14.太陽と獅子の刻印





 毛玉は、私にしか見えていないのかもしれない。

 浮かんだ疑問の答えを求めて、私はわざと毛玉を肩や頭に乗せて過ごしてみたり、時には毛玉に言ってお姉様やお母様の目の前でジャンプさせたりした。

 すると答えは大正解。誰一人、毛玉の存在を指摘しなかった。

 見ないフリというレベルではなく、本当に見えていないようだ。



「見つかったら捨ててきなさいって言われるかと思ったけど、見えていないならコソコソしなくて済むね」


「ププッ」



 まあ、捨てろと言われても私は相変わらず一人では庭にも出られないし、拾ったのだってこの屋敷のなかだ。

 捨て猫を拾った時の常套句「拾ったところに戻してきなさい!」を言われても、そのルールは適用外だろう。


 そんなこんなで王都に来て毛玉に出会ってから二週間が経ったわけだけど、お茶会に招待してくれる友達がいないぼっち令嬢な私は、今日も部屋にひきこもって読書をしている。

 ちなみにそんな私の頭の上にいる毛玉は、誰にも見えないことをいいことに毎日お風呂に連れ込んでいるので汚れていた体は純白。毛並みだってフワッフワッのモッフモフになっている。

 そして毛並みを整えたおかげで、黒いまん丸の目も見えるようになった。



「毛玉、今日は角砂糖食べる?」



 読書のお供にニナが用意してくれたティーセットから、角砂糖を一つ摘まんで差し出す。すると「ンブ」と拒絶の声が聞こえた。今日はいらないらしい。

 一緒にいるなら食べる物を用意してあげないとと思って魔法生物図鑑で調べたけれど、ゴッサマーの生態は謎が多くて、何を食べるかは書かれていなかった。

 そこで食事の席に毛玉を連れていってあれこれ試した結果、二、三日に一つだけ角砂糖を食べたりミルクを舐めるようになった。

 これが正しいことなのかは分からない。でも何も食べないのは不安なので、私は周りに人がいない時を見計らって角砂糖やミルクをあげている。



「この本だと精霊は魔力を食べるってあるけど、私は魔法が使えないから魔力なんてないはずだし……。ねえ、結局毛玉って魔法生物?精霊?どっちなの?」


「プピィ?」


「ううーん、分かんないかぁ……」



 毛玉がいらないと言った角砂糖をティーカップに落として、かき混ぜる。カモミールティーにはハチミツ派だけど、飲んでみるとこれはこれでありだった。

 そのまま読書を続けていると、扉がノックされ、返事をすると従僕のジルベールがやってきた。



「失礼いたします。ミシェル様、奥様がお呼びでございます」


「はーい」



 私が立ち上がれば、毛玉は器用に髪を伝って肩まで降りる。ついてくる気らしいけど、どうせ私以外には見えていないので好きにさせておく。

 そしてジルベールの先導で居間に行くと、そこにいたのはお母様だけではなかった。

 相変わらず私を見ないでお茶を飲むお父様の姿に、やっぱりなと冷えた心のなかで呟く。ばあやでもお母様付きの侍女でもなく、お父様の仕事にサポートが主な仕事である従僕に呼ばれた時点でもしかしたらと思っていたけど、案の定だ。

 騙しやがったなジルベール。じとっと横目で見れば視線をそらすから、わざとお母様の名前を出してここへ連れてきたのだろう。



「あら、お父様もいたんですか。でしたら次からはわざわざお母様の名を使わずに呼んでいただいて構いませんよ。声をかけられて聞こえないフリをするほど、礼儀知らずではありませんからね、私は」



 さすがに腹が立つので嫌みたっぷりに微笑めば、横にいたジルベールの顔が青ざめる。

 私が腹を立てているのは貴方じゃあなくて、自分の名前を出さないように命じた貴方の雇用主だから大丈夫だよ。



「そうね、ミシェルはマナーの先生に叱られたことが一度もないぐらいいい子だものね。そんなミシェルにお手紙が届いているのよ。こちらへいらっしゃい」


「手紙?お祖父様かお兄様からですか?」


「見たら分かるわ」



 手招きをするお母様に歩み寄って、同じソファーに腰を下ろす。テーブルの上には一通の封筒とペーパーナイフが置いてあった。

 言われるがままその二つを手に取り、何の気なしに封筒を裏返した瞬間、視界に入ったものに息を呑んだ。説明を求めようとお母様を見上げても、にっこりと微笑むだけで答えてくれる気配はまったくない。

 なんで、どうしてこんな物が……。表に戻して宛名を確信すれば、そこにはしっかりと私の名前が書かれている。間違いなく、私宛だ。

 薄っぺらいそれが急に重たく思えて、私はそっと手紙をテーブルに戻した。



「お父様。ご説明をお願いします」


「開けて読めばわかることよ」


「ごめんなさいお母様。お父様から説明をいただけない限り、王家からの手紙を読むことはできません」



 真っ白い封筒に落とされた深紅の封蝋。ほのかにバラの香りのするそれに捺された刻印が王家の紋章だと気づかないほど、私は貴族として世間知らずではなかった。



「見たところこれが郵便に出された様子はありませんし、うちに王家の使者が来たわけではないのも、ずっと屋敷の中にいた私は知っています。これはお父様がどなたかに私に渡すように託されたのでしょう。ですが私は、王族の方から手紙を頂くような立場ではないはずです」


「……」


「手紙だけを寄越さず、わざわざ私をここへ呼んだということは何か話すことがあってのことなのでしょう。説明を」



 膝の上で手を握り、話すまで絶対に手紙に触れないことを態度で示す。

 するとお母様は黙りこみ、ずっと窓の外を見ていたお父様は口を開きかけ、閉じたと思ったらもう一度開いた。



「差出人はマルグリット王妃だ」


「おっ?!」



 驚きのあまり肩が揺れ、そこに乗っていた毛玉が膝に転がり落ちた。



「あの御方は常々お前に会いたがっていたが、お前を城へ連れていくわけにはいかずに断り続けていた。だがお前が外出できるようになり、今この王都へ来ていると……おそらくはエバーグリーン侯から聞いたのだろう。茶席を用意すると仰って、その手紙は招待状だ」



 王妃。城。招待状。

 予想外の単語の羅列に目眩がした。



「ま、待ってください……。王族……というより国王陛下や王妃様に会うことができるのは、社交界デビューを済ませた十五歳以上では?」


「それは公式の集まりの場合だ。その招待状はマルグリット様が主催する昼間の茶会。私的な会で、年齢は気にする必要はない」



 ええ~~気にします~~。

 私は、十年間領地の屋敷にひきこもっていた影響で、親族と使用人を除けば知り合いは主治医のフォッグ先生と家庭教師だけだ。社交界に私を知っている人はいないのに、なぜ王妃なんていう大それた方が私に会いたがって、招待状まで寄越してくるんだ……?

 それに一旦年齢問題を忘れるとしても、私はお茶会というものに出席したことがない。たまにお姉様やお兄様とその真似事をして遊んでいたけど、しょせんは真似事。本番経験はゼロだ。

 デビュー戦が王妃様主催の会なんてあり得ないぐらい難易度が高い。

 いや、高いなんてものじゃあない。きっとこの国で催されるお茶会の中で、間違いなく最高難易度だ。



「……これは、お姉様の婚約の件は関係あるんでしょうか?」


「何故いまそれを気にする?」


「だ、だって、私が婚約に口を出す前は、お姉様は婚約に乗り気だったじゃあないですか」



 嬉しさのあまり現実逃避の記憶障害にはなっていたけれど。



「あの婚約の話を無しにした、根本的な原因は私でしょう?」



 そうだ。エリック王子本人はともかく、王家そのものは二人の婚約を望んでいた。だからこそパールグレイ家に婚約の打診をしたのだ。

 我が家がそれを蹴った元凶は、私。

 文句を言われてもおかしくない立場なんだから、このタイミングに王族から手紙が届くなんてどうしても無関係とは思えない。


 混乱した頭が正常に働き始めれば、改めて自分のやったことの大きさが分かってきた。

 もしかして私は五年後の運命を幸せなものに変えるどころか、現在の王家とパールグレイ家の関係を悪いものにしてしまったんじゃあ……。



「ミシェル。顔を上げて、手紙を読みなさい。そこに全てが書いてあるはずだ」



 お父様の声は、静かだった。

 三年前に聞いた「男であれば良かったのに」と同じ声であり、先月の謝罪と愛情を語る声とも同じで、自然と体が強ばった。


 しかし、このまま固まっていても何にもならないのも事実。

 鎧にでも覆われたように重たくなった腕を伸ばして、ペーパーナイフでゆっくりと手紙の封を切った。

 中身は便箋が一枚。綴られた文字は書いた人の性格を表したように、繊細だけどしっかりとした筆圧で、子どもが読むことを意識してなのかとても丁寧で分かりやすい表現がされていた。

 最後まで読み終える頃には、体の重さは治っていた。いつの間にか肩に戻っていた毛玉が首に擦り寄ってきて、その気持ちのよさも相まってホッと吐息が漏れる。



「手紙にはなんて?」



 心配げにお母様が聞いてきたけれど、便箋を手渡すのが精一杯だった。

 手紙の内容は、ざっくり説明すれば「統治者である以前に一人の子の祖父母だったにもかかわらず、婚約について孫であるエリックの意思を確かめていなかった。それに気づかせてくれてありがとう。お礼をしたいので城に遊びに来てください」である。

 私が考えていたことの真逆だ。目から鱗というか、青天の霹靂というか、とにかくまったくの予想外の内容に体の力が抜けてしまった。



「……お父様、最初の話に戻ってもいいですか?」



 渡した便箋を読むお母様の姿を横目に見ながら、正面のお父様に問いかける。



「王妃様が以前から私に会いたがっていた、というのは、どういうことですか?」


「……そこまでは、私も分からないな」



 声色から嘘を言っていることがなんとなく分かった。

 分かりはしたけれど、指摘するのも面倒だと感じた私はただ「そうですか」とだけ返した。



「お前が行きたくないと思うのなら、私から断りをいれておこう。お前のしたいようにするといい」


「……はい」


「お待ちになって、あなた。もしもこの招待をお受けする場合、まさかミシェルが一人で出席するなんてことはないわよね?」



 終わろうとしていた会話に、お母様が待ったをかけた。

 ああ、そういえば手紙には私を招待と書いてあるけど、両親とお姉様のことは書いてなかったなぁ。



「お母様達にも招待状が届いているんじゃあないんですか?」


「それに私達のことは書かれていないのか?」



 私とお父様の声が重なるのは、これが初めてだった。そして私とお父様が同時にお母様を見て、次いでお互いの言った内容にぎょっと目を見張るのも同時だった。

 だが今はそんな人生初の父娘のシンクロ芸を気にしている場合ではなくて……。



「む、無理です!一人だなんて、そんなの……!」



 慌てて前のめりになってそう言えば、お母様も真っ青な顔で「そうよ!」と私の肩を抱いてお父様に抗議をする。

 生まれて初めてのお茶会が王妃様主催の会な時点で最高難易度だというのに、そこに一人で出席するなんて、RPGならスライムが魔王に挑むみたいなものだ。

 レベル1の勇者でも村人Aでもない、最弱のスライム。開幕早々ぷちっと潰されてゲームオーバーになる未来しか見えない。



「あの御方はいったい何を考えて……」


「あなた!」


「分かっている。ソフィアならともかく、ミシェルを一人で行かせるわけがないだろう」



 お父様はハア、とため息をついた。



「ミシェル。一人では行かせられないが、もし仮に私達も同行するとなれば出席する意思はあるか?」


「えっ」



 ああ、そうか。招待されているのは私だから、私が行きたくないのなら一人だろうと四人だろうと関係ないのか。

 どうするべきなんだろう……。婚約のことを考えるとお姉様とエリック王子を会わせるようなことは避けたいけれど、お礼がしたいからという誘いを断ってしまうのは良くないことだろう。となると、ここはエリック王子がいるかいないかで、出欠席を決めるべきだ。



「あ、あの、その会にエリック様は……?」


「殿下に顔を出させるほど、あの御方も愉快犯じみてはいないだろう」



 その言い方だと、まるで普段の王妃様はお騒がせでやっかいな人だと聞こえるんですけど……。

 王妃様の性格はともかく、エリック王子がいないのなら出席してもいいだろう。それに私も本物の貴族のお茶会というものを体験してみたい。

 一人じゃあないなら出席しますと言うと、お父様はすぐさま従僕のジルベールを呼び寄せ、一筆箋らしき紙に何かを書き付けて使いに出した。


 その日の夕方、今度こそ王家からの使者が手紙を持ってやってきた。その中身を要約すると「ミシェルが来るなら別に三人も一緒に来ていいよ」だった。

 国王の最側近の公爵家当主、社交界の華と呼ばれる公爵夫人、第二王子の婚約者になる予定だった公爵令嬢。そんな三人を私みたいな元ひきこもりの最弱スライムのオマケ扱いする文章に、お父様が王妃様を愉快犯と言った理由が分かった気がした。



 こうして私の、異例ばかりのお茶会デビューが決まったのであった。



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