第十三章・達也の真実

 達也が気がついたのは、山仲医院の病室の中だった。夕日がカーテン越しに少しまぶしかったので、目を押さえながら起き上がると、病室の外から誰かの声が聞こえてきた。


「こんなところでどうしたの」


 和也の声のようだった。足の痛みはかなり楽になっていたが、それでも床の上に足を置くと電気が走ったような痛みが走った。達也はベットや壁に手を持っていきながら病室を出た。廊下に出て左て、もう一つの病室のさらに先の待合室から声が聞こえた。待合室とあるが、部屋ではなくどちらかというとロビーのようなところだったが、長椅子が三つだけの狭い所だった。そこから誰かの声が聞こえてきた。


「広田さんの言ってた、お母さんが達也兄貴を殴ってたって話、本当?」


 今度は和義の声だったが、なんだか怒っているようだった。


「ねぇ教えてよ、今の話本当なの。お母さんは、達也兄貴を殴ってたの」


 この様子だと誰もが答えられずにいるようだった。達也は、壁伝いに歩み出て呟いた。


「ああ、そうだよ、母さんは俺たちを殴っていた」


 達也が死角から突然現れて驚いたのだろう、その場にいた全員が達也を見た。達也の目の前には和也が立っていて、その向こうに和義が立っていた。さらにその左斜め向こうに広田が立ち、その向こうの長椅子に両親が座っていた。十数人の仲間たちはすでにいなかった。和義の右斜め横には山仲医師がいて、その後ろに山仲医師の妻響子と娘の辰子が立っていた。


 達也は和也の横をすり抜けて、両親の座る壁側の長椅子ではなく、真ん中の長椅子の先端に座った。達也は両親や広田に背中を向けて、うつむいて力なくゆっくりと語った。


「俺も和也も生まれたときから母さんに暴力をうけていた。まぁ正確に言えば、物心つく頃には、すでに暴力をうけていた」


 和義が、両親を見た後すぐに達也を見た。さぞかし驚いたことだろう。当然だった。父も母も和義の中では穏やかで怒っても手や足だけは出さない人だった。それが暴力をふるっていたと聞かされたら、驚かないはずはなかった。達也は、和義の様子を見てから話を続けた。


「暴行をうけてた理由は、俺たちが悪いことがほとんどだったのだろう。だけどそれだけではなかったように思う。少なくともあの当時、母さんは俺たちを嫌っていたように感じられた。婆ちゃんはそんなことないって言ってたけどな。ただこの話になるのが嫌で、さっき一部嘘を交えて話したんだ。和也を突き落とした本当の理由は、和也がいなくなれば、母さんも殴らなくなるんじゃないかと思ったんだ。こいつ小さい頃すごい泣き虫だったから。でも、母さんにまたぶたれて、ああ本当は俺が消えれば良かったのか、と思って。そしたら婆ちゃんに諭されたんだ。あなたのことも大事に思ってるって。後は同じだ」


 そこまで言って一回二回ゆっくりと、達也の中にある煮えたぎる炎のような感情を抑えるかのように深呼吸をした。


 達也はまた話を続けた。


「いつだって俺は思ってたもんさ。自分はなんなんだろうって。自分はなんでここにいるんだろうって。小さいながらにずっと悩んでた」


「僕もそう思ってたよ」


 和也が同意した。


「だからこそ僕は、兄さんだけは笑っててほしいと思ってた。けど実際にはずっと僕をかばってくれてた。母さんに殴られて泣いてた僕の代わりに、ずっと殴られてたこともあった。殴る蹴るだけではなかった。今では自転車に踏まれた痕ってことになってる、足のけがの痕、あれはたばこの火をこすりつけられた痕、火傷痕だし、階段から突き落とされたこともあった」


 山仲医師と広田と和義が目を見開き両親を見た。和義は青ざめていた。両親は身体を縮こませて震えていた。


「そんなことあったか?」


「兄さんは覚えてなくてもむりないよ。けど、僕はつい最近記憶を取り戻したからね。思い出せたんだよ」


「そうか、そうだよな。ただ俺小さい頃時々記憶が飛んでるときがあったんだ。だけど、子供の頃ずっと自分を否定し続けていたのはよく覚えてる。自分は必要のない人間なんだと。だから和也だけが優しくされてるように感じられた。それで和也さえいなくなれば親の暴力もなくなり、優しくしてもらえるんじゃないかと思ったんだ」


「そう、それだよ、ずっと違和感を抱いてたの!」


 広田が突然素っ頓狂な声を出し、達也を見た。全員が不思議そうに広田を見た。


「お前って和也を疎ましく思ってたんだろ、それは事実だよな?でも実際にはそうは見えなかった。今の和也の話からも自分から和也を守ってるようだった。てっきり同じ境遇ということで、力をあわせようとしてたのかとも思うが、五歳にも満たない幼児がそんなこと思うとも思えない。なんか変じゃないか?」


 全員が達也を見つめた。達也はジッとしたまま広田を凝視していた。和也が心配そうに見守る中、山仲医師が口を開いた。


「それはつまり、弟に優しい達也君と、弟を妬む達也君と、二人いたということですか?」


「はぁぁ!?」


 全員が驚きの声を上げた。ずっとうつむいていた両親までが、広田と山仲医師を凝視した。だが達也と和也の二人だけは、まるで知っていたかのように、冷静に山仲医師の言葉を聞こうと見ていた。


「いくらなんでもそれはちょっと、非現実的すぎじゃないですか?」


 広田の疑問はもっともだった。だが意外なところから意外な情報が出た。


「達也が和也を守ってるのを何度も見かけたけど、そういえば助けてなかったときもあったな。あまりにもめったにないことだったから、今まで忘れてたけど」


 父だった。


「いいえ、結構ありましたよ」


 今度は母だ。目に涙を溜めたままで、ふるえる声で話した。


「あの当時はあなたと違って、私だけがこの二人を見てたのですから、なんだって知ってますよ……」


「うん、そうだったね、ごめん……」


 二人とも背を向けて話をしていた。父の口調がいつもと違って弱々しかった。山仲医師が両親から視線をそらして話を続けた。


「実は達也君の薬物治療をしていたとき、私は何度か別人格の彼を見ていました。隠してたのは申し訳なかったと思います。しかしことがことですから、内緒にしておきたかったのです。いろいろとわからないことが多かったので」


「そんなの俺たち気づかなかったけどなぁ」


「お仲間の人たちが病室にいる間は、安心しているのか別人格が出てこなかったのでしょう。それよりも、彼はいつから統合失調症を起こしていたのか、達也君それはわかりますか?」


 達也は首を横にふった。だが何かを考え込むようにうつむいたまま話し出した。


「正直わからない。俺自身時々思うことがあった。自分は何者なのかって。本当に自分は、達也という一個人なのかわからない。けど、とにかく俺はずっと和也の良き兄であろうとした、そうして和也を守って自分の罪を償おうとした。でもそれはいつしか使命のようになっていて、絶対的なものになっていた。そうしなきゃまた親を困らせると思ったんだ」


 両親がまたもうつむき加減になった。


「もちろんさっき言ったように、いつしか本当に和也が好きになってきてたのも、事実だ。だけど」


 達也が言葉を濁した。それから沈黙が続いた。


 何分たったのだろうか、達也が思いきって顔をあげて語り出した。


「さっき広田が指摘してたとおり、俺は周りに対して偽ることがあった。でもそれは、両親のしてきたことも話す結果になってしまうだろうし、自分のしたことを知られるのが嫌だったから」


「けど俺は、」


 広田のその続きの言葉を遮り、達也は広田を見つめて語った。


「ああ、確かに広田になら話せたこともある。けど決して言いたくなかった。言ったところでどうなるものじゃないとも思ってたし、それよりも、俺は何よりも、自分のことを必要としてほしかった」


 そこまで言ってから恥ずかしそうに顔をみんなから背けて、頭をかいた。深呼吸してから再び話を続けた。


「和也を助けることで自分の存在意義を見いだしていた。義務であり使命であったと同時にその行為自体が、自分がこの世に生きてる理由にしていたんだ。俺は、和也以外では自分は必要とされてない人間なのじゃないかと思っていた。親からも必要とされてない、周りからも必要とされてないのは、ひどく寂しくてつらいと思ったんだ。和也だけに頼られるのもいいと思ったけど、年を重ねるごとに、表面だけの友人ができるたび、周りからも必要とされたいと思うようになった。だから誰からも必要とされる自分でありたいと、強く願っていた。もちろん、ふだんはなるべく考えないようにしていたし、周りに気づかれないようにしていた。気づかれたら嫌がられるんじゃないかと、離れていくんじゃないかと思った。だからわざとバカなことしてみたり、危なっかしいことをしてみたりしていた」


 そう言ってからまた恥ずかしそうに後頭部をかく達也。今度は深呼吸せずに話を続けた。


「はたから見ると、それはそれはわんぱくなガキのままでいようとしていた。だけど時には冷静な人間をも演じようとしていた。和也に対してだけでなく、周りにも時より優しくするようにしていたし、周りに付き合って、夜遅くまで一緒に遊ぶこともあった。決して道をはずれることもなく、だけど自由奔放に生きようとしていた。そうして常に周りに誰かがいないと、不安と恐怖で押しつぶされるから。悪夢を見てない起きてるときぐらいは、不安と恐怖を感じたくなかったから。それは自分のしでかした過ちに対する逃げなのだろう。いつしか自分のしでかした過ちに気づかれるんじゃないかという恐怖と、いつかまた自分は、和也に対して殺意に似たものを想うんじゃないか、願うんじゃないかという不安。そして、自分に課せられた罰からの逃げ……」


 達也は、少しだけみんなを見た。相変わらず顔を背けて縮こまっている両親はともかく、山仲医師と和義は一生懸命聞いているようだった。次の言葉を待っているようだ。


 だが広田はずっとにらんでいた。怒っているのだろうか?達也はそんなふうに思いながら、話を続けた。


「そんなふうに思う前は、自分の罪は死以外に償われることはないと、強く信じていた。だから二度の自殺を考えた。そんな自殺願望からの逃避でもあったんだと思う」


 そう語ってからもう一度一息ついて、再び語り出した。


「誰にも話すことなく。相談することもなく。周りに優しくすることで、俺のことを必要としてもらいたかったんだ。だから自分の弱い部分なんて見せたくなかった。常に必要とされる自分でいたかった。良い意味でも悪い意味でも。何でもいいからそばに誰かいてほしかった……」


 いつの間にか広田が腕を組んで聞き入っていた。もうにらんではいなかったことが、達也の気持ちをほんの少し軽くしていた。


「それは結局のところ、寂しかっただけなんだろうな。誰かがそばにいてくれないと不安だったんだ。誰かと一緒でないと、不安で潰されそうだったんだよ」


「達也」


 広田がボソッとつぶやいたまま沈黙が続いた。その沈黙がなんだか嫌で、達也はすぐに語り出した。


「ほんとバカみたいだろ。そうして周りを偽っていって、誰に対しても良く見られようとして時々バカやってみたりして。そんなことして、いつしか本当の自分がわからなくなってるなんてさ」


「そんなに悲観するほどのことでもないと思うけどな」


「広田?」


 達也だけでなく全員が広田を見た。広田は組んでいた腕を下ろしてから話を続けた。


「だってさ、誰だって良く見られたいと思うもんだぜ。わざとわるぶる奴なんかめったにいないよ。寂しいってのもさ、誰もがもってるもんじゃねぇの? まぁ、誰かに必要とされたい、というのは、ちょっとわかんないけどさ、そういうのも有りだと思う」


「広田、お前ってほんといい奴だな」


「広田君のそういうとこが兄さんのお気に入りなんだよ」


 和也が久しぶりに声を出した。


「そういう何も考えてなさそうなとこが」


「なにっ」


 怒ったように腕を振りあげて、座っている達也の頭を殴るまねをする広田。その背後で、山仲医師が神妙な口調でつぶやいた。


「ただ達也君の場合は、理由が深刻なものだったんじゃないでしょうか?」


 広田が思わず振りあげた腕を止め、山仲医師を横目で見た。


「達也君は殴られたりすることを極端に嫌っていた。それと、私が出会ったもう一人の達也君が言ってました、『俺を否定しやがって』って。これって普通、ただ暴力をうけてたってだけの理由では言いませんよね」


 広田が腕をおろして達也を見た。また少しにらんでいるようにも見えた。


「達也、お前まだ何か隠してるのか?」


 しばらく沈黙した後、達也が口を開いた。


「暴力以外にも精神的苦痛を味わうような、嫌な言葉を聞かされたり、僕らを産むんじゃなかったと言ってるのを聞いたことはあるんだ。あるはずなんだ。けどわからない。わからないんだ、本当のこと言うと」


「は?」


 広田の疑問の声が響く中、山仲医師がゆっくりと話しかけた。


「それは、あなたが本当は、基本人格である、本来の達也君ではないかもしれない、ということですか?」


「何が言いたいんですか? 言ってる意味がわかりません。そもそも文法がめちゃくちゃです」


 和也が少し口調を荒げて早口で質問した。達也を否定されたようで許せなかったのか、珍しく少し怒っているようだった。


「確か達也君は自殺未遂をしたことがあったんですよね。それで一つ確認のために聞きたいんですが、そのときに本当に死にそうになったことないですか?」


 父がその質問に答えた。


「小学三年生になってすぐぐらいだったか、最後となる二回目の自殺未遂の時に、いやもうほとんど自殺といってもいい感じでしたが、時速四十キロで走行中の大型トラックに飛び出して、いっとき植物人間みたいな状態になったことがありました」


「うん覚えてるよ。そのときのお母さんたちの悲しみ方が尋常じゃなくて、それ以来、まだ赤ちゃんだった和義の面倒も見られない状態が続いてて、ずっとおばあちゃんが家のことしてたっけ。それがきっかけで、もっと頑張ろうって思うようになったんだ。だから良く覚えてるよ」


「俺も覚えてるよ。また第一発見が俺だったんだけどな。っていうか、止める俺の手を振り払って飛び出して行きやがったから、忘れるわけないけどな。もう俺、今度こそもう駄目だって思って、ずっと泣いてたっけ」


「そんなにすごい事故だったっけ?」


 達也の突然の言葉に誰もが驚いて達也を見た。達也が慌ててしゃべり出した。


「あっ、ああ、そうだったよな、そうそう、あまりのことに忘れてた」


「お前なぁ」


 達也につめ寄ろうとした広田を、山仲医師が止めて真剣な表情で達也に話しかけた。


「いえ達也君、正直に答えて下さい。達也君自身はどうなんですか? あなたはその自殺未遂のことをちゃんと覚えてますか?」


 声は優しかったが、力強い響きだった。


 達也は少し迷った。正直に話していいものか悩んだ。それになにやら嫌な予感がしていた。なんとなくそれを話してしまうと、触れてはいけない地雷を踏んでしまいそうで、怖かった。


「達也、頼むからちゃんと話してくれよ」


 その広田の、いつになく力のない声に、達也は思いがけず驚いていた。広田は大好きなサッカー部に入らず、わざわざ達也と和也の入ったラグビー部に入った。それは、達也が和也をかばってよく怪我をするから心配でついてきたのは明らかだった。しかし、広田は決してそれを認めなかった。自分もラグビーが好きだったからといいはっていた。そんな広田の男気を達也は本当に気に入っていたし、いつか恩返ししたいと思っていた。だから広田の気持ちをくんで、達也は思い切って話すことにした。


「実は、最初の自殺未遂のときもそうだったんだけど、記憶が飛んでたんだ。自殺する前後の記憶だけでなく、自分が誰なのかも。まぁ和也ほどひどい記憶喪失じゃなかったんだろうな、すぐに思い出せて普通に生活してたけど」


 和也と和義と広田の悲鳴にも似た叫び声が、同時に部屋中に響き渡った。ただ両親だけは視線をそらしていた。体がみるみる震えだしていたから、たぶん誰の目にも怪しく見えていただろう。しかし、全員達也を見た。そんな中、山仲医師が冷静に話をしだした。


「少し話を整理したほうがいいでしょう。その中で、私なりの推察も混ぜながら話をします。達也君と和也君は、幼い頃から母親から暴力をうけていた。これは本人も認めてるので真実でしょう。暴力をうけてる間に達也君は、その耐えがたい体験の中で、精神的に耐えられなくなって、もう一人の自分を生み出した。自分じゃない誰かに代わってもらいたくて」


 そこまで話してから一呼吸して、全体を見渡すような感じで見ながら、達也と和也の様子を見ていた。達也は不安そうにうつむいているが、しっかりと聞きいっていた。和也もそうだろう。


 山仲医師は、それを確認してからまた話を続けた。


「ただしここで問題が、広田君が感じたという違和感がうまれます。和也君の話では達也君はいつも守ってくれてたという。そうですね?」


「はい確かです。ちゃんと覚えてます」


 顔をあげて、まっすぐ山仲医師を見て答える和也。


「でも和子さんの話では、守らなかったときもあった。そうですよね?」


 母を見て問いかける山仲医師に、母は無言でうなずいた。


 山仲医師は、話の流れが整理できてるか確認するように周囲を見渡し、達也の方を見ながら話を続けた。


「ここからは私の推察ですが、もうこの幼児期の時点で、統合失調症を発症してたのではないかと思われます。ただ、達也君の場合、複数の人格に分裂してると思われるので、解離性同一障害、いわゆる、多重人格障害である可能性が高いのです。つまりわかりやすく分けると、和也君を守ろうとする優しい達也君と、和也君を疎ましく思っている弟が嫌いな達也君、そして、」


「そして?」


 まさかまだあるとは思わなかったらしく、広田が素っ頓狂な声を出した。


「そう、そして、基本人格の達也君」


「どういうことだよ先生?」


 広田の疑問はもっともだった。全員が不思議そうに山仲医師を見た。達也も顔をあげてじっと見つめている。


 山仲医師は一回深呼吸をしてから話を続けた。


「最初の人格者はみんなも気づいてる、和也君のことを身をもって守ろうとする達也君。これは、今の達也君を形作ってる主なものだと思います。そして二つ目の人格者は、疎ましく思ってるというよりも、和也君のことだけではなく、周りのモノ何もかも全てにおいて興味を示さない人格でしょう。だから和也君を守ることもないし、見捨ててる気がしないんです。何せ何も見えない、聞こえないのですから。なのに、気づくとそばに和也君の気配を、息づかいなどを感じて疎ましく思ったと思われます」


「まさかぁ、そんなことってあるはずがないでしょ?」


 広田が疑問に思ったことを話した。


「この目で見たわけではないですが、実際そんな事例があったようです。とある国に実際に生きて生活してる一人の男性のことなんですが、彼もまた統合失調症、当時は分裂症と呼ばれていたその病を発症してたのですが、彼の場合は二十三人の人格が存在してたそうです。その中には耳の不自由な子供の人格者がいました。その子が表に出るときは、本当に聞こえなくなってたそうです。本人自身はとても耳がいいんですけどね。そういうこともあるので、今言ったような可能性はおおいにありえます。まぁ子供というのは、小さい頃は一つのことに集中しすぎると、周りが見えなくなるものですから、必ずしも当てはまるとは言い切れませんがね。ただジャングルジムから和也君を落としたのは、その人格か、そこにいたるまでに再度分裂した人格、和也君を殺したいほど憎んでいる人格が落とした可能性が高いでしょう」


 その山仲医師の言葉に、達也が力一杯反論した。


「そんなはずない! 確かに、脳裏に変な声が聞こえたような気はしたけど、自分の意志でしたことなんだ、あのとき俺は確かに……」


「まぁ話は最後まで聞いて下さい」


 全員がまた不思議そうに山仲医師を見る。


「そして三つ目の基本人格が、本来の達也君自身です。彼は非常に親の行動や言動に恐怖していた。すごく怖がっていたはずです。良いですか? ここからが大事なところです。私自身も少し混乱しそうなことなんですから。この和也君の事故から二回達也君は自殺未遂しました。それは罪の意識からだったわけですが、果たしてそれだけが理由でしょうか?」


「どういうことですか?」


 母が声をかけた。


「一回目の自殺未遂は、どんな感じだったのですか?」


「えっ? そ、それは……」


 言いよどむ両親の代わりに広田が答えた。


「あれは確か、家が火事にあってそれででしたよね。確か達也が自分で火をつけたって。ちなみに家が火事になってたのを見つけたの俺でしたけど」


「そうだっけ?」


 達也がまた変な反応を示し、広田と和也と和義が驚いて達也を見た。


「どういうことです?」


「いや、俺、どういう状況で自殺しようとしてたのか、全然覚えてなかったんだ。気がついたら病院のベットの上にいて、母さんたちに自殺しようとしてたって聞かされて」


「ちょっと待てなんだよそれ! それが本当なら、まさか」


 全員の視線が母に向いた。母の表情がみるみる青ざめていって、うつむいたまま、顔を両手で覆い隠して泣き出した。


「まさか、まさかですよねおばさん、記憶のない達也に嘘の話をして、その実達也たちを殺そうとしてたんじゃ?」


「待ってくれ広田君、みんな!」


 ずっと泣きじゃくる母を支えながら父が全員を見ながら叫んだ。ものすごい気迫を感じ、全員一瞬戸惑った。父がそのままの勢いで続けた。


「違うんだ、違うんだよ」


「何が違うんですか?」


 山仲医師の静かな、だけれど怒気のこもった言葉が響いた。


「違うんです、私が悪いんです、全部私が悪いんです」


 そう言ってから淡々と語り始めた。中谷夫婦の真実を。

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