10-6.和平協定

 救いは意外な方面から訪れた。ライダーたちとともにエンガス卿が入室を求めたのだ。

「デイミオン陛下」

 さすがに老獪ろうかいな政治家らしく、その場の不穏な空気を読みとっても顔色を変えることはなく、「リアナ陛下、フィルバート卿」と会釈をした。


「準備が整いました。和平交渉のための席へと両陛下をご案内させていただきます」



  ♢♦♢


 協定の席で、リアナはたいへん気が重かった。


 領主の館のもっとも広い食堂が、その歴史的な場となった。それを振りかえると、リアナは不思議な気持ちがする。思えば、〈隠れ里〉が襲撃され、そこから逃れてこの館に泊まったのはたった一年前。そのときは、まだ公にはなっていない王太子の立場だった。そしてその場に、王とは言いづらい立場になって再び戻ったわけだった。

 アエディクラからはガエネイス王と武官、文官が数名。オンブリア側は国王デイミオンとエンガス卿、エサル卿、ファニー、リアナが席についた。漁夫の利を狙うというのか、なぜかイーゼンテルレの公子までやってきた。


 飛行船内でガエネイスと交渉したのは、すでに彼女が退位したあとということになり、つまり国王でもないのに勝手に条件を提示して停戦を求めたわけであった。五公会の決定を待つまでもなく、デイミオン王が「否」と言えばすべてが白紙に戻ってもおかしくない。


 そういうふうにリアナは思っていたのだが、ふたを開けてみると様相が違った。

 エサル卿とエンガス卿はそもそも早期開戦をもくろんでいたし、反対派だったはずのデイミオンはまっさきに戦端を燃やしにかかり、しまいには自分ひとりではどうにもならない事態までアーダルを暴走させてしまったわけで、つまるところ、勝手に動いて事を悪化させたという意味では王も五公も彼女と大差ないのであった。


 彼女の休戦の条件は、その場に大きな議論をもたらした。希少な白竜の竜騎手ライダーを人間の国に出向させるということ自体前例がなかったし、戦端が開かれれば人質ともなりかねない。もっとも心配していたのはデイミオンの動きだったが、出向の期間や彼女の立場について細かく修正させたくらいで、少なくともその場では出向そのものを不許可とはしなかった。リアナはほっとした。


 ファニーの活躍もあり、停戦協議とは思えないほどスムーズに場はすすんでいったん解散となり、夕食の場で調印という形になりそうだった。遅めの昼食をとりながら閣僚たちと内輪で書類の再チェックなどしようかとリアナは考えていた。


 部屋を出たところで、ちょうど赤い長衣ルクヴァが見えた。


「リアナ陛下」

 どうやら、エサル卿は彼女を待っていたらしかった。堅苦しくその場にひざをついて金色のこうべを下げた。

「この度は、陛下への狼藉に対し死を持って償うのが当然であるところ、寛大な処遇をいただきましたことを感謝します。私にも、私の家にも」


 彼女はうなずいてみせた。

 リアナとデイミオンは、熟慮のすえエサル卿の弑逆しいぎゃくの罪を問わないことにした。

 五公の権力はバランスで成り立っている。エサルを処分すればエンガス卿の影響力は弱まるかもしれないが、今度はグウィナ卿と王太子の生家の発言権が強まるだろう。エサルの家はすでに竜騎手ライダーの一部を失っており、さらに弱体化すれば今度は南の領主たちのなかに彼に取って代わろうとする勢力が出てくるかもしれない。いずれにせよ、処分にはさまざまな名目で多額の税金が含まれており、豊かなケイエからの財源で王都が潤うのは間違いなかった。


 つまりは、そういうもろもろの事情のために、エサルの罪は大幅に減じられたわけだった。

 なにか釘をさすような一言を言うべきだろうと思ったが、リアナは結局、違うことを言った。


「ハリアン卿たちの亡骸は、カレン峠の手前にある。……フィルの剣が目印になるはずよ。春になったら探すといいわ」

 エサルは唇をかみしめ、苦悶の表情になった。「……お慈悲に感謝します」

「あなたは大切な竜騎手たちを失ったし、わたしは〈血のばい〉を失って王ではなくなった。お互いに、それで納得するしかないでしょう」

「――復位はお考えにならないのですか?」

 エサルからの意外な言葉に、リアナは一瞬言葉に詰まった。「それは――」



 だが、そのとき大きな爆発音がして二人の会話を破った。エサルが慌てて窓に駆けよった。どうやら、中庭でなにか起こっているらしい。


「どうしたの? なにが起こったの?」

 リアナも窓枠に手をかけた。

「デイミオン陛下とフィルバート卿が、竜術を使って戦っておられるようだ」

 エサルはそう状況を評すると、なんとも言えない目でリアナを見た。

「……お心当たりが?」

「ええっと」

 さきほどまでの威厳はどこへやら、リアナのこめかみを冷や汗が流れた。

 お心当たりなどというどころではない。

 上から見るかぎり、フィルが竜術を使って上空を舞い、有利な位置から剣をお見舞いしようとしているようだった。デイミオンも地上で応戦している。それにしても、二人ともついさっきまでは調停の場にいたはずなのに、このわずかな時間でなにをはじめているのだろう?

 嬉しいような恐ろしいような、自分に責任があるような、ないような。

「でもとりあえず、止めないでおこう」リアナはなんとなく逃げ腰になった。「原因がわたしなら、わたしが出ていくとよけい火に油を注ぎそうだし」


「そういうわけにも行きますまい」エサルが冷たい目で言い、嫌がるリアナを引きずるようにして中庭まで連れていった。

 

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