22.鱗の欠片





 その後はとにかく、無事でよかったとおいおい泣くお母様とお姉様をなだめるのに苦労した。

 二人の言うことに相槌を打ちつつ、何度も何度も謝って、こうして無事に帰ってきたことを伝えた。そうしてどうにかこうにか泣き止ませることに成功し、泣き腫らした顔のままにするわけにはいかないので、王宮の女性使用人に任せて別室への移動を促した。

 その間、男共は揃いも揃って近づいてこなかった。二人に邪魔をするなと睨まれるの恐れたのだろう。これだから男は……!


 お母様とお姉様が部屋を出ていき場の空気が落ち着いてからは、私はベッドに座り、主治医として連絡を受けてわざわざ駆けつけてくれたフォッグ先生の診察を受けた。

 話を聞けば今はあの誘拐の翌日で、ここは王宮に客間だそうだ。そして私はお父様に保護されてから気絶するように眠りこけ、高熱を出していたらしい。原因は命の危機に直面した極度のストレスと、逃げるために走ったせい。

 そんな状態だったからパールグレイ家の屋敷には帰らず、王宮内の治療施設で解熱剤などを打たれて、客間で一夜を過ごしていたそうだ。

 ともあれ熱も下がり大きな怪我もないなので、全快とのお墨付きをもらった。



「ミシェル。もう少し休ませてやりたいが、事が事だ。お前にも話を聞かねばならん。覚えていることだけで構わない。話せるか?」


「問題ありません」



 お祖父様は私の体調を心配してなのか、申し訳なさそうな顔だ。しかし元はと言えばヘイルズ卿の部屋から出てあっさり誘拐、それも第二王子を巻き込んで誘拐された私が悪いのだ。

 なんでも話すと頷けば、お祖父様が扉の近くに控えていた騎士二人に扉を開けさせる。すると役目を終えたフォッグ先生と入れ違いに、険しい顔つきの役人と思われる男性が三人も入ってきた。



「この子の気分が悪くなれば、すぐに中断する」



 今まで黙っていたお父様は三人を睨む。その声と表情は、ローブ男の足を氷漬けにした時のものだった。

 睨まれた三人は顔を青くして「承知しております」と深々頭を下げたものだから、まるで蛇に睨まれた蛙だ。

 きっと私に話を聞くのが彼らの仕事なのに……。



「我々は今回の件の全容把握を命じられた者です。お辛いところ大変申し訳ございませんが、ご質問をよろしいでしょうか」


「私でお力になれるのであれば、どうぞ何なりと」


「ありがとうございます。まずは、拐われた際のことは覚えておいでですか?」


「はい」



 私はヘイルズ卿の部屋を出たことから始まり、ぶつかった少年がエリック王子だと気づかなかったこと、二人で歩いていたら背後から襲われたこと、そして目が覚めたら縛られて監禁されていたから情報を集めて脱出したこと。毛玉に頼んで脱出ルートを調べたこと以外は、覚えていることは全て話した。

 するとどうやら私より先にエリック王子にも事情聴取していたらしく、話している途中で何度か「殿下の記憶と同じか……」と役人達は顔を見合わせていた。



「殿下のお話によりますと、ミシェル様は誘拐犯とかなり長く話をされたそうですが、男の特徴などは覚えていらっしゃいますか?」


「え?」



 なんで、そんなことを聞くんだろう?



「あの、誘拐犯達は騎士の方々が捕らえたのでは……?」


「――――いや」



 まさかと思っていると、お父様が首を振る。



「一人、捕まっていない者がいる」



 誰が捕まっていないのか、なんてことをわざわざ問わなくても直感的に分かった。

 でも、認めたくなかった。



「殿下の証言で、あの後すぐにお前と殿下が監禁されていたという場所に騎士を向かわせた。そこを根城にしていた者達は全て捕らえたが、あのローブを着た男だけは取り逃がした」



 ああ、やっぱりあの男か。

 終始何にを考えているか分からなかったあの薄気味悪い男なら、追う騎士達をまき、逃げおおせそうだと思えてしまった。



「私達はあの男の顔は見ていない。殿下も、お前に気絶したフリをするように言われたから見ていないと仰った。ミシェル、お前はあの男と会話をしたらしいが、顔は見たか?」



 お父様の言葉で、なぜ目を覚ましてすぐに事情聴取をされているのかが分かった。

 これは始めから、一人だけ逃げたあの男を見つけ出して捕らえるために、手がかりを聞き出すためのものだったのだろう。

 なんてまどろっこしいことをしてくれたんだ。最初からあの男について聞いてくれていたら、知っている情報を全て喋って、捕らえるのに貢献したというのに。



「はい、見ました。監禁されている時、あの男はフードなんて被っていませんでしたから。あの男は……」



 そこで、私の言葉が止まった。

 私はあの時、確かにローブ男の顔を見て話をした。誘拐犯らしくない微笑みを見て、薄気味悪いと思ったはずだ。それなのに――――男の顔を、まったく思い出せない。



「なんで……」


「どうした?」


「思い出せないんです。確かに見たのに、なにも……!」



 髪色に髪型、肌の色、瞳の色、輪郭や顔のパーツの形。

 話した内容や服装は思い出せるのに、肝心の顔が、まるで黒く塗りつぶされた様に思い出せなかった。



「ミシェルもか……」



 呟いたお祖父様に「どういうことですか」と説明を求めると、返ってきた内容に言葉を失った。



「廃屋敷で捕らえた連中も、逃げた男の顔を思い出せないと言っていてな。庇っているのかと思っていたが、どうもそうではなさそうだな。こいつは完全に手詰まりだ」


「おそらく何らかの魔法でしょう。まずはそちら方面で調べていくしかありませんね……」



 私だけではなくて、一緒に行動していた仲間も思い出せないなんて、そんなことがあり得るのだろうか。

 でも実際に私は思い出せない。あの男の顔だけが……顔だけ…………。



「ま、待ってお祖父様!私、あの男に違和感があって喋りながら探りを入れてたの!顔以外のことは覚えてるから、見つける手がかりならあります!」


「本当か?!」


「はい。どなたか、紙とペンを貸してください」



 手を伸ばせば、役人の一人が慌てて事情聴取に使っていた紙とペンを貸してくれた。それにあの時見たことを思い出しながら書き連ねる。


 顔が思い出せないけれど、それ以外ははっきりと覚えている。

 まずあの男に違和感を抱いたのは、言葉と所作だ。言葉に訛りがあるどころか、まるで上流階級の家に仕える使用人のような丁寧さがあった。

 だから私はあの男が貴族の関係者だと読んで、正体を探ることにしたのだ。


 違和感を抱いてからは、喋りながらじっくり身なりを観察した。

 全体はローブで隠してはいたけれど、隠しきれない靴に汚れや傷はなくて、よく手入れしてあった。

 私の縄を外す手には、サイズの合った染み一つない真っ白い手袋がはめられていた。

 そして時間を聞けば、誘拐犯が持つには違和感がある品のいい懐中時計を、あの男は慣れた手付きで懐……黒い三つ揃えのベストのポケットから取り出した。

 私への態度、口調、服装、持ち物。全体的にあの男は、執事かなにかの様だった。



「だから私思ったんです。あのローブは、服装で正体を特定されるから身に付けているんじゃあないかって。……なによりあの男は、私について詳しかった。今までずっと領の屋敷で生活していた私について知っているなんて、貧民街を根城にしているただの誘拐犯ではあり得ないことです。それにお城どころか王宮に侵入して人を攫うなんて、内側に協力者がいないと不可能です」


「まさか、王宮の関係者があの男と通じていると言いたいのか」


「はい。事前に昨日のお茶会に私が出席すると知ることのできる立場の人か、その人に近しい人だと思います」



 お父様の低い声に私は顔を上げず、情報を書き出す手すら止めずに言い返す。

 どれだけ自分の発言が危ういかぐらいは分かっている。いくら王家に次ぐ権力を持つ公爵家の令嬢であろうと、王族の住む場所の関係者を疑うなんておいそれと言っていいことではない。

 しかしこの協力者説が最も可能性が高いはず。わざわざ私が言わなくても、大人で、それも王宮内の事情に詳しい人なら自然と思いつく仮説だ。


 王妃様主催のお茶会の出席者を事前に把握できる立場なら、貴族のなかでもかなり上の地位、もしくは王妃様の身近で働く人物となる。

 そんな人物なら王宮内を歩いていても違和感はなく、警備の兵が見回る時間とルートも知ることができるはず。そうなれば誘拐の実行犯を忍び込ませて、標的である私が一人になるのを狙って実行。人目を避けて城を出ることも不可能ではないだろう。

 あれは最初から、王宮内とパールグレイ家について詳しい者が関わっていないと、起こり得ない誘拐だったのだ。



「ああ、それからたぶん、捕らえた男達と逃げたローブの男は仲間じゃあないですね。あのローブの男は、私に『あなたを拐うのがの目的』と言い、エリック様について聞いたら『に任せるから興味がない』と言って他の男達への分け前にしていたんです」



 大柄男は私達が逃げたと思った時に「茶髪の坊主を探せ。あれは俺らの取り分だ」と言って、私のことは何も言っていなかった。

 ローブ男の発言も踏まえて考えると、二つの誘拐犯グループが、一時的に手を組んだと考えるのが自然だろう。

 一通り口頭で説明しつつ、紙には男の体格や服装、言葉の癖など思い出せる情報を詳しく書き出すことができた。私が持っている情報はもうないので、とりあえず一番近くにいるお父様に差し出した。――が、いつまで経っても受け取ってくれなかった。



「あの、お父様?どうかしましたか?」


「……今の話は、監禁されている時にエリック殿下と話したか?」


「えっ?王宮内に誘拐犯の仲間がいるなんて、王宮に住まわれてるエリック様に言えるわけないじゃあないですか。不安を煽るだけです。だいたい私達は脱出を最優先で、自己紹介だってろくにしてなかったんですよ?」



 まあ、お父様が助けに来た上に、私を娘と言ったせいで結果的にはバレてしまったけど……。

 いいから早く紙を受け取って、逃げたローブ男の行方を追ってもらえないだろうか。情報には鮮度があるのだ。ただでさえ一晩経っているんだ、下手をしたらあの男は国外に逃げているかもしれない。

 ん!、と押し付ければ、ようやくお父様は受け取って、さらに役人へと渡してくれた。



「あの、ミシェル様?この一番下に描かれた図柄は……?」


「男が持っていた懐中時計の蓋に刻まれていたものです。じいや……当家の執事が、執事長は代々パールグレイ家の紋章が刻まれた懐中時計を持っていると教えてくれたことがあったので、もしかしたら男に繋がる手がかりになるかなーと」



 例え家紋ではなくても、その懐中時計を作った時計職人を探せば、なにかしらの手がかりにはなるだろう。

 そう思って私はあの瞬間、時間を確認するついでに時計のデザインを覚えておいたのだ。



「この程度のことしか覚えていなくて、申し訳ありません」



 服や持ち物なんていくらでも変えることができるから、あまり役に立たなさそうだ。顔が思い出せなくて本当に申し訳ない。

 役立たずっぷりが情けなくて項垂れていると――――



「この紙を急いで陛下にお渡ししろ!」


「紋章院でこれがどこの家のものか調べるのが先だろう!」


「同時だ同時!」



 それまでお父様に睨まれ、椅子に縮こまって座っていた役人達が慌ただしく立ち上がった。



「ミシェル様!貴重な情報、まことにありがとうございます。逃げた者は必ず捕らえます!」


「え、あの……」


「では我々はこれで失礼いたします!」


「ちょ、どういうこと…………あーあ、行っちゃった……」



 入ってきた時は死刑宣告を待つような顔色だったのに、役人達は勢いよく頭を下げて、あっという間に部屋を出ていってしまった。

 開けっぱなしの扉をぽかんと見つめていると、不意にお祖父様に名前を呼ばれた。



「出かしたぞぉ、ミシェル!あれだけのことが分かれば、男を捕らえることができる!さすがは儂の孫だ!」


「うわっ?!」



 のしのしと歩み寄ってくるなり、大きな手で私の頭を撫で回す。

 もしかして褒められてる?私の情報が役に立つってことでいいんだろうか。

 お祖父様はひとしきり私の頭を撫でると、「捜索には騎士団を動かすことになる。儂も陛下のもとへ行こう」と言って部屋を出ていく。ついでに若い騎士二人も一緒に出てしまったため、お父様と二人きりになってしまった。



「えっと……逃げた男は、捕まるんでしょうか?」


「お前と殿下に危害を加えた輩だ。お前の情報をもとに、国をあげて捜索される。すぐに捕まるだろう」


「そうですか……」


「嫌なことを思い出して疲れただろう。もう休みなさい」


「ここじゃあなくて、うちで休みたい」



 初めて来た王宮で、いきなり誘拐された。私にとってここは安心して休める場所ではない。

 するとお父様は「帰る手配はしておく」と言って立ち上がった。



「私も陛下と話をしなければならない。済み次第帰るから、それまで我慢しなさい」


「はーい……」



 促されるまま横になって、お父様を見送った。

 休めと言われても、さっきまで寝ていたから眠気なんてない。暇だなぁ。

 ごろりと寝返りをうって、事情聴取の間ずっと枕元で大人しくしていた毛玉に目を向けた。



「プーピー?」


「毛玉がいたから逃げ出せたんだよなーって思ってね。脱出ルートを見つけてくれてありがとう。ちょっと汚れちゃったね」


「ンプンプ!」


「うちに帰ったら洗って、角砂糖もあげるね。あ、それとも毛玉用にバラの砂糖漬け買ってもらおうか」


「ピッ!?ピーッ!」


「そっかそっか。じゃあ買ってもらおうね」



 手を差し出せば嬉しそうにすり寄ってくる。見ていてとても和んだ。

 ああ、でもやっぱり、早くうちに帰りたい。



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