17.悪意は足音をたてない②



 時おり見回りと思われる衛兵とすれ違い、生暖かい視線を向けられながら王宮の廊下を進む。

 そういえば、お父様に抱きかかえられるのは記憶にある限りで初めてだ。規則的な揺れと心音を感じ取りながら、ぼんやりとそう思った。


 お父様の肩越しに後ろを確認すると、あの陽炎のような揺らぎは見えない。中庭を出るまではついてきてどうしようかと思ったけれど、お父様の足が王宮に入った頃にはぴたりと止まっていた。

 やっぱりあれは、私に近づいてきていたのか……。



「何か見たのか?」



 不意打ちの問いかけに、言葉が詰まった。

 私が見たのは空気の揺らぎであって、はっきりと何か形のあるものを見たわけではない。だいたいあれはお父様には見えていなかったのだから、説明したところで、体が弱いついでに頭もおかしくなったと思われてしまいそうだ。



「……他の招待客の視線が、不躾で、気持ちが悪かっただけです」



 嘘は言っていない。揺らぎの存在も怖かったけれど、無数の視線が怖かったのも事実だ。

 中庭に向かっている時もそうだったけど、どうしてあんなにもジロジロ見られたんだろう。

 今日のお茶会に子どもは私とお姉様しかいないから? それともやっぱり十年間引きこもっていた令嬢がいきなり王妃様に会って話をするのは無礼なことだったのだろうか。

 でもこっちはきちんと招待されて出席して、王妃様からも歓迎されたんだから無礼ではないはずだ。

 それに、どこぞの紳士が言っていた『噂の次女』という言葉も引っかかる。



「……ねえ、お父様」


「どうした?」


「周りの人が私のことを何か言っていたんです、噂のパールグレイ家の次女って。噂ってなんですか?」



 何もいない後ろを見ながら言うと、私の背中に添えられていたお父様の手がピクリとかすかに跳ねた。



「それは…………今晩、家に帰ったら話そう」


「絶対ですよ?嘘を言ったり誤魔化したりしたら、お母様とばあやに言いつけてやりますからね」


「ああ、いずれ話さなければならないと思っていたことだ。お前の疑問には全て真実で答える。だから今は休みなさい」



 一家の長はお父様だけど、うちの女性陣は本気で怒ると怖いのだ。最凶タッグに迫られたらお父様だってただでは済まない。そこに妹至上主義のお姉様が加われば、もう誰にも止められない。

 でもこの言い方は、本当に教えてくれると分かる。なんとなくだけど、家族の考えは読み取ることができるのだ。

 家に帰ったら、何から聞こうか。そう考えているうちにお父様は一つの扉の前で足を止め、私を片腕で抱いたままもう一方の手でノックをした。



「はいはーい、どちら様ですかな?」



 のほほんとした声と共に扉が開き、そこから眼鏡をかけた六十代ぐらいの男性が顔を出した。



「おやっ!パールグレイ公、どうかされましたかな……と聞くのは野暮ですな。どうぞお入りください」


「いや、私はすぐに戻らねばならないので。この子をしばらく休ませてやっていただきたい」


「これはまた。可愛らしいお顔が真っ青だ」



 お父様の腕から下ろされ、室内に通される。

 てっきり医務室かと思ったら、そこかしらに本や丸められた紙などが乱雑に置いてある大学教授の研究室のように部屋だった。でも不思議と埃臭さはなく、むしろハーブのようないい香りがする。



「ミシェル。私は少し会場に戻るが、お前はこちらのヘイルズ卿のもとで休ませてもらいなさい。あとで迎えに来る」



 まるで幼児に言い聞かせるような口振りだ。

 私は簡単に抱き上げられるほどの小柄でも十歳だし、前世の記憶があるから精神年齢はそれは以上。少しむっとしつつもとりあえず頷いて、歩いてきた廊下を戻っていく背中を見送った。

 これは家に帰ったら、反抗期を思春期にシフトチェンジして「十歳なんだから抱っこはやめてください!」と抗議するべきかもしれない。

 決意をしたところで、ヘイルズ卿に向き直って頭を下げた。



「お世話になります。ミシェル・マリー・パールグレイと申します」


「これはこれはご丁寧に、ジョゼフ・ヘイルズと申します。さあさ、こちらにお掛けください。今なにか落ち着けるものを淹れましょう」



 私を窓際のソファーに座らせると、ヘイルズ卿は戸棚を漁る。このごちゃついた部屋にティーセットがあって、さらに淹れる設備があるのかと不思議に思っていると、あっという間に温かいティーカップを差し出された。

 お礼を言って薄茶色の液体を一口飲めば、なにやら花にようなホッとする甘い香りはするけれど、あまり味はしない。……正直言って、薬みたいで美味しくない。



「ははっ、リンデンバウムは味がしませんからな。どれどれ、ハチミツをお入れしましょう」



 しかめっ面の私をケラケラ笑って、ヘイルズ卿は戸棚から出した瓶を開けて一匙、黄金色のハチミツを私のティーカップに入れてくれる。

 改めて飲めば、甘くておいしいハーブティーに早変わりしていた。



「とってもおいしいです。ハチミツだけでこんなにも変わるんですね」


「このハチミツも、リンデンバウムの花の蜜で出来ているので相性がいいのですよ」


「リンデンバウム……白い花の咲く大きな木ですか?」


「ご存じですか。ええ、そうですよ」



 植物関連の知識は、ミシェルの記憶。本邸の温室に一人こもって植物の世話をして過ごしていたから、自然とその辺りの知識は多かった。

 リンデンバウムのような大木は温室にはないけれど、植物図鑑や園芸本で読んだことはあった。その時ハーブティーとして飲まれ、蜜蜂もリンデンバウムの花を好むと書いてあったけど、こうして飲むのは初めてだ。



「こんなにおいしいハーブティーになるんですね。知りませんでした」


「リンデンバウムの花には心を落ち着ける効果がありますからな。顔色もいくらか良くなったようですが、気分はどうです?」


「これを頂いたら落ち着けました。もう大丈夫です」



 頷いた拍子に胸に落ちてきた髪を耳にかけた時、いつも肩にあるもふっと感がないことに気がついた。


 け、毛玉がいない……!?

 いったいいつの間にいなくなった?中庭にいた頃には肩にいたはずだから……まさかこの部屋に来る途中で落っこちたのだろうか。陽炎のような揺らぎが追ってきていないかを気にしていたから、完全に存在を忘れていた。

 出会ってから私とずっと一緒にいた子なのに、初めてきた場所で一匹にしたら迷うに決まってる。

 それに毛玉はあの揺らぎを見えていて、威嚇しているようだった。探しにいかないと。



「あの、ヘイルズ卿……私ちょっとお手洗いに……」



 子どもだからこの言い訳で通用するだろう。

 すると案の定ヘイルズ卿は令嬢のトイレについてくるわけもなく、丁寧に場所を教えてくれるだけだった。

 部屋を抜け出して、お父様に運ばれて通ってきた廊下を進む。幸いずっと後ろを見ていたから道順は覚えていた。



「毛玉~どこ~?」



 小声で呼び掛けているつもりだけど、誰もいない廊下には声も足音もよく響いてしまう。

 困ったなぁ。お父様にはヘイルズ卿の所で待っていろと言われているから、なるべく早く見つけて戻りたいんだけど……。

 そう思いながら廊下の角を曲がると、ドンッと勢いよく何かにぶつかった。貧弱もやしっ子な私は簡単に後ろに吹っ飛び尻餅をつく。



「にぎゃっ!?」


「すまない、大丈夫か?」



 あいたたた、と尻を擦っていると、そんな言葉と共に手を差し出される。

 顔をあげれば、茶髪の少年が申し訳なさそうな顔をしていた。

 うわ、美少年。美形はお姉様とジャンお兄様という乙女ゲームのメインキャラクターで見慣れているけれど、この少年もそれに匹敵するぐらいの美形だ。

 それに印象的な灰色の瞳は、王妃様と同じ色ではないか。まさか王妃様の血縁者?



「急いでいて前を見ていなかった。ケガは?立てるか?」


「あっ、はい。こちらこそきちんと前を見ていませんでした。申し訳ありません」



 王妃様の血縁者なら、それなりの身分だろう。

 差し出された手を借りて立ち上がり、慌てて頭を下げた。



「……お前、こんなところで一人で何をしているんだ?」



 初対面の相手をお前呼ばわりとは……。これはやっぱりかなり高位の身分で間違いなさそうだ。

 灰色の瞳というと、攻略対象の一人にしてお姉様の婚約者になる予定だったエリック王子を思い出させるけれど、あの人は燃えるような赤い髪だったはず。この少年は茶髪だから、王妃様の血筋の親戚か何かかな。それなら王宮にいてもおかしくはない。



「私は王妃様のお茶会に呼ばれてこちらに」


「あれは中庭のはずだろう?迷ったのか?」


「いえ、私は……その、途中で気分が悪くなってしまったので、父にヘイルズ卿のお部屋で休むように言われて。でも、途中で落とし物をしてしまって……」


「落とし物……。よしっ、俺も手伝おう」


「えっ?!い、いえ、大丈夫です!」



 首を横にぶんぶん振って、「急いでいるのでしょう?」と言う。



「ぶつかってしまったお詫びだ。どんな物を落としたんだ?」



 あーあ、しまった。これは善意百パーセントの目だ。見つけるまでいくらでも手伝ってくれそうな態度の少年に、内心焦る。

 毛玉は私にしか見えていないから、この少年がどれだけ頑張っても見つけることはできない。仮に私が毛玉を見つけることができても、見えない少年にとっては落とし物は見つかっていないことになるのだ。

 王妃様の血縁者の善意を足蹴にするわけにはいかなし、適当に一緒に探して、途中で諦めると言って納得してもらったほうが得策かもしれない。



「これぐらいの大きさで、白くてふわふわした、ウサギの尻尾みたいなものです」


「どの辺りで落としたか分かるか?」


「いいえ。なのでとりあえず、中庭まで探しながら戻ろうかと」


「そうか。それならこっちだな」



 少年は私が進もうとしていた方へ迷いなく歩き出した。その背中を追えば、私一人分だった足音が二人分になる。

 もしあの揺らぎにもう一度出会ってしまったらと不安だったから、それはほんの少しだけ心強かった。



「大事なものなのか?」



 いくらか進むと、横に並んで歩いていた少年がぽつりと聞いてきた。



「はい。とっても」


「ならば必ず見つけなければな」



 ……しまった、ここは大事じゃあないと言うべきだった。そうでないと、あとで諦めると言って捜索をやめてもらえなくなってしまう。

 毛玉を探しながらも、ひっそりとため息をついた。

 その時、何かを殴りつけるような鈍い音が聞こえた。なに?、と思う頃には横の茶髪が揺れ、少年がどさりとうつぶせに倒れこむ。



「えっ……」



 さっきまで普通に喋っていたのに、なんで?

 自然と足が止まり、少年に声をかけ…………ようとしたが、それは叶わなかった。



「パールグレイ嬢、我々と来ていただきます」


「むぐっ?!」



 後ろから手袋をはめた大きな手が回ってきたと気付いた時には口と鼻を塞がれ、驚きに息を飲むと、反射的に薬品のような臭いを思いきり吸ってしまった。

 瞬間、くらりと目眩がする。


 そこで私の意識は、闇に呑まれた。



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