19.羊の皮を被った狼
この部屋の粗悪さのわりに、建物の建て付けは悪くないらしい。無遠慮なほどのスムーズに開いた扉の先にいたのは、三人の男だった。
――――妙だな、聞こえた足音は二人分だったのに。
「おいおい、お嬢ちゃん起きてんじゃねーか。暴れ馬も六時間はぐっすりっつう薬じゃなかったのかよ」
「耐性があったのでしょう。あれは速効性はありますが、何度も使うと持続性が弱くなる代物ですから」
ひょろっとした目付きの悪い男は、扉を開けるのが役目だったのか部屋には入らず黙っていた。
しかし、見るからに堅気ではない風体な大柄の男と、足首まで隠れる茶色のローブを着た細身の男は、膝をたてて座った私を観察するように見下ろしながら部屋に入ってきた。そのお陰で聞こえなかった一人分の足音の疑問が解けた。
大柄男が歩くとギシギシと床が鳴るのに、ローブ男の足元からは音がしない。まるで身軽な猫のようだと感心してしまうぐらいだ。
ローブ男は静かに私の前までやって来て、片膝をついてしゃがむ。
「手荒な真似をしたこと、どうかお許しください。薬の効き目は切れている様ですが、気分はいかがですか?」
誘拐の加害者と被害者は、普通は加害者の方が立場が上で、被害者は言いなりになるはず。にも拘らず、男の態度と口調は主人を気遣う使用人のそれだ。
はっきり言って薄気味が悪い。鳥肌が立つ。
だがそっちがその気なら、乗ってやろうじゃないか。
「……突然気絶させられて、目が覚めたらこの有り様。ええ、そうですね、最高の気分ですよ」
「言うなぁ。自分の立場分かってんのか?」
「あなた方に誘拐されて監禁されていますね。いつ頃解放していただけます?」
淡々と言い返せば、小馬鹿にするようにニヤニヤと笑っていた大柄男は一瞬驚いた顔をしてから、愉快そうにまた笑った。
「これがホントに温室育ちの貴族の娘か?ずいぶんと肝が据わってるじゃねーか」
「これはまたずいぶんと気分を害されているようで。申し訳ありません、我々はあなたに危害を加えるつもりはございませんので、どうかご安心を」
「危害を加えない?安心しろ?現在進行形で危害を加えられているのに、ずいぶんと面白い冗談ですね」
縛られた両足を見せつけるように、ダンッと床を踏み鳴らす。
威嚇の意味を込めた行為けれど、そうでもしないとうっかり身体が震えそうだったからでもある。自分を誘拐した犯罪者と面と向かって話をしているんだ、怖くないわけがない。
でもここで屈するわけにはいかない。そんな素振りを見せたら向こうの思う壺だ。
絶対に隙を見せちゃいけない。落ち着け。このチャンスを最大限生かすんだ。
「それで?解放の条件は?やはり家があなた方に身代金を支払うことですか?」
「残念ながら、我々の目的は金品ではありません。あなたを連れ出すこと、それそのもの目的です」
「……どういう意味ですか?」
男は何も言わず、誘拐犯が浮かべるとは思えない穏やかな微笑みを返してきた。
「そのままではご不快でしょう。今拘束を解きます」
「は?」
「おいっ!待て待て!その縄には……!」
私だけでなく、後ろのゴロツキ二人もぎょっとする。しかしローブ男はそれを無視して私の足に手を伸ばすと、白い手袋をはめた手で躊躇いなく縄を解いた。
意図が読めないから不気味さはあるけれど、拘束がなくなるのはありがたいことだ。
足が自由になると、後ろにいるエリック王子に近づかれるわけにはいかないので、くるりと背中を向けて手の拘束も解いてもらう。
「あーあ、解いちまったよ……。どうなっても知らねーぞ、兄ちゃん」
「どうせ彼女には、こんな拘束は無意味です。ああ、きつく縛ったせいで擦り傷になっていますね。手当てをしましょうか?」
「結構です」
確かに手首と足首には擦り傷になっているけど、血が出ているわけではないので大したことはない。問題なのは、長いこと同じ体勢だったから身体がこっていることだ。
肩を回してこりをほぐして、このあとの脱走に備えておく。
「……手荒に拐ったわりに、ずいぶんと甘いんですね」
「あなたに危害を加えるつもりはございませんので」
「だったらワガママついでに時間を教えてもらえません?どれくらいこうしていたか分からないというのは、いささか不安なものですから」
一か八かだったけれど、ローブ男は「構いませんよ」と言ってローブの切れ目に手を突っ込み、懐中時計を出した。
チェーンの先はしっかりと男の服に固定されているが、わざわざ近づかなくても見れる距離だ。蓋の開いた文字盤に目をやれば、時刻は十五時三十七分だった。
王妃様のお茶会は十三時開始だった。一時間と少しぐらいでヘイルズ卿の部屋へ行き、毛玉を探し始めて十分ほどで拐われたと考えると、眠っていたのは一時間ぐらいだろうか。
「ご納得いただけましたか?」
「ええ、どうも。あなたの目的が私だということも分かりました。ですが、なぜ彼まで拐ったんですか?」
「その少年については少々手違いがあったようです。あなたを迎えに行かせた者達が、騒がれて衛兵に事を知られるのを恐れたのでしょう」
ローブ男はやれやれと言いたげに肩をすくめた。
これも私の見立てた通りか。
この誘拐には、それなりの人数が関わっている。そしてエリック王子は、王子だとは気づかれず、ただあの瞬間の私と一緒にいたから巻き込まれてしまったようだ。
「だったら彼は解放してあげてください。彼は何も目撃していませんし、見ての通り未だに寝ていますからこの会話も聞いていません」
「そういうわけにはいきません。少年については、彼らに任せるとすでに約束してしまいましたから」
「約束って……まさか!」
「おっと、ここで暴れるのはやめてくれよ?俺らはお嬢ちゃんを傷つけるなって言われてんだ。無傷で止めようとして、ついうっかり後ろの坊主を踏んじまうかもしれねぇぞ?」
大柄男は降参するように両手をあげるが、完全に私を脅している。
「……危害は加えないのでは?」
「あなたには、ね。他はどうなろうと我々には興味のないことです」
そう言って、ローブ男は立ち上がり、大柄男と共に開けっぱなしの扉から廊下へと出ていく。入ってきた時と同じで、ローブ男が歩いても床はギシギシと軋むことはなかった。
「もうしばらく、こちらでお待ちください」
ゆっくりと、扉が閉められた。
自由になった私はそっと扉に近づくと、耳を押し当てる。
向こうから聞こえる話し声は三つ。足音は二つ。
「我々は予定通り、準備が整い次第彼女を連れて王都を出ます。あなた方もご自由にどうぞ」
「そうか?じゃあ、ありがたくあの坊主は分け前としてもらっとくぜ。おいベン、急いでドナルドの旦那に連絡入れろ。あそこに任せりゃあいつも通り上手く売り飛ばしてくれる」
「うっす」
徐々に遠のき聞こえなくなる声に、ふっと溜め込んでいた息を吐き出した。
これまで離れていた毛玉が肩に戻ってくるなり疲れたと言いたげに小さく鳴く。
うん、お疲れ。私もけっこう疲れたよ。
「エリック様、もう動いても大丈夫ですよ」
「……お前、本当に何者だ?」
「あいにく状況が変わったので、自己紹介は脱出に成功してからにしてください」
「は?!さっきは何も分からないから動くなと言っていただろう」
声がでかいなぁ……。連中が戻ってきては困るから静かにしてもらえないだろうか。
ああ、そういえばエリック王子とはこういう男だったか。
自信家で、態度がでかくて、自分は力があって望みはなんでも叶うと豪語する、火の魔力を持った俺様王子。
ゲームのエリックルートでも、好感度の低い序盤では態度でかくて印象は最悪だけど、シナリオを進めていくと段々エリック王子の方からぐいぐいアプローチしてくるようになる。
前世で妹も「猛獣が懐いてくれるみたいで可愛いじゃ~ん」とにこにこ笑ってエリック王子のプレゼンをされたけれど、あいにく“私”はエリックルートは義務感でプレイしていたので、ボタンを押すだけの作業と化していた。
そりゃあシンデレラストーリーは素敵だし、クライマックスで自分に嫌がらせを繰り返した悪役令嬢を蹴散らす姿はかっこいい。でも私の好みではないのだ。そればかりは仕方がないじゃあないか。
それにミシェルとなった今、私はソフィアお姉様という婚約者がいながら主人公と浮気をしたこのクソ野郎が許せないのだ。控えめに言っても印象は最悪。お前という存在がこの世にいなければお姉様が傷付くことはなかったのに、と思う。
闇討ちとまでは言わないけれど、一発ぶん殴るぐらいはしたい。
しかしそれは私の都合。エリック王子だって自分の意見を聞かれず、周りによって勝手に婚約者を決められた被害者だ。
無事に二人の婚約話をうやむやにした今は、お互いwin-winの関係と言っていいだろう。
なので中身が大人な私は、この王子様のお命をお守りすることにします。
「だから、状況が変わったんですってば。さっきまでの会話を聞いていなかったんですか」
「聞いていたに決まっているだろう。だからお前に何者かと聞いているんだ。一人、お前に親しげだっただろう。まさか知り合いだったのか?」
「いいえ、まったくの初対面です。私は知り合いが少ないので、あそこまで馴れ馴れしくされる相手なら顔を覚えているはずです」
記憶がない七歳以前の知り合いという可能性がまったくないわけではないけれど、どっちみち私は領の本邸で引きこもっていたので、会ったことはないはずだ。
「そうか。……というか早く俺の縄をほどけ!自分が自由になったからって、なに普通に座ってしゃべってるんだ!」
「ああ、そうでしたね」
ビッタンビッタン跳ねて抗議する姿は、まるで打ち上げられた魚のよう。王子らしくない姿が実にイイ気味……お労しくて、近づくことができませんでしたわ。おほほほっ。
私は大人なので縄を解いてあげることにした。大人ですからね。
「ん?これ……」
「どうした?まさか固くてほどけないか?」
「いえ、ほどけます。ちょっと縛り方に違和感があって……」
後ろ手だったので自分がどう縛られているか分からなかったけれど、エリック王子の手の縄を見て驚いた。
ただぐるぐる巻きに縛られているのではなく、いぼ結びになっていたのだ。
「いぼむすび?」
「園芸で使われる結び方です。前にうちの庭師に教えてもらったんですけど、これ、ちょっと難しい結び方なんですよ」
「よく知っているな、そんなこと」
「園芸が趣味の一つなので」
そう。私は園芸が趣味で慣れているから簡単に解けるが、そうでなければこのいぼ結びは縛るのも解くのも手間取る複雑な縛り方だ。そんなものを子どもの拘束に使うだろうか?
それにあのローブ男、私の縄を解く時に手間取っていなかったような……。
考えながらもエリック王子の両手足の拘束を解く。足は強度重視のぐるぐる巻きだったので、むしろこっちの方が解くのに手間取ってしまった。
「はい、ほどけましたよ。痛いところはありませんか?」
「この程度問題ない。まったく、魔法が使えれば縄なんて焼き切ることができたんだが……」
「え?エリック様、火の魔法使えますよね?」
「ああ、もう使えるぞ」
はあ?どういうことだ?
使えるなら焼き切れば良かったじゃあないか。どうして私に解かせたんだ?
「なんだお前、気づいていなかったのか」
「なにがですか?」
「その縄、たぶん魔力封じか何かがかけてあるぞ。お前も魔法が使えなくて変に思っただろう」
「あー……なるほど、そういうことか……」
ローブ男が私の縄を解く時、大柄男が止めようとしたのは私が人質だからではなかったのか。きっとあの男は、貴族である私が魔法を使えると思って、暴れることを恐れたのだろう。
となると、ローブ男が言った私に拘束は無意味という言葉は、どうせ魔力を持たず魔法が使えない私に魔力封じの縄は意味がないということになる。
「あいにく私には魔力がないので、まったく気がつきませんでした」
名前だけではなくて、魔力についても知られているなんて……。
最初に思った以上に、厄介な連中に目をつけられたみたいだなぁ。
「魔力がない?お前、貴族だろう?」
「貴族なら全員魔力があるなんて、ずいぶんと古い考え方をするんですね」
魔力の量や強さ、希少性が権力の象徴であるこの国で、純血の貴族で魔力がないのはかなりの少数。私のような存在はポンコツだの落ちこぼれだのと嘲笑う対象になる。
しかし逆に魔力を持っているのが当然と思っている王子様を鼻で笑えば、彼はぐっときつく口を閉ざし、私から視線を外した。
「別に怒ってないのでそんな顔をしないでください。そんなことよりも、時間がないので今すぐここから脱出しますよ。立ってください、エリック様!」
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