11.幸せを願う
春の終わりと言えば、貴族にとって特別な時期。
なぜならもうじき、普段は地方の領地に引っ込んでいる貴族たちが王都に集まり、お茶会や晩餐会、舞踏会といった社交場を催したり招待されたりする社交期が始まるからだ。
でも生粋のひきこもり令嬢である私は、この社交期とは無関係だ。
毎年お父様の待つ王都へ行くお母様とお姉様を、使用人たちと見送るだけ。社交期が終わるまでの期間は、温室の植物の手入れをしたり書庫で本を読み漁ったりして、毎日のように届くお姉様からの手紙を楽しみにしながら悠々自適にひきこもり生活をしていた。
例え庭を散歩できるようになっても、きっと今年もそうなんだろう。
そもそも十五歳にならないと夜会には出られないし、お茶会デビューもしておらず招待してくれる友達もいない私は、王都へ行っても別邸にひきこもるだけだ。だったら慣れ親しんだ本邸に残りたい。
そう思いながら今年の社交期について話す両親とお姉様の声を聞き流し、私は黙って夕食を口に運び続ける。
「ミシェル」
「…………っ、なんでしょうか?」
お父様が私を呼ぶことなんてないと思っていたから、反応するのに時間がかかったし、返事の言葉も一瞬のどにつっかえてしまった。
呼ばれたので礼儀としてお父様を見ると、ふいっと視線をそらされた。
いい大人が幼い娘にその態度はどうかと思いますよ。
「今年は、お前も王都へ来なさい」
「……なぜですか?私はいつもここに残っていますが」
「お前は毎年この時期に体調を崩すことが多いが、今年はそうではない上に、医者も遠出して問題ないと言っていた」
昼間、応接間でフォッグ先生と何を話していたかと思ったら、そういう話題だったのか。
「それに、次女である自分こそ足場を作るために社交場に出るべきだと言ったのはお前自身だろう」
おお、まさかあの時の、脱ひきこもりを目的に言ったことがここでこんな風になってかえってくるとは思ってもみなかった。
王都。それも人が集まる社交期の時に行くのか……。
五年後の運命を変えるためにひきこもりと病弱の脱却を目指していたけれど、社交期の王都にはあまり行きたくない。なにしろ社交期は国中の貴族が王都に集合する――――それはつまり、貴族である攻略対象と出会ってしまう可能性ということだ。
私はお茶会デビューすらしていないから社交場には行かないけれど、お姉様はそうではない。すでに社交期中のお茶会の招待状が山ほど届いているのを私も知っているし、その内のいくつかに出席の返事を出しているのも知っている。お姉様は、他の貴族の令息令嬢の集まりに出席するのだ。
その集まりに、貴族の令息である攻略対象がいる可能性があるのでは?
モブである私はともかく、悪役令嬢になるかもしれないお姉様が攻略対象と接点を持つのはなるべく回避したい。
うーん、どうするべきか……。
「そうですね、そう言ったのは私です。今年はお母様とお姉様にご一緒します」
しばし色々な可能性を考えて、私は王都行きを選択した。
私自身は貴族の集まりには不参加でも、お姉様が出席した会に攻略対象がいるか否か、いたとしたらどういった会話をして親しくなったかどうかをすぐに聞ける。運命を変えるための情報収集のしやすさを、優先することにしたのだ。
私がうなずいて見せると、お父様は「そうか」と言うだけだった。そこからはお互いに無言で、視線も合わせない。
するとお母様が場を持たせるように「そうと決まれば、さっそく明日にでも仕立て屋を呼んでミシェルのドレスを作りましょう」と微笑んだので、私は黙って微笑み返した。
あの日以来、夫と娘の仲が急速に冷え込んでいると気づいているようなので、少しだけ申し訳なく思える。ドレスなんて仕立てたって私がそれを着て出掛けることはないけれど、少しでもお母様のストレスが発散されるよう、仕立て屋の職人さんには頑張ってお母様好みのドレスを用意してもらうとしよう。
翌日。お母様はさっそく贔屓にしている仕立て屋を呼び寄せて、私のドレスについてああでもないこうでもないと真剣な顔で話し合っていた。
着る張本人は、採寸が終わったら完全にかやの外である。
「ミシェル。決まるまでは私と一緒にこっちにいましょう」
「はーい」
お姉様に手を引かれて、バルコニーに出る。
眼下に見える正面庭園は、たくさんいる庭師たちが毎日欠かさず手入れをしている植木と噴水で、幾何学模様を描いている。植物の緑と地面の茶色と噴水の白は綺麗だけど味気なく思えて、私は多種多様な草花が力強く成長する自分専用の温室の方が好きだ。
ああ、王都に行くなら温室の管理を庭師のおじいさん方にお願いしておかないと。
そんなことを思いつつ、ちらりとお姉様の様子をうかがう。お父様と同じ青い瞳には、どこか不安定さを感じる物が宿っている気がした。
これは、よくない。なんとなくそう思って、よくない物が消えることを願って、私は繋いだままにしていた手に少しだけ力を込めた。
するとお姉様はハッと我に返ったように瞬きを繰り返してから、「どうしたの?」と私に微笑みかける。
「お姉様は、私が王都に行くのは嫌ですか?」
息を呑む音が聞こえた。
私は昨日から……正確にはお父様と私が王都行きについて話した時から、お姉様の様子がおかしいことには気がついていた。
お姉様は毎年、私をおいて王都へ行くことを嫌がっていた。ミシェルが残るなら私も残るとごねて、それをお母様が「ミシェルには使用人たちがついているわ。ソフィアは、パールグレイ家の娘としての義務を果たさなければだめよ」と言い聞かせて、渋るお姉様を馬車に乗せていた。
だから今年は私も一緒に王都へ行くとなれば喜ぶと思っていたのに、あの時お姉様は一言も発さず、でも何か言いたげにお父様を見ていたのだ。お姉様らしくない。
「もしお姉様がそう思うなら、お父様にやっぱり行きませんって言ってきますよ?」
「ううん、違うわ。ミシェルと王都へ行けるのは、とっても嬉しいの。でも……」
「でも?」
「外は、あなたを傷付けるものばかりだから……」
……色々とごちゃごちゃ考えていた私は、どうやらこの人のシスコンぶりを忘れていたようだ。
もともとお姉様は、少しでも私から目を離したら死ぬか消えるかと思っていそうなぐらいのシスコン。不特定多数の人がいる王都は世界一可愛い妹には危険と思っていても違和感はない。
そういえばエリック王子との婚約騒動の最中、自分のわがままでミシェルを外へ出すのは嫌だとか言ってたなぁ。もしかしてお姉様、悪役令嬢だけじゃあなくて、好きな子を密室に閉じ込めちゃう系ヤンデレの素質でもあるんですか?
「あー……えっと、お姉様。私を傷付けるって、いったい何が?」
「色々なものが。それに最近は貴族の子どもを狙った誘拐が何件も起きているでしょう?危ないわ」
お姉様が言っているのは、今年に入ってから新聞に何度か載っている誘拐事件のことだろう。
馬車に乗った貴族を襲って、大人が乗っていたら身につけている宝飾品を奪い、子どもが乗っていたら誘拐して家に身代金を要求する事件。ちなみの子どもの安否は新聞には載っていなかった。
私は外出しないから無関係だけど、お母様とお姉様は護衛付きとは言えど外出することが多いから気を付けてほしいと思っていた。だからお姉様が私を心配する気持ちはわかるけど、この雰囲気は本当に閉じ込めちゃう系ヤンデレの素質があるのかもしれない。
しかもその対象がよりにもよって私。
こいつはやべぇ、悪役令嬢よりも質が悪い。実の姉相手にそう思って顔をひきつらせても、さすがに許されるだろう。
悪役令嬢化して破滅ルートも嫌だけど、ヤンデレルートはもっと嫌。
なにしろ私はヤンデレキャラは苦手なのだ。
前世で妹から『アルカンシエルの祈り』以外の乙女ゲームを押し付けられてプレイしたけれど、どんな乙女ゲームでもヤンデレ属性のキャラのルートだけは攻略したくなかった。
一応は義務感で攻略したけれど、もともと私が好きなゲームのジャンルは大乱闘したりモンスターを狩ったりゾンビをぶっ飛ばすやつ。そのせいなのか、ヤンデレキャラがシナリオの最中にナイフ突きつけてきたら「危ないでしょうが!しまって!」ってツッコんじゃうし、監禁されたらどんな手を使ってでも脱出したくなる。
なんというか、もう全体的に「それ犯罪だから!」と攻略対象を力いっぱい往復ビンタしたくなるぐらい、ヤンデレキャラは受け付けない。そこだけは前世で妹と分かり合えなかった。
お姉様にヤンデレの素質があるのなら、その扉が開くことのないようにしなければ……!
「あ、あの、お姉様?私は知らない人にはホイホイついていきませんし、いじめられて泣いたりするほど弱くありませんよ?ちょっとやそっとじゃあ傷つきませんから、大丈夫です」
「……そうね、ミシェルは昔から優しくて強い子だものね。私の自慢の妹。そんなあなたが嫌な思いをするのは、私、耐えられないわ」
うむ、これは手強いぞ。
仕方がない。奥の手を使おう。
「お姉様、お姉様、ちょっとお耳をかしてくださいな」
繋いでいない左手で口元を隠し、お姉様の耳に小さな声で言う。
「実はね、もうちょっと体力がついたら、お祖父様に乗馬と剣術を習おうと思っているんです」
「ええっ?!」
「シーッ!声が大きいです!」
慌ててお姉様の口を押さえて、部屋のなかにいるお母様の様子を確認。バルコニーの戸は閉まっているし、肝心のお母様はドレスのデザイン決めに熱中しているようでこっちの会話は聞こえていないようだ。
ああ、よかった。過保護なお母様に聞かれたら顔を真っ青にして倒れてしまいそうだから、お母様にだけはお祖父様にお願いするぎりぎりまで知られたくないのだ。
「ミ、ミシェル、乗馬と剣術なんて絶対にだめよ。危ないわ!」
「今すぐには始めませんよ。それに乗馬ならお姉様だってできるじゃあないですか」
「それは……」
「私が馬に乗れるようになれば、お姉様と二人だけで遠乗りにだって行けるようになりますよ?」
秘技・姉がやることをなんでも真似っこしたがる妹の術!
私は前世で妹にこれをやられて、ヒヨコのように後ろをついてくる妹を毎回「しょうがないな~」と受け入れていた。重度のシスコンであるはお姉様には効果抜群のはずだ。
それに先日のお祖父様との遠乗りに、お兄様も同行していた知ったお姉様はずいぶんとへそを曲げていた。
その効果もあってか、上目遣いでお姉様と二人だけでと強調すると、お姉様の目が泳いだ。妹の安全か、二人きりの遠乗りか、天秤がぐらぐらと揺れている。
「乗馬はともかく、剣術はやっぱり危ないからだめよ。それは男の子が習うものだわ」
つまり乗馬は良いってことですね。勝った。
「私も魔法が使えれば剣術は習いませんよ。でも私は十歳になっても魔法が使えるようにならないから、剣を習って、私自身や私の大事な人を守れるようになりたいんです」
私は、五年後にお姉様が悪役令嬢になるのを阻止することを前提に動いている。
でも万が一それに失敗して、お姉様が主人公に嫌がらせをするようになってしまったら、力づくで止めようとも思っている。
ファンタジー世界らしく魔法で止められたらいいけれど、残念ながら私は魔力を発現していない。モブである私は、主人公のように突然力が目覚める可能性は低い。
そこで思い付いたのが、剣の習得。
もともと私は前世で、ゲームでキャラの育成はMPよりHPの強化を優先。敵を討伐をする時は、高火力と高耐久の脳筋チームを編成し、物理でごり押ししていた。
魔法がダメなら筋肉を鍛えればいいじゃあないか!力こそパワー!どんな敵も殴り続ければいつか死ぬ!お姉様が悪役令嬢になったも峰打ちで気絶させて止めればいい!
これを思い付いた私は、なかなかに天才だ。
「最近はお金目的で貴族の子どもを誘拐する人がいるそうですが、この国で一番の騎士であるお祖父様に剣を教われば、誘拐犯なんてけちょんけちょんですよ!心配ご無用です!」
「ミシェルが強くならなくたって大丈夫よ。私が守ってあげるわ。そのために魔力の扱い方を学んだんだもの」
「じゃあお姉様を守るのは、誰?」
お姉様の顔を、じっと見る。
「魔法は使えば使うだけ疲れてしまうんでしょう?疲れて動けなくなったお姉様を、誰が守ってくれるの?」
「大丈夫よ。私、同い年の子より魔法を使うのがうまいって、魔法の先生にも言っていただいているの。だからちゃんとミシェルを守れるわ」
「そういうことじゃあないです、お姉様。あのねお姉様、ミシェルは、お姉様が私を大事に思ってくれるのと同じぐらいに、お姉様が大事なの」
だから、私のせいでお姉様が危ない目に合うのは嫌。足を引っ張るのも、ただ見ているだけなのも嫌。
今の何もできない私を、大事だと言ってくれる人を守りたい。自分から不幸の道に進むかもしれないこの人を止めたい。
そして私の中のミシェルが、お姉様に幸せになってほしいと言っている。
でも今の私にその力はない。私はそんな私を、変えたい。
「姉妹は持ちつ持たれつ。お姉様が私を守ってくれるなら、私がお姉様を守ります。守れるだけの力がほしいんです」
“私”の意識と溶け合ってしまったミシェルの思いが少しでも伝わってくれと願って、お姉様にぴったりとくっついた。
頭を乗せた肩は華奢で、握った手はいつも通り冷たいけれど大きさはほとんど同じ。一歳しか違わないのだから当然なんだけど、むしろ一歳しか違わないのにしっかりし過ぎていることに不安を覚えた。
「……ミシェル」
「なあに?」
「ありがとう。あなたみたいな優しい妹がいて、私は幸福者だわ」
肩に預けていた私の頭に、お姉様が猫のようにすり寄ってきた。さらさらの銀髪が顔にかかって、少しくすぐったい。そう思っていたら、お姉様も「ミシェルの髪はふわふわね。くすぐったいわ」と笑った。
お姉様よく、こうやって幸せそうに笑う。
五年後、本当にこの人が、人を駒のように操り、自分の気に入らない人を傷付けるような悪役令嬢になってしまうのだろか。
あり得ないと思うのは、私が妹だからだろうか。
不安と疑問を抱きながら、世間は社交期に突入した。
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