21.休む暇もない




「さっきからギャーギャーギャーギャーうるさいんだよ!こっちはどうにかしようとしてんのに、いちいち人の意見に文句つけやがって!だったら一発逆転のさぞかし良い意見があるんでしょうね?!あ?言ってみなさいよ黙って聞いてやるから!不満を言うだけなら赤ん坊でもできるわ!王子だから?違うわバカ!あいにく私はご立派な自己犠牲精神持ち合わせてない!」



 突然の頭突きに、鼻を押さえて地面をのたうち回るエリック王子を見下ろす。

 しゃべるたびにヒューヒューと喉が鳴るけれど、そんなことかまっていられるか!



「命の価値はみんな一緒!王族も貴族も平民も一緒なの!でもねぇ、人にはそれぞれやれる事とやらなくちゃいけない事があって、それはみんな違うのよ!あなたは誰?この国の王子でしょう?こんなところで死んでる暇があったら、やらなきゃいけない事が、王子に生まれたあなたにしかできない事があるでしょうが!」


「は、はあ?急に何を……」


「人がしゃべってる時に口挟むな!」



 反論をぴしゃりと叩き落とせば、エリック王子はびくりと肩を揺らす。

 私は痛む胸をさすりながら、呼吸を整えてから言葉を続けた。



「……“私”は、理不尽な理由で終わるのはもう二度とごめんなんです。あなたのことも終わらせるつもりはない。でも……悔しいけど今の私は無力で、足手まといです」



 疲れた体で馴れない大声を出したせいで心臓が悲鳴をあげている。喉が痛い。目が回る。

 これ以上は走るどころか立っていることもできなくて、ずるずるとその場に座れば、へたり込んでいたエリック王子と目線が同じになった。



「あなたはまだ走れる。だからあなただけがこのまま人通りのある所に行って、大人……騎士か衛兵に助けを求めてください」


「だがそれだと……」


「私は物陰に隠れています。あなたが助けを寄越してくれれば、私も助かります」



 無茶を言っているのは分かっている。自分がやらなければ、一人の人間が死ぬかもしれない責任を負わせるなんて、十一歳の少年にはとても酷なことだろう。

 それにエリック王子を一人で走らせて、無事に騎士か衛兵に会える保証はない。ここに残った私が、エリック王子が寄越した助けがくる前に誘拐犯に見つかることだってあり得る。

 でも私は走れなくて、エリック王子が走れるのだから、二手に別れる以外に二人で助かるか手段がないのは紛れもない事実だ。



「何を迷っているんですか。エリック様、あなたには体力と王都の土地勘があって、魔法だって使える。私の無い物をたくさん持っています。足りないのは覚悟だけ。大丈夫、あなたにはやり遂げられる力があるんです」


「いいえ、それはもう叶いませんよ」



 ねっとりと舐めるような声に、一瞬で全身が粟立った。

 弾かれたように振り返ると、建物の影から茶色のローブが現れる。

 監禁部屋で会った時とは違い目深くフードを被って顔は見えないけれど、その声は紛れもなく、あの薄気味悪い男だ。

 


「まったく嘆かわしいことですね。あなたは常に正しい判断をされているというのに、その言葉を理解できない臆病な痴れ者がご一緒とは。その様な足手まとい、捨て置けばよろしかったではありませんか」



 一歩、また一歩と、足音もなく歩み寄ってくる。気遣わしげな言葉は、私にだけ向けられたものだ。

 まずい、よりによってこの男に見つかるなんて……。確かにここに立ち止まってからそれなりに時が経っているし、エリック王子につられて私も大声を出してしまったから見つかってもおかしくはない。でもあの廃墟屋敷からかなり離れていたから、完全に油断していた。

 この男は私を傷つけない。それに嘘はないと分かっている――――が、つまりそれはエリック王子がいくら傷つこうと構わないというもの、嘘ではないということだ。



「エリック様、はしっ……!」



 走って逃げて、と顔を正面に戻しながら言いかけた言葉は、エリック王子よりもずっと奥に見えた光景にかき消された。

 そこにいるのが誰なのか分かった頃には、私達の横を冷気が通り抜ける。



「それ以上、娘に近づくな」



 初めて聞く声だ。冷たくて鋭い、割れた氷で斬りつけるような声。

 同時に後ろから男のうめき声と、パキパキと硬い音が聞こえたけれど、振り返って確認する気にはならなかった。



「……お父様……」



 数時間ぶりに見たお父様が、声色以上に冷たい目で、周囲の温度を十度は下げるような激怒の表情だったから。

 なんでここに……どうやって私達がここにいると分かったんだろうか。

 しかも一人ではなく多くの騎士を従えて現れるなんて、まるでこちらの状況が筒抜けだったみたいじゃあないか。



「チッ、やはり首輪をつけていたか」



 舌打ちと共に忌々しげな声が聞こえて我に返った。

 ちらりと後ろの状況を確認すると、ローブ男の周囲と膝下までが凍りついている。氷の魔法、お父様がやったんだ。

 しかしその氷は、ローブ男が煩わしそうに腕を振るった瞬間に砕け散った。



「さすがに分が悪いですね……」



 氷の拘束を壊した男はローブを翻すと、私達に背を向け走り出した。



「逃がすな!追え!」



 お父様の言葉に騎士達が一斉に走り出し、ローブ男を追う。その光景を呆然と眺めた。

 ――――あの男が振り向き様に私を見て笑ったのは、気のせいだと思いたい。



「ミシェル!」



 駆け寄ってきたお父様にゆるりと視線をやると、さっきまでの激怒の表情とうって変わって、まるで自分が氷漬けにされたように青ざめていた。

 悪役令嬢の父親のくせに、表情がコロコロ変わる人だ。……ああ、そういえばお姉様も表情がコロコロ変わるから、あれはお父様から受け継いだものなのか。

 なんてことをのんきに考えていると、お父様は私の横に膝をつくと、手を伸ばしてきた。

 存在を確かめるように冷たい手が頬を撫でる。かすかに震えていることには、気付いていないフリをした。



「殿下、お怪我は?」


「俺はどこも……」



 ローブ男を追わずに残っていた数名の騎士は、相変わらずへたり込んでいたエリック王子に手を貸して立たせる。

 するとお父様と私を見比べて「パールグレイ……」と呟いたエリック王子は、さらに何かを言いたげに顔をしかめる。だが騎士に避難を急かされ、結局は無言で騎士に守られどこかへ去っていった。きっと近くに馬車を停めているのだろう。

 あーあ、私がパールグレイ家の娘だって、ソフィアの妹だってバレちゃった。こんな形で知られてしまうのなら、あの時ちゃんと自分から名乗っておけばよかった。



「……ミシェル」


「……はい」


「ケガは?」


「ない……けど、疲れました」



 ああ、終わった。助かった。生きてる。帰ることが、できるんだ。

 そう思うと、ただでさえ疲れていた身体からどんどん力が抜けた。喉がヒューヒューなるけれど、さっきまでと比べたらずっと楽に呼吸ができる。まぶたも重たくなってきた。



「……うちに、帰りたい……」


「ああ、そうだな。皆が、お前の帰りを待っている」



 言うと同時に、お父様は私を抱き上げた。体に回る腕の力が強くて、少し痛くて苦しい。

 そういえば拐われる前、お茶会から帰ったら「もう十歳だから抱っこはやめてください」と抗議しようと思っていたけれど、今言うべきことではないだろう。私は黙って受け入れて、氷の破片が残る後ろを見た。


 人のいなくなったそこには、陽炎のような揺らぎだけがいた。











 次に目を開けた時、見知らぬ天井に一瞬びくりと体が強ばった。けれど視線を動かすと、あの荒れた監禁部屋とは正反対の高級そうな調度品が揃っていて、枕元では毛玉がプウプウ寝息をたてている。

 自然と詰めていた息をふっと吐き出し、柔らかいベットに体を沈めた。

 でも起きたら知らない場所というのを二回も体験すると不安だ。私は恐る恐るベッドを降り、ふらつく足で窓辺に近寄った。

 青空の下には、白と深紅を基調とした建物が複数。手入れの行き届いた植木。遠くには壁……城壁も見えた。



「ここ、王宮?」



 あの誘拐が夢だったのかと思いかけたが、両の手首足首には包帯が巻かれている。縄で縛られてできた擦り傷の手当てがされていたのだ。

 服だってお茶会用に新調したドレスから、少しサイズの大きい見慣れない寝間着。淡い金になっていたはずの髪も魔法薬の効果が切れたのか、色素が抜けたような銀髪に戻っていた。

 誘拐されたのも、逃げ出したのも、助かったのも夢じゃあない。でもなぜ王宮の一室に寝かされていたのか、まったく分からない。

 誰かに説明してほしくて、私は部屋の扉を勢いよく開けた。



「うおっ?!」


「あっ」



 二人分の声が聞こえて廊下に顔を出すと、一人の男性と目があった。

 色白で口数の少なそうな、黒髪の男性。



「あれ?一人?」


「そちらにもいますよ」



 黒髪騎士の指差す後ろを見ると、私が勢いよく開けた扉の裏からもう鼻を押さえた男性が出てきた。こっちは金髪で活発そうな人だ。

 扉の裏に隠れるってやつ、やられてみると意外と気づかないものだな……。



「あ、えっと、ごめんなさい。人がいるとは思わなくて……」


「知らない場所に一人で不安でしたでしょう、あのようなことの後では無理もありません。その男も無駄に伸びた鼻っ柱が折れてちょうどいいでしょう」


「なんだと?!」


「今すぐパールグレイ公爵と主治医の方をお呼びします。中でお待ちください。バッカス、行け」


「俺かよ?!」



 金髪騎士――バッカスさんとやらがギャンギャン噛みつくけれど、黒髪騎士は素知らぬ顔。状況を教えてくれるならなんでもいいので、私が「よろしくお願いします」と言えば、バッカスさんはまるで取ってこいを命じられた大型犬のようにどこかへ駆けていった。

 そしてルアンと名乗った黒髪騎士に言われた通り部屋に入って待っていると、すぐに廊下が騒がしくなり、ノックもなく扉が開け放たれた。

 瞬間、銀色の弾丸が突っ込んできた。



「ぐふうっ?!」



 ベッドに腰かけていたから良かったけれど、うっかり立っていたら後頭部を床に打ち付けていただろう。

 ふかふかのベッドに感謝しつつ、私に抱きつくようにのし掛かっている銀色の弾丸ことお姉様に声をかけた。



「お、お姉様、重い……です」


「……」


「お姉様?」



 えっ?無視?この至近距離で無視ですか?

 元ひきこもりの身体は、誘拐から帰還した寝起きの状態で姉の全体重に耐えられるようにできていないんですけど……。

 どうしよう。この人の事は大好きだけど、この体勢は愛せそうにない。重い。



「ミシェル……」


「あっ、お母様。お姉様が動かな――」


「ああ、ミシェル……!」


「おぐうっ?!」



 ふらふらと近づいてきたお母様に助けを求めて手を伸ばすと、手は握られたが、そのままお母様も私の上に倒れ込んできた。お姉様ごと抱き締めて、ピクリとも動かなくなる。しかも二人揃ってすすり泣きはじめたではないか。

 病弱だと言って過保護に育てた子が、お茶会デビューの日に誘拐されるなんて心配して当然だ。気持ちは分かる。

 でも二人はそれぞれ、布をふんだんに使ったドレスを着ているのだ。体重とドレスの総重量を考慮してもらいたい。



「ちょっ、ま、て……ほんとに……!」



 誘拐から帰還して、母と姉との再会ってもっと感動的なものじゃあないのか。

 このままでは圧死ルート一直線。逃げようともがくけれど、二人が離すものかとガッチリ抱きついていて逃げられなかった。

 おまけに寝ていた毛玉が飛び起きて、ビービー鳴いてパニックを起こしていて喧しい。

 二人と一緒に部屋に飛び込んできたお父様とお祖父様を見ると、諦めろと首を振る。パールグレイ領の診療所にいるはずの私の主治医フォッグ先生と、金髪と黒髪の騎士コンビは公爵家の醜態を見ていないフリをしている。

 男共は揃いも揃って役立たずだった。



「もおおおおおお分かった、分かりましたよ!ご心配お掛けしました、ごめんなさい!生きています!元気です!だから退いてぇー!」



 誘拐犯とすら面と向かって会話ができた私の悲痛な叫びが、王宮に木霊した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます