15.いざお茶会へ
「もうっ!お父様もお母様もひどいわ、私がいない間にこんな大事な話を決めてしまうなんて!」
「だってあなたはあの日、クレーブス家の令嬢とフラワーショーに行っていたじゃない」
「でも日が暮れる前には帰ってきましたよ。突然王家の使いの方が来た時は、本当に驚いたんですからね!」
パーティションの向こうから聞こえる声に 私はニナとばあやの顔を見て、また言ってるよと肩をすくめた。
王妃マルグリット様から手紙が届いてから数日が過ぎ、あっという間にお茶会の当日になった。
しかし困ったことにお姉様は、自分がいない間に妹のお茶会デビューを決められてずいぶんとご立腹。ずっと両親にぷりぷり怒っている。
「ごめんなさい、お姉様。お姉様からお土産にすずらんの鉢植えをもらえたのが嬉しくて、お話しするのをすっかり忘れちゃいました」
いまだにお母様に文句を言っていたお姉様に、パーティションの影から声をかける。すると不服そうな呻き声のあとに「ミシェルは悪くないわ」と聞こえた。
相変わらずお姉様は、私を理由に感情がコロコロ変わるシスコンだ。
お父様はエリック王子との関係を考えて、今日のお茶会にはお姉様だけ不参加にするつもりだった。しかし手紙が届いたその日にお姉様のシスコンセンターが働き、私のお茶会デビューの件があっさりバレてしまった。
結果、「そんな大事な日に留守番なんかしていられません!絶対に私も行きます!」と猛抗議されたお父様は渋々了承。その時の疲れた顔は、見ていて愉快な気持ちになった。
そんなことがあっての今日。パーティションの向こうにいるお母様とお姉様は、すでに自分の身支度を終えて、今は私の準備が終わるのを待っている。
「お茶会に行くのって大変なのね。準備だけで疲れてきちゃった」
大きな姿見に写った自分の姿は、知らない人の様だった。
普段より早い時間に叩き起こされ、普段より長くお風呂に入って侍女達に全身を磨かれたと思ったら、つい三日前に仕立て屋から届いた今年流行りのデザインだというミントグリーンのドレスを着せられた。
それだけでも見慣れていなくて違和感があるけれど、知らない人に思える最大の理由は髪だ。
私はお姉様ほど見事な銀ではないけれど、それでも同じくお父様譲りのプラチナブロンドだったはず。が、今の私の髪色は、お母様と同じ淡い金色になっていた。
自由奔放な天然パーマは相変わらずの、自分の物とは思えない髪にそっと触れる。
「……ねえ、ばあや。さっき私の髪につけた物ってなに?」
色が変わった原因には、思い当たる物があった。
それはお風呂上がりに、ばあやが私の髪に馴染ませた液体。すぐには変化がなかったから天パを落ち着かせるヘアオイルかと思っていたけれど、しばらく経ってから鏡を見たらこの有り様だ。
完全にアハ体験である。自分の髪の毛を使った脳トレはちょっと受け入れがたい。
「髪用の魔法薬ですよ。旦那様が今日のために取り寄せられた一級品です」
「えっ魔法薬?!どうしてそんな物を……。色が変わっちゃったじゃない」
顔立ちや瞳の色が違うから、髪色だけがお姉様と姉妹だと分かる唯一の共通点だったのに。
抗議の視線を向ければ、ヘアセットの準備をしているばあやは「ああ、そうでした」とどこ吹く風で口を開いた。
「覚えていらっしゃらなくて当然ですが、ミシェルお嬢様はお生まれになった際は、奥様と同じそのお色でしたよ。ですから変わったのではなく、戻ったのです」
「戻った?」
「ええ。本邸にその頃の絵がございますよ」
赤ん坊の時と成長後では髪色が変わる、というのは前世でも耳にしたことがある。
でもそれは生まれた時は色素が薄くて明るい茶髪でも、成長すると優性遺伝子の影響で黒に変わるというものだったはず。ブロンドからさらに色素が薄いプラチナブロンドに変わるなんて、まるでストレスで白髪になるのと同じみたいではないか。
うーん、前世での生物の授業で習った程度の浅い知識で決めつけるのはよくないか……?
――――まあ、髪色がお母様と同じなら、顔立ちがお母様似のお姉様と姉妹だと分かるから、これはこれでありかもしれない。でもそれならついでに、このどこから遺伝子したのか分からない天然パーマも解決してほしかったなぁ。
そんなことを考えているうちに、鏡台の前へ連行され、色が変わった改め戻った髪をセットされたことで私の身支度は終わった。
パーティションが片付けられ、待っていた二人にモブ系公爵令嬢・お茶会バージョンをお披露目する。
「まあまあまあ!なんて愛らしいんでしょう」
「とっても素敵よ、ミシェル!」
お母様とお姉様はそっくりな笑顔で、やんや、やんやと褒め称えてくる。
美女と美少女に言われると嫌みかと思うけれど、この二人は嘘偽り一切なく心からそう言ってくるから本当に居たたまれなかった。身内の贔屓目って怖い。
おまけにそれまで床を転がり回っていた毛玉も、足元でゴムボールのように跳ねてピーピー鳴く。靴を直すフリをして手を差し出せば、慣れた様子で肩まで登ってきて髪にじゃれついてきた。
なんだよ毛玉、今までそんなことしてきたこと一度もないじゃあないか。さては金髪の方が好みなんだな?
「そのチョーカー、お祖父様から頂いた物なんでしょう?ミシェルの瞳の色と同じだし、今日のドレスにもよく似合ってるわ」
お姉様は、私の首をじっと見る。真剣な視線に毛玉の存在を気づかれてしまったのかとヒヤヒヤするけれど、ただそこに巻かれた白いレースチョーカーを見るだけだった。
腕のいい職人が編んだというレースは、植物のローズマリーがモチーフになっているらしい。そしてその中央には、以前遠乗りに行った先で壊れてしまったバレッタの一部だった緑色の宝石が付いていた。
あの遠乗りの日、お祖父様はこの石を使った新しい品を贈ると言っていたから、このチョーカーがその新しい品なんだと思う。今度は壊れないことを祈ろう。
チョーカーに触れるふりをして毛玉を撫でていると、ノックをしてから別室で女性陣の準備待ちをしていたお父様が入ってきた。するとバチッと視線がぶつかり、お父様はそのまま私を凝視する。呟かれた「薬の効果か……」という言葉に、髪色の変化に驚いたのだと分かった。
「体調は?」
「問題ありません」
「そうか。少しでも悪くなったら、すぐに言いなさい」
お父様はそれだけ言って、馬車の用意も済んでいるからもう出発すると続けた。
お姉様に手を引かれて乗り込むと、馬車はゆっくりと王都を走りだし、窓から見える光景は私が想像していたヨーロッパの町並みとよく似ていた。さらにしばらく走り続けると、目的地の王城が見えてきた。
高い壁に囲われた、白と深紅のお城。まるで物語のなかの……ああ、そっか、ここが物語のなかだったんだ。
思い出せることは少ないけどミシェルとして生きた記憶もあるし、転べば痛いし、具合が悪くなれば苦しいし辛い。そんな生き物として当たり前のことが私の中にしっかりとあったから、ここが“私”にとってはフィクションの世界だということが時々頭から抜け落ちてしまう。
私が、“私”ではなくミシェルになってきた証拠なのかもしれない。
「ミシェル?ぼんやりしてどうしたの?」
繋いだままにしていた手が、引き戻される様にきゅっと強く握られた。
視線を馬車の中に戻せば、青い瞳が心配そうに私を見ていた。
「気分が悪いの?」
「ううん。ちょっと緊張してるだけです。初めて招待されたお茶会が王妃様の開いた会だなんて、普通じゃあないでしょう?」
王妃様から手紙が届いた時に思ったことを口にすれば、お姉様も「そうね」と苦笑いを浮かべた。
「私も王妃様とは二回だけお会いしたことがあるけど、ご挨拶をしただけなの。お城に行ったら私はいつも……」
そこで、お姉様は口を閉ざした。視線は下へと落ちて、私と繋いだ手をじっと見る。
きっとその言葉の続きはこうだろう。お城に行ったら私はいつも、エリック王子の近くにいて、エリック王子だけを見ていたから。
言えずに口を閉ざしたのは、きっと未だにエリック王子のことが好きで、婚約の件を引きずっているからだろう。
「なんだか、私まで緊張してきちゃった。ミシェルの緊張がうつったのね」
ぱっと顔を上げて微笑むお姉様に、私は何も気づいていないフリをして微笑み返した。
そうすることしか、できなかった。
私は乙女ゲームとしてソフィアがエリックにぞっこんな様子を見ていたし、前世を思い出す直前にエリック王子との婚約を喜ぶお姉様の姿を見た。だから婚約に至るまでの二人の距離感は分からないけれど、お姉様がどれだけエリック王子のことを好いているか知っている。
初恋の相手との婚約なんて天にも昇る気持ちだっただろう。
でもそれを、私がぶち壊しにした。私が、地面に引きずり戻した。五年後の運命を変えたいがために、お姉様が私を大事に思う気持ちを利用して、今のお姉様の気持ちを蔑ろにした。
本当に幸せになってほしいと願っているのなら、婚約を祝福してあげるべきだったというのは分かっている。でも先のことを考えると、こうするのが最善だったのだ。仕方がない。
しかし同時に、他にもっといい選択肢はなかったのか。本当に最善だったのかと思えてならない。
ぐるぐると堂々巡りな思考は頭が痛くなるだけで、私は軽く頭を振ってそれを追い払った。
いくら考えたって出せる答えは、エリック王子が婚約を受け入れてお姉様を愛してくれれば、全てが丸く収まるのに……という十中八九実現不可能な願望だけなのだから。
関所で受けたものより入念な検閲を終えて城門をくぐり、城内に入る。遠くで見ていたものよりずっと立派でずっときれいなお城の姿に、自然と口から感嘆のため息が出た。
馬車を降りれば手入れの行き届いた植木と、そこを豪華に着飾った紳士と淑女がゆったりと歩いていく姿が目に入る。女の子なら誰でも一度は想像するだろう光景だ。
「すごい……」
「庭園の方はもっと素敵なのよ。さあ、行きましょう」
本当はあちこち見回していたいけど、パーティー会場である中庭に向かうためにお姉様に手を引かれて両親のあとに続く。
その時、新調した履き慣れていない靴に静かに苦戦している私の耳に、周りのご夫人達の会話が入ってこんできた。
「ご覧になって、パールグレイ家の方々だわ」
「まあ、本当……」
「王妃様の催された会ですもの、あちらの家が招待されて当然ですわ」
どこの家のご夫人かは分からないけど、こうして公の場に出てみると、本当にパールグレイ公爵家というのは有名かつ大きな力を持っていると分かる。だてに王家の次ぐ地位と言われるだけではないようだ。
「あら、連れているご令嬢が一人ではないわ」
「ではあれが噂に聞く……?」
――――ん?噂?
中庭に近づいて人が増えていくにつれて、ひそひそ声はご夫人達のものだけではなく男性陣のものも加わっていく。
「まさかあの家の人間が揃って出席するとは……」
「ならば、まさかあれが噂の次女か」
「髪は夫人似のようだが……顔はここからでははっきり見えないな」
どうやら、十年間ひきこもっていた名門公爵家次女の登場に驚いているらしい。よく聞いてみれば「実在したのか」と、私の存在を信じていなかったらしい言葉も聞こえた。
というか噂ってなんだろう。てっきり私のことは世間の誰も知らないとばかり思っていたのに、私を見て次女と言った。名門公爵家となれば家族構成は知られているものなのだろうか?
それにしても、あの言い方だと絶対に良い噂のされ方はしていない。十歳の子どもの陰口を言うなんてどこのどいつだ。
私はムッとして彼らの方を見ようとした。しかしそれは優雅に横を歩いていたお姉様が、繋いだ私の手を軽く引っ張ったことで阻止されてしまった。
「お姉様……?」
「気にしてはダメ。前だけを見て歩くの」
お姉様は前を見たまま、私にしか聞こえない小さな声で言った。
私の手をきゅっと握って、大丈夫、大丈夫だからと繰り返す。その声はまるで、お姉様が自分自身を安心させるためのもののようだった。
よく分からないけど、お姉様はそう言うなら聞こえないフリをして、貴族令嬢らしく優雅に歩こう。新しい靴のせいでめちゃめちゃ歩きにくいけど、根性、根性。
周りの声はシャットアウトして、お姉様と手を繋いだまま歩くと中庭に面した回廊にたどり着いた。
そこには大勢の着飾った人が思い思いにグループを作って談笑している。だがしかし私達の登場に、ここでもご夫人達は扇子で口元を隠してひそひそと言い合い、男性陣は隠すこともせずじろじろとこっちを見てきた。
あーあーあー何も聞こえませーん。
「おおっ!やっと来たか!」
聞き覚えのある野太い声に顔を上げると、人混みがモーセの奇跡の如く割れ、のっしのっしとお祖父様が歩いてきていた。
「お久し振りです、エバーグリーン候」
「なんだアロイス、今日は仕事で来ているわけではないんだ!堅苦しい挨拶はよせ」
お祖父様は、身内に固い挨拶をするお父様をいつもと変わらず豪快に笑い飛ばす。
ふと周りに意識を向けると、感じの悪いひそひそ話や不躾な視線はぴたりと止んでいた。
「お?おおっ、ソフィアにミシェル!今日はいつにも増して愛らしいじゃないか!」
両親の後ろにいる私達に気づいて、お祖父様はいっそう笑顔を深めて両手を広げた。
すると打ち合わせでもしていたかのように、お姉様は繋いでいた手を離すと私の背をそっと押し、前にいた両親も道を開ける。
あっ、はい、行けってことですね。
「ごぎげんよう、お祖父様」
お祖父様に駆け寄って、貴族令嬢らしくドレスの裾を持ち上げて挨拶をする。
長年ひきこもり令嬢をしていたけど、マナーの教師にみっちり仕込まれているのでこれだけは完璧にできるのだ。
「よく来たな。調子はどうだ?」
「大丈夫です。それからお祖父様、チョーカーありがとうございます。今度は大事にしますね」
「前の物は急拵えだったからな。これはそう簡単には壊れないだろう」
言いながらお祖父様は軽々と私を抱き上げる。
急なことに肩にいた毛玉が転がり落ちていくのを慌ててキャッチ。つい力が入ってしまって「ブッギュイ?!」と今まで聞いたことのない鳴き声が聞こえた。
「ギュイー!ンブブブッ!!」
「ちょっ……」
ちょっと強く握っちゃっただけじゃん。私にしか見聞きできないからって耳元で騒がないでよ!
「どうした?」
「う、ううん。なんでもないです!」
端から見たら、突然空を掴んで顔をしかめるという謎の行動だろう。
この時、訝しむお祖父様なブンブンと左右に首を振る私は気づかなかった。私の一連の謎の行動を見ていたお父様が、ひそかに息を呑んだことに。
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