最終話 Tell Me a Story ②
アエディクラの技師と、オンブリアのライダーたちが協力して、干ばつに強い特別な米の栽培がようやく実を結ぼうとしている。そのはじめての収穫が、リアナの最後の仕事になるだろう。
「フィルはどうしてたの?」
「お声はかかったんだけど、まだそんな気になれなくて」
もの問いたげに見あげてくる彼女に、フィルはほほえんでみせた。〈ハートレス〉であったころは、自分が誰かの伴侶になるという考えからはあえて目を背けていた。それが、彼女と出会って、少しずつ変わってきたのを感じていた。
「……でも、いつかは人生を誰かとわかちあえるかもしれません。誰かを心から愛せるかも……あなたが俺に
その言葉は、リアナを満足させたようだった。
建物の外に出ると、エクウスという名の愛竜が待っていた。彼女の見送りもここまでだ。
「気をつけてね。無理しないで。なにかするときは、ちゃんとまわりに頼ってね」
「ええ」
飛竜にまたがる直前に、フィルはすこしばかり居住まいをただして彼女に向きなおった。薄灰色の大きな瞳をしっかりと見て、ある言葉をささやいた。それは過去形の告白だった。
「・・・・・・・」
リアナが笑顔で答えた。「知っていたわ、もうずっと長いこと」
そのほほえみには、あらゆる苦労が報われたとフィルに思わせる効果があった。
「秋には俺が迎えに来ます。待っていて」
飛び立つ青年の目に、手を振るリアナの姿がいつまでも見えていた。
♢♦♢
それから一週間ほどが経った、王都タマリスの西部の森。岩山と崖に囲まれて、秘密の場所のような美しい湖がある。
二つの人影が、やや開けた草むらに見える。一人はアエディクラから戻ってきたばかりのフィルバート。もう一人は少年で、成人の儀まであと二、三年という年頃だろうか。
「もう、やめた!」赤毛の少年が、釣り竿を投げだした。
「朝からやってるのに、小魚一匹釣れないんじゃ、おもしろくないよ」
草地に寝っ転がって、ふてくされたように草をちぎっていると、隣の簡易椅子に座る男がちらりと視線をよこしてきた。
「ふうん、じゃヴィクは昼食は乾パンと水でいいんだな? 俺は
「なんだっていいよ! なんにも食べたくない」
子どもじみたことを言って腕を枕に横になり、昼寝でもするように目を閉じた。フィルはそれ以上なにか言うことはなく、湖のほうへと目線を戻した。
男がゆったりと椅子に身を沈めて、竿を前に短刀の手入れなどしている長い間、少年はじっと目をつぶっていた。
「僕は養子に行ったほうがいいんだ」やっぱり眠ってはいなかったのか、少年はそんなことを呟いた。「〈ハートレス〉の子どもなんて、誰も欲しくないんだから」
「グウィナ卿やハダルク卿がそう言ったのか?」
「言いやしないけど、そう思うにきまってる。……父上も母上もナイメリオンがいればいいんだ。あいつは
「ふーん」フィルは気のない返事をした。小さな木片を削って、擬似餌などこしらえている。
あいかわらず、つかみどころのない男だ。少年はいらだたしくなった。
少年、つまりトレバリカ家のヴィクトリオンは、薄目を開けて隣の男を観察した。
でも、少し成長して自分が〈ハートレス〉だとわかってからは、ヴィクはこの従兄の家に行くことが多くなった。父やデイミオンが、弟の
ヴィクは愚痴をつづけた。
「……なんなら、あんたのとこの子どもになってもいいよ。スターバウ家は父上の家より格上だし」
「俺はこんな根性なしを子どもにするのか?」フィルバートはあきれたように言った。
「なんだよ。あんただって養子だろ?」
「誰かと契約してパートナーになれば、〈ハートレス〉でも竜術が使えるようになる」
しばらくして、フィルが言った。木片にふっと息を吹きかけて屑を飛ばす。
「そんなの知ってるよ」ヴィクは鼻を鳴らした。「でも、その心臓も竜も僕のじゃない。僕がパートナーになったらナイムは喜ぶってみんな言うけど、誰かの心臓の入れ物になるなんてつまらないよ」
「そう」
あいかわらず気のない返事だ。二個目、そして三個目の精巧な擬似餌が椅子のへりに並べられていった。フィルはナイフの扱いがとてもうまくて、どんなものでもあっという間に削りだして作ってしまう。
「……ナイフに慣れたら、剣もうまくなる?」
「いいや。別物だな」
ちぇっ、つまらないの。
竜族は不老長命なんていうけれど、フィルみたいな英雄になるには剣も体術も毎日こなして、それを長年続けなければならないのだ。それなら、最初から次の王に選ばれる人生のほうがずっといい。僕も
「パートナーなんて面倒だ」
ヴィクはまた草をちぎった。「フィルはそう思ったことないの? 〈ハートレス〉のままだって、英雄だし、〈
「おれは自分に満足してるよ」フィルはおだやかに返す。
「やせ我慢じゃない?」ヴィクは身を起こした。
「フィルのパートナーって、あの〈白竜王〉だろ。デイミオンの奥さんじゃんか」
「いまのところはね」
「それなのに、あの人のためにアエディクラとこっちを行き来してさ。そりゃ、白竜のライダーは格好いいけど、あんたになにもメリットはないわけじゃん」少年は言う。「それとも、『パートナーを持てばおれの気持ちがわかる』とか言うわけ?」
「いいや」フィルは笑みを浮かべた。
「おれが彼女を思うような気持ちが、世間にそうそうあったら困る」
「やっぱ、よくわかんないな」ヴィクは首をひねり、できあがった擬似餌を手に取って眺めたりした。
そのとき、釣り竿がぐっとしなり、二人の会話が破られた。フィルが慎重に竿を引き、ぐいとたぐり寄せるのを、ヴィクは固唾をのんで見まもった。しばらくするとばしゃばしゃという音が響き、魚影が水面にあらわれた。
「すげえ! 大物だ!」
少年が応援するなか、フィルはすばやく魚を引きあげた。全体が銀鼠色で中央がバラ色をした、宣言どおりのすばらしい
「大物釣りの鉄則を教えてやろうか?」手際よく魚を締めたフィルバートは、目を輝かせるヴィクに向かって片目をつぶって見せた。
「計画は慎重に、仕掛けは完璧に。それから待って、待って、待つことさ。ひとつのアタリが来るまでね」
【第三部 終わり】
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