3.誰が為に



 まずはじめに言っておくが、この国の次期王は二人いる王子のどちらか決まっていない。

 順当に考えれば第一子の兄王子だけど、王子たちは現国王の孫。王位継承権第一位にいた王子たちの父は数年前に事故死している。そのため国王は、まだ幼い孫のどちらに国父の重荷を背負わせるか決めかねているらしい。

 だから第二王子の婚約者であろうと、次期王妃になる可能性は十分にある。

 国母にふさわしい性格、教養、礼節、血筋。さらに貴族同士の権力争いなどの裏事情も考慮して、国中の貴族令嬢からたった一人を選ぶ。

 この国は一夫一妻制だ。しかし血を絶やしてはいけない国王のみ、厳しい条件──心身の病でどうしても子どもを成せないなど──を満たした場合、世継ぎを生むための女性を王宮に招くことができる。

 他国の文化を参考に『側室』と呼ばれる特例措置だ。

 その側室が子どもを産みさえすれば、国王が正室を嫌っていようと国家運営に大きなダメージはない。王宮内は泥沼愛憎劇場になるけれど、国は国母という象徴がほしいだけなのだ。



 そんなお国事情のなかで、妹に会えなくなるぐらいなら第二王子と結婚しませんと仁王立ちでのたまわったお姉様のせいで、執務室の空気は混沌としていた。さすがの私もこれは想定外だ。

 執務机についていたお父様は片手で顔を覆って天井を仰ぎ、その横では若い従僕は持っていた書類をバサバサと床に落としている。執事は気絶したらしいばあやを支え、お姉様付きの侍女たちも顔面蒼白だ。

 しかしそんな中で一人だけ、猫足のソファーに座っているお母様はにこにこと微笑みながらお茶を飲んでいるのだから、いっそう空気を混沌とさせた。



「あらあらソフィアったら、急にそんなことを言い出してどうしたの?」



 普段は固く閉ざされている扉は開けっぱなしになっていて、私はそこから恐る恐る中の様子をうかがう。するとお母様がティーカップをソーサーに戻す高い音が、しんとした執務室によく響いた。



「あなた、殿下のことをずいぶんと慕っていたじゃない。せっかく王家から婚約のお話を頂いたのに、どうして今になって嫌になってしまったの?」



 ふふふっと上品に、それでも心底おかしそうに笑うお母様。怖い。笑っているし声も穏やかだけど、その目はちっとも笑っていない。

 さすがにこの騒ぎの原因をつくった身分として、ここに突撃する度胸は私にはない。息を殺して扉の影からこっそり盗み見るだけにしておこう。



「エリック様はとっても、とっても素敵な方です。でもエリック様と結婚するということは王家にお嫁に行くということでしょう?そうなったら簡単には会いたい人とも会えません。私、絶対にいや、ミシェルに会えなくななんて絶対に、絶対にいやです」



 さすが超ド級シスコンなお姉様。

 王子のことは二回言ったけど、私のことは絶対にって三回も言った。



「適切な手順を踏めば、結婚後もミシェルには会えるわ」


「でもそれは私のわがままで、ミシェルを外へ呼び出すということだもの。そんなの……絶対にだめ……」



 今いる場所からは、お姉様の後ろ姿しか見えない。でも嫌々と首を横へ振る姿と、泣き出す一歩手前みたいに弱々しくなっていく声で、どんな表情をしているかは想像できた。


 ――――でも、いまいち会話の流れが読めない。


 お姉様の言う通り、王族は守られる立場の人間なので行動は制限される。けれど監禁されるわけではないから、お母様の言う通り手順を踏めば客を招くこともできるし、外出だって護衛付きにはなるが不可能ではないはず。

 結婚後も、私に会おうと思えばいくらでも会えるのだ。妹と会えなくなるからは、婚約拒否の理由にならないだろう。


 それなのになぜ、お姉様の言葉を否定しないのだろう。なぜ大人たちは、揃いも揃って複雑そうな表情を浮かべているのだろう。

 さっきまでとは違う静けさに、違和感を覚えた。



「お嬢様、お部屋に戻りましょうか」



 大勢いる使用人のなかで唯一の私専属侍女であるニナが、周りに聞こえないよう小さな声でそう言ってきた。

 王族との婚約というデリケートな話を、聞かせたくないのかもしれない。それにお姉様がここまではっきりと拒絶して、周りもそれを否定できないのなら、第二王子との婚約話は消える可能性が高い。

 私の計算の通り。願ったり叶ったりだ。巻き込まれる前に退散しよう。

 差し出されるニナの手に、自分の手を重ねる。だが指先が触れた瞬間、体中を『何か』が駆け巡り、口が勝手に動いた。



「ねえ、どうして私は外へ出てはいけないの?」



 少しだけ触れていたニナの手が、びくりと跳ねた。



「お姉様が結婚しても、私が会いに行けばいいだけでしょう?どうしてお母様たちは、そう言わないの?」


「それは……」



 よく考えてみたら、なぜここまで私を過保護に扱うのかが謎だ。

 そりゃあ確かに私は体が弱い。チビでやせっぽちで、肌も青白くて、季節の変わり目には必ず体調を崩して寝込んだ記憶がある。でも外出どころか、庭を散歩させないのはどう考えてもおかしい。


 そしてなによりもおかしいのは、私が――ミシェルがこれまで一度も、なぜ自分が外へ出てはいけないのか疑問を抱いたことがないことだ。


 病弱といっても、寝たきり生活なわけではない。今のように広い屋敷を歩き回ることだってできて、そもそも遊び盛りの十歳だ。それが一歳違いの姉が他家でのお茶会などに外出する姿を見ていながら、私も行きたいと言ったことが一度もないのはおかしい。

 どんどんと膨れ上がっていく違和感に、頭のなかの霧が晴れていくようだ。

 だがそれと同時に、目の前で白い光がチカチカと現れて、床が揺れているような感じがして気持ち悪くなってきた。



「うっ……」



 さっき飲んだばかりのミルクティーが喉の辺りまで上がってきて、とっさに唇をきつく結んで、両手をあててだめ押しする。吐き出すことは防げたけれど、体のなかをかき混ぜられるような気持ちの悪さには耐えられなかった。

 目がかすみ、音が遠くなる。ぐらりと傾く体をニナが慌てて受け止めてくれたのは分かったのを最後に、私の意識は完全に途切れた。







 ゆっくりと、温かくも冷たくもない手に頬を撫でられる感じがして目をあけると、そこは私の部屋だった。

 また気絶からのベットのパターンか。軟弱な体め。そう思いながら起き上がるが、部屋には私以外誰もいないことに気が付いた。



「あれ?変だなぁ、確かに誰かに顔を触られたはずのに……」



 部屋を見回しても、換気のためなのか窓が開いていて、カーテンがふわりふわりと揺れているだけだった。



「気のせい……かな?」



 入り込む風を勘違いしたのかもしれない。だったら今は考えなければいけないこと、お姉様の婚約問題と私の過保護問題を考えよう。

 時計を見ると、どうやら眠っていたのは三十分ぐらい。その間に婚約の話がどうなってしまったのかが気になる。

 そして異常なまでに外へ出さない、出ようともしないという違和感を抱いた瞬間にどっと押し寄せてきた気持ちの悪さ。あれだけのものが、少し眠っただけで綺麗さっぱりなくなっている。何かがおかしい、そう本能的に思えた。

 でもここでいくら考え込んでも、どっちの答えも分からない。とりあえずいつも通り呼び鈴を鳴らして、使用人に起きたことを報せた。

 すると珍しくバタバタと慌ただしい足音が聞こえたと思ったら、ノックもなしに扉が開き、お姉様とお母様が駆け込んできた。



「ミシェルッ!」


「ああミシェル、目が覚めたのね。良かったわ……」



 お姉様はポロポロと涙をこぼしながら私の手を握り、お母様は涙ぐみながら私の頬を撫でた。さらに一緒に駆けつけたはいいけど、二人の勢いに置いてけぼりを食らっているお父様と使用人たちを見ると、全員が私の顔を見てホッとため息をついている。

 うーん、前世を思い出して寝込んだ時より騒ぎが大きい。そりゃあ家族が突然倒れたら心配するだろうけど、たった三十分寝ていただけでこの反応は大袈裟だろう。



「えーっと、お姉様の大事なお話の途中だったのにごめんなさい」


「いいの、私のことはいいの!ごめんねミシェル、私のせいで……!」


「え、あの、お姉様?お姉様はなにも……」


「私のせいなの、私が……ううっ、私が……」



 はじめて見るお姉様の号泣に、かける言葉が見つからない。とりあえず自由な左手で涙をぬぐってあげても、止まる気配のない涙のせいで意味がなくなってしまった。

 本当にどういうことだろう。倒れる前以上に会話の流れが分からない。

 助けを求めてお母様を見ると……あっ、無理だわ。お母様まで泣きはじめている。



「えっと……」



 助けてください。あと状況を説明してください、という意味で相変わらず立ち尽くすお父様を見ると、ふうっと一つ息を吐かれた。



「二人とも、ミシェルは起きたばかりだ。落ち着きなさい。それと私からミシェルに少し話があるから、済むまで部屋を出ていなさい」


「そうね。さあソフィア、行きましょう」


「でも……!」


「大丈夫よ。お父様と一緒なら、ミシェルは遠くへ行ったりしないわ」



 なにその私を一人にしたら逃走するような言い方。病弱ひきこもりっ子がそんなことするわけないじゃないですか。

 渋々といった感じでお姉様は私の手を離し、お母様や侍女たちに連れられて部屋を出ていった。そうなると必然的に部屋には私とお父様、執事だけになる。あれだけ賑やかだった室内が、急に静かになった。

 少し、息苦しい。



「ミシェル」


「……はい」


「気分はどうだ?吐き気や、頭は痛くはないか?」


「大丈夫です。三十分寝たわりには、とてもスッキリしています」



 氷の魔力を持つ人は手が冷たいと、前にお姉様から教えてもらったことがある。

 熱はないか確認するように額に触れる冷たくて大きい手を受け入れながら答えると、お父様と執事は揃って眉間にシワを寄せた。



「ミシェル、お前は三日間ずっと眠っていたんだ」


「へえ……えっ、三日ぁ?!」



 そんな、三日だなんて……。

 思わず時計を指差すと、お父様が「三日と三十分、寝ていたんだ」と改めて言った。

 三日と三十分。七十二時間以上、一度も起きることなく爆睡していたのか。それは心配するわ……。



「……そうでしたか。あれ?それだったらお父様、王都に戻っているはずじゃあ?」


「こんなことになって戻れるわけがないだろう」


「そうですか。ご迷惑おかけしました」


「私が残りたくて残ったのだ。気にすることはない。それよりもミシェル、なぜ外へ出てはいけないのかと言ったそうだな。少し前にも、勝手に庭に出ようとしたと聞いた」



 お父様は言いながらベットに腰かけて、私をじっと見た。

 お姉様と同じ、深い青の目。それが家族で私だけが持つ褪せた緑色の目を見る。



「なぜ、そんなことを?」


「……それは……」



 ああ、まただ。また、身体のなかをかき混ぜられているような気持ちの悪さがやってきた。

 しゃべったら吐いてしまいそうで、言葉が出てこない。



「お前は身体が弱い。今回のように、急に気分が悪くなることだってある。だから出てはいけないと、そう言っただろう」



 抑揚のないお父様の声が、頭のなかでぐるぐると回る。



「だって……」



 そうだ、お父様は定期的にこうやってを私に語りかける。まるで呪文のように、暗示をかけるように。

 私が外へ出たいと思わなかったのは、これが原因なのかもしれない。

 でも今の私は、前世を思い出した影響で周りの言葉を鵜呑みにするほど無知ではなくなった。自分の意思だってある。



「わたしは……」



 確かに私は病弱で、すぐに具合が悪くなる。ちょっと早歩きしただけで呼吸だって苦しくなる。それを心配する気持ちは理解できるけれど、外の空気を吸うことも、日の光を浴びることもできない生活が身体にいいわけがない。

 バランスのいい食事、質のいい睡眠、そして適度な運動が心身ともに健康でいるための秘訣だ。

 このひきこもり生活は、私を緩やかに殺すに等しい。



「外へ出てはいけない。これはお前のためだ、ミシェル」


「……わたし、は……」



 嫌だと、外へ出たいと言いたい。でも気持ちが悪くて、言葉が出てこない。いっそ、今すぐ話を切り上げてもう一度寝るために頷いてしまいたいぐらいだ。


 ――――その時、風が吹いた。


 カーテンを揺らして入り込んできた風が、汗ばんだ私の髪を揺らし、頬を撫でる。目を覚ます前に感じた、あの感覚だ。

 すると気持ちの悪さが、すうっと消えた。



「いや」



 喉に詰まっていた言葉をようやく言うことができた。

 そもそも私は、お姉様を悪役令嬢化を阻止して公爵家の崩壊という運命を変えるために動かなくてはいけない。今のまま引きこもっていては、なにも変えられない。



「そう言えば黙って頷くほど、ミシェルはいつまでも子どもではありません」



 私はこれまで、両親に口答えをしたことはない。言われた言葉に無条件に頷いていた。

 だからこれは、ミシェル・マリー・パールグレイの反抗期の幕開けだ。

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