城へ行っていたなんて寝耳に水だ。

 普段お母様は外出する時、どこへ行って何時には帰ってくるからミシェルはいい子でお留守番していてねと行き先を教えてくれる。それが今朝はなく、やけに気合いを入れて身支度をしていたからよっぽどの用事なんだろうなと思っていたけれど、まさかの王城ときた。

 しかもエリック王子を連れて帰ってくるなんて、ああ、すごく嫌な予感がする。


 私は肩にいた毛玉をモフモフと揉んで気持ちを落ち着けながら、ちらりと横のお姉様を見た。

 う~ん、色々な感情が背後で渦巻いている。あえていくつか挙げるとすれば、喜び、戸惑い、不安。

 私は無言で百面相をしているお姉様から目をそらし、じいやの燕尾服のすそをくいっと引っぱった。そして「ちょっと……」と言い淀めば、察したじいやはしゃがんでくれる。



「お父様とお母様がお城に行った理由って、お姉様の婚約のこと?」



 お姉様に聞かれないように小声で言えば、じいやも小声でいいえと首を横に振る。



「先日のミシェル様の件についてでございます」


「私のって……誘拐?」


「主犯の者がいまだに逃走中ですので、今後の方針など話し合わねばならないことが山のようにございます」


「それがどうしてエリック様がうちにくることになるのよぉ……」


「そこまではわたくしにも分かりかねます」



 ため息をつく私に、じいやは苦笑いを浮かべる。

 じいやは私がお姉様の婚約に反対していることも、誘拐事件後にエリック王子からの手紙をオーブンにぶち込んだことも知っているから、この急な訪問がどれだけ嫌か察してくれているのだろう。

 私がじいやと密談し、お姉様が百面相している間にも、突然の王族の訪問に使用人達がバタバタと準備に追われている。それを見て「報告、連絡、相談って大事だと思う」と呟けば、



「急な来客も完璧な状態でお出迎えできてこそ、パールグレイ家の使用人でございます」



 と、胸に手を当て自信ありげな笑みを浮かべた。

 その背後で侍女達が「ホールに生ける花は?!」「バラよ、バラならそれっぽくなる!」「赤?白?黄色?ピンク?」「え~あ~~全色突っ込んどけっ!」とパニックを起こしていることには見て見ぬふりをしておく。

 そんなすったもんだの準備を眺めながら毛玉をモフモフしていると、窓辺で外の様子を伺っていた従僕が「お見えです!」と叫んだ。

 それを合図に使用人達は、玄関から階段まで花道を作るように整列する。さっきまでの慌てふためきかたが嘘のようだ。そして四色のバラが突っ込まれた花瓶も、なんかちょっとそれっぽくなっているから驚きである。



「ではソフィア様、ミシェル様。扉が開いて殿下がお見えになるタイミングで、階段をお降りください。くれぐれも駆け寄ってはいけませんよ」


「大丈夫よじいや、私は歓迎していないもの。誰が駆け寄るもんですか」


「……ソフィア様もそれで……って、聞こえていませんね」


「大丈夫よじいや、私が手を繋いでいればお姉様も走らないわ。……たぶん」


「……危険を感じたらすぐに離してくださいね」



 ねえ、ちょっと待って。私はお姉様がエリック王子と会っている場面に出くわしたことがないの。その言い方だと、赤い布に突進する闘牛のように聞こえるんだけど。

 でもお姉様のなかのヒエラルキーの最上位は私。

 私と会えなくなるなら舌を噛んで死ぬと言って、婚約を断った人だ。体力のないもやしっ子な妹を引っ張って、初恋の王子様に突進するわけないよね。大丈夫、大丈夫……だよね?

 相変わらず自分の世界にトリップ中なお姉様の手をおそるおそる握る。するとその慣れ親しんだ低い温度の手が、かすかに震えているのに気がついた。



「お姉様?お姉様、大丈夫ですか?」


「へっ?!あ、ええ、大丈夫よ……」



 大丈夫と言える顔色には見えない。

 しかしまあ、好きで好きでしょうがないのに婚約の申し出を断った相手、それも自国の王子に会うのだから不安にもなるか。

 私は婚約を断らせた者の責任として、お姉様の不安を取り払うべく、繋いだ手に少し力を込めて引き寄せた。



「お姉様、大丈夫ですよ。お姉様は今日もとってもきれいだし、エリック様とお話しするのが不安ならミシェルも一緒にいます」



 するとお姉様は固かった表情を和らげ、ほっと一息ついた。

 私が一方的に握っていた手がしっかりと握り返される。



「本当に一緒にいてくれる?」


「はい」



 私が大きく頷くのと同時に、玄関の扉が開かれた。

 花道を作る使用人達は一斉に頭を下げ、そこをまずは登城用に着飾った両親が歩き、その少し後ろを物珍しそうに周囲を見回して歩く赤い髪の少年……エリック王子が続く。

 しかし、訪問客はエリック王子一人ではなかった。エリック王子の横には、なぜか当たり前のようにお祖父様とジャンお兄様がいたのである。

 そう、お姉様が蛇蝎のごとく嫌い、会うたびにブリザードが吹き荒れる従兄が。しかも初恋の王子様と親しげに話ながら。


 やばい。私がそう思った時には、すでに隣から冷気が漂ってくる。

 ああ、嫌な予感の正体はこれかぁ……。


 お待ちしておりました、などという優雅な挨拶ムードの裏側で、真冬の早朝に吹く風が温かいと思えるぐらいの冷気が流れていることに気づいている者はこの場にどれだけいるだろう。少なくとも、冷気の発生源であるお姉様に花の様な笑みを向けられているエリック王子が気づいていなのは確かだった。



「お久しぶりにございます、エリック様」



 天敵な従兄をちらりとも見ず、お姉様は私と手を繋いだままエリック王子に歩み寄って嬉しそうに微笑む。そんなお姉様にジャンお兄様は「相変わらずだな」と言いたげな目を向けたけれど、それが私と手を繋いでいることでも自分を無視することではなく、エリック王子に夢中という意味だと察しがついた。そういう目だった。

 この様子では私が長年引きこもっている間、お姉様は初恋の王子様に会うたび恋心を募らせていったのだろう。

 我が姉ながらなんと純情か。とても五年後に悪役令嬢になって罪を犯すとは思えない。



「久しぶり……だな。近頃暑くなってきたが、その、体調を崩したりしていないか?」



 おや、あの自信家俺様不遜バカ王子も、いっちょ前に人を気遣うことができたのか。この前会った時は挨拶もせずにふんぞり返っていたというのに、いったい彼のなかで何が変化したのやら。

 ぎこちない挨拶にひそかに驚いていると、驚いたのは私だけではなかった。お姉様もジャンお兄様も、揃って瞬きを繰り返してエリック王子を見ていた。

 だがそれはほんの数秒。

 お姉様は頬をかすかに赤らめ、いっそう嬉しそうに微笑んで「はいっ!」と頷く。

 お兄様はエリック王子の顔を見ながら、なにやら納得したように口角を上げる。

 そして私はまた嫌な予感がして、死んだ魚のような目でそれを眺める。もう毛玉のモフモフボディを揉んでも心を鎮めることができそうになかった。


 この野郎、何しに来やがった。お姉様のことをそこいらの令嬢といっしょくたに考えて嫌っていたくせに、急に来るなり気遣うような言葉をかけやがって……。今すぐピアノで蛍の光を奏でてぶぶ漬け食わせてやろうか。



「殿下。庭に席を用意しましたので、どうぞそちらへ。ソフィア、ご案内を」



 帰れオーラを隠さずエリック王子を無言で睨んでいると、お父様がそう言った。


 外……だと……?!


 この別邸でも私はなるべく庭に出ないように言われている。むしろあの誘拐事件の影響で、私が外に出ることに家中が過敏になっている。

 思わずお父様に文句を言おうとしたが、近寄ることができなかった。なぜなら――――お姉様がガッチリと私の手を握って離さないから。

 私から握った手は、私では離せなくなっていた。



「……」



 私は自由な左手で掴まれた右手を指差し、無言でお父様を見上げる。

 するとそれをお父様は、諦めたように「……ソフィアのそばを離れるんじゃないぞ」と言った。

 離れたくても離れられないんですよ。



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