第9話 R-7 岬家の裕孝君4

 裕孝君はその後、私に口止めだけを何度も言い、例の部屋から自室に結城さんがいない事を確認すると、私を突き飛ばす様に追い出した。


 用が済んだら出ていけってことですか。こいつ。




 音宮部屋から裕孝部屋をでると、ドアの前に結城さんが立っていた。どうやらずっとそこで待っていたようだ。


 結城さんは無表情のまま「片倉様、奥様がおよびですので・・」とだけ告げ、ついてこいとばかりに先導する。けれど、行とは違い、帰りは何故か私の歩調に合わせてくれていた。なんだ……どうしたんだロッテン。そんな私達の後ろを、無言で裕孝君もついてくる。たぶん結城さんやお母様に言わないよう監視のためだろう。


 結城さんは最初、同行する裕孝君に若干戸惑ったような表情をしたが、すぐに元の無表情に戻るとお母様のいる先程の客間へと案内してくれた。


「奥様。片倉様がまいりました。それと‥‥坊ちゃまも」


 その言葉にお母様は深刻な顔をして、私と裕孝君を交互にみる。


「片倉さん、そっその……裕孝が酷い事をしてしまって、本当にごめんなさい……怪我をしたと聞いて」


 お母様は、何か思いつめた顔をして謝罪すると、しきりにこちらで治療費を払うから念のため病院に行くよう勧めてきた。たかだか鼻血ごときでそれは大袈裟だと何度も断ったが引いてくれない。確かに私は裕孝君の投げた参考書にぶつかり怪我をしたが、もう出血も止まったようだし、痛みも殆どない。なのに、まるで私に大怪我を追わせてしまったかのような、罪悪感一杯の顔で話しかけられ困ってしまった。


「あの、ほんとうに、大丈夫ですから」


 若干、怒鳴りつけるような形でお断りすると、お母様はやっと諦めてくれた。


「では、片倉さん、裕孝はこの他にも何か失礼な事をしませんでしたか? その……先程の部屋で……」

「へ? あぁ。──っいやあの……」


 音宮さんの事を秘密にするように言われた事を思い出した私は慌てて口を噤む。しかも先程まで、なんていったら納得して病院に行く事を諦めてくれるのだろう……という事で頭が一杯だったため、突然の質問に上手く答えられず言葉が詰まってしまった。横から睨み付ける裕孝君の視線が痛い。


「裕孝……何故、片倉さんを睨んでるの?」

「──っ、別に、睨んでなんか……」


 お母様の咎めるような視線に、裕孝君は若干うろたえ視線をそらす。


「裕孝、続き部屋で片倉さんと二人っきりで何をしていたのか話しなさい」

「なにも……勉強してただけだ」

「本当に? 今、はる君が仲川さんと帰ってきたけれど、片倉先生を紹介したい、っていったら、お前は平気でいられる?」

「は? 何だよそれ。それよりも治兄はるにぃ大丈だいじょ……帰ってこれたのか、しぶといな」

「裕孝……なんてこと……」

「……煩い」

「お前って子はっ。まぁいいわ。なら念のため、お部屋を見せてくれる? 勉強してたという証拠をみせてちょうだい」


 裕孝君は歯をぐっとかみしめたまま、黙っていた。もしかして治兄とは、あの問題集の解説の人なのかな。そして何故、私がその人に紹介される話になるんだろう。話の辻褄があってない気がする。


──はっ! 家庭教師としての質を確認させるってこと? それはかなり不味いというか。……でもね小学生で微分とか予測してなかったというか。うぅ、どうしよう。


 焦る私の顔をみて、お母さんはさらに困惑した眼差しをむけてくる。やばい、きっと、やっぱりこの子、アホっぽかったしダメだったのね~と思われたに違いない。まぁそれは事実なのだから仕方がないとしても、引き継ぎの田辺さんにまで迷惑をかけてしまったらどうしよう。


「部屋では、先生と話をしてただけで証拠といわれても」 


 音宮さんの絵の事を隠したくて必死なのか、裕孝君は視線をさまよわせながら答える。

 だが、その反応がお母さんの不安を増大させてしまったようで、酷く傷ついた顔になった。


「話をしただけ? 女のひとを部屋に連れ込んで鍵までかけて? 正直に話しなさい! 女性に対して不埒な事をしてたのなら……場合によってはたとえ息子でも、片倉先生を、守らなくては……岬家の女として、最悪警察に」


 不埒? け……警察? いや、それはいくらなんでも大袈裟じゃ。私、お母様の中で何をされたことになってるの? 


「あ、あのお母様、裕孝君は、部屋では…」


 ああ、なんて説明したらいいんだろう。話さないって約束しちゃったけど、あらぬ方向に修羅場になっている気がするし! しかも裕孝君は黙ったままだし。少しは何か言わないと、余計に変な勘違いされちゃうのに。


「片倉先生、無理にごまかさなくていいのよ! どうせ、この子は、貴方に真相を言わせない為にここまでついてきたんでしょう? この子の母ですもの。考えてる事ぐらいわかります!」


 い・・いや。半分あたってるけれど、半分は絶対違う方向に勘違いをしてる気がする。


「お母様! 裕孝君は本当に何もしていません!」

「では、一体なにをしていたんですか? 勉強ではないでしょう? 密室につれこむなんて……危険だわ。私は岬家の女として、貴方を守らなくてはいけないと思っているのよ。本当の事をお話になって」


 えーとどうしよう。特に何もされていないけれど。こういう時って普通、自分の息子の養護をしてなかった事にするのではないだろうか。それとも、そこまで裕孝君は信頼ないとか? でも、音宮さんの事抜きでどうやって説明したら……


「裕孝君とはその───あっ憧れの女性について話をしていました!」


 お母様と、結城さんと裕孝君は、3人とも 「え?」という顔をした。


「裕孝君は、私と同じ歳の女性にあこがれていて、その人について色々とお話してくれたんです。裕孝君があの部屋の扉を開けた時、その女性の写真が偶然私の眼にはいって、私が何か言ったり、結城さんにみられてお母様にばれたら恥ずかしいからって‥‥本当は言わないでって言われたんですけど」


 うん。嘘はいってないな。憧れのルーちゃんの話題してたんだし。

 横から「ぶっ殺す!」って視線を感じるけど。いやいや、裕孝君わかってるの? 君が私に酷い事したんじゃないかって疑われてたんだよ? しかも警察とか言い出すぐらいの妄想お母様なのよ。これぐらい言わないとダメでしょう。


 お母様は、「ほ……本当なの?」と何だかばつの悪そうな顔をしながら裕孝君をみる。


 裕孝君は私をキッっと睨み付けると、顔を赤めながら頷いた。


「あらあら‥‥そうだったの。憧れの女性ね。では後で本人からその方についてじっくり聞かせていただくとして……裕孝、本をぶつけた事、ちゃんと謝りなさいね。どうせ謝ってないのでしょう? もちろん、ちゃんと心を籠めて謝りなさいね。仕方なくなんて反応を感じたら即、結城さんとお部屋をみにいきますよ……ふふふ」


 お母様は、そういって裕孝君に微笑みかけたが、気のせいかこちらまで寒気がする。

 裕孝君は、軽く舌打ちをすると、心を籠めた《ふうに》頭を下げて謝罪してくれた。傍から見れば、心を籠めて謝罪している様に見えるが、目に殺意がむき出しだ。


 勿論、その眼はお母様や結城さんからは見えないように計算されている。完全に私だけ見えるように、だ。こいつ……。



 まぁ、私は家庭教師としては能力不足で首だから、ゲームでは会わないように気を付ければ、今後あう事はないからいいけどね。


 私はそろそろ、木村さんの所に向かわなくてはいけない事をお話し、裕孝君は学力が高いため、やはり自分よりも能力の高い後続の先生を田辺さんと相談したいと話すと、お母様は何故かとても寂しそうな視線を向けてきた。私が男性だったら、ころっと「傍に居させてください!お姉さま!」と言いたくなるぐらいの可愛いさだ。


「でも、私は最初っから学習能力向上の為に雇ったわけではないし、その女性についてきいてみたいし……貴方でも──

「げっ 母さん!! こいつはうざいから首……じゃなかった、又、片倉先生を怖がらせると悪いし! それに、俺は田辺先生がいい! 先生の回復をまっていたい!」

 と、すかさず付け加える裕孝君。さすが私を首にすることに関しては抜かりないな。しかも本音が一瞬ダダ漏れてたよ!


 はいはい、わかってます。裕孝君より頭悪いしねと、心の中で自分に突っ込み自嘲する。


 私はお母様に、それではと挨拶すると、名残惜しそうな顔をされたが笑顔でかわす。裕孝君はまだ小学生だけど、やはり親として息子の恋路は気になるのだろう。お金持ちだし、岬家にふさわしい女性かどうかとか確認しておきたいのかもしれない。


 ちなみに裕孝君は、もう来るなよってかんじの黒い笑顔だ。私は、必死に笑顔にヒビが入りそうになるのを堪えると、結城さんに先導されて玄関へと向かった。


 結城さんと二人、長い廊下を歩きながら、彼女は何度かチラリチラリと私を見て何か言いたげな顔をする。


 ん? 何か私の顔についている? 


 ああ! そうか。鼻にティッシュいれたままだったからだ!

 

 玄関に向かいながら、鼻のティッシュをとると、血はすでに止まっていた。良かった。でも私この姿でお母様と話してたのか。家庭教師として能力不足で、両鼻にティッシュを入れながら話す女。間違いなくアホだなと思われただろう。


 などと自己嫌悪しながら考え事をしていたら、結城さんが「片倉様」といって急に立ちどまったので驚いた。


 ──え?……まだ、私、おかしいな所が?


「……貴方は、あの秘密の部屋をみて……どう思われたんでしょうか」


 え、あの部屋? って裕孝君の部屋だよね? もしかして知っていた? あ・・そっか。家政婦さんだったら掃除とかで、裕孝君の通学中に見たのかな。


「年頃の子が、憧れの男性の写真を壁に貼る事はあるとは思うのですが、あのように全面に貼ってるのを見ますと、さすがの私も、最初恐怖のあまり声もでませんでしたので。坊ちゃまはその・・・そういう性癖なのかと心配で。岬家の子息であれば、それだけはないとは思ってたんですが。それともそこまで‥‥」


 うぉ・・ロッテンがめっちゃしゃべった。そして裕孝君が変な方向に疑われている。

 いや、単なる、ルーフェスキャラへの憧れなだけだと思うんだけど。たぶん。


「えと、性癖はよくわかりませんが、その写真は私の友人がオンラインゲームで使っているキャラクターだと思うんです。ゲーム内で会った事がないので確定ではありませんが、もしそうなら、中の人は女性ですので、その点は心配ないかと。もしかしたら、裕孝君は知っていて憧れてるのかもしれません」


 私がそういうと、結城さんは、ハッとした顔をして「ではその方が……よ」と、ぽつりと呟くと慌てて口元を抑え、後の言葉は掻き消えて良く聞こえなかった。


「よ?……なんですか?」

「いえ……奥様と貴方は似ていると思ったんですが、勘違いだったみたいです」


 え? 似てる? 私とあの美人お母様とは、体型も顔も似てないと思うけど。性別が……同じぐらいじゃないかな。ははは。


 変なの……と思いながらも、私はまぁいいかと靴を履き、結城さんに軽く挨拶を済ませ岬家を出た。


















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