10.時には諦めも肝心



 前世を思い出してから一ヶ月が過ぎ、季節は春の終わりが近づいてきた。


 あれから外出はお祖父様に誘われた遠乗りだけ。しかし天気が良く、私の体調がいい日はかならず屋敷の庭で散歩と日光浴をしている効果からか、青白かった顔が色白と言えるぐらいにはなってきた。

 それにあの急激な気持ちの悪さにも遠乗りの日以来襲われておらず、倒れたり寝込んだりすることもない。

 いくら病弱でもあんなものが毎日あっては困るので正直ほっとしている。だがほっとしているのは私だけではなく、家族と使用人、そして今私の向かいの席にいる主治医のマルセル・フォッグ先生もだった。



「手紙に遠乗りへ行ったとあった時はどうなることかと思ったけど、あれから体調も安定しているようで安心したよ。顔色も今までで一番いいじゃないか」



 分厚い丸眼鏡の奥にある目を細めて、フォッグ先生は微笑む。

 先生は若いけど、以前は王宮で宮廷医として勤めていて、今は独立してパールグレイ領内にある町で開業医になったエリートだ。

 なぜ給料の高い宮廷医から苦労の多い開業医に転職したのか詳しい事情は知らないけれど、宮廷医時代にお父様と知り合い、その伝手で二年ほど前から私の主治医になってくれた。

 今日は、月に一度の定期検診の日だ。……と言っても、お茶を飲みながら一ヶ月間のことを話すだけなので、検診と言うよりカウンセリングに近い気がする。

 ただ一時間ほどお茶をするだけなので、私と先生は友達のような感覚で砕けた口調で話す。前世を思い出す前のただのミシェルも、この時間を毎月楽しみにしていた。



「ところで、手紙に『花畑で変な声を聞いた』と書いてあったけれど、どういうことかな?」


「書いた通りです。後ろから誰かに話しかけられたんですけど、周りには誰もいなかったんです」


「葉が擦れる音を聞き間違えた、ということは?」


「うーん、でも私が四つ葉のクローバーを探してるって言ったら、上からどっさり降ってきたんですよ?」


「会話が成立していたのか……」



 ふむ、と唸った先生は腕を組んで考え込む。

 私だってあれから何度も考えたけれど、誰と話したのかちっとも分からない。帰り道のお祖父様に「私の近くに誰かいませんでしたか?」と聞いてみても、首をかしげられるだけだった。

 しかし今もあの大量の四つ葉のクローバーは押し花となって私の手元にあるし、その内のいくつかはお兄様やお祖父様、お姉様、お母様、ニナにもあげて、フォッグ先生にも手紙に同封してプレゼントしてある。夢なんかではない。



「声を聞く前に、妙なことはなかったかい?」


「妙なこと?」


「物がなくなったり、何もない所で転んだり……ミシェルの場合は、結っていた髪がほどけるなんてこともあるかな」


「あっ!ありました、妙なこと!バレッタで髪をまとめていたんですけど、突然そのバレッタが壊れてしまったんです」


「バレッタ?どういう感じの品だい?」


「たぶん鉄製で、緑色の石がついてました。あれ、お祖父様から頂いたものだったのにすぐに壊してしまって……」



 お祖父様は気にするなと言ってくれたけど、貰ったその日に壊してしまって申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

 さらにお祖父様は無事だった宝石を私の手から回収して、これを使った新しい物を贈ると言ってくれたので私の罪悪感は倍増である。

 お祖父様との会話を思い出してハア……とため息を吐いていると、フォッグ先生は用意されたハーブティーに口をつけた。



「ミシェル、君はおそらく精霊と話をしたのだろうね。バレッタを壊したのも精霊だ」



 真面目な主治医の口から飛び出したファンタジー用語に、私はぱちぱちと瞬きを繰り返した。



「えっと……精霊って、あの精霊ですか?」



 ここは魔法ファンタジー世界だが、精霊の存在はあまり信じられていない。

 膨大な数の本が納められた我が家の書庫でも、精霊の実在を語る本よりも存在を否定する本の方が多いぐらいだ。


 私も実在を語る本をいくつか読んだけれど、『精霊は気難しい性格でめったに人前に姿は現さない』とか『見る目を持つ者にしか見えない』とか『曖昧な存在だから見るには専用の薬が必要』とか、本よって書かれたことが違って頭を抱えた。

 要するに、一般人には精霊は見えないということだと思う。


 一方、存在を否定する本には、『見えないものをいると思えるわけがないだろう』という意見が共通して書かれていた。

 だが小物ならサラマンダー、大物なら絶滅説すらある希少種のドラゴンといった多種多様な魔法生物がいるから、見えないだけで精霊は存在していないと言い切ることもできていない。

 魔法に関する研究をしている学者の中では長年、精霊はいるいない論争が繰り広げられているらしい。悪魔の証明ならぬ精霊の証明だ。



「ミシェルは精霊の存在は信じていないのかな?」


「どうでしょう。いてくれたら良いなぁとは思っていますけど……十歳になっても魔力が現れない私が、精霊を見ることはできないでしょうからね」


「投げやりになるのはよくない。過去に十八歳で魔力を発現させた者がいるという記録もあるんだ、ミシェルもいずれご両親譲りの力が使える様になる可能性は充分にあるさ」


「そうなってくれれば嬉しいんですけどね……」



 国の公式記録によれば、魔力を発現する年齢は最速記録は生後三日、最も遅いのは十八歳となっている。しかし発現するほとんどが七歳未満で、七歳以降は発現確率ががくんと下がる。

 十歳の私は、正直言って微妙なラインだ。十八歳という記録がある以上は可能性はゼロではないけれど、限りなくゼロに近い。

 主人公が十六歳で魔力を発現させているけれど、それは主人公だからだ。悪役サイドのモブである私に、そんな常識を覆すようなことが起こるとは思え難い。

 でもゲームのミシェルは魔法学院に通っていたから、諦めず、でも期待しすぎないようにしよう。



「ところで先生は、精霊の存在は信じているんですか?」


「さっきまでは中立だったけれど、たった今、肯定派になったよ」


「今?」



 ハーブティーを飲みながら問えば、フォッグ先生は愉快そうに微笑む。



「君は、精霊についてどれだけ知っている?」


「普段は精霊女王が治める精霊の国に住んでいて、たまにこちらの世界に来ているけど、私達がその姿を見ることはできない存在、ということなら」


「一般的な中立の説だね。じゃあ彼らに、人間に友好的な精霊とそうではない危険な精霊がいることや、好き嫌いがあることは知らないかな」


「精霊の種類は本で見たのでいくつか知っていますよ。火や水、植物とか自然物の精がいたり、家事をこっそりやってくれる精霊がいたりするんですよね?」


「それは全て友好的な精霊だね。湖に潜んで近づいてきた人を水中に引きずりこんだり、目があっただけで襲いかかってくる精霊もいるんだよ」



 フォッグ先生はニコニコと笑顔で語るけれど、目があっただけで襲いかかってくるってシャレにならないレベルで危ない存在なのでは?

 前世でやったホラーゲームを思い出して、ちょっと背中が寒くなる。

 あれは延々と追いかけてくる悪霊的なモノから逃げて洋館から脱出するゲームだったけれど、悪霊に見つかって五秒以内に撒かないと殺されるという鬼畜仕様。さらに突然悪霊が画面いっぱいに映ったりしたから怖くて怖くて仕方がなかった。

 それでも”私”は五回ぐらい殺されてからは慣れて、八回目には攻略したけどね。



「じゃあ私が話をしたのは、どっちの精霊ですか?バレッタを壊したから悪い精霊?」


「いや、少なくともミシェルには友好的な精霊だろうね。バレッタを壊したのは、君に近づこうと思ったら大嫌いな鉄を身に付けていたから怒ったんだろう。金や銀だったら、ただバレッタが外れるだけだったと思うよ」


「精霊は鉄が嫌いなんですか?」


「伝承ではそうなっているね」


「伝承……」


「納得できないようだね。では四つ葉のクローバーの件は?見えない存在と会話をしたら欲しいと言った物が降ってきたなんて、それこそ精霊の仕業と言わないと説明がつかないよ。おまけに四つ葉のクローバーは、精霊にとっても特別な物だ。それをいくつもくれるなんて、よっぽど気に入られたんだね」



 良かったじゃないかと微笑まれるけど、どう反応していいのか分からない。

 お米一粒に七人の神様が宿っているとか、物が作られて百年経ったら魂が宿るとか、そういう言い伝えのある国で生きた二次元にどっぷりのオタクだったから精霊の存在は見えなくても肯定派だ。むしろ、魔法があってドラゴンもいるファンタジー世界で精霊だけいないのはおかしいと思う。

 しかし、バレッタを外せるなら壊さないでほしかったし、四つ葉のクローバーだって二つで良かった。山盛りの幸運の象徴を持って帰るのには苦労した。

 善意が斜め上で、いっそ悪意に思える。

 それでもあの鈴の音のような声を聞くことも、やりすぎな贈り物を貰うことはあれから一度もないので、貴重な体験をしたと思っておくことにしよう。



「先生。中立派だったと言うわりには、精霊について詳しいんですね」


「ああ……実はね、学生の頃に師事していた方が根っからの精霊肯定派で、色々な話を聞かされたんだ。論文の手伝いもさせられたよ」


「先生の先生?医学の先生なのに、精霊の論文を書いていたんですか?」



 変わった方ですね、と言えば、医学ではなくて魔法薬学の先生だよと言われた。


 なるほど、そっちか。


 この世界の薬は二種類あって、ただ薬草を調合した薬と、そこに魔力を込めて効能を高めた魔法薬がある。魔法薬を作れるのは魔法が使えて、国家試験に合格した魔法薬剤師だけなのでかなり高値で取引されるのだ。

 それはつまり上流階級の人間は手に入れられるが、平民は効き目の弱い普通の薬しか買えないと言うこと。

 魔法薬の値段を下げればいいのにと思うけど、そもそも魔法薬剤師の試験は超難関で、年に一回だけある試験で合格者が十人いれば大豊作と言われるほどだ。作れる人数は少ない上に、魔法薬を作るには魔力をたくさん注ぐ必要があるから作れる数も限られて、必然的に希少価値の高い超高級品となっているらしい。

 この辺りの知識は、前世を思い出す前のただのミシェルだった時にフォッグ先生に教えてもらったことだ。



「でもミシェルの言う通り、見た目も中身もかなり変わった方でね。君も会えば驚くよ」


「はははっ、それじゃあいつか会えるのを楽しみにしておきます……」



 十年生きてて外出は先月の遠乗りが初めてだった私が、魔法薬学の学者に会うことなんてあるんだろうか……。

 ふと時計を見ると、すでに話しはじめてから一時間が過ぎていた。



「もうこんな時間!なんだかいつもよりあっという間に感じました」


「楽しい時間は短く感じるものだよ。さてと、僕は公爵と君の体調について話さないといけないから、この辺りで」



 立ち上がるフォッグ先生の言葉に、自然と眉間にしわが寄ってしまう。

 毎月私の検診の日は、王都でどんな予定があろうとお父様は帰ってくる。きっと今は家族でくつろぐ用の居間でお母様とお姉様の三人でお茶でも飲んでいるのだろう。

 廊下で待機してくれていたニナを呼んで、先生と共に居間へと向かえば案の定お父様は二人と共にそこにいた。

 お父様が席を立てば先生は戸口で頭を下げる。が、私はお父様を無視をして、そんな先生に今月のお礼と「また来月もよろしくお願いします」と微笑んでからお姉様に駆け寄った。



「……では、我々は応接室で」



 フォッグ先生と共に部屋を出ていく背中をちらりと見て、ため息が出た。

 反抗期を続ける私も私だが、無視をされても平然としていて、相変わらず私に声をかけてこないお父様もお父様だ。

 あの号泣事件からそれなりに時が経つけれど、あの日以来、お父様と会話はしていない。

 もともとあの人は王都の別邸にいる時間の方が長いので顔を合わせる機会が少ないのだけれど、帰ってきても会話はない。マナーとして私は挨拶をしているけれど、返ってくるのは生返事だけだ。

 そりゃあ私も邪険に思われてるのは知っていたと言ったけど、バレたからといって堂々と避けるのは大人としてどうかと思う。

 おかげでただでさえ開いていた距離が、さらに深くて大きい溝となったとしか言いようがない。



「ミシェル、これお父様がお土産に買ってきてくださったのよ。一緒に頂きましょう?」



 席につくなり差し出されたお皿には、お姉様が好きなチョコレートケーキ。

 今までは無難なクッキーなどの焼き菓子だったはずだけどなぁ……。まあ、お姉様が幸せそうに食べているからどうだっていいか。


 私にとって大事なのは、お姉様が悪役令嬢となって破滅する運命を変えること。そしてそのしっぺ返しで発生する公爵家の没落や、ロリコン貴族との政略結婚を回避することだ。

 お父様との関係は、そのどれにも関係のないことだ。





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