2.十一歳の悪役令嬢



 前世の記憶を思い出して一週間。高熱から解放された私は周りの状況を観察、理解することができた。


 まず私自身についてだが、病弱ひきこもり設定に加えて、友だちがいないらしい。

 この国の貴族の子どもは早ければ七歳、遅くても十歳の誕生日にお茶会デビューして世間にお披露目されるのだが、私は十歳の誕生日が過ぎてもお茶会デビューしていない。だから私は、社交界ではその存在はいっさい知られていない、病弱ひきこもりぼっち令嬢だ。

 私も前世の妹が体の弱い子だったから、心配する家族の気持ちは理解できる。でも気分転換に庭を散歩するのすら止めるのは、さすがに過保護すぎると思う。


 それともう一つ。私は魔力を発現させていないらしい。

 魔法ありのファンタジー世界に転生しているくせに、魔法が使えないとは何事か。前世でRPG大好きだった私はちょっと……いや、かなり楽しみにしていたのに、どれだけ頑張っても私の手からは手汗以外なにも出なかった。

 その事実に気づいた時、悔しすぎて地団駄をタップダンス並みに踏んだ。



 次に今世の私の家族、パールグレイ公爵家について。これはわざわざ調べるまでもなく、ミシェルとしての記憶にある通りだ。

 父は大臣職につき、その仕事の関係で王都の屋敷で生活しているため帰ってくるのは月に数回だけ。魔力あり。

 母は代々騎士を輩出する名門侯爵家出身で、その美貌は社交界でも有名。魔力あり。

 姉は母の美貌を受け継ぎ、公爵令嬢らしい教養のある人で、このたび第二王子と婚約を結ぶこととなった。魔力あり。


 ――――はっきり言おう。私を除いた三人はチートである。

 逆にこの一家の人間でありながら、私がここまでポンコツなのが謎なぐらいチートだ。


 そんなチート三人、ポンコツ一人の住む屋敷は、城と言っていいぐらいに広くて、敷地面積については私は庭に出られないので分からない。でも窓の外を見る限り塀や門は見えないからとんでもない広さなんだと思う。

 その中でたくさんの使用人が働いて、私のなに不自由ないひきこもり生活は成り立っている。



 最後に、この世界について。

 やっぱりここは乙女ゲームの世界だった。

 心のどこかで夢であれ、気のせいであれと思っていたけれど、書庫にこもってあれこれ調べてみると物語の舞台である王立魔法学院はあるし、母方の祖父は騎士団長だし、その他ゲームの登場キャラクターの家もあった。

 つまり、いま私の正面でご機嫌でお茶を飲んでいる美少女が、五年後に悪役令嬢になるということだ。



「どうしたのミシェル?そんなに見られたら、なんだか恥ずかしいわ」



 頬をバラ色に染め、言葉の通り恥ずかしそうにはにかむソフィアお姉様。

 前世を思い出してから、妹としてではなく“私”として観察してきたけれど、どうしてもこの人が狡猾で傲慢で嫉妬深い悪役令嬢になるとは思えなかった。

 だってこの姉は――、



「あら、ほっぺたにクリーム付いてるわよ。ミシェルは何をしても可愛いわね、ふふっ」



 妹を世界で一番可愛いと言って溺愛する、シスコンなのである。

 私が座ればすぐさま隣か正面の席をキープ。私が立てば「どこへいくの?」と行き先追求。私が歩けば手をがっちりと繋いで離さない。

 引きこもりの行動範囲なんて屋敷の中のみなのに、私の姿が見えないと探しに来る病的なまでのシスコン。それがソフィア・ローラ・パールグレイという人だ。

 こんな人が、自分の行動で最愛の妹が不幸な目にあうと予想できないほどバカなわけがない。むしろ妹を泣かせる奴は、父譲りの氷の魔力で氷漬けにしそうなぐらいだ。

 テーブルナプキンで私の頬を拭きながら微笑むお姉様に、乾いた笑いしか出てこない。



「最近ずっと書庫にいたけど、またなにか気になることがあったの?」


「あーえっとー……」



 本当にあなたが五年後にあれこれやらかす人なのか確かめてました、なんて言えるわけがない。

 もごもごと言い淀みながらミシェルらしい言い訳を考えていると、お姉様は困ったように眉尻を下げて微笑んだ。



「また魔法について調べてたのね。お父様とお母様には内緒にしておいてあげるから、もう危ないことはしちゃダメよ」



 言葉の意味を、脳みそを高速回転させて読み解く。すると一つの記憶にたどり着いた。

 ミシェルは家族で自分だけ魔法が使えない事を気にしていた。だからよく書庫で魔法関連の本を読んでいたのだけれど、ある日、高いところの本を取ろうとして踏み台から足を滑らせて落ちたのだ。

 さほど高さはなかったのでケガはなかったけれど、ただでさえ過保護な家族と使用人たちは顔を真っ青にしていた。そしてお父様から、手が届かない時は誰かに取ってもらいなさいと生まれて初めて説教されたのだった。



「大丈夫ですよ。じいやが前に、私がよく読む本は棚の下の方に入れてくれたから」


「でも全部じゃないでしょう?もし読みたい本が高いところにあったら……」


「誰かに取ってもらう。踏み台もはしごも上らない。でしょう?」


「そう。ちゃんと守るのよ」


「はーい」



 砂糖とミルクがたっぷり入った紅茶を飲みながら、ちらりとお姉様を見る。

 お父様譲りの、癖のないサラサラの銀髪。顔立ちはお母様似で、猫みたいなつり目なんて瓜二つ。そして瞳の色は両親共に青だけれど、深い青はお父様の色だ。

 文句なし、百点満点の美少女。重度のシスコンは心配性と愛情深いと言い換えることができて、知識や教養、十一歳で魔力のコントロールも完璧にできているので、公爵家の血筋も相まって王子の婚約者に選ばれても当然だろう。

 でも婚約者に選ばれたことで、お姉様がそれを望んだことで、五年後にこの家が崩壊することとなる。――――私はそれを、回避したい。



「……ねえ、お姉様」


「なあに?」


「婚約のことなんですけど……」



 運命を変えるための一番の近道は、お姉様を、主人公や攻略対象たちに関わらせないことだ。でも私が前世を思い出したその時点で、攻略対象である第二王子エリックとの婚約話が発生。お姉様は狂喜乱舞のお祭り騒ぎだった。

 つまり、お姉様の破滅フラグがすでに一本立ってしまっている状態だ。

 でも田舎の屋敷に引きこもっている私は、どういう経緯でお姉様と第二王子が出会い、婚約話が出るまでになったのか詳しくは知らない。ゲームでも、王子に惚れたソフィアが親の権力を使って婚約者の座をもぎ取ったという程度しか語られていないので、前世の記憶も当てにならない。

 なのでどうにかして破滅フラグをへし折ってやるため、少しでも多く情報を集めようと正面の当事者に問いかけたのだけれど……。



「あの、お姉様?」


「どどどどどどっどうしたの?」



 それはこっちの台詞だ。

 私が『婚約』という単語を口にした瞬間、お姉様はボッと顔を赤くして、ティーカップを持つ手はぶるぶる震え始めた。



「いや、だからエリック様との婚約――」


「ふえっ?!」


「婚約」


「ヒャッ!」


「……」



 これはいったいどういうことなのか。

 訳がわからず壁際に控えている女性使用人のトップである家政婦ばあやを見ると、すすすっと私のそばまで来て、しわしわの手で口元を隠して耳打ちしてくれた。



「ソフィア様は嬉しさのあまり、いまだにご婚約の件が受け入れられないご様子でして。直後にミシェル様が倒れられたこともあって、白昼夢を見たのだと仰っておいでです」


「白昼夢……。今さらだけど、お姉様は本当に第二王子がお好きなの?」


「はい。おそらく、ミシェル様の次ぐらいにお好きかと」


「なるほど」



 いや、なるほどではない。好きの基準が妹って、相当シスコンこじらせてないか?



「私の次に好き、ねぇ……」



 この様子を見るに、お姉様が王子を惚れ抜いているのはあきらか。しかも超ド級のシスコンお姉様にとって妹の次に好きということは、世界で二番目に好き、異性ではダントツに好きな人というわけだ。

 そんな人との婚約が現実になって、嬉しさが爆発して記憶障害という現実逃避中のお姉様に、まだ打診段階である婚約を正式にお受けしたいと思っている両親は困り果てているらしい。今もばあやは疲れた目で、赤い顔で挙動不審のお姉様を見た。

 ふむ。とりあえず、お姉様が第二王子にぞっこんというのはゲームの設定通りのようだ。



「ねえねえ、ばあや。お姉様がずっとこのままだと、第二王子との婚約は無しになっちゃうの?」


「無しになるかは分かりませんが……。王家に返事を出せないとなると、決まるものも決まりませんね」


「へえ、そうなの」



 婚約がまだ打診の段階で、我が家は返事を出してしない。

 どうやらお姉様は、まだ第二王子の婚約者ではないらしい。立ってしまった破滅フラグをへし折りたい私にとっては、この状況を利用しない以外の手はない。

 ソフィア様の目が覚めるようなことを仰ってください。ミシェル様の言葉なら届きますから、というばあやの耳打ちを右から左へ聞き流してて、私はにやりと笑った。



「ソフィアお姉様」


「な、なあに?」


「ミシェルは、お姉様には幸せになってほしいです。でもお姉様が王家にお嫁にいってしまうと、こうやって一緒にお茶はできなくなってしまうんですよね?それはちょっとだけ、寂しいです……」



 この婚約は、お姉様の望みだ。だから私は妹として姉の幸せを願い、婚約には反対していないという態度でいなければならない。

 だがお姉様が……妹が世界で一番大事に思っているお姉様が、これを聞いてどう感じるかは、手に取るように分かる。ティーカップの中で揺れるミルクティーを見ながら少し寂しげに微笑んでみせる。

 そして視線を正面に戻すと――――お姉様は真顔だった。

 びっくりするほどの真顔で、いつの間にか立ち上がっていた。



「お姉様?」


「……ばあや。お父様は今どちらにいらっしゃるの?」


「旦那様でしたら、執務室に―――あっ、お嬢様、どちらへ?!」



 ばあやの答えを最後まで聞かず、お姉様は部屋を飛び出していった。

 突然の暴挙に、ばあやとお姉様付きの侍女たちが慌ててそれを追って部屋を出ていく。部屋に残ったのは私と、私付きの侍女が一人。



「…………えっ?」



 もしかして私、入れるスイッチ間違えた?

 お姉様のシスコンを逆手にとって、婚約に消極的になってくれたらいいのにと思って、あざとく『お姉様大好きなミシェルちゃん十歳』を演じた。それなのにお姉様は、廊下を走るなんて今まで一度も見たこともない行動をとった。

 何これどういうこと?どうなってるの?

 お父様に何を言うつもりですか、お姉様。



「わ、私も行く!」



 我に返って部屋を出ようとしたら、私付きの侍女に「走ってはいけません」と引き止められてしまった。庭の散歩すら止められる病弱っ子が、走るのを許されるわけがない。

 渋々怒られない早歩きで、お姉様が向かったであろうお父様の執務室へと急ぐ。

 城と呼んでもいいぐらいに大きな屋敷を、次第に息苦しくなっていくのも気にせず突き進む。あと少し、あと少し。花瓶の飾られた廊下の角を曲がれば、普段なら近づくことのない執務室がある。

 そして角を曲がった瞬間に聞こえてきたのは、



「私、エリック様とは結婚できません!ミシェルと会えなくなるぐらいだったら、舌を噛んで死にます!」



 お姉様の、シスコン魂全開の叫びだった。


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