10-7.兄弟ゲンカ

 嫌々ながら降りてみると、二人以外にも見物人たちが山と押しかけていた。竜騎手団の紺色の長衣ルクヴァ。ケイエの領兵たち。〈ハートレス〉の兵士たち。それに城内のほかの貴族に使用人たちまでいて、野次と歓声を交互にとばしていた。


「これはいったい、どういうことなの!?」

 見知った顔に詰めよると、テオは「あ、陛下」と気楽にふりむいた。手には麦芽飴など持って、すっかり観戦気分のようだ。


「なにって……陛下の夫の座を賭けて争ってるんじゃないんすか? 俺は金を損したくないんで、連隊長にしときましたけど。……あっ、でもデイミオン陛下もオッズは悪くないですよ」

「夫の座を賭けてって……、賭けにまでなってるの!?」

 もう、なにから正せばいいのかわからない。リアナは頭を抱えた。


 テオは解説まではじめた。「といってもあの人、あの剣技に加えて白竜のライダーになっちゃってますからねぇ。この分だとまずデイミオン陛下に勝ち目はない」

「しかも今、アーダルは昏睡状態にある。王は竜術が使えない」どこから現れたのか、ファニーの声が割って入った。「やっぱり、フィルバート卿の有利は揺らがないかなぁ……っと!」

 ファニーの言葉は轟音にさえぎられた。


 竜術が建物に直撃し、ぱらぱらと落ちてくる石材に観客たちも逃げまわった。巻きあがる炎と爆風の中心で、デイミオンが不敵に笑った。彼が手のひらを上に向けて「かかってこい」のジェスチャーをすると、女性たちから黄色い歓声があがり、野次馬たちもおおいに沸いた。

「おっと! 陛下、さっすが男前! 顔と人気では勝ってる! これは勝負が読めなくなってきたね」と、ファニー。


「俺の城が!」エサルが叫んだ。

「ああ!」ハダルクも叫ぶ。「私の竜が!」


 リアナは背筋が寒くなった。どうやらデイミオンはまた、部下の黒竜の支配権を奪って使っているらしい。「わたしのために争わないで」などと間の抜けたことを言って目立ちたくはなかったが、このままではせっかく復興したケイエが再び炎に包まれかねない。

 決意をこめて息を吸い、大声で叫んだ。

「デイミオン! あれだけの被害を起こして、まだ懲りてないの!? フィルも! ルルの力をくだらないことに使わないで!!!」


 野次馬たちがいっせいにリアナのほうを見た。「まぁ、上王陛下があそこに」「陛下のご寵愛を賭けて、二人の男が決闘を……」その好奇心に満ちたまなざしに、彼女はすぐに後悔した。止めたりせずに、世界が滅びたりケイエが再燃するのを見ていたほうがましだった。死ぬほどいたたまれない。


 二人の男は、信じられないことにそっくりな仕草で舌打ちした。

 しかし竜術の使用についてはやはり思うところがあったと見えて、そのまま剣での試合に切り替わり……

「やあ、デイミオン王、なかなかの剣さばき! 体格と体重では完全に押し勝っているね!」と、ファニー。

「まずはあっさり懐につっこんで陛下の剣を流した。でもあの男はこっからがえげつないんですよ!」と、テオ。


  ♢♦♢


 二人の男は抜け目なく間合いをはかりあった。

 体格で上まわるデイミオンの剣は重く、何度も受けとめると疲労しそうだった。続く一撃を、フィルは後ろに跳ぶようにしてかわす。


「……ッ!?」

 と、爆発音がした。地面に足を取られるような感覚があり、とっさに足下を見てしまう。その隙をついて、デイミオンの剣が再び横にないでくる。バランスを大きく崩したが、かろうじて避け、畳みかけるような攻撃に何とか持ちこたえた。

 劣勢の剣に集中しながら、同時に竜術が使えるはずがない。あらかじめ、決まった箇所で発動するタイプのものを仕掛けたのだろう。と、すると、デイミオンの間合いに入っていたほうが安全だ。


 そう考えて、フィルは一気に間合いを詰めようとする。が、その意図がわかるのかデイミオンの剣は思ったより素早く、フィルを寄せつけない。

「くそッ」

 小さく舌打ちすると、向かってくるデイミオンの剣を受けると見せて大きく右に避けた。そして自分の剣を投げ捨てるとそのままの勢いでデイミオンの腕に手刀を落とす。デイミオンの手から剣が落ちた。

「なっ!?」


 驚いた様子の兄に声もかけず、ほとんど振り向きざまにその顔を殴った。

「……やったな」デイミオンが唾を吐いた。

「剣の間合いじゃ竜術にはまる。この距離なら、危なくて作動させられないだろう?」

 すぐにデイミオンも反撃してくる。顔、と見せかけてボディへの一撃、しかしフィルはかろうじて避けた。


「お・と・な・し・く・やられろ!」デイミオンがすごんだ。

「イヤだ。こっちだって恨み骨髄なんだから」

 答えたとたん、デイミオンの一発が腹に決まった。思わず体を曲げるほど、痛い。

 間髪入れずに、もう一発。次は顔だ。

「負けを認めて引き下がるんだな。男の嫉妬は、みっともないぞ」

「嫉妬? だいたい、この春からしか結婚できないはずなのに、夫とか言いだすほうがずるいだろ。ルール違反だ」

「ルールだと? ハッ、おまえにだけは言われたくないな。俺のシーズン中を狙ってこそこそと――」


「どうしてみんなのいるところで言うの!!?」リアナが悲鳴をあげた。いくばくかの同情と、羨望のまじったまなざしが向けられた。


 デイミオンが弟のわき腹に打ちこめば、フィルは兄の腎臓に右フックを命中させる。おかしなことに、剣でも竜術でもお互いの実力差が明確なのに、拳闘だけはほとんど互角だった。

「〈剣聖〉だの英雄だのと持ちあげられて、いい気になっているんじゃないか? 俺のほうが強い!」

ボス猿アルファメイル気取りも大変だな。残念だけど、彼女が信頼して心臓をあずけたのは俺だ! どっちが上か、そろそろわかりそうなものだけど、なっ」

「結婚式で吠え面かくがいい!」

「浮気でもして、愛想つかされろ!」

 お互いにはぁはぁと荒く息をつきながら、殴り合いながら、ののしり合う。とても、オンブリアの王と英雄の姿とは思えない。口を開くのもキツい様子なのに、応酬は止まなかった。


 そして、関係者と関係ない者たちが息をのんで見守るなか、幕切れは滑稽なほどあっけなくやってきた。


 二人がほぼ同時に繰りだした顔への拳が、どちらも避けなかったために同時に決まり、そして二人ともバランスを崩してよろけ――

 しかし、倒れたのは同時ではなかった。


 二人とも背後に大きくよろめいたが、どうっと音を立ててデイミオンが倒れたのを見届けるようにして、フィルが前向きに倒れたのだ。


「勝負あり!」

「勝者、フィルバート卿!」


 審判らしいライダーが勝者の腕を取って上げたが、応答はない。どうやらフィルも意識を失ったらしかった。

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