七つの大罪が10%ずつと、残りの30%は無知によって構成されてる女

 こんにちは、石井です。

 もう一、二ヶ月くらい前の話ですが、私と長谷川は高二にしてめでたく性的な意味で一つになりました。時間にして三〇秒くらい。いやもっと短かったかな。

 一番最初のそれは本当に目も当てられないくらいに酷かったですが、それから数もこなして、最近はそれなりになってきたんじゃないかと思います。

 しかし、比較するものが周囲にありません。同性カップルなんて知り合いにはいないからです。例えば、長谷川は「石井も脱げ」と毎度迫りますが、それが正しいことかどうかも分かりません。というか、正しいとかあるんでしょうか。そこから分からなくなっています。そう、肌を重ねた今も、何も分からないままなんです。故に私達は、安易に道を踏み外します。


「そろそろ次の段階にいきたいんだけど」

「え、次とかあんの?」


 西陽が教室をオレンジ色に染め上げる中、窓際に立った私達の影は長く伸びてゆらゆらと揺れています。長谷川は驚いたように私の顔を見ましたが、私に言わせれば普通のソレなんて、言ってしまえばただの地ならし。ここからが本番とさえ言えます。


「握り拳使うとか言い出したらその握り拳でボコボコにするけどいい?」

「よくないよ、やめて。あれはお姉ちゃんにあげたから大丈夫」

「アンタのお姉ちゃんヤバいよ」


 そう、一五〇〇〇円出して買ったゴッツい握り拳の性具は、大学生の姉がお盆に帰省したときにこっそりあげたんです。「これは何? オブジェかな?」と言いながら、不思議そうに持って帰ってくれました。

 後日、ある画像が家族のグループに送られてきました。姉の部屋、玄関の棚に飾られているソレです。即座に死を覚悟しました。しかし、学校の美術の時間で作ったと言って、なんとか父と母を誤摩化すことには成功したのです。

 しかし、姉は「すごいね!? これ自作なんだ!?」と言い、あろうことかツイッターに【私の妹、すごい!】と画像付きでアップしてくれました。死にたくなるほど有難いですね。本当に死にたい。

 何度かリツイートもされ、面識の無い人達から【そりゃすごいわ、姉にフィストファック用の性具プレゼントする妹とか誰も勝てねえわ】等、真実を告げられることもあったようですが、その全てを『タチの悪い冗談』として切り捨てています。

 違うよ、むしろタチとして未熟だった私のせいなんだよ。もちろん、今さらそんなことは言えません。そのコメント達に傷付いたフリをしてその場をやり過ごしました。

 数日前、否定的な意見と徹底抗戦する覚悟を決めた姉のアイコンが、ついに握り拳になりました。長谷川に伝えたら呆れられそうなので、一人密かに頭を抱えています。


「もう……大変だったんだから」

「石井が勝手に買ってきたんでしょ」

「はい」


 そうなんだよね、むしろこれで長谷川を巻き込んだらガチで別れ話にまで発展しそうだと思ってたから、私の身内だけで済んで良かったって感じです。

 いや済んでないんですけどね、姉が世界に向けて性具の画像を発信しちゃってるワケだし。ツイートする度に力強く突き上げる腕が主張を続けてるワケだし。


「まぁアレ使わないならいいや。で、石井は何をしたいの?」

「面白いサイトを見つけたんだよ」

「またネット見ながらやるの……?」

「え、イヤだった?」

「アンタの読解力が貧相過ぎて、変なことされるのが目に見えてるからね」


 酷い言われようです。そもそも、そんなに変なことをした記憶がありません。読解力が無いのは長谷川もだと思いますが。二人で読みながらしてたんだし。あたかも私だけが悪いみたいな言い方は良くないと思います。


「じゃあ聞くけど、中に入れてから焦らした方がいいみたい! とか言って、人の身体に指突っ込んだまま微動だにしなかったの誰?」

「私」

「そのあと、あまりにも気まずくて「もういいから早く動かして!」って言われて、ベースの指弾きみたいに、しゅばばば! って動かしたの誰?」

「私」

「結果、出血したの誰?」

「長谷川」


 責めるような長谷川の視線がたまりません。しかし、やり過ぎると別れ話を切り出されてしまうという諸刃の剣。素人は真似しない方がいい。


「はぁー……もういいよ、石井が言い出したら聞かない性格なのは、今に始まったことじゃないし。何するつもり?」

「あのね、ソフトSM」

「あっ、私そろそろ部活だから行くね?」

「今日休みって言ってたよね!?」


 酷いです。なんでSMに興味を示しただけでこんな扱いをされなければいけないのでしょうか。責められて弱気になっている長谷川を見たいだけなんです。そんなに変な願望じゃないですよね?

 私は追い縋るように抱きつきます。影が一つになって、なんとも怪しく暴れています。


「はーせーがーわー」

「あのさ、普通のエッチもままならないんだよ? そんな私達がSMに手出すとか正気の沙汰じゃないでしょ」

「え? エッチは普通にできてるよ、むしろベテランレベルだよ」

「ここまでの会話でそう思えるアンタのメンタルだけは評価するわ」


 長谷川はそう言うと、腰に巻き付く私の腕をばっと振り解いて向き合いました。スポーツやってる人間に腕力で敵うわけがないのです。私の腕はべろべろべろーと宙に投げ出され、近くにあった机に手の甲を強打しました。

 ものすごく痛かったですが、私は涙目で自分の右手をさすり、長谷川を睨み付けて言い放ちました。


「『私達にはまだ早い』という考えは危険。常に挑戦あるのみ。そんな考え方じゃ、いつまで経っても初心者だよ」

「そのストイックさはなんなんだよ」


 決死の抗議も長谷川には響かなかったようで、彼女は鞄を引っ掴んで教室を出て行ってしまいました。こうなったら、なりふり構っていられません。


「長谷川はイヤなんだよね……分かったよ……」

「そう?」

「うん……」

「あー……と、そういえば。今週末、うちくる?」

「うん……」


 悲しげに目を伏せ、長谷川の半歩後ろをとぼとぼと付いていきます。彼女の視線を感じますが、私は顔を上げません。ここで堪えなければ、勝利を掴むことはできないのです。


「……あーもー、分かったよ」

「!!」


 勝った!

 私は勝利を確信し、顔を上げ、貼り付けていた悲痛な表情を捨てました。


「って言うと思った?」

「なんで! ズルい! 嘘つき!」

「落ち込んだフリしてたアンタの方がよっぽどズルいから!」


 見事なお見通しをかまされて、自分の事を良く理解している彼女に喜びを感じるような、嘘が通用しないことに恐怖するような、とても複雑な気持ちになりました。嘘です、後者の方が圧倒的に強いです。


「石井のこと好きだから、分かるんだよ」

「長谷川……!」


 私は、こんな可愛い彼女になんて事をしようと……!

 自身の欲望に塗れた衝動を恥じました。熱っぽい視線を交わし合い、私達の間には何も介在し得ないと、無言で確認し合います。息をすることすら忘れてしまいそうです。


「……長谷川」

「なぁに? 石井」

「今すぐ帰ってエッチしよ」

「他にもっと言うことあっただろ」


 小突かれしまいましたが、それでも構いません。帰ったら私達は体を合わせるんです。それは紛れもない事実なんです。


「今日は母さんが早く帰って来いって言ってるから無理」


 なん…………え………………。





 こんばんは。長谷川が誘ってくれたので、今日は彼女の家でお泊りです。控えめに言って最高です。

 私はふかふかなベッドに身を投げ、一息つきます。長谷川の匂いがする。持って帰りたい。布団とかを黙って持って帰ったら怒られるかな。いや、持って帰る前に怒られるな。


「で、する?」

「あの日から、お泊まりでシなかったことある?」


 私は体を起こして手を伸ばしました。くすりと笑って手を重ねる長谷川。私よりも少し高い彼女の体温が、右手から全身に広がっていくようです。


「石井……」

「長谷川……一つ、お願いがあるんだけど……いいかな?」

「なに?」

「机の上のタブレット貸して」

「嫌な予感しかしないから無理」


 彼女は私の手を叩き落とすと、殺気混じりの軽蔑の眼差しを向けてきました。しかし、ここで折れるわけにはいかないのです。計画を遂行する為には、タブレットは絶対に必要なのです。


「いや、その、ちょっとタブレットの型式? とかが気になって!」

「は? なんで? っていうか今する流れだったじゃん。後ででいいじゃん」

「長谷川ったらそんなに私とエッチしたいの? 可愛いね」

「型式でも閲覧履歴でも好きに見ろ!」

「べっ!!」


 顔面にタブレットを叩きつけられた私は再びベッドへと沈みました。まず確認したのはタブレットの型式、ではなく鼻血が出ていないか。顔に触れた後に手を見ると、良かった、血は出てな……え、出てる……めっちゃ出てる……流血してる……こういうのって普通出ないよね……これは出ないパターンだったよね……。

 手のひらにこびり付いた自分の血に驚きつつも、すぐに一緒にベッドに沈んだタブレットを手に取ります。


「何してんの?」

「え、何も?」

「嘘つくな。っていうか鼻血を拭け」


 長谷川は呆れた顔で私の顔をティッシュで拭いてくれました。赤ちゃんになった気分というか、過剰に甘やかされると妙にドキドキしてしまいます。だけど、今日の私にはしなければいけないことがあるので、手は止まりませんでした。


「とりあえず、目瞑ってくれる?」

「はぁー……何するの?」


 ヤバいです。滅茶苦茶警戒されています。このままでは、自然な流れでソフトSMに移行する私の作戦がパーです。


「何って、エッチだよ?」

「なんで目瞑るの?」

「……」

「ねぇ」

「……いいじゃん! 私、長谷川ともっと色んなこと経験したい! なんで駄目なの!? ケチ!」

「逆ギレ!?」


 私は手で顔を覆って「うわぁぁぁ!!」と絶叫します。こんなに警戒されていたんじゃ無理です。悲しみとか性欲とかを声で発散して、落ち着いたら諦めて普通にするしかありません。


「……はぁ。いいよ」

「えっ」

「ただし、私がもう嫌って言ったら止めてね」

「分かった!」


 私は自分の彼女の懐の深さに感激しつつ、何をするつもりだったかを具体的に話すことにしました。


「ネットで見たんだけどね、みんなそれぞれ自分に合ったエッチがあるんだよ」

「まぁ……あるだろうね?」

「でもいつも同じ事をしてちゃ、それを見つける事はできないの」

「そうかもね」

「そこでソフトSMなの」

「だからそこが突飛だっつってんだよ」


 長谷川は私の胸ぐらを掴んでベッドに叩きつけました。私は今日、あと何回ここに沈めばいいのでしょうか。


「他にも、ほら、なんかあるじゃん」

「他にあったのは露出プレイとかスカトロプレイなんだけど」

「ソフトSMしよ」


 やりました、ついにこぎ着けました。私は心の中で雄叫びをあげながら、タブレットを取り出します。


「まず、目隠しをしたいんだよね」

「アイマスクならそこにあるよ」


 枕元にそれらしきものが置かれています。手に取ると、鼻が当たるところがちょっとフカフカしていて、付け心地が良さそうでした。


「……快適過ぎない?」

「え?」

「だって、SMって辛そうな感じじゃん。こんな付け心地抜群なアイテムで暗闇を得るなんて許されないと思う」

「お前はSMの何を知っているんだよ」


 彼女は私の手からそれを引っ手繰ると、何の迷いもなく装着しました。

 見えなくなればなんだっていいでしょ、と言いながら。


「限度があるわ」

「え?」


 私はアイマスクに描かれたひょっとこのような目と対峙していました。何ですかこれ。長谷川いつもこんなの付けて寝てるの?


「こないだ部活の後輩にもらったんだよね」

「そ、そう……」


 後輩に軽くいじられながらも慕われてる長谷川可愛い。私がこんなのプレゼントしたらボコボコにされそうだけど、次期部長なだけあってきっと後輩には優しいのでしょう。

 だけど私はこの贈り物にどうしても物申さなければいけないのです。


「いくら視界が無くなればいいったって、よく考えて。私、ひょっとこ顔の長谷川とはエッチできない、辛すぎる」

「辛いのはSMの醍醐味だって、さっき石井言ってたじゃん」

「ベクトルが違うんだよ」


 私は必死に長谷川を説得をします。別の何かを用意してくれないと、このままでは精神的な中折れを起こしてしまいます。いや、そんなことになったら長谷川を傷付けてしまうかもしれませんし、そうなったらセルフで中指を折ることになるでしょう。怪我しちゃったからエッチできなくなった、という方向に持っていくしかないです。「傷付いた。もうエッチなんてしたくない」なんて言われたらそれはこの世の終わりですから。彼女の心を守る為とは言え、支払わなければいけない代償が大きすぎる。中折れが中指折れに繋がるなんて。

 私は長谷川の心を慮って、こんなに先のことまで考えているというのに、彼女は突然口を窄めてぐいっと横に逸らしました。


「ねぇ! 自ら寄せてくのやめて!?」

「もう諦めたら?」


 そう言いながら、自分でもキャラに合わないことをしてる自覚があるのか、ちょっとニヤニヤしちゃってひょっとこみたいな口が崩れています。何その中途半端さ。可愛すぎるからやめて欲しい。

 私は子犬を愛でるような気持ちと、性的な意味を持って長谷川に触れたい気持ちの折り合いをつけながら思考を巡らせます。そして思い付きました。多分一種の火事場の馬鹿力ってやつだと思います。


「長谷川の両親の寝室に何かあるかも!」

「人の両親でなんて想像してんだよ、あとあっても使いたくないから」


 長谷川はアイマスクを外して遠くへ放ります。さらに、ため息混じりにこんなことを言いました。それは、『多分そろそろ言われるだろうなぁ』と、私が予想していた言葉でした。


「あのさ、目隠し、いる?」

「いる」

「そうかなぁ……」


 いる、絶対いる。長谷川は現状を理解していません。確かに私達は初めてエッチをしたとき、様々な工程を無視しました。キスや愛撫など、本当に引くほど様々。しかし、目隠しをしないというのは、その次元の話ではないのです。通常のセックスに例えるなら、ちんちんが立たないレベルのそれ。つまり、レズセックスにおいてそれは、中指が砕け散るのと同じこと。


「いい? 目隠し無しでソフトSMなんて、パラシュート無しでスカイダイビングするようなものなの」

「それはもう自殺だよね」


 私はタブレットで参考にしたサイト達を見せながら、長谷川にこんこんと説明しました。すると、彼女が何かを見つけます。


「他にも色々あるじゃん」

「他にもって?」

「ろうそくとか、仏壇にあるよ」

「そういうの使ってやるのは流石にバチ当たり過ぎない?」


 ご先祖様に怒られる気しかしません。手を合わせる為に買われたろうそくが、貝を合わせる現場で用いられるなんて不憫過ぎます。


「でも、上手く目隠しできないし、他のものを試した方がいいんじゃない?」

「うーん、そっかなぁ……」

「ちょっと待っててね」


 長谷川は部屋を出て、すぐに箱を持って戻ってきました。はいと言って私にろうそくを差し出します。仏間まで行くのが面倒だったとでも言うように、長谷川はどかっと私の隣に座りました。運動部のくせに、この程度のことを面倒くさがっちゃいけないと思います。

 箱の中身を確認すると、私は睡眠導入剤を服用したような安らかな笑みを浮かべて蓋を閉じました。


「戻してきて」

「はぁ? やだよ。めんどくさい」

「これどうやって使うつもり?」

「あ、石井ってもしかしてマッチの使い方知らないの?」


 マッチは、あまり得意じゃないけど、大丈夫です。できなくない、理科の実験でもやったことあるし。


「そうじゃないよ。ねぇ、なんで小さいろうそく持ってきたの?」

「それしかなかったし、初心者なんだから小さい方がいいと思わない?」

「持つ面積が狭いから、むしろ上級者向けな気がするんだけど」


 小さい=初心者向け。彼女がこのような考えに陥ってしまったのは、きっと私のせいです。私が握り拳なんて買ってきたから。だから、彼女の中でそんな方程式が出来上がってしまったのだと思います。

 では私に出来ることと言えばなんでしょうか。それは、責任を取ることだと思います。頭ごなしに「は!? 小さいから初心者向けって意味分かんないし!」と否定する権利は私には無いのです。


「……わかった、これでしよっか」

「うん。じゃあ石井脱いで。ろうそくも返して」

「絶対イヤ」


 違うじゃん。それは、その、違う。違うということだけははっきりと認識できる。違う。

 私は長谷川の言葉を無視して、マッチを手渡します。マッチが得意なんでしょうか。要求と違うものを渡されたというのに、何故か笑顔です。


「やっぱ石井、マッチ苦手なんでしょ。いいよ、私がつけてあげるから」

「うん、よろしくね」


 そして私は小さなろうそくを、できるだけ動かないように持ちます。長谷川はしゅっと火をつけて、さっとろうそくに点火して、ぱっとマッチの火を消しました。焦げ臭い香りと煙だけが空間に残っています。


「どーよ」

「上手だね」

「でしょ?」

「はい、じゃあ脱いで」

「分かった。って、あれ!?」


 彼女は漸く気付いたようです。ろうそくを持つ者が誰かを。そう、この勝負、私の勝ちです。マッチを受け取った時点で、彼女の負けは確定していたのです。


「くっ……!」

「ほら、長谷川」

「ぐぬぬ……!!」


 長谷川は悔しそうに服に手をかけ、時間をかけてゆっくりと脱ぎ始めました。かと思ったら、逆再生の如く、服を身に付け始めました。


「ねぇ何やってるの、やめて」

「たまには石井が脱がせてよ」

「なっ……!」


 みなさん聞いて下さい、私、こういうこと言われるの結構好きです。片腕一本犠牲にしてもいいくらい、結構好きです。しかし、今の私は囚われの身。体は自由ですが、左手はろうそくを持っており、置くことはできません。置くどころか、下手に寝かせたりしても、蝋が垂れて危険です。というか、火をつけてから長谷川がのんびりしていたお陰で、もう大分ヤバいです。火を消せばいいのかもしれませんが、そうすると、せっかく握ったイニシアチブを自ら放棄することになります。

 つまり、今の私にできるのは、細心の注意を払いながら、長谷川を片手で脱がせることだけ。


「下着だけでいいから。ね?」


 そう言うと、長谷川は制服とインナーを脱ぎ捨て、下着姿になりました。何度見ても、不公平さに悲しくなる、豊満なそれが私を待っています。ここでやらなきゃ女じゃありません。女は普通女にこんなことしないとか言わないで下さい。とにかく、いま手を伸ばさなければ、私は恐らく一生後悔します。


「うん……!」


 ろうそくをキープしたまま後ろのホックを外すのは難易度が高そうです。イチかバチか、ホックをスルーして、上にズラすことはできないか、やってみることにしました。


「たぁっ!」

「いだっ!? 痛いんだけど! はぁ!? 貧乳過ぎてブラの外し方分かんなくなったの!?」

「貧乳過ぎてってどういうことじゃ! 分かっとるわ!」

「だって普通は後ろからホックを」

「あっつ!! はぁ!? あつい!?」


 ブラを掴んで持ち上げられたせいで、乳ごとアッパーを食らったような痛みに悶える長谷川。その後、仕返しのように私に浴びせられる罵声。それは私の心の水面を揺らめかせるには、十分なものでした。包み隠さず言うと、今世紀最大に傷付きました。誰が貧乳過ぎてブラに関する記憶だけ喪失したって? あ?

 そして、ブレる手元、手にしたたる蝋に熱。私は自分が何をしようとしていたかということすら忘れて、無我夢中で手を振りました。


「石井!? 布団! 布団燃えてるから!」

「み、水みず!」

「もう! ちょっとどけて!」


 長谷川は手近なところにあった布をその上に被せると、すぐに火は消えました。良かったです、SMプレイに失敗して豪邸が全焼とか全国ニュースになっていてもおかしくないです。

 そして私達は新たな絶望を目の当たりにしてます。そう、手近な布が長谷川の制服だったのです。火に当たっていたのは、お腹に当たる部分。どうなってるのか、確認したくありません。


「ごめん、コレどうすんの」

「今月中くらいでいいよ」


 私は耳を疑いました。


「え!? 私が弁償するの!? だって掛けたの長谷川でしょ!?」

「そこに落としたのアンタでしょ!」

「長谷川が酷いこと言うからじゃん!」

「石井が痛いことしたからでしょ! ただでさえ私はその焦げた布団どうにかしなきゃいけないんだけど!? そもそもアンタがSMプレイしようとか言い出さなきゃこんなことならなかったんだけど!?」

「はい、ごめんなさい」


 申し開きのしようもございません。もうね、完全に論破されました。私が悪うございました。

 しょげた私の頭を撫でながら、長谷川は優しく語りかけます。


「あのさ、普通にしない?」

「で、でも……」

「手にかかっただけでもあんな熱がってたものを、体にかけられるとか絶対無理」

「………………はい」

「……も〜、しょうがないなぁ」


 そして、長谷川はこのままSMプレイを続行する交換条件として、タブレットに書かれていることを一つ、彼女にもさせるよう提案してきました。布団と制服焦がしちゃったし、このままじゃ私ばっかりって感じだし、続きもしたいし。少し考えて、私は首を縦に振りました。


「じゃあ目隠しさせて」

「わかった。でも、ひょっとこしか」

「裏返して使えば変な顔見なくて済むじゃん。裏地真っ黒だし」

「なんでそれさっき提案してくれなかったの!?」


 長谷川はめんどくさそうに謝りながら、私にアイマスクを渡してきました。悔しい、彼女の発想力がただただ憎い。


「前から思ってたんだけど、やっぱり私がする側の方が向いてると思うんだよね」

「そこだけは譲れないよ、絶対私の方が」

「はいはい」

「えっ、ちょっと」


 視界は無くなりましたが、音と気配で長谷川が私の後ろに移動したのが分かります。これはヤバい、そう判断して目隠しを取ろうとしましたが、少し遅かったみたいです。


「え!? 離して!? っていうかそれ何!?」

「お父さんのネクタイ」

「!? 謀ったな!!」

「謀ったとか言う女子高生、アンタくらいだよ」


 完全に油断してました。なんと、長谷川は、私の両手を後ろ手に縛ったのです。許せません、こんな、こんな……こんなスムーズにSMっぽい流れに持ってくなんて!


「なんていうの? 無理やり? みたいな。その方が石井がやりたがってたことに近いんじゃない?」

「したかったの! されたかったわけじゃないの!」

「そっかそっか」


 長谷川は全く悪びれた様子なく、非常に適当な相づちを打っています。抗議しようとしましたが、ある不穏な物音が私に発言することを忘れさせました。


「待って待って、長谷川。なんでマッチ擦ってるの?」

「なんでかはこれから分かるんじゃない?」


 ヤダヤダ、分かりたくない。ここでマッチを擦る理由なんて一つしか考えられません。体の自由と視界を奪われた状態で、元々私よりも力の強い長谷川から逃れるビジョンは浮かびません。

 いや、一つだけある。でも、こんな状態にあるからと言って、彼女にしていい行為なのか、私は逡巡します。この状況を打開する方法は一つ。長谷川を蹴り飛ばすこと。

 私は意を決して、枕の近くに手を付きました。そして、体を捻り、渾身の蹴りを長谷川の顔面があるであろう高さに放ちます。


「らあああ!!」

「おっと」

「えっ」


 終わりました。見えてないけど、何が起こったかは分かります。蹴りを放った直後、乾いた音が響いたのです。そして、足首に感じる違和感。はい、掴まれました。この世の終わりです。早く隕石落下とか地球爆発とか起こって欲しい。

 私の正面から向かい合うように座っているであろう長谷川が何をしようとしているのか、考えたくもありません。あと、いい加減、足離して。強く握られた足首からは軽く痛みが走っています。


「オッケーオッケー。石井はまだ反省し足りないみたいだね」

「えっ。ちょっと? あうっ」


 長谷川が今からしようとしていることに、スカートが邪魔なのは何となく分かりました。でも、スカートを足でずらすついでに、なにも私の股間を踏まなくてもいいと思うんです。

 状況を整理してみます。おそらく、長谷川は左手で私の右足首を掴み、右足で私の股間を踏みつけています。そして、スカートも一緒に踏まれ、太ももは外気に晒されています。


「……何するの?」


 言いながら、私は悪い予感を止められませんでした。長谷川の右手がどうなってるか分からない、太ももが全開。

 あ、ヤバい。


「あっっっつい!」

「暴れないでよ。自分がやりたいって言ったんじゃん」

「待って!? これは、あっっつ!! とても熱い!!」


 一滴じゃなくて三滴くらい落ちてきました。見えないからどんなタイミングで来るのか、見当がつきません。私が唯一自由にできる四肢は左脚だけ。もちろん、それ一本じゃ何もできないんですけどね。

 途切れ途切れに、何かの物音が聞こえて、私は苦痛に顔を歪めながらもその音に集中します。それが長谷川の笑い声だとなかなか気付けなかったのは、普段の彼女の笑い方と違ったからでしょうか、それとも最初から分かっていたくせに、そう信じたくなかったからでしょうか。

 とにもかくにも、長谷川はそれはそれは愉快そうにくつくつと笑うのです。自分達に合ったエッチを模索しようって言ったのは私だけど、この方向性で何かを見い出されるとものすごく都合が悪いのですが。痛いし、怖いし、あとやっぱり私がしたい……。


「やめよって……マジで熱いし……火傷になったら困るし……」

「なんで困るの? こんなとこ私しか見ないじゃん。誰かに見せる予定でもあるの?」


 誰かに見せる予定でもあるのかと言った長谷川の声色は聞いたことがないくらい、冷たくて粘着質でした。手に力が入って、握られていた足首が軋むように痛みます。私の股間を踏みつけていた足が、ぐりっと押しつけられます。

 ブチギレメンヘラという感じで、ものすごく怖いです。っていうか、身体能力が高いブチギレメンヘラとか怖過ぎるんですけど。逃れる術無いですよね。


「無い、です……」

「だよね? もう、石井ってば可愛い子見つけたらすぐ目で追うから、心配になっちゃった」

「え!? いや、そんなことはあっっっっつ!」

「口答え?」


 熱い、痛い、怖い。そして帰りたい。

 何これ、ジャンル的にSMじゃなくてホラーなんですけど。またろうそくを垂らされたら堪ったものじゃないんで言わないですけど、別に可愛い子を目で追ったりしてません。誤解です。多分。そんな気がします。どの子の話だろ。

 私が考え事をしていると、ふっと息を吹きかける音と、何かに何かが放り込まれるような音がしました。音のした方向とタイミングから考えて、おそらくはろうそくが吹き消され、そのままゴミ箱にシュートされた。つまり、悪夢は過ぎ去っ……!


「えーと、マッチマッチ」

「待って!?」


 私は大慌てで長谷川を説得します。一度やってみていただければわかると思いますが、太ももろうそくはヤバいです。本当にヤバいです。さきほど手に蝋をこぼしてしまいましたが、その熱さとは比べものになりません。


「え、えっと、その、他のことしよ!? ね!?」

「えっ……?」


 私は懸命に彼女の興味をろうそくから逸らそうとします。とりあえず話はそれからです。本音を言えば、今すぐにでもこの手の拘束を解いて欲しいですが、交渉事には順序というものがあります。

 まず私が第一に主張しなければならないのは、『してほしい事』よりも、『してほしくない事』。つまり、私が最も叶えたい望みは『もう蝋を垂らさないで』。


「そ、その、もし、長谷川が、したいなら……このまま普通にしても……」

「え、本当に?」


 私は恥を捨て、もうこれ以上にないってくらいに屈服しました。圧倒的屈服。だって熱いのイヤなんだもん。今まで、する側としてポジションを譲らなかった私にとって、これは最大の譲歩と言えます。

 長谷川は嬉しそうな声を上げて、ベッドから離れました。もう一度言います、ベッドから離れました。待って待って、戻ってきて。どこ行くの。彼女がその場から離れる理由はない筈です、普通にするだけなら。私は恐怖に身を震わせながら、彼女の気配を探しました。


「石井、ちょっと四つん這いになって」

「えっ」


 要求のハードルが高過ぎます。そもそも、両手を後ろで縛られている私が四つん這いになるのは無理です。しかし、ここで彼女のろうそくへの興味を復活させないため、私は体を捻りうつ伏せの体勢になりました。そして膝をつき、手が足りない分は右肩をつきました。

 これで彼女の要求は飲んだも同然でしょう。その証拠に、長谷川は嬉しそうに艶っぽく笑って、いい子と言いながら私の尻を撫でました。

 撫でられて気付いたけど、この体勢、お尻を突き出してるみたいでめちゃくちゃ恥ずかしいですね。でも、ここまで来たらあとは耐えるのみです。正直、初体験をこんなマニアックな格好と体勢で迎えることになるとは思っていませんでした。

 それでも、長谷川が相手なら「まぁいっか」と流せそうです。


「いくよ?」

「う、うん」


 長谷川は今にも触れてきそうですが、私はまだパンツを脱いでいません。これはつまり……噂に聞く、『ずらし挿入』というものでは……? やだ、長谷川ったら、えっち……。

 惚けていると、聞こえたのは風切り音。刀を上段に構えるような、鋭い音でした。


「え、その音なに? おかしくな」

「えーい」

「めっちゃ痛い!! はい!?」

「もう一発ねー」

「っだい!!」


 二打目で確信しました。長谷川は、私の尻をテニスのラケットでぶっ叩いています。うん、確かにSMってムチで叩いたりするもんね。でもラケットはダメでしょ。お尻があみあみ模様になっちゃう……。


「石井」

「はい……」

「次SMプレイしたいとか抜かしたら、フレーム部分でぶっ叩いた挙げ句、柄を石井のアソコにぶっ刺すから」

「ひえっ」


 ヤバいです。グリップテープがぐるぐるに巻かれ、素人目に見ても滑りが悪そうなそれをあそこにねじ込まれたら……それって、握り拳級の怪我を股間に負うことになるのでは……?

 痛い痛い痛い、絶対痛い。想像するだけで、下腹部がぎゅってなります。私はこの現象を、玉ヒュンならぬ、おまんヒュンと名付けることにしました。


「覚悟、してね」

「はい……ごめんなさい……」


 怖いです。これ以上の恐怖はなかなか味わえません。断言します。

 私の返事を聞くと、長谷川は満足そうな声をあげて、ラケットをどこかに放りました。脅威は過ぎ去った。私もまた、ほっと一息つき、妙な体勢を正そうと頭を上げようとしました。

 しかし、寸前で首を掴まれ、後ろから押さえ込まれてしまいます。


「誰が頭上げていいって言ったの?」

「え、だって」

「私、布団と制服燃えたこと、まだ怒ってるよ」


 言い終わるや否や、強引に長谷川の指が、私の体に侵入してきました。


「いった!?」

「私があげたんだから、石井もくれないと公平じゃないじゃん」


 怖い。ヤダこの人、怖い。

 長谷川の指が私の中で暴れます。

 ただ一つ言えることは、えっ、長谷川、初めてなのに上手くない? えっ、あっ。






「本当に申し訳ございませんでした」


 色々な階段をジャンプブーツの勢いでびゅーんと駆け上がった事後、私は改めて長谷川に謝罪しました。しかし、彼女は案外あっけらかんとしています。


「あぁ、いいよ別に。布団が焦げたって言ってもシーツだけだし、制服の予備は結構あるし」

「えっ、でも、さっき」

「ああでも言わなきゃ、石井、させてくれなかったでしょ」


 してやられた、こんなに悔しいことってありません。


「思ったんだけどさ」

「なに?」

「なんか長谷川、上手くない?」

「これ言ったら傷付くと思って黙ってたんだけど、多分ね、石井が絶望的に下手クソなんだと思うよ」

「蟻を重機で潰すレベルのオーバーキルやめて」


 めっちゃ傷付きました。私が下手だというのは薄々勘付いてはいましたが、最初は誰もが下手だから仕方がないと思っていたんです。でも、あの長谷川のテク、アレ何ですか? 気持ちよすぎて漏らしそうになったんですけど。あ、小の方なんで大丈夫です。

 そうして、やっと比較するものができた私は、喘ぎながらも『もしかしたら普通の人よりもスタート地点が後ろの方なのかもしれない、それもかなり』という可能性に、気付かないようにしていました。

 それを重機でドーンですよ。泣きますよ、本当に。


「長谷川が私に教えてくれればいいと思う」

「プライドってもんがないの……?」


 長谷川がゴミ虫を見るような目で私を見つめます。もちろんそんな視線には負けません。私は、彼女の目を見てはっきりと告げました。


「長谷川へのプライドなんてないよ、あるのは愛だけ」

「へぇ。夕飯はチンジャオロースが食べたいなぁ」

「私いまいいこと言ったじゃん!? なんで夕飯のこと考えてるの!?」

「ごめんって、麻婆豆腐もいいよね」

「相づちが話題にかすりすらしてないんだけど」


 とにかく、長谷川はお腹が減っている、ということは良くわかりました。こういうとき、彼女に何を言っても無駄です。とりあえず、夕飯を食べてから彼女に教えを乞うことにします。

 私達は贔屓にしてる出前屋のカタログを広げると、色んなメニューを指差して笑い合いました。

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