100%の愛情を一身に受けながら2%しか理解してない女

 こんにちは、石井です。

 湿布を持っているだけでこれほど全能感に浸れることなんてあるんですね。驚きです。私は人目を気にしつつ、悠然と職員トイレを目指しました。

 職員トイレとは言われていますが、別に生徒の使用を禁止されているわけではありません。保健室が近いおかげで体調の悪い生徒はよく利用してるみたいですし。

 ただ、私がこの個室を訪れた目的は用を足すことではありません。保健の先生から貰い受けた伝説のアイテム、【《〔湿布〕》】を装着するためです。急がないと。教室に戻ってジャージを持ってって着替えないとですし。

 私は慎重に、首から肩にかけてそれを貼り付けると、個室を飛び出ました。手洗い場で鏡を見ると、そこには私の首をしっかりと覆う湿布ちゃんの姿が……!


「ふ、ふふ……」


 完璧です。これでたまに肩でも回して、「痛いなぁ」という素振りをすれば、誰もが寝違えたということを疑わないでしょう。

 私は足早に教室へと向かいました。もう何も怖くない。首を隠さなくていいってこれほどまでに幸せなことだったんですね。

 教室に戻ると机の横に引っ掛けていたジャージのバッグを手に取り、体育館横の女子更衣室へと急ぐ道すがら、多くの生徒に笑われた気がします。

 みんなめちゃくちゃ食いつきますけど、あのメイク、そんなに面白かったですかね。ちょっと特殊なお化粧しただけじゃないですか?


「おっ、石井さん戻ってきた」

「う、うん」


 ゆっくりとブレザーを脱ぐと、知らない子が二人、私の横にやってきました。なんなんでしょうか。静かに女の子達を見ると、思いっきり目が合いました。


「あの……何?」

「石井さん、女の子好きって本当?」

「何それ」


 あぁ、これめんどくさいヤツだ。っていうかなんで今そんなこと聞くの。私は頭を抱えたくなるのを堪えて、着替えを再開しました。これはあんまりまともに相手しない方がいいやつです。

 冷やかしでしょう。長谷川に面倒な火の粉が飛んでいないことを祈るばかりです。やっぱり、彼女が教室に来るなって言ったのってこういうことだったんですね。あぁそうか、だからこういうタイミングじゃないと私と話す機会がなかったんですね、この子達は。


「あっ、怒んないで! 今の聞き方は失礼だよ!」

「え!? そうなの? えっと、ごめんね?」

「……」


 めんどくせぇ。ジャージを振り回してまた創作民族の言語を口にしたい、がなり立てたい。ここに長谷川がいなかったらやってたかもしれません。


有希ゆうきとどうなの?」

「……」


 今までも何度かこういうのは経験してます。なんなんでしょうね。私が女の子のこと、無意識の内に普通じゃない目で見ているんでしょうか。他の人から見ても分かるくらい。

 あ、有希っていうのは長谷川の下の名前です。可愛いですよね。私達はお互いを下の名前で呼ぶことをなんとなく避けていますが、学校のプリント等で長谷川のフルネームを見る度に「可愛いなぁ」って思ってます。もうこんな煩わしい問答ほっぽり出して、長谷川のフルネームを0.3mmのシャーペンでできる限り小さい字でたくさん書いてその紙をもしゃもしゃ食べたい。


「もうやめようよ、石井さんウザがってるじゃん」


 片割れがそう言ったのを、私はそれを否定しませんでした。うん、ウザい。いちいち口に出したりはしませんでしたが。シャツのボタンを外しながら視線を逸らします。これでどっかに行ってくれるでしょう。

 ボタンも残すところあと一つ。なんだか変わり映えのしない気配を察知してちらりと横を見ると、女子二人はまだハラハラした表情でそこに立っていました。

 いやどっか行って。いまそういう空気だったじゃん。

 私は「きぃ〜〜」という暴れ出したい気持ちを押し殺して、ため息をついて冷たい視線を向けました。めっちゃ態度に出すじゃん、私。

 そのとき、思いもよらぬ救いの手が差し伸べられました。


「石井さんとお近付きになりたいのは分かりますけど、困らせて仲良くできるとお思いですか?」

「そーだよ、あたしだったら絶対イヤだな」


 振り向くと、そこには美々さんと椎名さんがいました。着替えを終えた栄子さんまでもがロッカーに背を預け、腕を組んでこちらを向いています。


「出直しなよ、二人とも」


 え……栄子さんかっこいい……極妻みたい……。

 栄子さんの格好良さに打ちひしがれて腰砕けになっていましたが、最初に声をかけてくれた美々さんにも、嫌悪感丸出しで追撃してくれた椎名さんにも感謝感激です。

 私はやっとシャツのボタンを全て外して脱ぎました。そんな私の肩を叩いて、二人はなんと勇気付けてくれました。


「気にしない方がいいですよ」

「あいつらすげーミーハーなんだよ〜。ファンクラブの真似事やってるって噂も聞いたことあるし。悪気がないってのはマジだろうから、今のことは忘れちゃいなよ」

「ファンクラブ……?」


 それって何のファンクラブなんですか?

 レズファンクラブ……? なんか摘発されそうな組織ですね。

 ちらりと長谷川を見ると、ほっとしたような、それでいてちょっとイラッとしているような表情をしていました。すごい、その二つの感情って同時に顔面で表現できるものなんだ……。見当違いなところに感動している私に、美々さんが言いました。


「あれ……? 湿布?」

「あぁ、うん。先生がくれたんだよ」

「なるほど。先生、ファインプレイですね」

「ちょっと剥がれかけてるじゃん!」

「え!?」

「大変です! これじゃキスマークが見えちゃいます!」

「「あ」」


 ねぇ。

 ねぇ。

 ホント、美々さんってバカ。

 もう意味分かんない。なんで背後から刺すの?

 長谷川と違って悪気が無かったのは分かるよ? でも今、ここに私のクラスと長谷川のクラスの女子ほぼ全員いるじゃん? もう最高のタイミングの暴露じゃん。爆破テロの才能半端ないじゃん。

 私はおそるおそる左を見ました。すごすごと長谷川のクラスの女子二人が立ち去った方向です。あぁやっぱり。彼女達は目を輝かせてこちらを見ていました。


「え……今なんて?」

「違います。石井さんは実は首にタトゥーを入れてるんです。それが魚のキスのマークなんです。分かりますよね?」

「そんなのわざわざ入れてたらヤバいヤツじゃん」


 椎名さんは美々さんにツッコミますが、彼女の耳には入っていないようです。自身の失敗を挽回しようと頑張っているのは分かるんですが、完全に空回りというか逆効果だからやめて。ねぇ。


「え? じゃあやっぱり、今の聞き間違いじゃなくて、キスマークって言ったってこと?」

「言ってないです!」

「矛盾してない!?」

「言っっっっっっっったような言ってないよう気がします!」

「頑張ったけど最終的に認めちゃったよ」


 美々さんはもう駄目です。これ以上余計な事を言う前に黙らせた方がいいです。私は彼女の前に立って「分かったから、もう大丈夫だから」と言うと、長谷川のクラスのミーハー女子に向き直りました。


「その……内緒にしてほしい」


 この後に及んで何を言ってるんでしょうか、このレズは。二人に口止めしたってなんの意味もないのに。でも噂の根源はできるだけ断ち切りたいし。

 しかし、私の発言がいかに無意味だったのかを思い知らされる反応が返ってきます。


「分かった」

「わかったよ、内緒にするね」

「みんな、聞いたよね?」


 なんと反応したのは名も知らぬ別の女子達でした。もうやだ。恥ずかしい。死にたい。みんな聞き耳立ててたってことじゃん。優しさが辛いって。ホントに。

 反応に困って固まっていると、意外な人物から声がかけられました。


「石井、それ誰につけられたの?」

「……お、おぉ」


 お前じゃー!!

 私は何食わぬ顔で聞いてきた長谷川に叫びそうになりました。まぁ、まさか付けた本人がそんなこと言うとは思わないしね? 隠すのに徹するなら、わりと有りな作戦かもね?

 でも、私達が付き合ってるって噂があるくらいなのに、そんなことするって悪手じゃないですか? 多分この中にもいると思いますよ、「え、長谷川さんじゃないの?」って思った人。

 私は長谷川の言葉を無視してTシャツを着ました。そしてジャージの下を身につけてからスカートを脱ぎます。その間、長谷川が何を考えているのかと思考を巡らせてみましたが、全然分かりません。


「別に、誰だっていいじゃん」


 着替えを完了させてからぶっきらぼうにそう答えると、長谷川は「そう」とだけ言って上着を羽織りました。流石、なんだか着慣れている感じがしてかっこいいです。抱いて、ヤダやっぱ抱きたい。

 そんな彼女に見蕩れていると、美々さんがごめんなさいと謝ってきました。このやろーと言って頭をぐりぐりしたい気持ちはありましたが、私を最初に庇ってくれたのも彼女ですし。いいよいいよと言う他ありませんでした。

 チャイムが鳴って体育館に移動すると、先生から今日の種目が言い渡されました。バスケらしいです。最高ですね。鬱屈とした気持ちがばーっと消散していくのを感じました。

 私は栄子さんチームに入ることになりました。私と、美々さんと栄子さん、椎名さん、椎名さんの友達の五人です。最初の試合、私達の出番はなかったので、ステージに腰掛けて観戦することになりました。

 ゼッケンを身につける女子達を眺めていると、椎名さんの友達の日比谷(ひびや)さんは、私の隣にぴったりとくっついて、こっそりと耳打ちしてきました。


「さっきの、ちゃんと内緒にすっかんね」

「あ、あぁ。うん」

「石井ちゃんってホントにモテるよね、女に」

「さっきの会話でなんでそう思ったの」

「マジで知んないんだ? 王子様みたいに言われてんだよ?」


 ……?

 王子……?

 私、女なんですけど。っていうかこんな彼女とセックスすることばっかり考えてる王子ってイヤ過ぎません?

 口を半開きにさせながら、日比谷さんの顔をまじまじと見つめてみます。どうやら冗談を言っているようではなさそうです。


「それ。相手、女の子?」


 ニヤニヤして顎で指されるそれとは、キスマークのことでしょう。私は先ほどの言い分で押し通すことにしました。


「内緒」

「えぇー? 内緒ってそれもう、女だって言ってるようなもんじゃなーい?」

「みんな似たようなこと聞きたがるけど、聞いてどうするの?」


 イジワルなんかじゃないです。だからそう聞こえないような声色で、注意して言いました。本当に気になるんです。私なんかの相手が誰だろうと、噂の通り長谷川が相手だろうと、みんなには関係なくないですか? 私にはこぞって真相を暴こうとする心理がどうしても理解できないのです。


「そりゃ気になるって。石井ちゃんの相手が女だったら目の色変える女子、結構居そうだよ」

「まさか」

「ホント、鈍感っつーか。分かんないの? 皆、自分に可能性があるか知りたがってんじゃん」

「……はぁ?」

「特にさっきの二人なんかガチだと思うけど」


 コートの中で整列しているメンバーの中に、長谷川を見つけました。日比谷さんには悪いですが、ここから先は雑談している余裕は無いです。

 え、長谷川、ジャンプボールやるの? もっと背高い人いるじゃん、相手結構長身だよ、どうすんの。

 私の心配を他所に、ホイッスルの音が鳴って、試合が開始されました。

 高く放られたボールに合わせて長谷川と他一名が跳びます。えっ、長谷川ジャンプ力すごーーーい!

 身長差をものともせずボールを弾く長谷川! かっこ良くパシィッとパスを受け取る長谷川! 近くにいたメンバーにそれを回す長谷川! やだー、シュッと一直線にじゃなくてわざわざワンバウンドさせてパス出すとかかっこいい〜〜! 私も長谷川のパス受け取ってかっこよくスリーポイントシュートとか決めたい〜〜〜届かないけど〜〜〜〜!

 ニヤニヤとゲームを観戦していると、日比谷さんは私の顔を覗き込んで「バスケ、好きなの?」と聞いてきました。危うく聞き逃すところでしたが。

 バスケが好きっていうか、運動神経の抜群さを発揮している長谷川を見るのが好きっていうか、長谷川走ってるーーー! おっぱいめっちゃ揺れてるーー!!


「うん! バスケ超好き!」

「お、おう。そうなんだ」


 こんなにたゆんたゆんな長谷川を座って観戦できるのはバスケだけ! 私バスケ世界で一番好き!

 ヨコシマな気持ち全開でバスケ観戦してごめんなさい。世界のバスケファンの皆さん本当にすみません。でも私、スポーツって全く興味ないんですよね……。

 前に長谷川の試合を見に行ったときに、コートの真ん中の高台に乗ってる人が、いきなり長谷川に「ラブ」とか言い出して射殺しそうになりましたし。前後に色々横文字がくっ付いてた気がするんですが、とにかくラブって言ったんです、本当です。ルールを全然分かっていないので、ぐっと堪えましたが。

 とにかくこんなことくらいでしかスポーツ観戦に意味を見出せないので、私は長谷川を、いえ、長谷川の乳を目で追います。…………っはぁーーー、めっちゃエッチしたい。頭痛くなってきた。


「さっきから誰のこと見てるの?」

「誰っていうか、ボールだよ」

「そっか」


 嘘は言ってません。日比谷さんの発想力が足りなかった、ただそれだけのこと。うっわ、リバウンドをばっと取る長谷川かっこいい。私のこともあんな風にばってしてほしい。嘘、絶対痛いからイヤ。

 私が大興奮で試合を観ていると、すぐに終わってしまいました。次は私達の出番のようです。ダサダサの極みだとは分かっているんですが、私はジャージの上着を一番上までぴっちり閉めます。

 先ほど剥がれかけてしまった湿布には何の期待もしないことにしたんです。ジャージの襟でガードです。ワイシャツの襟よりよっぽどマシだと思いませんか?

 誰に言われるまでもなく、私はコートの真ん中に、味方チームと対峙するように立ちます。言われなくても分かりますし、ジャンプボールやれって。一七〇センチ超えの女の宿命と言っても過言ではないでしょう。

 さっさと始まるかに思えた試合でしたが、なんと日比谷さんが横から私に抱きつき、あたしにやらせてーと言ってきました。さっきも思ったんですけど、この人、パーソナルスペースというものが皆無ですよね。

 いいよと言って彼女に場所を譲ってちらりとステージを見ると、長谷川が氷のような視線を私に向けていました。


「え……こわ……」

「石井さん?」

「あ、ごめん、なんでもない」


 うそ、なんでもある。あそこにすごい怖い人がいる。だけど誰かに告げ口するのも違う気がして、私は試合に集中することにします。ピーと笛が鳴ると、ゆっくり後ろに下がりました。

 はい、分かりますね。クラスに一人はいる、球技にめちゃくちゃ消極的な陰(いん)の者ポジションです。

 幸い、私はタッパがあってリバウンドで重宝する分、ゴール下にいるのは大目に見てもらえます。みんながボールに群がってわちゃわちゃやっているのを遠巻きに見ながら、ちらちらと長谷川をチェックしました。


「えんっ……」


 めっちゃ目合う……。ボールの行方とは対極の場所にいるのに、長谷川だけこっちめっちゃ見てる……。抱きつかれたこと、怒ってるんでしょうか。でも、あれは私からしたことじゃないですし……。

 ぼんやりしていると、突然名前を呼ばれました。栄子さんの声です。はっとして正面を見ると、私めがけてとんでもないスピードでボールが飛んできました。これ仲間に出すパスのスピードじゃないでしょ。

 そう思いながらもなんとか手を伸ばし、当然のように取り損ねます。はい愚図。壁に当たったボールはめでたく相手ボールとなって試合が再開されました。


「ごめん……」

「いや、私も思いきり投げ過ぎたし。ごめんね」


 栄子さんが謝ることは本当に何一つないんです。私が運動音痴なくせによそ見をして、挙げ句考え事をしていたのですから。もうホント、お前コートに立つなって感じですね。

 自分達のゴールが近い状態で相手ボール、これはしっかりと守らないといけません。今度は相手ゴールの下に立ってぼーっとしていたいのですが、そんなことをしたら流石に顰蹙を買うと思うので、見た目だけはやる気満々と言った顔でなんとなく構えておきます。

 気合いを入れたものの、あっさりとボールを持った子にゴールを決められて先手を取られてしまいました。まぁいいんですけどね、ただの授業ですし。しかし、そう思っているのは私と美々さんだけのようです。栄子さん、椎名さん、日比谷さんは闘志で瞳の奥を燃やし、挽回しようと誓い合っています。


「石井さん、ちょっといい?」

「なに?」


 栄子さんは試合が再開する前に、私に耳打ちをしました。相手ゴールの下に立っていろ、と。多分、私にシュートを打たせるつもりなんです。そんな大役、絶対に引き受けたくないのですが、ここで頑張れば長谷川の冷たい視線も少しは和らぐんじゃないかと思って、私は勇気を出して顔を縦に振りました。

 相手ゴール下に走っていくと、既にそこにはゴールを守ってる人が一人。えぇ……やだ……この人めっちゃぐいぐいしてくる……私のこと好きなのかな……怖い……そして痛い……。

 挫けそうになりましたが、長谷川に見直してもらうため、私は気合いで持ち場につき続けました。


「石井さん!」


 予定通り、栄子さんからパスが飛んで来ます。これですよ、これ。これを取れるかどうかが大きなポイントなんです。ふわっと飛んできたそれは、先ほどのような勢いはありません。加えて、私が跳んで初めて届くような高さです。

 なんとかボールをキャッチすると、私はすぐに振り返ってシュートを打ちました。前に長谷川が言ってたんです、横から打つ時はゴールの根元の四角い枠を狙えって。シュートなんて滅多に打たないので、今の今まで役に立っていなかった知識なんですが。さっと放たれたシュートは何故か枠に当たらず、そのままゴールに吸い込まれていきました。


「……っぶな」


 結果オーライですが、自分のノーコンさに愕然とします。心臓の音がバクバクとうるさいです。とりあえずは自分の仕事を全う出来た安堵を浮かべて振り返ると、みんなが私に飛びついてきました。


「やったね! 石井さん!」

「ぐ、偶然だよ」

「かっこよかったです!」

「だから偶然だって」

「石井ちゃんってシュート打てんだ!」

「待ってそれどういう意味?」


 最後の言葉だけ聞き捨てならない感じでしたが、みんなが喜んでくれているので良しとしましょう。これで長谷川も私のことを見直してくれたはず。たかだか一回シュートを決めたくらいでキャーキャーと騒ぐ彼女達に揉みくちゃにされながら、ちらりと長谷川の方を見てみます。


「ぅぇ……?」


 めっちゃ睨んでます。怖い。さっきより眉間の皺が深くなった気がするんですけど。しかし、私と目が合ったことに気付くと、長谷川は微笑んで、控えめに手を振ってくれました。嬉しい、エッチしたい。

 直前の怖い表情のことは見なかったことにしました。だって、私と目が合ったら笑ってくれたし。きっとトイレでも行きたかったんでしょう。分かる分かる、トイレ行きたいとそういう神妙な面持ちになるよね。私はどんな長谷川でも大好きだから大丈夫だよ。

 そして私達は辛くも勝利しました。自分が勝利に貢献したと思えることなんてほとんどないですが、たまにはいいもんですね。

 全てのチームが総当たりで試合を消化しても時間が余ったので、何故か多数決でドッジボールをすることになりました。やる必要あります? 私、痛いのイヤなんですけど。逃げ足だけは早いのか、いつも最後の方まで残っちゃうんですよね。それもまたイヤです。でも痛いのが嫌だからしょうがないんです。あぁ無限ループ。球技の中でもかなり嫌いな部類の競技です。


「じゃあチーム分けするのも面倒だし、さっきのクラス対抗でそれぞれAチームとBチーム、CチームとDチームをくっつけてやるか」


 先生はぱっと1クラスを二つに分けて指示を出します。私はBチーム、長谷川はAチームです。つまり、私はこれから長谷川と対決するということになります。しかも力で殴り合うようなゲームで。まぁ私は彼女なので優しくしてもらえること受け合いですが、それにしても怖いです。あと、やけに負けず嫌いな私のクラスメート達が長谷川に酷いことをしないか心配です。


「それじゃ始めるぞー。外野は三人、ジャンプボールの生徒は真ん中に来ーい」


 先生がそう言うと、積極的な生徒達が「じゃあ私行ってくる」と外野にまわり、それぞれが持ち場に付きます。背中を押され、振り返ると栄子さんと椎名さんがにかっと笑っていました。どうやら私の出番らしいです。

 おずおずと前に出ると、私と対峙したのは、まさかの長谷川でした。いや、いやいや、さすがの私でも長谷川とのそれで負ける気はしません。っていうかあの立ち位置、めっちゃ胸見ちゃうんで気まずいです。

 なんとかコートの真ん中に立ち、ボールが上がる直前、彼女はぼそっと言いました。本気でいくから、と。

 呆気に取られてジャンプのタイミングがズレます。それでもこの身長差なら待って長谷川どんだけ跳ぶの。


「有希ナイス!」

「石井さんから取ったよ! すっご!」


 はい、負けました。多分一五センチくらい私の方が背高いのに、普通に競り負けました。

 慌てて自分のコート内に走って振り返ると、ボールを取った女子がすぐに長谷川にボールを戻したようで、彼女が投球する寸前でした。ちょっと、あの人こっち見てるんですけど。バック走の要領で長谷川から離れていましたが、バランスを崩して尻餅を付いてしまいました。しかしそれが功を奏して、なんとか彼女の無慈悲な豪速球を躱すことに成功します。叩き付けられるように私の股の間でバウンドしたボールを日比谷さんがキャッチして、運良くこっちのボールになりました。

 ジャンプボール終わった直後の二人でこんな攻防繰り広げるって、過酷過ぎません? マジで寿命三年くらい縮んだんですけど?

 私を取り逃がした長谷川は鋭い目つきのまま、小さく舌打ちをしました。怖い。


「よくも石井ちゃんをー!」


 日比谷さんはそう言って長谷川にびゅっとボールを投げつけました。すごい速い。肩が強いんだって一発で分かるような勢いです。長谷川、逃げて、怪我しちゃ……!


「なっ……!」


 なんと長谷川は顔色一つ変えずにボールをキャッチして、ほぼノータイムでボールを持って振り被りました。待って待って、また私の方見てる、やだ。


「いだい!」


 ボールは私の顔面に当たり、天井高く跳ねたあと、何度かのバウンドの末、誰かがキャッチしたようです。痛い……でも、これで外野にまわれます。つまり、もう二度と長谷川に攻撃されなくて済む、ということ。しかし、先生は無情な宣告をします。


「石井、顔面セーフ」

「ひえっ……」


 ヤバいです。そしてボールはいつの間にか日比谷さんの手に渡っていました。待って日比谷さん。もういい、もういいから。


「よくも石井ちゃんをー!」


 うん、分かってた。放たれる速球、難なくキャッチする長谷川、飛んでくるボール、顔面セーフになる私。このサイクルを三回繰り返して、私が立つことも困難になった頃、やっと栄子さんが外野から「パスちょうだーい!」と叫んでくれました。良かった、私が死ぬ前にストップをかけてくれて。

 日比谷さんは高くボールを放ると、栄子さんが腕を伸ばします。そして、長谷川がジャンプしてそれを栄子さんの目前でキャッチしました。ねぇその類い稀なるジャンプ力なんなの、マジで。

 長谷川は私しか見ていません。もう分かってます。顔面セーフを狙って私を痛めつけようとしていることも。

 ボールが放たれた瞬間、私は出来る限り高くジャンプをして、更にターンをしました。フィギュアスケートのジャンプをイメージして頂くと分かりやすいかもしれません。両腕をグーにして胸の前でクロスさせて、私は舞いました。

 そうして、やっとの思いで、彼女の放ったボールを肩に当てることに成功したのです。やった、これでもう解放される。拷問に耐えかねて殺してくれって言う人の気持ちが分かった気がします。私はやっと死ねたんです。

 解放感の代償は肩の痛み。いいです、全然差し出します。私は着地に失敗して無様にコートに転がりました。しかし、転がったのはどうやら私だけだったようです。


「おっ、椎名がキャッチしたから石井はセーフだな。お前、悪運強いなー」


 先生の声に、私は絶望しました。悪運が強い? いや普通に運悪いですけど。今のクソ0.5回転ジャンプ、完全に無駄だったじゃないですか。椎名さん何やってんの?

 一体いつ死ねるんだろう。私は女子高生がおよそ考えてはいけないことをぼんやりと考えながら立ち上がり、そこでホイッスルの音が聞こえてきました。

 全然ゲームは進んでないけど、あんまり時間がないので、これで終わりだそうです。あとは勝敗は各クラスのC・Dチームに委ねるとか。私は自分が被害にあわなければもうなんでもいいです。




「あれ? 石井さん、そのままなの? あっ……」


 体育終了後、私に栄子さんから向けられた言葉です。察してくれたようですね。そう、私はジャージから制服に着替えようとしませんでした。ずっとこの格好で居た方が安全だってはっきり分かりましたし。

 ここに辿り着くまでに2クラス分の女子に情報漏えいを許してしまいましたが、これで一先ず安全です。

 荷物を持ってクラスメートより早めに更衣室をあとにすると、長谷川が駆け寄ってきました。相変わらず着替えが早いですね。周囲に誰もいないことを確認すると、彼女は言いました。


「今日、喫茶店行こ」

「……長谷川の家じゃなくて? 私、着替えるつもりないんだけど」

「家族早めに帰って来るから無理。ジャージが恥ずかしいなら学校出る前に人気のないところで着替えなよ」

「……分かった」


 放課後に少し離れたところにある喫茶店で待ち合わせることになりました。部活が無い日に一緒に学校を出ないのは珍しいことではありません。

 帰宅のタイミングが全校生徒重なるので、流石に人目が多すぎるんですよね。最近はあんまり気にしない日もあるんですが、どこかで待ち合わせをして少し時間をずらして帰ったりすることが多いです。特に今日私は創作民族になっていましたし、彼女が一緒に帰ることを避けるのも頷けるところでしょう。

 なんとなく人が捌けるのを待って、私は再び職員トイレに向かいました。そこで着替えを済ませます。湿布は少し位置を調整して貼り直しました。無いよりマシですしね。

 学校を出ると、喫茶店を目指して歩き出しました。信号待ちで話し掛けられて横を見ると、そこには美々さんと男子が立っていました。うちの高校とは違う制服です。もしかすると、この人が美々さんの彼氏さんでしょうか。美々さんと同じか、もしくは少し低いくらい? 結構小柄な男子です。短い茶髪で、人当たりの良さそうな笑みを浮かべています。

 他校も授業が早めに終わる日だったんですかね。そんなことは無い気がしますが。まぁ噂通りの彼なら、美々さんと一緒に過ごす為に学校サボるくらいしそうです。


「石井さんも今おかえり?」

「まぁそんなところ」

「あ、これ、私の彼です」

「どもーっす! 彼氏でーす!」


 なんだこの人、めちゃくちゃテンション高いな。無愛想な私に屈託のない笑みを飛ばしまくってきます。でも、ヘラヘラというよりはニコニコという言葉が似合うような男子で、親しみやすい感じがしなくもないです。


「石井さん!? 俺会ってみたかったんだよねー! マジで背高いな!」

「は、はぁ、どうも」

「あ、ごめんなさい。私が石井さんの話をしてから、彼、石井さんに興味あるって言ってて」


 私の知らないところで私の話をしてくれるって、『友達!』って感じですごく嬉しいんだけど、まさかヤバいセックスしてるレズって伝えてないよね?

 彼は私をまじまじと見ながら「かっけーな!」とか「俺も背高く生まれたかったなー!」とか言って笑っています。言う割にあんまり気にしてなさそうですけど。

 信号が青になると、横断歩道を渡り切る少しの間だけ、私達は一緒に歩きました。私は真っ直ぐ、二人は右に曲がります。適当に会釈をして別れると、少し離れたところから「美々の友達、いいやつだな!」という声が聞こえてきました。

 なんだかくすぐったいです。っていうかいいヤツは美々さんの彼氏ですよ。少し喋っただけで見ず知らずの人をいい人認定するなんて、いい人の証拠です。

 うぅん、あれが自転車で壁に激突して病室でエッチしようとした彼か。ただのヤバい人かと思っていましたが、そういう部分を補って余りある長所があるように感じますね。

 再び一人になって喫茶店に向かう私の足は、かなり鈍っていました。早く長谷川に会いたい気持ちはあるんですが、その、美々さんの彼のような『良さ』って、私にはあるんだろうかとか、そんなことを考えてしまっていました。

 こういうことを考えるのは良くないって、分かってるんです。だって、私にはいいところなんてないから。明らかに釣り合ってないです。ただでさえ女なんだから、長谷川と同じくらいの何かがないといけないって思うんですが。私には、彼女の魅力に釣り合うような何かが、なにも無い。長谷川が両親に私を会わせたがらないのだって、もしかしたらそういうところが関係してるんじゃないかって、ちょっとだけ思っています。

 やっぱりいま、長谷川に会いたくないかもしれません。しかし、私の足は惰性で歩みを進め、気付けば古臭い扉の前に立っていました。ドアを押すと上部に取り付けたらアンティークな呼び鈴が可愛く響いて、店員さんが駆け寄ります。

 待ち合わせであることを告げると同時に、私は長谷川の姿を確認しました。彼女はアイスコーヒーを半分くらい残して窓の外を眺めています。


「おまたせ」

「待った」


 グラスは汗をかいており、彼女が言った『待った』という言葉を裏付けていました。まさか、ここに来るまでにゆっくり歩いてきたなどとは言えず、私はただ「ごめん」と言うことしかできませんでした。

 注文を取りに来た店員さんにココアフロートと伝えて、それがやってくるまでの間、私達は一言も声を発しませんでした。いつもなら長谷川が何かを言ってくれるんですが、今日はそんな気分ではないようです。

 キスマークのことを訪ねようとしたとき、ほぼ同時に「あの」と言ってしまい、私は彼女に譲りました。


「あのさ」

「うん」

「ごめん」

「何が?」

「その、色々……」


 怒っているのかと思いましたが、そうではないようです。おそらく彼女が謝っているのはキスマークのことでしょうが、どちらかと言うとドッヂボールで私をボコボコにしたことについて先に謝ってほしいですね。


「私、石井に友達ができるの、いいことだって思ってるのに」

「え? う、うん」

「なんか、それ見てるの、面白くなくて」

「そう、なんだ」

でもなんで今さら。私達、付き合ってからもう一年くらい経つのに。

「最近じゃん、石井に友達できたの」

「確かにそうかもしれないけど、その言い回しは色々と語弊があるよね」


 私だって友達くらいいましたよ、クラスに少なかっただけで。そういえば、偶然かもしれませんが、レズバレしてから栄子さん達と喋る機会が増えて、そこから輪が広まりつつあるかもしれません。レズあっぱれ。あっぱレズ。


「私達のことも、なんとなくだけど徐々に広まって、みんな石井が女イケるんじゃないかとか、クラスでもそんな話をしてる人達がいて」

「あぁ、今日着替えの時に色々聞いてきた人とか?」

「うん、あとあれらと仲いい男子数人」

「あれら」


 人の名前をろくに把握してない私が言うのもなんですけど、クラスメートを『あれら』扱いするってわりと問題だと思うんですよね。とにかく、長谷川が彼女達をよく思っていないのはなんとなく伝わりました。


「面倒だからバレたくないって気持ちもあるけど、石井は私のものなんだって気持ちも、同じくらい大きくて……ごめん、ウザいよね」

「ウザくないよ」


 ウザいわけないじゃん。何言ってんの? ウザいんですけど。


「長谷川がそんなにヤキモチ妬くタイプだったなんて知らなかったけどさ。そんなことでウザいとか思わないから」

「本当に? 正直、今日体育でみんなが石井に抱きついてるの見て、一人一人用水路に突き落としてやろうかと思ったんだよ?」

「それはもう妬くというか灼く勢いだよね」


 灼き尽くしてるよ、餅が炭になってる。魔族かな。

 でも、私がドッヂボールでボコボコにされた理由も少しわかりました。つまり、そのやり場のない怒りを全て私にぶつけたということでしょう。だからってボールを物理でぶつけないで欲しいんですが。


「昨日さ、寝る前、ググったんだ」

「あれやっぱりググってたんだ」

「うん。恋人に悪い虫がつかないようにする方法って」

「いや虫はついてないけどねっだぁ!!」


 言い終わる前に、私はテーブルの下で長谷川に足を踏まれました。そういえば、保健の先生も言ってましたっけ。長谷川は私の鈍感なところにイラつくって言ってたとか。


「石井、マジで自覚して。アンタモテるんだよ」

「……はぁ。そうなの?」

「絶対分かってないだろ」

「うん。モテるってのは長谷川みたいな人のこと言うんでしょ」

「なんで部活とアンタのことしか考えてないような女がモテるんだよ」


 ……聞きました?

 え、みなさん、今の聞きました?

 まさかとは思いますが、彼女、モテている自覚がない……?

 信じられない……っていうか告白だってされてるじゃないですか。知ってるんですよ、私。長谷川は隠したりしませんが、多分、私が聞かされてるのだって半分とかそんなもんですよ。耐えきれなくなってそれを彼女に伝えると、なんととんでもない答えが返ってきました。


「……? 告白くらい、誰だってされるでしょ」

「されねーーーーーーよ」


 私はココアフロートのアイスをストローでざくざくに切り崩しながら、息の続く限り彼女の上級市民としか言えないような勘違いを否定しました。

 っていうか私、告白なんてされたことありませんよ。なんで浮気とかそんな心配されてるんですか。絶対長谷川の考え過ぎです。それをなんとなく言葉にしてみると、長谷川はため息をついてバカを見る目で私を見つめました。その視線、傷付くからやめて。


「私と石井はタイプが違うじゃん。石井に憧れてる人はたくさんいるよ」

「うっそだぁ」

「なんで疑うの?」

「いままでそんな話、一回もしてこなかったじゃん」

「当たり前じゃん」


 長谷川の考えていることが分かりません。このあとで「だって嘘だもん」とか続いたらいい加減人間不信になりますよ、私。


「だって、石井が、自分がモテるって自覚しちゃったら、どっか行っちゃうかもしれないじゃん」

「……はい?」

「はぁー……」


 長谷川はテーブルに肘をついて、両手で顔を覆っています。こんなこと言いたくなかった、まるでそう言うように。

 この際だ。私はここに来るまで、ぐるぐると一人で考えていたことを長谷川に告げることにしました。


「私さ、何もないじゃん。なんていうの、悲観してるワケじゃないよ? ただ、長谷川に釣り合わないなぁって。なんで長谷川は、こんな私の、どこが好きなの? いや、付き合ってって言ったのは私なんだけど、その、どうして長谷川が応えてくれてるのか、分からなくて」

「……え」


 アイスコーヒーの氷が融けて、からんという音がいやに厭味ったらしく響きます。私達の間に横たわる沈黙を嘲笑うかのように小さくなるそれは、無意味に過ぎていく時間を知らせているようでした。


「考えたこと、なかった」

「え」

「だって、分かんないよ。そんなの。私は石井じゃないと嫌だ。それじゃだめなの?」

「……だって」

「っていうか私に釣り合ってないっていうのも大分見当違いなんだけど、それはまぁ置いといて、そう思うなら多少努力したら?」

「仰る通りです」


 私は何故か敬語で返事をしました。だけど、彼女の言うことも一理あります。釣り合ってないと思うなら、それは私がどうにかするしかないですよね。何を悩んでたんだろう。私の問題じゃん。馬鹿みたい。え、本当にバカじゃん。


「うーん、何しよう。趣味でも探そうかな」

「でも、できれば、そのままで居て欲しい」

「え?」

「だって、石井がこれ以上モテたら、私、本当に変になる」

「もう結構変だけどね、ったい!」


 さっきからテーブルの下で私の足を踏むという抗議の仕方をするの、やめてもらっていいですかね。めちゃくちゃ痛いんですけど。


「本当だよ」

「……うん」

「石井がやりたいこと、止めたりしたくない。でも、そんな下らない理由で無理しなくていいんだよ」

「そうだね」

「もし、石井にやりたいことが見つかったら、私、ちゃんと応援するから」

「うん」

「だから、その分私のこと、ちゃんと構って欲しい」

「……うん」


 私は驚いていました。長谷川って、長谷川って、こんな可愛いこと言えたんですね。めっちゃくちゃ可愛い。なにこの人。本当に私の彼女でいいんですか?

 私はすっかり味の薄くなったココアを飲み干しました。一気ですよ、一気。ストローなんてまどろっこしいものは取っ払って、ぐっとグラスを傾けたんです。グラスをコースターの上にドンと置くと、私は真剣な顔をして言いました。


「長谷川」

「何?」

「その時が来ても、絶対大切にするから」

「うん」

「とりあえず、どっかでエッチしない?」

「ホントにそればっかりだな、お前」

「あと、私は長谷川以外に興味ないから、いきなりキスマークつけるのは本当の本当にマジでやめて」

「それは悪かった」


 そうして私達は喫茶店を後にしました。なんと、長谷川の家族がいるかもしれないのに、家に招いてくれるらしいです。結構緊張するんですけどね、友達ってていだとしても、知人の家族に会うって。でもすごく嬉しいです。


「そういえばさ、長谷川が私を家族に会わせたがらなかった理由って、何?」

「あー……会わせないようにしてたの、気付いてたんだ」

「いや気付くけど!? あれで気付かなかったら私バカじゃん!」

「だって石井ってバカじゃん」

「ぐっ」

「あのね。……まぁいっか。私がいつも石井の話してるから、「あぁこの子が例の」って親に思われるのが、恥ずかしかったんだよ」

「へ?」


 たったそれだけ?

 たったそれだけの理由で、私は今まで野良犬みたいな扱いを受けてたの?

 両親が同性愛とかに厳しい人っぽくて少しでも疑われたくないとか、私みたいのが恋人で恥ずかしいとか、てっきりそういう理由だと思っていました。しかし、彼女の両親は全然寛容らしいです。おそらく今日会って「彼女です」って紹介されても普通に受け入れてくれるほどに。

 あんまり考えたことなかったけど、私の家はどうだろう。母さんは「へー」くらいにしか思わなさそうだし、父さんは「娘が増えたみたいだ」って喜びそう。姉は、あの人はちょっと極端だから、ツイッターのアイコンを握り拳からレインボーな何かに変えてそういった活動を繰り広げそう。下手したら握り拳のアイコンの隅にそっとレインボー的なマークを添えそう。そこまでしてくれなくてもいいんだけど、多分やるだろうな。


「ねぇ、たまには名前で呼んでよ」

「……どしたの、急に」

「そういう気分なんだよ。早くしろ」

「……有希」

「へへ。なに? 友紀ゆうき


 そうして私達は、人目も憚らず、手を繋いで帰りました。エッチは彼女の母が帰宅する前に、ちゃんとできたので大丈夫です。

 長谷川のお母さんに会った時に「あ、もしかしてコンドームの子?」と言われて一悶着あったんですが、それはまた別のお話ということで。


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