13.お友達ができました
「ミシェル様、お目覚めの時間ですよ」
聞きなれたニナの声に目を開けて、見えたのが見なれない天井だったのに寝ながら首を傾げた。
あれ?どこだろう、ここ?
……ああそうだった、社交期を理由に王都の別邸に来ていたんだった。
「おはよぉ、ニナ……」
「おはようございます。お加減いかがですか?」
「んぅ〜……だいじょーぶ……」
体を起こして部屋を見回せば、チェストの上に時計があるのが見えた。
夜中に見回した時はぼんやりとした月明かりが頼りだったから、見つけられなかったのかもしれない。
寝起きの働かない頭で、昨日なのか今日なのか分からない夜中のことを思い出す。そして毛玉を蹴飛ばしたことを思い出して、はっとした。
そうだ、あの毛玉はどうした――!?
慌てて枕元を見ると……そこに毛玉の姿はなかった。
「あれ?」
「どうかなさいましたか?」
「ここに白……いや、灰色?真ん丸の毛玉なかった?」
これぐらいの大きさの、と握りこぶしをつくって見せても、目覚めのお茶を淹れてくれるニナは「毛玉?」と首を傾げるだけだった。
「いいえ。私がお嬢様に声をお掛けした時には何も……?」
「そっかぁ……」
枕を持ち上げても、掛け布団をバサバサと振っても毛玉は見つからず、落ちてしまったのかと思ってベットの下を覗きこんでも見つからなかった。
あの毛玉は私の言葉を理解できているようだった。朝になったら玄関が開くと言ったから、もしかしたら勝手に出ていったのかもしれない。
拾った時の弱り方を思い出すと心配だけど、野生の生き物は外で自由に生きるのが一番。出ていくだけ元気になったんだと思って忘れよう。
サイドテーブルの上に置かれたコップの水を見て、そう思った。
「あ、そうだ。ねえニナ、私の荷物の中に本があったでしょう?あれってどこにある?」
「ミシェル様の衣裳部屋に、他の荷物と共に置いてありますよ。ご入り用であれば、後ほどお持ちいたします」
「じゃあお願い」
目覚めのお茶を飲んでからは、ニナが先読みして用意してくれていたお風呂で汗を流してから朝食。食堂室にはすでに両親とお姉様がいて、別邸にいる間は毎日家族四人で食事をするのか思うと微妙な気分になった。
お母様とお姉様はいいけれど、お父様とはあまり同じ空間にいたくない。そしてお父様もそう思っているのが伝わってきて、せっかくの料理の味が不味くなってしまいそうだ。
礼儀として挨拶をしても私に一瞥もくれず、お父様は「ああ」と返事というには雑な声を寄越す。
こんな反応をされるぐらいなら、いっそのこと明日から挨拶をするのをやめてしまおうか。
「おはようミシェル。よく眠れたかしら」
「おはよう。具合は大丈夫?」
「おはようございます、お母様、お姉様。たくさん寝たのでもう大丈夫です」
「それは良かったわ。でも今日はお部屋でゆっくり過ごしましょうね」
「屋敷と庭を探検するのはダメ?」
「そうねぇ、ミシェルはここへは初めて来たんだものね。それじゃあ今日は屋敷の中だけよ、外へ出るのはまた明日にしましょうか」
「はーい」
過保護なお母様のことだから「今日は部屋で読書か刺繍を」とでも言われるかと思ったら、意外とあっさり許可がおりた。おまけにお父様は王城で仕事、お母様とお姉様はそれぞれ招待されている会に出席するため、屋敷の探検は私の好きなようにやっていいらしい。
ラッキー!、と思いながら運ばれてきた朝食のメニューを見ると、私の好物ばかりだった。
もしかして昨日は夕食もとらずに寝てしまった私を、料理人が気を遣ってくれたんだろうか。馬車酔いと疲れで寝ただけだから、なんだか得をした気分だ。
お父様の顔を見て荒んでいた心が、一口食べるごとに浄化されていく。さらにデザートに食後のハーブティーも私の好きなものばかりだったので、食堂室を出る頃にはすっかり上機嫌になっていた。
その後、出掛けるお母様とお姉様を見送り、二度目の屋敷探索を始めた。
「よろしいですか、お嬢様。鍵のあいた部屋にはご自由にお入りください。ですが、走ることと、外へ出ることは決してなさらないでくださいね」
「も~。ばあやってば、それもう五回も聞いてるよ。走らないし、外にも出ない、仕事をしてる使用人のみんなの邪魔もしない。これでいいでしょう?」
しつこく注意をしてくるばあやから逃げるように、玄関ホールから一階の廊下へと進む。
夜中に歩き回った時はただ廊下を歩いただけだったけど、今度こそ屋敷をくまなく探索できる。
ふんふんと鼻歌を歌いながら片っ端から扉を開けて、室内を確認していく。
一階には大広間と応接間がいくつかと、お父様は葉巻もパイプも吸わないはずなのに喫煙室。来客者が近づかない裏手には使用人の職場である階下へと続く階段があったので、軽快に下りて休憩室のような場所を覗いた。
すると初対面である別邸の使用人たちはぎょっとして、でも本邸から同行している使用人たちは慣れた様子でにこやかに挨拶をしてくれる。
普段は本邸勤めの調理長がいたので好物ばかりの朝食のお礼を伝えると、昼食も私一人だけだから私の好物ばかり作ってくれると言った。なんだか今日は朝からツイている。
「さあさあ、お嬢様。上に戻ってください。ここにいるのを家政婦長に見つかったら、また叱られちまいますよ」
「そうね。ばあやは怒ると怖いから戻るわ」
貴族の令嬢が、労働階級の使用人の世界である階下に行くのはあまりよくないらしい。
でもひきこもり令嬢な私は使用人と仲が良くて、本邸ではしょっちゅう階下に顔を出していた。そのたびにばあやに見つかって、猫でも捕まえるように小脇に抱えられて上に戻されていたけれど、今日はそうなる前に自分の足で上へ戻ることができた。ばあやは違う場所で仕事をしているようだ。ラッキー。
さて、これで一階と階下は全室確認した。次は二階だ。
階段の手すりや窓ガラスを拭いてくれている侍女たちに挨拶とお礼を伝えながら、二階も片っ端から扉を開けて中を覗いていく。食堂室に書庫、学習室、客間が複数と、またもや応接間らしき部屋があった。ふむふむと思いながらとある扉を開けると、そこはお父様の執務室らしき部屋で思わず「うわっ」と言ってしまった。
お父様が仕事で王城へ行っていなかったら、うっかり鉢合わせしていただろう。危ない、危ない。でも場所は覚えたから、次からは近づかないようにしよう。
最後に三階は、家族のプライベートゾーンらしい。家族それぞれの自室に、衣裳部屋、居間などがあった。
そして最後の部屋の扉を閉める頃には、探索を初めてずいぶんと時間が経っていた。
「あれ?そういえば、どこの部屋にも鍵なんてかかってなかったな……?」
ばあやが鍵のあいた部屋には自由に入っていいと言っていたから、てっきり鍵のかかった部屋があると思っていたのに。開かない扉なんて一つもなかった。
あれはどういう意味だったんだろう?言葉のあや?
考えながら自分の部屋へと戻っていると、扉の前で白っぽいものが動くのが見えた。
「ん?」
「プッ、ププッ!」
「あっ、昨日の!」
「ピーッ!」
私の声の気づいて、ポーンポーンと毛玉は跳ねる。
「どうしたの?外に出てったんじゃあなかったの?」
「ブッ」
「玄関の場所、分からなかった?」
「ンブッ」
「えー、じゃあどうして?外に行かなくていいの?」
「ピッ!」
近づいて手を差し出せば、這うようにもぞもぞ動いて手に乗っかってくる。汚れているのは相変わらずだけど、ずいぶんと元気になったようで安心した。
立ち話もなんなので毛玉を持ったまま部屋に入ると、窓辺のテーブルに一冊の分厚い本が置いてあった。
見慣れた黒い装丁。ニナに頼んでおいた魔法生物図鑑だとすぐに分かった。
「ちょうどいいや、君がなんて生き物なのか調べさせて」
毛玉をテーブルに下ろして、私も椅子に座って本を開く。
文量が多くてまだ半分も読めていないけれど、これまで読んだ中に毛玉らしき生き物の説明はなかったはず。ということは、調べるなら続きからだ。
しおりを挟んだ『取り替え子』のページは、番外的な内容で魔法生物についてではなかったけど中々に興味深くて読み途中だ。まあ、それはまた後でじっくり読むとして、今は毛玉についてだ。
似た姿の挿し絵がないか、ゆっくりと続きのページをめくって確認していく。
時々毛玉も一緒になって本を覗きこむのが可愛くて、つつくと「プッキュ」と鳴くのでさらに可愛らしかった。
そしてしばらくページをめくり続けて、とある挿し絵が目に飛び込んできた。
「“ゴッサマー”?」
毛玉によく似た白くて丸いものが、風に乗って飛んでいく様子が描かれている。その上には、ゴッサマーと表記されていた。
さらに隣のページの解説文には、ウサギの尻尾のような容姿。常に風に乗って移動するため正確な生息地はなく、幸運をもたらす貴重な存在。目撃数の少なさから生態には謎が多く、魔法生物ではなく精霊の一種だという説もある、とあった。
「毛玉はただのばっちい毛玉じゃあなくて、幸運を運ぶすごい毛玉なの?」
「ピッ!」
「へぇ~。じゃあもしかして、なんか朝からちょっとツイてるなって思ったのは、君のお陰だったりするの?」
問いかけても、毛玉は「ンププ」と鳴くだけ。イエスとノーの返事の鳴き方は分かってきたけど、それ以外の鳴き方は何を言っているのかさっぱり分からなかった。
でも最初は分からないことだらけだったことが、分かることの方が増えた。
毛玉はゴッサマーという珍しい魔法生物で、一緒にいると良いことが起きる。人の言葉が理解できて、「ピッ」はイエス、「ブッ」はノー。
転生して初めてファンタジー世界らしい存在に出会ったことに、私は静かに興奮した。
「ねえ毛玉、本当に外に行かなくていいの?」
「ピッ」
「この屋敷に巣があって、他に仲間がいるの?」
「ンブブ……」
「じゃあ……私と一緒にいる?」
それは、ひとりぼっちだと言うこの小さな存在に同情や庇護欲を抱いたからではない。
純粋な好奇心。本にすら謎が多くと書かれた生き物がどんなものなのか、近くで観察して知りたいと思ったが故に出た言葉だった。
何を食べるかは分からないけれど、私の手のひらに乗れるぐらいの大きさなら食費はかからないだろうし、家族や使用人に隠れて飼うことだってできるはずだ。
「どう?私と、お友逹になってくれる?」
「ピッ!」
「いいの?」
「ピッ、プッキュ!」
毛玉は差し出した私の手に乗ると、扉の前でやったようにポンポンと跳ねて鳴く。
「いいの?ありがとう。じゃあ、これからよろしくね」
「ピッ!」
「あ、でもこのことは私達だけの秘密だから、あんまり大きい声で鳴いちゃあダメだからね」
人差し指を唇に当てて言えば、毛玉は腕をよじ登って肩の乗るとプププと小さく鳴く。左右に揺れる姿は笑っているようだった。
と、その時、部屋の扉がノックされた。
すると染み付いた習慣というのは恐ろしいもので、「はあい」と条件反射で返事をしてしまった。秘密で飼うことになったばかりの、毛玉が肩に乗っている状態で。
うわあああああしまった!どこかに毛玉を隠さない!
焦って毛玉を握った頃には時すでに遅し。ゆっくりと扉を開けて入ってきたのは、よりにもよってばあやだった。その後ろにはティーワゴンを押すニナもいる。
「失礼します。探検は終わりましたか?」
「ば、ばあや、これは……その……」
私の焦りが伝わったのか、それとも生き物の本能でばあやが怒ると怖いことを見抜いたのか。毛玉が私の手の中でブルブルと震えている。
「たくさん歩いてお疲れになったでしょう。お茶をお持ちしましたよ」
「……ん?」
「どうかなさいましたか?」
「う、ううん、なんでもない!ありがとう。ちょうど喉が渇いてたの」
ばあやとニナは明らかに私を見ていて、手の中の毛玉も見えているはず。でも毛玉の存在にはまったく気づいていない様子だった。
恐る恐る毛玉を肩に戻して二人に近づいても、やっぱり何も言ってこない。まるで見えていないようだ。
ふと脳裏に、これまで読んできた本の内容が思い浮かんだ。
精霊は、見る力がある者でないと見えない。もしくは特別な薬を瞼に塗らないと見えない。
そして毛玉こそゴッサマーは、目撃数が少なくて精霊の一種だという説がある。
――――もしかして毛玉は、本当に魔法生物ではなく精霊で、私には見る力がある……?
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