終章

最終話 Tell Me a Story ①


 タマリスよりも半月ほど早いハイドレンジアの花が、はや満開を迎えていた。竜の国のものよりも小柄だが丈夫で、夏の盛りから秋口まで咲くらしい。アエディクラの王都シラノでは、異国の功労者を称えた青スミレ色の新種が流行になっている。花売りの少女が恥ずかしそうに差しだす花束に、フィルバート・スターバウは気前よく小金をはずんでやった。


 四半刻もせずに、王宮に隣接する竜の飼育場に、彼の姿があらわれた。日差しが強いこの国では、アーチ型の入り口に影が濃く落ち、広く明るい飼育場との対比になっている。


 ちょうど、飛行訓練の基礎をはじめようとしているようだ。フィルは入り口にもたれて少しばかり授業に参加することにした。


遮眼革ブリンカーは何のために装着するんでしたか?」

 飛竜の前にならんだ子どもたちにむかって、女性が質問した。子どものひとりが答えた。

「飛竜の視野をせばめるためです。長距離を飛ぶ飛竜が、余計なところに視野を置いて疲れないように」

「そう」女性がうなずき、飛竜に近づいて顎の下を掻いてやった。「頬が膨らんでいるのは成熟した雄の特徴です。この喉のヒダがオレンジ色に変わるのを、婚姻色といって……」


 説明している女性の横に、教師らしい別の男性が小走りで近づいてきて、何ごとか話しかけた。どうやら、女性は臨時で教えていたらしく、男性はしきりと恐縮して頭を下げた。

「陛下にこのような講義をいただくとは、ありがたいことです」

「すこし時間が空いたから」

 これまで位置的に見えなかった、女性の横顔がにこりとした。美しい顔だちはもちろんだが、思わず目が吸い寄せられるような生き生きとした雰囲気がある。そして、はっと驚いた顔になった。


「フィル!」女性がふりむいたと思うと、駆けよってくる。

「リアナ」フィルも声をかけて、近づいていく。腕をひろげ、彼女が首に抱きついてくるのを抱きとめた。

 子どもたちと教師が目をまるくして興味を隠そうとしない様子なのが、フィルのほうからはよく見えた。なかなか悪くない気分だ。


「どうしてこんなに長いこと、顔を見せてくれなかったの? なにをしていたの?」

「〈ハートレス〉たちの動態調査とか、ヴェスランの手伝いとか。あとは、サマーキャンプの引率とかかな」

な仕事をしてたのね」リアナは首筋から顔をあげて、やや皮肉っぽく笑った。「でも、さみしかった」

 フィルは彼女を抱きおろすと、「すみません」と謝った。


 この前に彼女に贈った花はバラだった。そのときに〈竜の心臓〉も渡し、フィルはまた〈ハートレス〉に戻って、あちこちをいそがしく行き来していた。そんな生活が数年続いている。選ぶ花の顔ぶれが前と変わっているのを見て、彼女と会わなかった期間の長さを想う。

 

 リアナはミルクティー色の髪をゆるくまとめて、目の覚めるような布地を複雑に着つけてアエディクラ風の出で立ちにしていた。自分の名がついた花束をわたされ、顔をほころばせる。

「もう咲いているのね」

「花が咲くのに、気がつかなかったんでしょう? あなたは仕事第一だから」

「それはあなたもじゃない? せっかく来たのに、もう出立するの?」

「ええ」青年がにっこりした。「竜乗りライドには最適の日でしょう?」


 よく見れば旅装なのだが、身軽なフィルはそうと気づかれにくい恰好だった。アエディクラでもオンブリアでも通用するような、腰までの短い上着に革のブーツ、相変わらずの短髪。持ち手のついた丈夫そうな布袋だけが、しいていえば旅装といえなくもない。

長衣ルクヴァを着ればいいのに。白の素敵なのをあつらえてもらったでしょ? ニザランで着たような」

「面はゆいんですよ。それに、これなら汚れても困らないし」

「困った竜騎手ライダーさんね」

「あなたに言われるとはね」

 二人は連れだって話しながら、飼育場の通路を歩いていく。

「最近はどうですか?」

「〈風読み〉たちも何人か送ってもらったから、だいぶん仕事が楽になったの。ナイル卿には感謝しないと」

「それはよかった」

 世間話をすこし挟んで、フィルは気になっていたことを聞いた。

「……あの子どもたちは?」

 飼育場にいた子どもたち。肌の白さと色素の薄さは、遠目にもアエディクラの人間ではないように見えた。

「もしかして……探していた子どもたちですか?」

「……うん」

 リアナは、なぜかすこしうつむいて小さな声で答えた。「ザシャとレリンがいるの……」

 フィルは思わず声にならない息を漏らした。

「〈隠れ里〉の、混血の子どもたち……ロッテヴァーン卿の?」

「うん。……わたしにとっては、今でもパン屋のロッタだけど」

 こみあげてくるものがあったのだろう、肩を震わせるリアナを、フィルはやさしく抱きよせてささやいた。「見つかってよかった。……あなたがずっと探していた子どもたちだ」

「うん」彼の胸に頭を寄せ、リアナはくぐもった声で言った。「秋にはたぶん、彼らといっしょにオンブリアに帰れると思うの」

「……頑張ったんだね。子どもたちのために。あなたは本当にすごい人だ……」

 彼らになにがあったのか、リアナとどんな話をしたのか、いつかゆっくり聞きたいとフィルは思った。

 

 

「この春の繁殖期シーズンは、デイミオンがこっちに来たんだって?」

「うん、今年の春は忙しかったから」

 夏秋にもなにかと理由をつけては妻に会いに来ているらしいデイミオンの話は、あちこちから聞いている。かつてのあの男の女性への態度を知っている者たちからすれば、なにしろ驚くほどの溺愛ぶりだ。そういう兄の変化がおかしくて、くつくつと笑った。


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