18.不意打ちエンカウント





 誰かに身体を揺さぶられるような感じがして目を開けると、ぼやける視界のなか、白いものが跳ねているのが分かった。



「ブッ!ブブッ!」



 ああ、この声は……。



「けだま……?」


「ピッ?!ピーッ!ピーッ!」


「うっぷ!ちょ、コラ、くすぐった……ブエックショイッ!」



 寝転ぶ私の鼻に擦りよってきて、あまりのくすぐったさにくしゃみが出てしまった。すると毛玉は吹っ飛びながら不満げな声をあげるけど、生理現象なんだから私は悪くない。


 そんなことよりも、これはどういう状況だろう。

 ぼやける目を擦りたくても、両手はがっちりと後ろ手に縛られている。それは足も同じで、ろくに身動きができない。芋虫のようにモゾモゾ動いてどうにかこうにか起き上がり、何度か瞬きを繰り返してクリアになった目で周囲の状況を確認する。


 少し動くたびにギシギシと鳴る、砂でざらつく板張りの床。天窓のおかげである程度は明るさを取り込めるけれど、天井の隅には蜘蛛が巣をつくり、剥がれかけの壁紙はずいぶんと日焼けしている。

 調度品なんて一つもなく、狭くて古い、部屋として使われなくなってずいぶんと時が流れているようだ。

 天井は低く天窓があるということは、屋根裏部屋だろうか。

 そんなところに、気絶させられたうえに縛られて放り込まれているなんて、誘拐された以外考えられなかった。

 まさか、背後から薬を嗅がされて気絶からの誘拐という、フィクションのテンプレみたいな拐われ方を体験することになるとは……。



「まじかぁ~」



 そう呟きながらふと後ろを見て、ぎょっとした。

 気絶する前に一緒にいた少年が、私と同じように両手両足を縄で縛らた状態でぐったりと横たわっていたのだ。



「な、なんでこの子まで……。毛玉、息をしてるか確認して」


「ピイ!」


「どう?息してる?」


「ンピッ!」



 動けない私の代わりに、毛玉は少年の口元に近づく。すると毛がふわりふわりと規則的にそよぐし、毛玉もイエスの鳴き方で私のそばに戻ってきた。

 ホッとする一方で、どうやら今がかなりややこしい状況になっているのが分かった。


 気絶させられる直前、背後から聞こえた男の声。「パールグレイ嬢、我々と来ていただきます」と言っていたから、私がパールグレイ公爵家の娘だと分かっていての誘拐。さらに複数犯ということになる。

 私の身分と犯行の手慣れた様子を考えると、これは最近新聞紙面を騒がせている、貴族の子どもを身代金目的で誘拐するという連中の仕業という可能性が考えられる。でもそれなら拐うのは私だけでいいはず――――だが、少年も一緒に拐った。


 標的である私を拐うつもりが、少年に犯行を目撃されたのでついでに拐う、ということなら理解はできる。

 けれど私は少年が倒れるまで誘拐犯が迫ってきていることに気づかなかった。少年だってそのはずで、彼は完全に不意打ちで背後から殴られたから誘拐犯の顔も、私が捕らえられる様子も見ていない。放置してもいいはずだ。

 誰かに殴れ気絶した間に、一緒にいた令嬢が消えたと証言されるのを避けたかったのか……?


 それから拐われた状況もややこしい。

 城内に入るには門で検閲、王宮内は見回りの衛兵がいる。いくら誘拐に手慣れた集団の犯行とは言えど、誰の目にも触れずに子ども二人を拐うことなんて可能だろうか?

 どこかに抜け道がある?それともまさか、城内に手引きした者がいたのか?



「んー……」


「プピィ?」


「情報が少なくて、考えがまとまらないの」



 首を捻る私を真似るように、毛玉は床を転がる。

 あれ?そういえば、毛玉はどうしてここにいるのだろう。拐われた時は一緒にいなかったはずだ。



「毛玉、どうしてここにいるの?私とはぐれてたよね?」


「ンプンプ」


「実はずっと一緒にいた?」


「ブッ!」


「私が拐われるのを見てついてきた?」


「ピッ!」



 当たりか。

 どうしてついてきちゃったの。助けを呼んでよ、と言いたい所だけど、毛玉は私にしか見えいないし声も聞こえないから、それは無理なことだ。それにこうやって訳のわからない状況で落ち着いていられるのも、話し相手であるこの子がいてくれるからだ。

 誘拐されて縛られた状態にも関わらず、「自力で見つけて心配でついてきたぜ!お前は一人じゃないぜ!」と言いたげにポンポン跳ねる毛玉に乾いた笑いが出た。

元はといえば、消えた君を探しに部屋を出たからこんな事になったんだけどね……。



「うっ……」



 ジャンプからローリングに動きを変えた毛玉を眺めていると、少年が呻いた。



「目が覚めましたか!良かったぁ……」


「……ここは……?」


「分かりません。でも王宮ではないのは確かです」



 薬を使われた私と違って、少年は殴られた上に受け身もとれずに床に倒れた。頭を打っている可能性がある。

 まだ朦朧としているのか寝転がったままの少年に体に痛みがあるか聞けば、かすれた声で「頭が少し……」と言われた。

 目覚めて受け答えもできているようだけど、油断はできない。



「痛みがあるなら、そのまま横になっていてください。無理はよくありません。こうなる前のことは覚えていますか?」


「……たしか、お前の探し物を手伝って、王宮の廊下を歩いていて……ああ、そうだ。後ろから頭を殴られた……のか?」



 喋っているうちに意識がはっきりしたらしい。少年は瞬きを繰り返しながら、困惑した表情で見上げてきた。



「なにがあった?」


「あなたはおそらく殴られて気絶。私もその後すぐに薬かなにかで眠らされて、起きたらこの状態でした。……私達、誘拐されたみたいです」


「誘拐?!バカな!王宮内に、どうやって賊が入り込んだと言うんだ!」


「それは私にも分かりませんよ。でも状況を考えると、誘拐以外ありえません」



 やっぱり私の見立てた通り、少年は何を分かっていない。目撃されたから拐われたのではなくて、あの瞬間、標的である私と一緒にいたから拐われたのだ。

 こんなことだったから、毛玉探しを断ればよかった。そうすれば誘拐は私だけだったのに。私が、この少年を巻き込んだのだ。

 ましてやこの少年は、おそらく王妃様の血縁者で王族関係者。そんな人を巻き込むなんて大失態だ。

 一応私はトイレに行くと言って部屋を出たから、いつまでも戻ってこないヘイルズ卿が異変に気づいてくれるだろう。そこに賭けて、助けが来るまでは巻き込んでしまった彼の安全を確保する必要がある。



「あの……」


「ならば誘拐の狙いは俺だ。巻き込んですまない」



 私が言おうとした言葉を、先に少年に言われた。



「え?」



 それは私より身分が高いと分かっていないとできない発言だ。

 王族関係者なのだから相当な身分なのは確かだけど、状況が分からないのに誘拐の標的が自分だと思う根拠はなんだ?自己紹介もしていないのに、なぜ……?



「失礼ですが、あなたは……?」


「ああ、そうか。この姿では分からないか」



 少年は、私と同じように起き上がる。

 意思の強そうな灰色の瞳が、私を射抜く。



「俺は、エリック・アルベール・レッドフォード。この国の第二王子だ」


「………………え?エ?」


「なんだ?まだ分からないのか?髪のことを言いたいのなら、これはカツラ。兄上に貸していただいたものだ」



 縛られていて外せないがな、と舌打ち混じりに当たり前のように語る少年に、言葉を失う。

 嘘。なんで。本物の王子?会いたくなかった。王子を巻き込んで誘拐ってやばくない?

 言いたいことはたくさんある。でも何から言えばいいのか分からなくて、はくはくと空気を吐き出すことしかできなかった。



「それでお前は?お祖母様の茶会に呼ばれたということは、どこかの家の令嬢なのだろう?」


「……わ、私は……」



 今ここで名乗る?パールグレイ家の娘で、あなたと婚約する予定だったソフィアの妹です、と?――――バカなことを言うんじゃあない。無理に決まってる。


 おそらくエリック王子のなかで、パールグレイ家は親の権力を使って言い寄ってきた令嬢のいる家という認識だ。それが今度は次女の誘拐に巻き込まれたと知れば、子どもだけの問題ではなくなる。

 王家にとってパールグレイ家は、父の権力を使って言い寄ってきたくせに婚約話を蹴って、次の国王となるかもしれない王子の命を危険にさらした娘達のいる家ということになる。例えお父様が王家に忠誠を誓い、国王陛下の知恵袋をやっていても、心証は最悪だ。


 でも、二人揃って誘拐されたのは紛れもない事実。ここで偽名を使ったところで、いずれバレてしまうことだ。

 諦めて、素直に名乗るしかない。

 心のなかで自分の運の悪さを呪いながら、一度閉じた口を開いた。



「ンブッ?!ブッ!ブーッ!」



 が、それは毛玉の激しい鳴き声に妨害された。

 突然どうしたのかと思えば、全身の毛を膨らませて、扉の方を見て鳴いている。この行動は、お茶会の最中に陽炎のような揺らぎが迫ってきた時にもやっていたものだ。

 まさか、またあれが……。

 植え付けられた恐怖心が揺さぶられ、毛玉と同じようにぶわりと総毛立つ。すると生き物の防衛本能なのか、感覚が研ぎ澄まされた私の耳にギシ、ギシ、と古い板張りの床を歩く音と、数名の話し声のようなものが入り込んできた。



「おい、どうした?」


「しっ!誰かがこっちに来てる!」


「助けがきたのか……!」


「違う」



 直感的に分かった。これは私達を拐った連中の足音だと。

 もし本当に助けが来たのなら、もっと外が騒がしくなるはずだ。そうではないから、これは助けではない。



「エリック様。申し訳ありませんが、この誘拐の標的は私。私があなたを巻き込んでしまったんです。そして誘拐犯は、そのカツラのせいであなたが王子だと気づいていない可能性があります」


「な、なぜそんなことが?」


「あなたが気を失った後に、私を捕らえた者が私を名指ししたんです。だからあなたは、私と一緒にいたから拐われたんだと思います。これは非常にマズイです。おまけで拐ったあなたが王子だと気付かれたら最悪の場合、国賊として裁かれるのを恐れて、二人まとめて口封じに殺されることだってありえる」



 なるべく小声でそう言えば、エリック王子は顔をこわばらせ、ごくりと唾を飲み込んだ。



「たぶん今からここに誘拐犯が来ます。私が話をして状況を探るので、あなたはもう一度横になって、気絶したフリをしていてください」


「バ、バカなことを言うな!それなら二人で寝たフリをして、やり過ごせばいいだろう!それから逃げる隙をうかがって……」


「ここがどこで、誘拐犯が何人いるか分からなくて、おまけに縛られているのにどうやって逃げると言うんですか!」


「ブッ!ブッ!」



 毛玉が焦ったように鳴く。耳を澄ますと、足音が近づいてきていた。

 まずい、時間がない。



「エリック様。あなたはこの国の王子、この国の未来なんです。貴族……臣下である私は、あなたの命を守る義務があるんです。お願いですから、今は黙って言うことを聞いてください」



 灰色の瞳が、大きく見開かれる。小柄で無力そうな、明らかに年下の私がそんなことを言うとは思わなかったのだろう。

 でも私は見た目通りの子どもではない。身体は貧弱でポンコツだけど、前世の記憶があるから精神年齢は彼よりも年上なのだ。

 年上で、巻き込んでしまった者として、彼を守らなくてはいけない。


 戻らない私にヘイルズ卿が気づき、第二王子まで消えたとなれば王宮内は大騒ぎになっているはず。

 助けがきてくれるのを大人しく待つという手もあるけれど、これまで数ヶ月間捕まらずに身代金誘拐を繰り返し、王宮にも忍び込んだ連中だ。身代金が支払われる前に監禁場所を暴かれないよう、証拠や手がかりを残していない可能性がある。

 そして連絡手段が手紙しかないこの世界では、身代金交渉に時間がかかり、解決する前にエリック王子の正体が誘拐犯に気づかれる可能性もある。

 総合的に考えて、情報を集めて一刻も早く自力で脱出する必要がある。



「……分かった。従おう」



 エリック王子は一瞬視線をさ迷わせてから、こくりと頷いた。

 私の言った通りもう一度床に寝転がったが、仰向けだったので「表情で寝たフリがバレるので、壁の方を向いてください」と指示をする。すると黙ってごろりと寝返りをうったので、自分のおかれた状況の危険さを理解したのだろう。



「何があっても、絶対に動かず、黙って目を閉じていてください」



 黙って頷くのを見届けて、私はエリック王子を背中に隠すように扉の方を向いた。そして肩にいた毛玉に口を寄せ、エリック王子にも聞こえないようにそっと囁く。



 扉の向こうから届く足音は大きく、話し声ははっきりと、耳を澄まさなくても聞こえる。

 誘拐犯は、もうすぐそこまで来ていた。


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