10-8.即位式、そして……

 王都タマリスは、待ちわびた春を迎えようとしていた。住民たちはひときわ高くそびえる王城を指さして、あれこれとうわさ話に余念がなかった。すべての塔に旗や吹き流しがなびき、あらゆる鐘が即位を記念して鳴り響いた。小型竜たちが驚いて舞いあがるのとは逆に、貴族たちの飛竜や古竜が次々と発着場をめがけて降下してくる。青空の下、祝砲が華々しくとどろいた。


 その日、掬星きくせい城は即位式に参列する貴族たちで満杯となり、使用人たちは式の支度で朝から大忙しだった。


 城内の彼女の部屋は、以前とは場所も調度も一新されていた。

 陽当たりがよく快適で、広い夫婦の寝室の隣に浴室も備えてある。寄木張りになった床や、胡桃クルミ材のベッドなど、暖かみのある調度が故郷やニザランのツリーハウスを思わせて、リアナは気に入っていた。しかも、それらを準備したのがデイミオンだと聞いたときにはかなり驚いたものだった。


 ドレッシング・ルームは、早朝のまだ弱い日差しのなかでざわめきに満ちていた。侍女たちがあれやこれやを運んで行きかう衣ずれの音。年かさの女官が短く指示をする声。ときおり、水の音がするのは、窓際にバスタブが置かれているからだ。


 ざあっというひときわ大きな水音がして、女官たちがバスタブのほうへ駆けよった。流れ落ちる湯とともに、湯につけられた薔薇の香りが広がり、清潔な朝陽を浴びた水滴が髪を淡く輝かせた。


 リアナが立ちあがり、大理石の床に濡れたまま足を下ろすと、女官たちが身体を拭きあげた。肌を柔らかくするクリームがすりこまれ、薔薇とスイカズラの練り香水がつけられた。正式な場では女性は髪を結わないのが竜族のしきたりなので、艶が出るまで櫛をかけたあとは顔の横の髪を編むだけで背に流す。そして、この日のためにデイミオンが特別に準備させたのは竜族の白い正装のドレスだった。イーゼンテルレのものに比べれば露出も飾りも少ないが、それでも春のドレスらしく首まわりは開いていて、レース地もたくさん使われていた。金糸の縫い取りが豪奢な飾り布を細い腰に巻いて、正装の完了だ。


 リアナは鏡に映した自分の姿を確認した。今日は、彼女にとって特別な一日になる。


   ♢♦♢

 

 〈王の間〉は黄色の旌旗せいきで彩られていた。


 リアナは竜騎手たちにつきそわれて入場した。上王の入場を告げるラッパの音が響く。彼女はデイミオンのいる最上段より一段低い位置に移動し、その人物が現れるのを待った。

 やがて〈御座所〉の文官、神官たちがあらわれて列をなし、荘厳な音楽とともに、小柄な人影が上段にあらわれた。彼は茶色のくせ毛にあまり似合わないサフラン色の長衣ルクヴァに身を包み、黄と青の竜騎手たちがその後ろにつき従っている。

 素敵なルクヴァなのに、彼の髪の毛はあいかわらずだわ、とリアナはすこしおかしかった。


 貴族と官吏たちが歓迎の拍手を送った。

 国王デイミオンが壇上に上がり、副神官長の案内に従い、低くよく通る声で即位を認める文章を読みあげはじめた。


「……そしてここに、新たな神官長、また竜の声を聴く〈黄金賢者〉として、竜王デイミオンはセキエル家のエピファニーを任命する」


 聴衆たちが彼の言葉を待っている。

 太陽と月が配置された錫杖を持ち、ファニーはごく短い宣言をした。出生率の低下や蔓延する灰死病への対策についての〈御座所〉の考えと今後の計画を現実的に述べたことが、不安の多い聴衆に安心感を与えたようだった。


 宣言の締めくくりに、〈黄金賢者〉はこう言った。

「竜なき後のオンブリアに備えるため、僕は、竜をもたない竜騎手ライダーになる」


 結局、エピファニーはのちに仔竜を育てることとなり、『竜をもたない竜騎手ライダー』という文言は果たせなくなるのだが、それはまた別の物語になる。


 ともあれ、宣言が終わると、ファニーは気楽な調子で手を打った。「さあ! これで聖職者の用意ができた。もうひとつの式をはじめよう」



 竜王デイミオンは、竜騎手団の濃紺の長衣ルクヴァ姿で、額に簡易冠を嵌めて立っていた。最近の重々しい黒衣ではないせいなのか、ついに式を挙げることへの喜びからなのか、いつものしかつめらしい表情ではなく、年齢相応のハンサムな青年に見える。

 騎手団長のハダルク卿が、リアナの手をとって檀上までのごく短い通路をエスコートした。

 そうして新しい〈黄金賢者〉の目の前に、背の高い青年と、白いドレスの少女が並び立った。

 エピファニーは聖句を持ちだして長々と説教をしたりはしなかった。二人に向かってうなずいてみせ、「エクハリトス家のデイミオン。ゼンデン家のリアナ」と呼びかけた。


 そして、高く明るい声で尋ねた。

きたるべき春、新しいよろこびの繁殖期シーズンを、また次の春を、またその次の春を、永遠に竜のつがいとして過ごしたいと願うか?」

「はい」男女の声が重なった。

「では、そうあるように。……名を呼び交わしなさい」

 二人は微笑みながら見つめあい、お互いの名を呼んだ。

「……リアナ」

「デイミオン」

 そして、王が金の冠を少女の額に嵌め、そこにうやうやしく口づけると、わっと歓声が上がった。


 簡素な式が終わると宴会の時間となり、まだ日も高いうちからつぎつぎとワイン樽が開けられた。料理もすばらしいものだった。料理長特製のスパイスの効いたハムを使った前菜。タマリスの春の名物である鶏肉料理は、クリームのかかったローストをはじめ各種。ニンニクとバターで煮込んだイガイやイカスミの料理。つけあわせのアスパラガスやマメ、酵母を使った柔らかいパンに、ベリーと蜂蜜のムース……。


 王として復位することを望まず、王妃として城に戻ってきたリアナのまわりに、多くの参列者たちがあいさつに訪れた。


「リアナ陛下さま

 呼ばれてふりむくと、かつての自分とおなじスミレ色の瞳と目があった。北方領主ナイル・カールゼンデンが立っていた。亜麻色の髪と純白の長衣ルクヴァが今は亡きメドロートを思わせて、リアナの胸が痛む。こうやってようやくデイミオンと夫婦になったのだから、それを一番に知らせたいのは本当は彼だった。だが、隣に立つ少女の姿を見てやっと顔をほころばせた。


「ルーイ! ノーザンの生活はどう?」

 リアナが王城に入ってからずっと侍女として仕えてくれていたルーイは、彼女の身代わりとして北部領に出向いていた。彼女に似せるために巻き毛にしていた髪も、元通りにまっすぐになって、下のほうだけをかわいらしくカールさせていた。

「もう、寒くて退屈で寒くて退屈で、永遠にその繰りかえしです」

 ルーイがぼやくと、ナイルが彼女を見下ろして、冗談めかして言った。「北部領ノーザンには二つの季節があると言われているんですよ。冬と、すこし暖かい冬です」

 もう影武者の必要もないから、帰ってきていいのに、と言うのはやめておいた。二人はとても打ちとけた雰囲気に見える。少なくともナイルのほうは、隣の少女にもっと長くノーザンにいてほしいと思っているに違いない。

 喜ばしいことはたくさんある。うれしい再会も。でも、リアナの心は完全には晴れなかった。


「フィルはどうしてるか、知ってる?」ためらいがちに切りだした。「北部領ノーザンで竜術の修行をしてるって手紙が来たんだけど……」


「はい」ナイルがうなずいた。「でも、五日ほど前にノーザンを出立なさいました。……ご存じなかったですか?」


「ええ」リアナの顔がくもった。

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