16.悪意は足音をたてない①




 お祖父様に抱かれたまま中庭へと出れば、招待客の視線が集まる。

 好奇の目、というのはこういう目のことを言うんだろう。ひそひそと話をされないだけマシだけど、向けられて気持ちの良いものではないのは確かだった。

 そりゃあ王城でのお茶会に、屈強な祖父に抱かれて現れた十歳児なんて私ぐらいでしょうね。あまりの居たたまれなさにお祖父様に下ろしてもらい、後ろに続いていたお姉様のそばへと駆け戻る。



「やはり蕾のように愛らしい子が二人もいると、場が華やぎますね」



 突然の声に、空気が変わった。

 不躾な視線を寄越してきた人々が、一斉に同じ方向へ頭を下げる。それはお祖父様と両親、お姉様も同じ。私だけが、ぽかんと声の主を見つめていた。



「よく来てくれましたね。あなたに会える日を楽しみにしていましたよ、ミシェル・マリー・パールグレイ公爵令嬢」



 後ろに付き人を従えてゆったりと歩み寄ってきた女性――――この国の王妃、マルグリット様はそう言って微笑む。

 笑みも言葉も私だけに向けられたもので、驚きのあまり飛びかけた意識を慌てて手繰り寄せて頭を下げた。



「お、お初にお目にかかります。本日はこの様に素敵な会にご招待いただき、まことにありがとうございます」



 事前に教えられていた挨拶の言葉を述べると、王妃様はふふっと笑う。



「本当に愛らしいこと。パールグレイ公が大事に隠していた気持ちも分かりますね。あなたの父は、私が何度あなたに会ってみたいと口にしても、のらりくらりとかわしていたのですよ」


「お戯れを。この子は十になったばかりです、そのような子を王宮の謁見の間へ連れていくわけには参りません」


「ええ、ですからこうやって庭に茶席を用意したのですよ。知恵比べは私の勝ちですね、パールグレイ公」



 愉快そうに笑む王妃様に、お父様は降参だと言わんばかりに肩をすくめる。

 そう言えば招待状が届いた日にも、王妃様が私に会いたがっていたと言っていた。あれって本当のことだったのか……。


 今日の招待は招待状に書いてあったお礼だろうけど、それより前から会いたがっていたとはどういうことだろう。孫である第二王子の婚約者になる予定の令嬢の妹だから?

 両親とお姉様にも声をかける王妃様の横顔をちらっと盗み見ても、分かるわけがない。お父様は理由を知っているみたいだけど、それを教えてくれるつもりはなさそうだ。知りたいなら、自分で調べるしかない。

 でも公爵令嬢とは言えど、未成年で初対面の私が王妃様に話しかけるのは貴族としてあまり良いことではないらしいから、直接問うのは難しいかもしれない。うう、もやもやする。

 なんてことをごちゃごちゃもやもや考えている間に、王妃様は両親とお姉様、近くにいたお祖父様との会話を終えていたらしい。目があうと、あろうことか私に目線をあわせるように身を屈めた。



「お、王妃様?」



 ぎょっとして仰け反る私の頬を、しわの刻まれた白い手が包む。



「ミシェル。あなたには、私も陛下も感謝しています。統治者である前に、一人の子の祖父母であることを思い出させてくれました。改めて感謝を言います」


「えっ、と……」


「優しく賢い子に育ちましたね。あなたは紛れもなくパールグレイ家の子。これからの成長に期待していますよ」


「……み、身に余る光栄です……」



 この国で二番目の権力者に直接お礼を言われるという事態に、心臓がバクバクと音をたてる。

 なんとか返事を絞り出せば、王妃様は満足そうに微笑み、するりと撫でながら私の頬から手を離す。ほのかにバラのいい香りがした。



「では私は他を回らねばなりませんから、また後程。ソフィア、あなたの話もゆっくりと聞かせてちょうだい」



 王妃様は、付き人を従えて離れていく。そして他の招待客へと声をかけ始めるのを見た瞬間、緊張の糸がぷつんと途切れた。

 よろめきながら後ずさる私を、慌ててお母様とお姉様が支えてくれる。



「あらあら」


「ミシェル、大丈夫?」


「だ、だい、じょうぶ……です。ちょっとびっくりしただけですから」


「いきなりあの方と話をするのは、ミシェルにはちっとばかし刺激が強かったか」



 お祖父様は苦笑いを浮かべ、近くの丸テーブルの一席に座るように誘導してくれる。椅子に腰を下ろした瞬間、どっと全身から力が抜けた。



「王妃様は、いつもああいったことをなさる方なんですか?」


「子ども好きでいらっしゃるからねぇ……」


「私も初めてお会いした時に同じことをされたわ」


「そう言えば、ジャンもやられたと言っていたな」



 お母様、お姉様、お祖父様が席につきながら口々に言う。

 つまりさっきの顔面キャッチは、王妃様にお会いした子どもの通過儀礼というわけか。目を白黒させる私を満足げに見ていたから、以前お父様が王妃様を愉快犯じみていると言った意味がさらに分かった気がした。

 私、あの方ちょっと苦手かも……。


 はあ、とため息をつきながら改めて会場である中庭を見回す。

 中庭と言っても、ここは王族の住まう城の庭。回廊に囲われているけれど大勢が集まっても窮屈さは一切なく、芝生と植木も手入れが行き届いていて、とても快適な空間だ。

 そこに用意されたいくつもの丸テーブルには、主催した王妃様の趣味だろうか、真っ白いクロスに赤いバラのアレンジメントが飾られている。料理も焼菓子やフルーツが中心で、一目で美味しいものだとわかる品々だ。

 なるほど、これが王侯貴族のお茶会かぁ。着飾った色とりどりの招待客が動き回るせいもあって、華やかさに目が回りそうだ。

 そう感心している、機嫌のなおった毛玉が、ピョンと肩からテーブルに下りた。



「ピイッ!」



 お皿やティーカップを器用に避けて動き回る姿は、なんだかおもちゃのようで可愛らしい。

 相変わらず私以外の人には見えていないようなので好きにさせておくと、毛玉は一つの小皿の周りをぐるぐる回り始めた。何かと思えば、バラの砂糖漬けを気に入ったらしい。

 食べたいのかな?角砂糖を食べるぐらいだし甘いものが好きなのかもしれない。でもここにはたくさんの人がいるから、誰に見られるか分からないんだよなぁ。

 せがむように鳴く毛玉を視線でなだめつつ、バラの砂糖漬けにそっと手を伸ばす。



「それは、私が離宮で育てたバラで作らせたものなのですよ」



 おっとりとした声に振り返ると、他の招待客と話をしていたはずの王妃様が戻ってきていた。

 あっぶな~。これでうっかり毛玉にあげていたら、王妃様に見られてしまうところだった……。



「王妃様、他の方々はもうよろしいのですか?」


「構いません。それに今日の会は、ソフィアとミシェルと話しがしたくて催したようなものですからね。家族の席にお邪魔してもいいかしら?」



 お母様の問いかけに、王妃様はにこやかに答える。そしてその提案にノーと言える者がこの場にいるわけがなく、私達が頷けば、王妃様の付き人がわざわざ私とお姉様の間に新たに椅子を置いた。

 そこに腰を下ろした王妃様は、バラの砂糖漬けの乗った小皿を私に差し出した。



「今年はとてもよく出来たと思うの。どうぞ召し上がれ」


「い、いただきます」


「さあ、ソフィアも」


「ありがとうございます、王妃様」



 一つ取って口にすれば、砂糖の甘さとバラの香りが口いっぱいに広がる。

 肩に戻ってきた毛玉が羨ましそうに揺れるので、王妃様がお姉様との会話を楽しみ、両親とお祖父様もそちらに注目している隙にバラの砂糖漬けを取って毛玉にあげた。嬉しそうにモシャモシャと食べるから、甘いもの好き説は確定かもしれない。

 というか、右隣に王妃様、左隣にお父様という最悪のポジションではないか。もしかしてお父様は、私が王妃様に失礼なことしでかさないか見張りを兼ねているんだろうか。

 私も不敬罪に問われるのは嫌なので、なるべく黙っていることにしようかな。そんな思いが伝わったのか、王妃様はお姉様へと積極的に声をかけていた。



「ごめんなさいね、ソフィア。エリックは陛下の言いつけで、今日は夕刻まで授業を受けることになっているの」


「そ、そうなのですか……。社交期にも勉強をなさるなんて、エリック様はとても勤勉ですね」



 ……あまり、お姉様らしくない言い方だ。

 きっと王妃様は、婚約するかもしれない関係だった令嬢が来ているのに顔を見せないエリック王子のフォローのつもりで、他意はないのだろう。でも今でもエリック王子に恋をしているお姉様にとっては、傷口に塩水を一滴垂らされたようなものだ。


 塩を塗り込まれるほどの痛みではないけれど、じわりと染みて、痛みを感じる。

 それは私のせいで負った傷だ。これ以上黙って見ているわけにはいかない。

 微笑んで痛みを隠そうとするお姉様を見て、王妃様が何か言い出すより早く口を開いた。



「王妃様」



 ようやくこちらを見た灰色の目に、にっこりと子どもらしい笑みを向ける。



「さきほどこのバラの砂糖漬けは、王妃様が離宮で育てられたお花を使った物と仰いましたが、離宮には他にどのようなお花があるのですか?」


「ミシェルは草花が好きなのかしら?」


「はい。お父様が私専用に温室を作ってくださって、そこでたくさんのお花の世話をしているんです」


「まあ、そうなの。私の離宮も、陛下が誂えてくださったのですよ」


「全てのテーブルに飾られているバラも、離宮で育てられたものですか?」


「ええ」



 この季節に最も美しく咲く種のバラを切って飾らせたのだと、王妃様は花瓶に生けられたバラを愛おしむように撫でた。

 その様子に、お母様は見事なバラにうっとりと賞賛の言葉を贈り、話題は完全にエリック王子から逸れていく。ほっと息を吐くお姉様の様子を横目で確認して、私も安心することができた。


 と、その時、誰かにじっと見られている感じがした。


 主催者の王妃様を独占していれば見られて当然だろうけど、なんとなく気になって視線を感じる方を見た。するとしつこくこちらを見ている人がいない代わりに、一部だけ、陽炎のように空気が揺れていた。


 あれ?陽炎ってどういう条件で発生する気象現象だっけ?

 前世の知識を引っ張り出しても、真夏のアスファルトに発生しているイメージがあるだけだ。

 確かに今日は晴天だけどそれほど暑くはないし、ここはアスファルトではなく芝生。きちんとした知識はないけれど、その陽炎のような揺らぎに違和感を覚えた。



「ミシェル?どうかしましたか?」



 王妃様の呼び掛けに、はっとして視線を戻す。――――――刹那、冷たい手に背筋を撫でられたような寒気がした。



「……あ、いえ、なんでもありません」



 咄嗟に首を振って、ティーカップに口を付けて誤魔化した。しかし温かいはずの紅茶を飲んでも寒気は治らない。



「ンブッ!ブーッ!」



 毛玉がさっきまで私が見ていた方を見て、威嚇するように毛を膨らませている。

 ちらりとその方を見て、瞬時に見たことを後悔した。


 陽炎のような揺らぎが膨れ上がり、ゆっくりと近づいてきていた。


 あれだ。あれのせいで、寒気がするんだ。根拠なんて何一つないけれど、そう直感した。しかしあれのせいだけではないのも、同時に分かった。

 誰か……というよりは大勢に見られている。陽炎を見つける直前に感じた視線が何十人分にもなって、背中にどすんとのし掛かってきていた。

 好奇、嫌悪、妬み、嫉み。薄暗さしか感じないそれは、会場に到着した時に遠巻きにじろじろ見られて噂されたのが可愛く思えるぐらいだ。



「……はっ、はっ……」



 どうしよう、息苦しい。気持ちが悪い。……怖い。

 王妃様を中心に会話が進んでいるのは分かるけれど、何を話しているか全く耳に入ってこない。

 少しでも動けば大きなモノに頭からばくっと喰われるような気がして、でも何かに縋りたくて。気づけば私は震える手で、左隣に座るお父様のジャケットを握りしめた。



「ミシェル?」



 震える手を見てか、それとも青ざめているであろう私の顔を見てか。こちらを見たお父様が、息を呑む。

 そして私の様子が普通ではないことに気づいて、椅子から下りて視線を合わせてくれた。



「気分が悪いのか?」


「……ち、ちが……見られて、それが……近づいてきてて……」



 喉がひきつって上手く喋ることができず、支離滅裂になってしまう。



「近づいて……?」



 なにが?、と言いたげにお父様は周りを見る。……まさか、見えてない?じゃああの揺らぎは毛玉と同じ、私にしか見えていない存在なの?

 そう思っている間にも視界の端で揺らぎが近づいて来ているのが見えて、恐怖に心臓が暴れまわる。

 あれが何なのかは、今はどうだっていい。大事なのは、あれは毛玉と違って関わってはいけないモノだと本能が叫んでいることだ。

 嫌だ。怖い。今すぐここから離れたい。近づく揺らぎを見たくなくてぎゅっと目を閉じると、一瞬だけ体が浮き、耳元でお父様の声がした。



「殿下、申し訳ありませんが、これ以上この子をここへ置いておくことはできません」



 恐る恐る目を開けると、地面が遠い。お父様に抱き上げられていると分かった。



「まあ、顔色が……!私が無理に呼んだせいですね。気にすることはありません、すぐに医務室へ」


「失礼いたします」


「あなた!ミシェルは?」


「大丈夫だ、守りは効いている。お前はソフィアとここに残りなさい。……エバーグリーン候」


「ああ。殿下、申し訳ありませんが、儂もしばし席を外します」



 恐怖や驚きで混乱する私をおいてけぼりに、大人達の会話が通りすぎていく。そんななか青ざめて言葉を失っているお姉様の姿が見えた。

 大丈夫だと言いたくて手を伸ばす。しかし届く前にお父様が歩き始めてしまったせいで、何も伝えることはできなかった。




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